楽しい時間は、あっという間だ。
次の団体に明け渡した体育館では、もうバレーじゃないスポーツが始まっていた。
返却手続きは、自分でやり切る。
待ち合わせスペースに戻ると、保護者として来てもらっていた嶋田さん代理の方が、大袋を片手にみんなに何かを配っていた。
近づくと、私も手を広げるように言われた。
もらったのは、チョコレート。
透明な包みにラッピングされた一口サイズ。
いくつも。
ああ、そうか。
試合しか頭になかったけど、今日は2月14日。
そういえば、バレンタインデーだ。
「おれも、いいんですか? 試合出てないのに?」
「いいの~、おばさん、そんなに食べないしね」
「こんなに!? アザース!!」
日向くんも片手からこぼれ落ちそうなほど受け取っていた。
「さん」
声のする方へ振り向くと、飛雄くんの後輩2人が並んで立っている。
「俺たち、もう行きます」
「わかった、今日はありがと」
手続きのあいだに帰ってるかと思ったのに、律儀に待っていてくれたようだ。
初対面こそ無礼すぎた2人だが、根は真面目みたい。
いや、だからこそ、尊敬する先輩への扱いきれない感情を、不器用に、乱暴に、真正面からぶつけてきたんだろう。
飛雄くん抜きでこうして試合できるなんて、やっぱり未来はわからない。
想いを込めて告げた。
また、今度ね。
「つ、次はっ、負けねー」
「サーブ上手くなったもんね。 楽しみにしてる」
「別にアンタと試合したい訳じゃ」
「わかってる、今度は2対2だよ」
二人の待ち望む飛雄くんの登場を強調すると、彼はやはり嬉しさを隠しきれていなかった。
そういえば。
視界に入った、雪ヶ丘中学のジャージの3人。
「あの、機会あったら」
「連絡先、交換しました」
飛雄くんファン1号、もとい雪平くんが携帯片手に私の言葉をさえぎった。
チャンスがあれば、うちの男子バレー部3人とまた練習してほしい。
私が言わんとしたことを察知したらしい。
「ありがとう、雪平くん」
「さんにお礼言われることじゃないです」
練習するかどうかは自分たち次第、だそうで。
……理屈はわかるけど、あいかわらず可愛げがない。
こちらの胸中を察したのか、彼は年相応に笑って会釈した。
「じゃあ、ここで」
同じく頭を下げ、二人の背中を見送る。
次に会う時は、もっと身長が伸びてるかもしれない。
飛雄くんの言うように練習を続けていくなら、2対2なんてさらに大変な試合になりそうだ。
なのに、楽しみにおもう自分もいた。
「さん、遠野たち、練習あるって帰った。よろしくって」
「そうなんだっ、ありがと、山田さん」
せっかくの助っ人だ。その友達の人にも声かけとけばよかった。あとでメールしよう。
「あと、あの人が呼んでる」
「わっなんだろ!」
手招きしている保護者の人まで駆けつけると、車で家まで送ってくれると言ってくれた。
みんなで顔を見合わせる。
人数もいるし、今日初対面の人にそこまでは、という空気だ。
しかし、すごくはりきっていて、好意を無碍に断れない。
山田さんの腕を引っ張って、こそこそと耳打ちする。
「確認だけど、みんな家まで遠い?」
「一人は近くで、他はバラバラかな。
……実は、部活の買い出し行くかって話してたんだよね」
話によると、男子バレー部の3人も含めて行く流れらしい。
女バレとはいつも練習させてもらってるから、荷物持ちなどできることは手伝ってるそうだ。
知らぬ間に溶け込んでいる3人に胸の奥がじんと熱くなる。
その3人は、いま日向くんとなにやら楽しそうに会話していた。
もしかして、日向くんも買出し行くのかな。
……き、気にして、どうする。
よし!
「私、送ってもらう!」
買い出しはバレー部関連だし、私がお願いして来てもらったんだから、私が付き合うのが道理だろう。
家まで送り届けてもらえるのだって、試合でくたくたになった身としてはありがたい。
保護者の人にも説明して、今いるメンバーにはこの場であいさつと解散を告げた。
全員を送る気満々だったその人は残念そうに肩を落としたけど、出口で待ってて、と言い残し、ひとり駐車場に向かった。
みんなも帰っていく。
今日が、おわる。
「さん」
日向くんだった。
てっきり、他の人たちと一緒に行くんだと思っていた。
日向くんは制服で、学校から帰るときみたくカバンを肩にかけ直した。
まだ向こうにみんなの後ろ姿が見える。
「行かなくていいの?」
日向くんは私の横に並んだ。
チラリと投げかけられた視線に、ぱちりと電気が走る感覚がした。
「さんといたい」
日向くんがそう言ったとき、車のクラクションが一つ鳴らされた。
たしかに大きなワゴン車だった。
あわてて駆け寄ると、その人は車から降りて、ちょっと飲み物を買いたいと自販機コーナーを目指し、建物の中に戻っていった。
自由に乗っていいよと勧められたものの、持ち主もいないのに乗りこむのは憚られ、日向くんと車の前に立っていた。
いたいって……
一緒にいたいって意味だ。
日向くんに言われたことを反芻し、気持ちが込み上げ、ふと何かしたくなった。
なんでもいいから、なにか、そうだ。
一粒、取り出した。
「日向くん、あげる」
チョコレート、一つ。もらいものだけど。
日向くんはチョコと私とを交互に見てから、瞬きしたのち、周りを一瞥して言った。
「さん、
た、食べさせてくれるっ?」
今度は私が瞬きする番だ。
意味を理解するより早く、日向くんが目を閉じて口を開いた。
チョコレートを、待っている。
食べさせてって、たべさせるって。
指先のチョコレートと、日向くんとを見比べた。
「二人とも、乗ってていいのに!!」
「!!」
「んぐ!」
「ひっ日向くんごめんっ、だ、大丈夫!?」
「なに、ちゃんどうしたの?」
「だっダイジョブです、大丈夫! おれが、チョコ食べてただけで、……飲み込んじゃったけど」
せっかく……
日向くんの消え入りそうな呟きが、耳まで届く。
運転してくれるその人にせっつかれるまま、後ろの席に二人して収まった。
日向くんと目が合うと、顔を逸らしてしまった。
中身のない包みは、手の中でくしゃくしゃになっていた。
「日向くん、ずいぶん遠くから来てんねえ、学校も大変でしょ~?」
「慣れたら大丈夫です!遠くまでありがとうございます!!」
「昔はねえ、よくやったもの。 地域のチームがいくつもあってねー、ちっちゃい大会もよくあったし、烏野も強かったでしょ」
「烏野!?」
日向くんが大きく反応を示すと、運転席のその人は声を上げて笑った。
シートベルトがなければ、日向くんは飛び上がっていたかもしれない。
おしゃべり好きのこの人とも、日向くんはすぐ打ち解けた。
大きなワゴンは、日向くんの家を目指して走って行く。
「小さな巨人のことも知ってますか!?」
「そらもちろんっ、有名よ、ここらの人みーんなで応援してたし。テレビもねー。
ま! 今はすっかり弱くなったけど」
ちくり、心に刺さるのは、なぜだろう。
祖父が倒れたせいなのかと気にしてしまうからか、それとも。
「おれ、います!」
隣にいる日向くんはこぶしを握りしめていた。
「おれが烏野入って、全国行きます!!!」
力強い、宣言。
日向くんは、いつだって“先”を見つめている。
となり、なのに、なんだか遠い。
「はっはっは! そうなったら応援行かなきゃ。
あ、道一本ずれちゃったー、先で曲がれるか」
ナビを設定しながら、車がどんどん山道を進むと、見たことのある道路に出て、日向くんの家のそばに到着した。
「はーい、ここね! あっ、降ってきたか」
日向くんがシートベルトを外しているうちに、雨が一気に強まって行く。
車のフロントガラスも天井も、雨音が次から次へと絶え間ない。
「日向くん、傘は?」
「ないけど走ります!」
「私、傘あるよっ、送るっ」
「いっ……ありがと、よろしくっ」
断られるかなと思ったけど、日向くんは笑顔で頷いてくれた。
自分の折りたたみ傘を出そうとしたら、車からもっと大きな傘を出してくれた。
2本なくてごめんね、とも。
こんな大きいのなら3人でも入れそう。
その分、重たい傘だなと思っていたら、傘の柄を日向くんも握ってくれて軽くなった。
「さん、濡れてない?」
「だ、大丈夫、日向くんは?」
「おれもっ、平気」
一瞬、日向くんの返事に間があって、どうしたのかなと思うと、日向くんとの距離が縮まった。
うれしいっ、けど、びっくりする。
日向くんがへへっと表情をくずした。
傘に雨粒がものすごい勢いで打ちつけてくる。
でも、気になるのは足元じゃなく日向くんで、くっついてる腕と腕で、家の前に来ると、なんでだろ、もう着いたって思ってしまった。
「さん、ありがと! あの人にもありがとうって!」
「ん、わかった! じゃあまた」
「電話する!!」
車に向かおうとした足が止まる。
家の玄関口に、日向くんが立っている。
するからって。
日向くんは何の気なしに繰り返した。
こくりと頷き、車に戻る。
振り返ると、日向くんが玄関口でまだこっちを見ていた。
「あの、さっきの話なんですけど」
濡れてしまった傘を気を配りながらたたみつつ、運転席に声をかけた。
日向くんの通学路からはすっかり離れ、自動車は街中を走っていた。
「そんなに、烏野、強かったんですか?」
「宮城に烏野ありって聞いたことない?」
「な、ないです」
「そらそうかー、もーすっかり白鳥沢にお株を奪われたからねえ」
今は、落ちた強豪 “飛べない烏”だそうだ。
小さな巨人と呼ばれた選手も、その後評判も聞かないそうで、スポーツなんてそんなものだと、その人は締めくくった。
風も強まってきて、フロントガラスを行き来するワイパーが激しく動いている。
「思い出したんだけど、ちゃんって繋ちゃんの親戚よね?」
「あ、はい! 従兄です」
「なら、繋ちゃんに会うことあったらビール今度奢るからって伝えておいて」
「?わかりました、……けーちゃ、えっと、従兄がなにかしたんですか」
私が家まで送ってもらってるから、ビールを奢るなら従兄の方だと思った。
その人は、にぎやかな街中から真っ青な海にでも抜け出たように言った。
こないだ、バレー見てもらったの。
息子のね。
詳しいことは聞いてないけど、従兄のおかげで何かが上手くいったことだけは理解した。
やっぱり、従兄は教えるのが向いてるんだと思う。
家に着くと、風は強いけどちょうど雨が弱まっていた。
その人はまたねと明るく車を走らせた。
帰ってすぐ嶋田さんとバレーの先生に電話して、思い出したように従兄にも連絡して、すべて終わった時、日向くんからのメールに気づいた。
電話できるようになったら教えて!!!
いますぐ返信したくなる気持ちを抑え、まずは荷物を片付けるべく部屋に急いだ。
「も、……うん、です。
日向くん、電話出るの早くない?」
『もしもし』も、言い終わらなかったよ。
笑って伝え、窓の向こう、月が顔を出していた。
next.