ハニーチ

スロウ・エール 225



あとで振り返ればきっと、そんなことで?って思うような話題でひとしきり笑いあったときだ。


さん? どうしたの?』

「ちょっと待ってて」


日向くんに一言添えて携帯を離し、充電器に急いでつなげた。
すっかり空っぽになった電池マークの表示に、雷マークが追加される。

携帯電話をまた耳に当てた。


「ごめん、最近、電池なくなるの早くて」


今度、新しい機種に買い替えてもらおうかな。

そう思ったとき、おれもだ!って日向くんがあわてて充電器を探した。

黙って待っているあいだに視線を外に移すと、月も移動していた。

授業で習った通り、月も地球も回ってるんだと感心していると、電話口に日向くんが戻ってきた。


さん、ただいま!!』

「おかえりー」

『電源落ちるところだったっ、さんと話す前にちゃんと充電したんだけどなー』


なんでだろ、とつぶやく日向くん。

真実を示唆すべく時計を見るよう告げると、日向くんも気づいたようだ。

私たちが電話をしはじめてから、けっこうな時間が過ぎ去っていた。


『けどっ、まだ、しゃべり足んない』

「眠たくない?」

『そっ、そんなには!』

「ほんと?」

『ほ……、ほんとう』


さっきまでのテンポと違う、歯切れの悪い返事。
お互いにわかっていた。

いつものことだ。

いつまでも繋がっているわけにもいかない。

日向くんにおやすみを言いかけた時だ。


『つ、次っ、いつにする?』

「電話?」

『あ、会えるなら会いたい、……おれは』

「そう、だね」


今度はカレンダーを手に取り、ふと印のついた日付に目が留まる。


「烏野、もう、すぐだね」


日向くんから相槌が返ってくる。

待ち遠しかったような……、もう入試本番か、という、どっち付かずな感覚にしばし口をつぐんだ。

白鳥沢はじめとした合格発表も間も無くだった。

カレンダーから離れ、日向くんとの会話に戻った。


「緊張する?」

『それは大丈夫! こないだ、した!!』

「こないだ?」

『先生に本番前最後の烏野対策してもらった時に緊張したからもう平気!!』

「早くない? 本番まであと少しあるよ」

『さきに緊張をしまくる方が当日落ち着けるんだって!! さんも今から緊張しよっ』

「し、しよって……」


緊張ってしようと思ってするものだっけ?

日向くんと話してると自分の常識がわからなくなってくる。


「今日はもー……寝るから明日にする」

『早い方がいいって! ほら、どーぞ!!』


日向くん、無茶なこと言う。

まぶたを擦って返事をした。


「緊張、日向くんにあげる、どーぞっ」

『んー……』

「どうしたの?」

さんがくれるなら受け取りたくなるな』

「緊張でも?」

『なんでも!!』


元気よく言い切ると、間髪入れずに続いた。


『今日くれたのも……、うれしかった』


不意によみがえる、あの時のこと。

食べ切れてないチョコレートがまだポケットに入ったままだったことを思い出した。


さんがくれたやつが1番うまかった』


思わず笑ってしまう。


「全部、同じミルクチョコだよ?」

『ううん、ぜったいさんの! びっくりして飲み込んだの、けっこーショックだった……。

 ……また、くれる?』


こっちの出方を探るような、お願いする風な、それでいて、おれは欲しいよってストレートに伝わってくる響き。

電話じゃなかったら、日向くんの眼差しに動けなくなってるはずだ。

電話越しでも、鼓動がはやくなる。

うまく返事が浮かばない。通話時間だけが長くなる。

日向くんは静かだった。
いつもならすぐ呼びかけてくる。
さん、聞こえてる?って、電波を気にして。

でも、今夜は違った。

日向くんは沈黙を埋めてくれなかった。


私を、ただ、待っていた。





「日向くんがほしいって思うなら、

 ……あげる」


『欲しい。

 さんがくれるの、ぜんぶ欲しい。

 本当に、欲しいよ、ぜんぶ』


あらかじめ用意していたみたく、日向くんは一気に言い切った。

そんなに?
ぜんぶって?

聞き返すと、日向くんは少しだけ黙った。
全部だよって、おやすみする時みたいな明るさで答えてくれた。


その後すぐ、本当のおやすみで電話を終えた。




電話が終わった後も、ドキドキしていた。

私の場合、緊張するなら、受験より日向くんだ。

試験は自分ひとりでなんとかできる。
日向くんは別だ。

まだ繋がってるみたいな感覚がする。


月が見える。

ゆっくり移ろっていく月は、日向くんの家からも見えてるのかな。

少しだけ、平安時代の人たちの気持ちがわかる気がした。
電話もなかったんだよなって、そりゃ和歌に想いも込めたくなるだろう。

こんなに話したのに、まだしゃべりたい。

眠たいけど、今すぐ会いたい。

ゴロンと寝転んで、通話履歴に残る日向翔陽の文字を指先でなぞる。


今日も会いにきてくれたのに、こんなにしゃべったのに、他にも話したいことたくさんある。

次、いつかな。
ちゃんと決めておけばよかった。

待ち遠しい。


そのうち、眠りについていた。

日向くんの夢を見た気がするのに、覚えていないのが残念だった。















烏野高校、受験当日の朝。

いつもと同じで、学校に行くように準備をして家を出た。
ここまでリラックスしている自分も珍しい。

日向くんも緊張してないといいけど、なんて思いながら、烏野高校までやってきて鞄から受験票を取り出した。

受験番号と教室が書かれた貼り紙をチェックして校舎に足を踏み入れる。

従兄やおばさんのお店があるから近くまで来たことはあるものの、中に入るのは初めてだ。



「ない! ないっ!!ない!!!」


だれか騒いでるなと思えば、それは、とてもよく知る人物、というか日向くんで。


「おはよう、日向くん」

さん!!」

「忘れ物?」

「い、いやっちょっと!」

「まさか受験票、「それはある!ほら!!」


ばっちり私と同じものに日向くんの氏名が印刷されている。


「だったらなにがないの?」

「けっ消しゴム……予備も入れたはずなのに! 今から買いに!」

「待って!」

「ぐぁ!?」


もうダッシュして校舎を飛び出していきそうな日向くんのマフラーをつい引っ張ってしまった。
あやうく首が締まりかけたようだけど無事でよかった。

謝罪もかねて筆箱から取り出した。


「はい、日向くん。消しゴム」

「いいのっ!?」

「予備、あるから。あ、新しい方がいいなら交換」

「これでいい!つか、これがいい!!」


日向くんは私の差し出した消しゴムをとても大事そうに握りしめた。


「ありがとう、さん!! これあったら絶対合格すると思う!」

「だといいんだけど、あ、教室どこだった?」

「おれ、二個上! さんは?」

「私はこの階。 じゃあ、お互いがんばろ」

「おう! さん!!」


階段に飛ぶように移動した日向くんが途中で振り返って、こぶしを掲げた。


「会えてよかった!!!」


一段飛ばしどころか二段飛ばしで日向くんが階段を駆け上がった。
あまりの勢いに同じ受験生の人たちが呆気に取られていた。

ほんと、日向くん、絶好調だ。

安心して自分の受験番号のある教室に向かって、試験の準備をしはじめた。

けど、あれ、おかしい。

鞄をまさぐる。

予備の消しゴムがない。見つからない。


確かに入れたはず。
昨日も確かめたし、他にも万が一に備えて予備をずっと入れている。

試験開始まで後少し、売店に買いに行けるわけもなし。

うそでしょ、と冷や汗をかきそうになったところ、鞄の端っこに消しゴムを発見した。

よかった、あった。


「あ、あああのっ」


後ろの席に座る女の子だった。

振り向くと視線を逸らされ、またこっちを見たと思うと反対側を向き、そわそわ落ち着かない様子で指をいじったかと思うと、意を決した様子で片手を突き出された。


「こっこれ、よかったらどうぞ!」

「へっ?」


消しゴムだった。新品の。

早口で一気に話され、あんまり理解できなかったけど、とにかく彼女は私が消しゴムがなくて探していると察して声をかけてくれたようだ。
やさしい。
でも、予備があるから大丈夫、と伝える前に彼女の方が私の手に消しゴムがあることを発見して物凄い速さで机にはおでこをぶつけた。


「だっ大丈夫!? 今、すごい音が」

「ごごめんなさい!私が勘違いして声かけて!」

「う、ううんっ、本当になかったら助かってたし、丁寧にありがとう」

「で、でもっ、いきなり話しかけて集中してるところを邪魔しちゃったし!」

「んーん! おかげで力抜けたっ」


ほらね、と肩を上げて下すジェスチャーを見せると、やっと彼女もホッと表情をゆるめた。
星型の髪飾りが目についた。


「そのゴム、かわいい」

「あ、ありがと!」


彼女が照れた様子で俯くと、ちょうど試験監督の人が教室に入って準備を始めた。

椅子を引きながら、背後の彼女に一言告げた。


「お互い受かるといいね」

「うっうん!」


返事を受け取り、周りを気にかけてくれるいい人に会えてよかったと、この受験番号に感謝した。

予備の消しゴムを鉛筆と受験票の隣に並べ、烏野高校入学試験の開始を待った。

テストの手応えとしては、ばっちりだった。



next.