ハニーチ

スロウ・エール 223



そういえば、こんな感じだった。
当日の朝に思い出す。

試合のある日は、起きた瞬間、心が浮き立った。

窓の外がどんな天気でも、なぜだかいいことが起きそうだと思えた。


、今日なんでしょ?」

「そうだけど、それ」


昔よく見たお弁当箱とその中身。

今日の試合は午後だから、用意しなくていいのに、母は朝からはりきって作ってくれたらしい。


「いるよ、持ってく。ありがとう!」


試合の前日の夜にかたづけた荷物に、さっそくお弁当箱と水筒を入れた。

今晩、何を食べたいか、聞かれた。

ずいぶんと今日は優しいな。

そう言うと、いつもでしょと、ご機嫌に返され、リクエストする前に夕飯のメニューが決まった。

試合がある日の定番。

そして、思い出す。

祖父が倒れる前は、母もバレーを敵視なんてしてなかった。いや、今だって嫌いな訳じゃない。

近すぎたんだ。
ずっとそばにありすぎて、想いをぶつけてしまうくらい身近すぎた。

昨日のように、抱きしめ方によっては、息もしづらくなる。

人それぞれに合った距離感が、きっとあるんだ。




「いってきまーすっ」


ときおり強い風が吹いてくる。

雨、降ってもおかしくない、けど、まだ降らず。
折りたたみ傘だけカバンに差し入れて出発する。

近くに図書館があるから勉強してからお昼、待ち合わせして練習して、試合。


バスは、がらんとしていた。

1番奥に座って揺られていく。


朝早い試合だとよくこんな感じだけど、珍しい。
あ、でも、今日は休みの日か。
自習期間は注意していても曜日感覚が狂う。

そうだ、忘れ物ないよね。
バスに乗ってからチェックしても仕方ないけど、一つずつ確認していく。
全部ある。

昨日の夜もさんざん数えたしな。

また窓の外に視線を移した。

葉っぱのない並木道、ランニングしてる人をあっという間にバスが追い抜かす。

心がくすぐったい。
わくわくする。早くバレーがしたい。

この感じもまた懐かしかった。






ちゃん?」

「は、はい、私ですっ」


勉強もお弁当も手早く片付け、練習場所のスポーツセンター前で人探し。

すぐ相手は見つかった。


「今日、わざわざありがとうございます!」

「いいの~、まこっちゃんのためだからお安い御用っ」


嶋田さんよりずっと歳上の女性は、本当になんでもないって感じで明るく応えてくれた。

お店の常連客で、急遽来られなくなった嶋田さんのために代理を立候補したそうだ。

体育館の使用許可申請は大人でなければならないから、感謝してもし足りない。

もう一度お礼を言うと、その人は『いいから』と笑い、建物を仰ぎ見た。


「すっかり新しくなっちゃって……、私が来てた頃は周りもなーんにもなくて。
 親が東洋の魔女に憧れてねえ、あー、今の子は知らないかあ」


口の挟む隙もなく、てきぱきと手続きしようと誘導されるまま建物に入った。

あ、山田さんいる。
同じ学校の彼女と、今日の試合に付き合ってくれる女バレの子たちを待合スペースで見かけた。


ちゃんもバレーやるんでしょ?」

「あ、はい」

「見てってもいいの?」


予期せぬ問いかけに二つ返事でも頷いた。

でも、何かある試合ではない。

公式の大会でもないし、寄せ集めのチームだ。

それでもいいそうだ。
ただの中学生の試合でも、この体育館でのバレーの見納めになるらしい。

自分のことでいっぱいだったけど、この場所は、古い分だけ、誰かの人生に関わっていた。






「みんな、いる?」


無事に練習場所を確保して待ち合わせの場所に行くと、ほぼ、今日のメンバーはきていた。
山田さん達女子メンバーと、一年男子バレー部3人。

携帯を見ると、北一の二人はバスが遅れてるとメールがきていた。
その辺、連絡はきちんとくれる。

後は。


、悪い」

「あっ、よかった!」

「はじめましてっ、俺たち見学いいですか?」
「邪魔ぜったいしないしっ」


とても身長が高くガタイのいい男子、ふたり。
たぶんサッカー繋がりかな、服装的に。

翼くんがため息混じりに二人を片腕で静止した。


「来るなって言ったんだけど」

「あ、いいよ、どうぞ」

「ありがとう、って呼んでい、「やめろ、そーいうの」


こういう翼くん見るの、新鮮だな。

サッカー選抜の人たちらしく、こうみえてサッカーの腕前(足前?)はすごいそうだ。

白鳥沢とも練習試合をしたことがあって、たまにこの辺に来るらしい。

白鳥沢、と聞くだけで、あの人が浮かぶが、さっさと気持ちを切り替えた。


「練習はじめよっ」

さん、まだ二人足んなくない?」

「メールしとく、早く合わせないと」



心の奥にあるスイッチ。

ONにする。

ずっと使っていなかった。

バレーをする時に無意識に押していた。


「森くん、川島くん、鈴木くんっ、これ場所と鍵」

「はいっ」

「人数足んないけど、大丈夫だよね?」

「いけます、いつもと同じなので」


入部当初とは違ってビクつくこともなく、ハキハキと答えてくれた。

準備してアップ、練習。

翼くんとはあんまり合わせられてないけど、なんとかなるだろう。

あ、電話。


さん、私たちも」

「ごめん、山田さん、さき始めてて」

「おっけー、みんな行こっ」

「はい、主将っ」
「ちがうから、主将はとっくに譲ったって何回言わせんの」
「私たちにとってはずっと主将です!」


「もしもし、雪平くん」




スイッチが押されると、感覚が切り替わる。




「よかった、二人とも早く着いて」

「走りました」

「えっ、距離……」

「ありますよ、阿月が遅れたくないって」

「アヅくん!」

「アンタのためじゃねーし!」

「うちだと時間厳守ですしね」


遅れる選手に居場所なし。

強豪校の教訓めいた言葉に頷きつつ、それでもけっこうな距離を走ってきてくれたなと密かに感心した。

北川第一のアルファベットが光るエナメルバッグが、私を追い抜かす。


「ふっ二人とも早いねっ」

さんが遅いです」

「やるなら本気でやる!」

「ぎゃっ、ちょっと!」

「ユキも手伝えっ」

「えっ、いやっ」


背中と腕を引っ張られ、高速で練習場所にワープしていた。









「男子、けっこうタイミング合ってるね」

「……うん」


両チームとも、メンバーがそろって練習タイム。

山田さんが、男子チームの動きを観察していた。


さんが連れてきた男子、上手いじゃん」

「練習、ほんとにしてきたみたい」


今は影山飛雄崇拝者2号の雪平くんがトスをあげている。

1号の阿月くんは力強いスパイクを決めた。


二人とも、飛雄くんが言っていた通り、練習に励んでいるんだろう。


さん、どったの?」

「負けてらんないなって。
 山田さん、もっかい合わせない?」

「いいよーっ」



知っている、この感覚。


負けたくない。

勝ちたい。


それ以上に、もっと上手くなりたい。


私には、“それ”だった。



できることは、楽しいことだ。








「試合、はじめまーす!」



おねがいしまーすっ


あの大会のあった体育館は、中に足を踏み入れれば、たしかにここだったなと実感した。

ちょっと、小さくなった気がする。

試合前に呟くと、うちら小学生じゃないからねと笑われた。

確かに、もうすぐ高校生だ。


ネットを張って、準備して、コイントス。

キャプテン役は山田さんに譲って待っていると、こちらがサービス権を得た。

ウォーミングアップ。
正式な試合じゃなくても、怪我だけはないようにする。

さっさとやりたかった昔を思い出す。

口を酸っぱく言われたっけ。


準備体操は大事。


たしかに、わかる。
でも、この心というものは理屈が通じないんだ。


先輩、楽しそうですね」

「わかる?」


声をかけてくれた女子バレー部の子も瞳が輝いて見えた。

指摘すると彼女は短い髪なのに耳にかける仕草をした。


「私、主将に憧れてバレー部に入ったんですけど、試合は一緒に出れなくて……

 だから、今日まで練習いっしょにできて、今日やれてうれしいんです」


「そっか」


何かすることに、どんな意味を見出すか。


「いっしょに楽しもう」

「はい!!」


人それぞれだから、自分自身で決めるんだろう。

バレーに限らない。



「試合、はじめます!」


応援に来てくれた人たちは得点を任せ、審判は女子バレー部の子。

監督はいなくても、選手がいれば試合に成り立つ。



「ナイッサー」



掛け声も懐かしい。

サーブ、ゆるやかな流れ。

相手が冷静にボールを受けた。

セッターにボールが流れる。

誰で来る?


「せー、の!」


ボール、手に当たる。床、相手コート。

得点入る。

まさか、顔合わせ初めての翼くんにトスあげるとは。

声かけしてる。


「どんどん点取ってこ!」


山田さんの呼びかけに応える。


これが、6人でやるバレーだった。





“なんで、私にあげなかったの?”


最後の試合の、私の相棒の強い眼差しは、そう訴えていた。

私は、声が聞こえていながら、聞き流していた。

色んなことが聞こえすぎて、どれを応えても、どれかに応えられないことがわかって、苦しかった。

八方塞がりなのに試合は進む。

相手コートがみえて、自分のコートが見え、コートの外も耳障りになって耳を塞いだ。ぜんぶ目を瞑った。息さえも止めたかったけど、それは生きているからできなかった。


今の私なら、きっと。



「おーっし!」
「ナイス!!」


はぁ、はぁ、と息を切らす。

バレーは高さのスポーツだと、ドシャットを決められるたびに実感する。

それぞれのチームで1セットずつ取り合って、最後の1セットで試合が決まる。

時間が経つにつれて、相手チームとの体力差が出てくる。
合わせた練習の少なさからミスも多いけど、元々の高さとパワーだ。私たちの手にボールが当たっても押し切られた。


タイムアウトをとって水分補給。

いま連続得点は相手チーム。

流れ、あっちかな。


負けるかな。



「あっ」

さん、探し物?タオル?」

「ううん、あ、あった」


拾い上げたそれを、女バレの子が覗き見た。


「紐ですか?」


たしかに紐ではあるけれど。


「お守りっ」


日向くんがくれた、プロミスリング。

これって、本当に切れるんだ。
無くさないようにポケットの奥底にしまう。


「落としちゃったら縁起悪くないですか?」

「ううん、むしろ切れた方が、」

願いが叶う証拠。


言いかけて気づく。
私は、いま自分の願った時間にいる。

“あの体育館でバレーできますように”

役目を終えたから切れたのか……、いや、物事に意味を自分でつけていいのなら。

“ 私は ” これもエールなんだって思いたい。

がんばれって、たくさんもらった。

あぁ、そっか、けーちゃん。


“そのときに気づくんだよ、声援ってやつに″


わかった気がする。



「長引くとこっちが、「山田さん! みんなもちょっと!!」


チームメンバーを集めてひそひそ話、ならぬ作戦会議。

練習はベストを尽くしたけど、できるかはわからなかった。

けれど、やってみたかった。


私の考えを話し、みんなの顔を見ると、受け入れてもらえたことはわかった。

山田さんが片手をまっすぐ上に突き上げた。


「おおーーしっ、円陣組もっ」

「え、時間が」

「やりましょ、先輩っ」


引っ張り込まれるまま肩を組み、掛け声が決まらず、共通点である雪ヶ丘中学にちなんで雪中ファイトと叫んだところでタイムアップ。

相手チームがキョトンとこっちを眺めていたのが印象的だった。

コートに戻る。


さんから言われると思わなかったな」

「今の作戦?」

「そっ!」


山田さんが楽しそうに挑戦的な眼差しで相手コートを見据えた。

信じて飛ぶね。

その一言に、あの時答えられなかった気持ちを噛み締めながら深く頷いた。




先輩っ」


いいレシーブ。

誰を使うか、相手のブロック高い。


なら、速さだ。



いけっ。




「あーーーっ!」



山田さんの高さとタイミング、なにもかも、ズレた。

点数、向こう。


「ごめん!!」
「私もごめん」


「ドンマイですっ」

「惜しかったですよ」


「惜しくはないね」


後輩達のフォローに苦笑いする。

でも、まだ可能性はある。

バレーにホームランはないけれど、落とさなければ、ボールを繋げば、またチャンスは来る。

スパイカーに声をかける。

あのとき、何も言わなかった私は、いまなら、ちゃんと自分の考えを伝えられる。

周りを見ることが大事だった。
みんなのために、自分のために。

その上で、自分の気持ちを伝えるべきだった。
ぶつければよかった。

例え、噛み合わなくても、理解されなくても。

一人じゃないから、コートの中は、そとは、生きていくってことは、自分の心のまま、受け入れていくんだ。



「もっかいやろ、できるまで!

 私が、ボール届けるっ」



彼女が口端をあげて、待ってると呟いた。

相手からのサーブ、それはまた、とてもきれいに打ち上がり、そして。













「じゃあ、試合終了です」

「ありがとうございました!」


終わりの挨拶が幾重にもいくえにも重なって響く。
男子と女子との試合、こんなふうにできるのも体力的に今ぐらいがギリギリだろう。

うちの一年3人もずいぶんレシーブがマシになった。

北一の2人は本当に見違えた。


「翼くんもありがとね!」

「いや、別に、あ」


翼くんの視線の先。

来てくれた。

日向くん。


駆け出していた。



試合が終わったときのこの感覚。

勝負事は好きじゃない。

でも、わたしは、やっていた。

バレーボールを、確かにやっていた。




さん、試合っ」

「日向くん、私ね、バレーが好き!

 だいすき!!!」



なくしたと思っていた気持ち、ちゃんと見つけた。

身体は疲れているけど、心はこんなにも軽やかで、まだいくらでも動けそう。


「日向くん、来てくれてありがとう!」

「……」

「日向くん?」

「お、おれが! き、来たいからッ、来ただけで、そのっ、あの!!」


なんでそんなぎこちないのか。試験疲れかな。


「ちょいとさん」

「山田さんっ、日向くんが来てくれた!」

「それより、いま、さん、日向に告白してた?」

「こくは、く……、してないよ!?」

「大好きって聞こえたからもしやと」

「バレーがね!?バレーの話!! バレーが好きって、ね、日向くん!!日向くん?」


固まっている日向くんの前で手を動かすと、ようやく日向くんが動き出してくれて、私たちは笑った。
まるで、青空の下にいるみたく。



next.