ハニーチ

スロウ・エール 224




楽しい時間は、あっという間だ。

次の団体に明け渡した体育館では、もうバレーじゃないスポーツが始まっていた。

返却手続きは、自分でやり切る。

待ち合わせスペースに戻ると、保護者として来てもらっていた嶋田さん代理の方が、大袋を片手にみんなに何かを配っていた。

近づくと、私も手を広げるように言われた。

もらったのは、チョコレート。
透明な包みにラッピングされた一口サイズ。
いくつも。

ああ、そうか。

試合しか頭になかったけど、今日は2月14日。
そういえば、バレンタインデーだ。



「おれも、いいんですか? 試合出てないのに?」

「いいの~、おばさん、そんなに食べないしね」

「こんなに!? アザース!!」


日向くんも片手からこぼれ落ちそうなほど受け取っていた。



さん」


声のする方へ振り向くと、飛雄くんの後輩2人が並んで立っている。


「俺たち、もう行きます」

「わかった、今日はありがと」


手続きのあいだに帰ってるかと思ったのに、律儀に待っていてくれたようだ。

初対面こそ無礼すぎた2人だが、根は真面目みたい。
いや、だからこそ、尊敬する先輩への扱いきれない感情を、不器用に、乱暴に、真正面からぶつけてきたんだろう。


飛雄くん抜きでこうして試合できるなんて、やっぱり未来はわからない。

想いを込めて告げた。

また、今度ね。


「つ、次はっ、負けねー」

「サーブ上手くなったもんね。 楽しみにしてる」

「別にアンタと試合したい訳じゃ」

「わかってる、今度は2対2だよ」


二人の待ち望む飛雄くんの登場を強調すると、彼はやはり嬉しさを隠しきれていなかった。

そういえば。

視界に入った、雪ヶ丘中学のジャージの3人。


「あの、機会あったら」

「連絡先、交換しました」


飛雄くんファン1号、もとい雪平くんが携帯片手に私の言葉をさえぎった。

チャンスがあれば、うちの男子バレー部3人とまた練習してほしい。
私が言わんとしたことを察知したらしい。


「ありがとう、雪平くん」

さんにお礼言われることじゃないです」


練習するかどうかは自分たち次第、だそうで。

……理屈はわかるけど、あいかわらず可愛げがない。

こちらの胸中を察したのか、彼は年相応に笑って会釈した。


「じゃあ、ここで」


同じく頭を下げ、二人の背中を見送る。

次に会う時は、もっと身長が伸びてるかもしれない。
飛雄くんの言うように練習を続けていくなら、2対2なんてさらに大変な試合になりそうだ。

なのに、楽しみにおもう自分もいた。




さん、遠野たち、練習あるって帰った。よろしくって」

「そうなんだっ、ありがと、山田さん」


せっかくの助っ人だ。その友達の人にも声かけとけばよかった。あとでメールしよう。


「あと、あの人が呼んでる」

「わっなんだろ!」


手招きしている保護者の人まで駆けつけると、車で家まで送ってくれると言ってくれた。

みんなで顔を見合わせる。

人数もいるし、今日初対面の人にそこまでは、という空気だ。
しかし、すごくはりきっていて、好意を無碍に断れない。

山田さんの腕を引っ張って、こそこそと耳打ちする。


「確認だけど、みんな家まで遠い?」

「一人は近くで、他はバラバラかな。
 ……実は、部活の買い出し行くかって話してたんだよね」


話によると、男子バレー部の3人も含めて行く流れらしい。
女バレとはいつも練習させてもらってるから、荷物持ちなどできることは手伝ってるそうだ。
知らぬ間に溶け込んでいる3人に胸の奥がじんと熱くなる。

その3人は、いま日向くんとなにやら楽しそうに会話していた。

もしかして、日向くんも買出し行くのかな。

……き、気にして、どうする。

よし!


「私、送ってもらう!」


買い出しはバレー部関連だし、私がお願いして来てもらったんだから、私が付き合うのが道理だろう。
家まで送り届けてもらえるのだって、試合でくたくたになった身としてはありがたい。

保護者の人にも説明して、今いるメンバーにはこの場であいさつと解散を告げた。

全員を送る気満々だったその人は残念そうに肩を落としたけど、出口で待ってて、と言い残し、ひとり駐車場に向かった。

みんなも帰っていく。


今日が、おわる。



さん」


日向くんだった。

てっきり、他の人たちと一緒に行くんだと思っていた。

日向くんは制服で、学校から帰るときみたくカバンを肩にかけ直した。

まだ向こうにみんなの後ろ姿が見える。


「行かなくていいの?」


日向くんは私の横に並んだ。

チラリと投げかけられた視線に、ぱちりと電気が走る感覚がした。


さんといたい」


日向くんがそう言ったとき、車のクラクションが一つ鳴らされた。
たしかに大きなワゴン車だった。

あわてて駆け寄ると、その人は車から降りて、ちょっと飲み物を買いたいと自販機コーナーを目指し、建物の中に戻っていった。

自由に乗っていいよと勧められたものの、持ち主もいないのに乗りこむのは憚られ、日向くんと車の前に立っていた。


いたいって……

 一緒にいたいって意味だ。


日向くんに言われたことを反芻し、気持ちが込み上げ、ふと何かしたくなった。

なんでもいいから、なにか、そうだ。
一粒、取り出した。


「日向くん、あげる」


チョコレート、一つ。もらいものだけど。

日向くんはチョコと私とを交互に見てから、瞬きしたのち、周りを一瞥して言った。


さん、

 た、食べさせてくれるっ?」


今度は私が瞬きする番だ。

意味を理解するより早く、日向くんが目を閉じて口を開いた。
チョコレートを、待っている。

食べさせてって、たべさせるって。

指先のチョコレートと、日向くんとを見比べた。




「二人とも、乗ってていいのに!!」

「!!」
「んぐ!」

「ひっ日向くんごめんっ、だ、大丈夫!?」

「なに、ちゃんどうしたの?」

「だっダイジョブです、大丈夫! おれが、チョコ食べてただけで、……飲み込んじゃったけど」


せっかく……

日向くんの消え入りそうな呟きが、耳まで届く。
運転してくれるその人にせっつかれるまま、後ろの席に二人して収まった。

日向くんと目が合うと、顔を逸らしてしまった。

中身のない包みは、手の中でくしゃくしゃになっていた。








「日向くん、ずいぶん遠くから来てんねえ、学校も大変でしょ~?」

「慣れたら大丈夫です!遠くまでありがとうございます!!」

「昔はねえ、よくやったもの。 地域のチームがいくつもあってねー、ちっちゃい大会もよくあったし、烏野も強かったでしょ」

「烏野!?」


日向くんが大きく反応を示すと、運転席のその人は声を上げて笑った。
シートベルトがなければ、日向くんは飛び上がっていたかもしれない。

おしゃべり好きのこの人とも、日向くんはすぐ打ち解けた。

大きなワゴンは、日向くんの家を目指して走って行く。


「小さな巨人のことも知ってますか!?」

「そらもちろんっ、有名よ、ここらの人みーんなで応援してたし。テレビもねー。

 ま! 今はすっかり弱くなったけど」


ちくり、心に刺さるのは、なぜだろう。

祖父が倒れたせいなのかと気にしてしまうからか、それとも。


「おれ、います!」


隣にいる日向くんはこぶしを握りしめていた。


「おれが烏野入って、全国行きます!!!」


力強い、宣言。

日向くんは、いつだって“先”を見つめている。

となり、なのに、なんだか遠い。



「はっはっは! そうなったら応援行かなきゃ。

 あ、道一本ずれちゃったー、先で曲がれるか」


ナビを設定しながら、車がどんどん山道を進むと、見たことのある道路に出て、日向くんの家のそばに到着した。


「はーい、ここね! あっ、降ってきたか」


日向くんがシートベルトを外しているうちに、雨が一気に強まって行く。

車のフロントガラスも天井も、雨音が次から次へと絶え間ない。


「日向くん、傘は?」

「ないけど走ります!」

「私、傘あるよっ、送るっ」

「いっ……ありがと、よろしくっ」


断られるかなと思ったけど、日向くんは笑顔で頷いてくれた。
自分の折りたたみ傘を出そうとしたら、車からもっと大きな傘を出してくれた。
2本なくてごめんね、とも。

こんな大きいのなら3人でも入れそう。
その分、重たい傘だなと思っていたら、傘の柄を日向くんも握ってくれて軽くなった。


さん、濡れてない?」

「だ、大丈夫、日向くんは?」

「おれもっ、平気」


一瞬、日向くんの返事に間があって、どうしたのかなと思うと、日向くんとの距離が縮まった。
うれしいっ、けど、びっくりする。

日向くんがへへっと表情をくずした。

傘に雨粒がものすごい勢いで打ちつけてくる。

でも、気になるのは足元じゃなく日向くんで、くっついてる腕と腕で、家の前に来ると、なんでだろ、もう着いたって思ってしまった。


さん、ありがと! あの人にもありがとうって!」

「ん、わかった! じゃあまた」

「電話する!!」


車に向かおうとした足が止まる。

家の玄関口に、日向くんが立っている。

するからって。
日向くんは何の気なしに繰り返した。

こくりと頷き、車に戻る。

振り返ると、日向くんが玄関口でまだこっちを見ていた。






「あの、さっきの話なんですけど」


濡れてしまった傘を気を配りながらたたみつつ、運転席に声をかけた。

日向くんの通学路からはすっかり離れ、自動車は街中を走っていた。


「そんなに、烏野、強かったんですか?」

「宮城に烏野ありって聞いたことない?」

「な、ないです」

「そらそうかー、もーすっかり白鳥沢にお株を奪われたからねえ」


今は、落ちた強豪 “飛べない烏”だそうだ。

小さな巨人と呼ばれた選手も、その後評判も聞かないそうで、スポーツなんてそんなものだと、その人は締めくくった。

風も強まってきて、フロントガラスを行き来するワイパーが激しく動いている。


「思い出したんだけど、ちゃんって繋ちゃんの親戚よね?」

「あ、はい! 従兄です」

「なら、繋ちゃんに会うことあったらビール今度奢るからって伝えておいて」

「?わかりました、……けーちゃ、えっと、従兄がなにかしたんですか」


私が家まで送ってもらってるから、ビールを奢るなら従兄の方だと思った。

その人は、にぎやかな街中から真っ青な海にでも抜け出たように言った。

こないだ、バレー見てもらったの。
息子のね。

詳しいことは聞いてないけど、従兄のおかげで何かが上手くいったことだけは理解した。

やっぱり、従兄は教えるのが向いてるんだと思う。





家に着くと、風は強いけどちょうど雨が弱まっていた。
その人はまたねと明るく車を走らせた。
帰ってすぐ嶋田さんとバレーの先生に電話して、思い出したように従兄にも連絡して、すべて終わった時、日向くんからのメールに気づいた。

電話できるようになったら教えて!!!

いますぐ返信したくなる気持ちを抑え、まずは荷物を片付けるべく部屋に急いだ。





「も、……うん、です。

 日向くん、電話出るの早くない?」


『もしもし』も、言い終わらなかったよ。

笑って伝え、窓の向こう、月が顔を出していた。



next.