ハニーチ

スロウ・エール 227



みえるか、みえないか。


問われればもちろん。






「み、みえる」

「じゃあ、これで……」

「これで?」


問いかけると、日向くんは言葉を詰まらせた。
窓ガラス越し、見つめ合う。


「こ、これで……、

 ……そ、ろそろ降りる!?」


日向くんはさっきまでと同じ位置に座り直した。
なんにもなかったみたいに。

一人無かったことにできず、ドキドキしていた。
日向くんの近さを覚えてしまった。

次の停留所を移すモニターを一瞥した。


「日向くん、降りるの、まだもうちょっと先」

「そっそっか、ごめん、おれ焦って」

「ううん」


どっちも、みられてうれしかった。

言葉にせずとも眼差しにそんな想いをこめたタイミングで、なんでだか、日向くんが前の席の背もたれにおでこをゴツンとぶつけた。


「だっ大丈夫!?」


はっきりは見てなかったけど、すごい勢いだった。


「なんでも、なぃ……」

「い、痛そうだったけど」

「へーき……、烏野の試験終わったから、舞い上がってて。ちゃんと、しないと……、よしっ!」


音がするほど頬をはたいた日向くん。
前髪が少しだけ額にくっついていて、変な風になっていた。


さん、もう大丈夫っ。

 な、なに? なんで笑ったの?」

「前髪がね」


言うより直した方が早そうだった。
そっと日向くんの髪にふれた。


「もう、いいよ。 髪、くっついてた」

「そ、か! ありがと、さんっ」


照れた様子で日向くんが肩をすくめたかと思うと、あれ見てってまた窓の向こうを日向くんが指さした。

そんな風にバスの中で、ゆらりゆられながら、ぽつり、ぽつりと、車内にいる他の人たちを気にしながら会話した。
夜遅くに電話するときみたく、お互いだけに聞こえる声で。












さん、どれにする?」


バスから降りて向かったのは、夏に映画を見たときに立ち寄ったファーストフード店だった。
目立つ場所に貼られたポスターはあの時ともちろん違うものだし、冷房ではなく暖房が強く効いていた。

日向くんは、前に来た時みたくポスターを眺めていた。


「おれ、あのでっかいのにするっ」

「私は……、となりのエビのにしようかな」


そう言いつつも、隣に並んだグラタンみたいなバーガーにも心惹かれる。
日向くんには私の迷いがバレていたらしく、指摘されてなんだかはずかしかった。

空いたレジに日向くんをすすめ、どちらにしようかとこっそり指さししている最中に注文の順番がやってきた。

店内は、映画の時ほど混み合ってはいなかった。





さんっ」


先に注文を終えていた日向くんが、こっちだよと言わんばかりに手を挙げてくれた。
前と同じ、建物の外がみえるカウンター席。
ちょうど一人のお客さんが席を立った。

商品を置いてから、日向くんに倣ってコートを脱いだ。
暖房のあたたかな風が頭上で吹いて、また向きを変える。


「食べよっ、さん!」

「そうだね、食べよう」

「「いただきますっ」」


日向くんの弾む声と自分の比較的大人しめな声を重ね、遅くなったお昼ご飯を手に取った。

日向くんのバーガー、CMをみてても思ったけど、いろいろ挟まってる分食べづらそう。

あんぐりと開けた口に収めようにも、中身が溢れそうだ。


「ほーふぁひふぁ?」

「んーん、日向くん、落っこちそう」

「ふぁ!」


日向くんがもごもごと口を動かして、手元で崩れかけているハンバーガーをなんとかすべく試行錯誤していた。

さて、自分の分に取り掛かろう。
初志貫徹ということで選んだエビのバーガーは、日向くんのに比べれば随分と食べやすかった。
サクッとした衣にエビの食感が定番でおいしい。

ちらと隣を見ると、日向くんの手元にあったハンバーガーは、ハンバーガーと呼ぶには不恰好な姿になっていた。

あのメニューから選ぶなら、エビので正解だったかも。
日向くんは気にしないだろうけど、好きな人の前では少しでもきれいにご飯を食べられる自分でいたい。


「うまいけど、すっげー食べづらい」

「ポスターよりおいしそうだけどね」

「それは思ったっ、手洗ってくる!」

「うんっ」


ナプキンだけでは足らないくらい指先をベトベトにするバーガーは、新たなお客さんが3つも注文していた。テイクアウトと聞こえて食べる人が少し心配になる。

ピークの過ぎた店内は、どこか落ち着いた時間が流れていた。

見下ろすと、建物前の広場には誰もいなかった。
前に来た時は、映画のキャンペーンをやっていて着ぐるみが風船を配っていた。
そんなことを思い出した時、ただいまと日向くんが戻ってきた。


「おかえり」

さん、なにみてたの?」


日向くんも同じようにガラスの向こうを見下ろして、なんにもないことを確認した。


「なんとなく見てただけ」

「そっか。 あ、夏目とコージー探してた?」

「探してないよ、関向くんはともかく、なっちゃんは卒業式まで東京だし」


日向くんが飲み物に口をつけてから言った。


さん、寂しい?」


食べようと手にしたポテトを空中に止めてしまった。
けど、すぐまた口元に運んだ。


「んーん、寂しくない」

「そっか」

「ありがと、日向くん」

「な、なんでっ」

「なんとなく」

「おれは、べつに、……なんにもしてない」

「いま、日向くんがいるから寂しくないよ」


日向くんも少しだけ動きを止めてから飲み物を手にした。
ずっといる。短く付け加えて。

気持ちだけで嬉しかった。


「これからどうしよっか」


私たちが決めた“寄り道”は、前から話していたイルミネーションを見ることだった。

クリスマスの時とは違うバージョンに切り替わっていて、どっちも見ようと話していた。
烏野の受験も終わって、二人とも気分が高揚していたし、こうやって二人で出かけるのも久しぶりだから思い切ってみた。

夕ご飯は家で食べるからイルミネーションが点く時間になって少ししたら帰らなきゃいけない。
それでもまだ時間はあった。


さんは? なんかしたいことある?」

「したいこと、か」


そういえば、受験が終わったらやりたいことを携帯に打ち込んでいた気がする。

ちょっと待っててと鞄から携帯を飛び出した。
日向くんに電話しようか悩んでいたから、日向くんの名前が並んだ電話履歴の画面になっていた。

ふと、視線を感じる。

日向くんがじっと、私の携帯電話を。

日向くんがぽつりとこぼした。
つけてないんだ。


「な、なんでもない!」

「何も変えてないけど……、あ、イルカ?」


そう呼びかけると、日向くんがわかりやすく肩を上下させた。

今は他のストラップのついついる携帯電話をカウンターテーブルに置いた。

そうだ、映画の時には付け替えたんだ。

日向くんからもらった、イルカのストラップに。



「あれは、なくしたくなくて」


引き出しのなかで、時折取り出しては眺めている。
はじめて、2人だけで出かけた時のこと。

待ち合せしたところから、一緒に乗った電車の風景、水族館の入り口から見たものぜんぶ。
すぐ思い出せる。

うれしかった。

いつまでも大事にしたくて、使うのは特別な時だけにしている。



「な、なくしたら、またプレゼントする。

 ……使って、くれても、ぜんぜん」


日向くんのそんな様子に、ふと、考えが浮かぶ。


「日向くん、携帯、何にもつけてなかったよね」

「おれっ? 付けてない、ほら」


日向くんが自分の携帯電話を同じくテーブルの上に置いた。
並んだ二つの携帯電話、日向くんの方が若干すり傷があるくらいで、後は至ってシンプルなものだ。

思いつきを口にしてみた。


「今日、いっしょに、ストラップ買うのどうかな」

「そうしよ!!!」


日向くんから、店内のBGMが瞬間的にかき消す勢いで返事がかえってきた。

一瞬だけ、周囲から視線を感じた。


ご、ごめん。

日向くんが申し訳なさそうにあわてて口元を両手で覆った。
いまそうしても、って笑いかけて、同じように片手で口元を隠した。



next.