ハニーチ

スロウ・エール 23


日向君、まだかな。

一緒に帰れることはとてもうれしいのに、どこか落ち着かないのは、バレー部員青田買い計画(つまりはビラ配り)の一件が日向君の耳に入ってしまったからだ。

いくら日向君の力になりたかったとはいえ、出しゃばりすぎたかもしれない。
結局、私が配ったビラはめぐりめぐって今回バレー部に入ってくれた1年生の元に届いたらしいけど、効果らしい効果はほんのわずかだ。
日向君に黙って行動してしまったことも、気が引ける。

こんなことなら事前に話しておけばよかった。
嫌な気持ちにさせたかな。
嫌われたら、どうしよう。

不安が不安を呼んで、徐々に日が落ちていく昇降口は影が広がっていた。
帰り道の友として借りた文庫本も、ページは開いているものの、中身は頭に入ってこない。


「!」


誰かの気配がするたびに、反応してしまう。

自分はとても単純だと実感する。

日向君に一緒に帰ろうと誘ってもらえて嬉しい。
日向君にビラのことを咎められたらどうしようって不安だ。
足音がするだけで日向くんかと思って、気持ちが沸き立つ。

知らない自分を知るたびに、ときめきとは違うドキドキが胸に広がった。





廊下から姿を現したのは、日向君ではなくて、少しだけ安堵してがっかりもした。
男子に名前を呼ばれるのは、やっぱり慣れない。
同じクラスで、卒業アルバム委員の遠野翼くんだった。


「帰り?」

「うん。翼くんも?」

「誰か、待ってるのか?」

「あ、…うん」


素直に頷いてしまったら、続くであろう質問に答えなければいけなくなりそうで、すぐに頷けなかった。

誰と帰るのか?

細やかな質問でありながら、単純に頷いてしまっていいものか悩んでしまう。
嘘もつきたくなくて、そうなれば、誰と帰るか言わなければならない。

もし、言ってしまったら…?

前に理科室で同級生にからかわれたことを思いだす。
目の前のクラスメイトは、誰かを冷やかしたりするタイプじゃない。
わかっているのに、すぐ心配してしまう。

直面したくない自分の一面を見つけてしまって、自己嫌悪からため息を落とした。



さん、おまたせ! あ、翼もいたんだ」


学ラン姿の日向くんはやってきた。
私と、彼とを交互に見る。
彼の方が日向君より身長が高かった。彼もまた、日向君を見て、私へと視線を移した。


「一緒に帰っていい?」

「えっ」
「いいよ、別に。帰ろう」


彼の申し出を、日向くんはあっさりと受け入れた。
先生が下校時間だから急げってうるさいんだと日向くんは話しながら、靴を履きかえるので、それに続いた。

てっきり日向くんと二人で帰るものと思っていたものだから、この展開にはある意味で驚いた。
けれど、日向くんと翼くんの会話は興味深かった。
日向くんは、私と話す時よりも、ずっと“男の子”って感じられて、そんな横顔がまたかっこいい。


「翼のところも、もうすぐ大会なんだ」

「翔陽も今年は出られるんだろ」

「おお!」


私を挟んで、二人の会話が交互に行き来する。
部活の会話が多くて、サッカー部とバレー部の話題が中心だった。時たまに私が口を挟むくらいだ。

気づけば、もうバス停だ。
翼くんは同じバスに乗って、日向くんは自転車だ。


「じゃあ、また明日!」


疲れなんてこれっぽっちも見せない笑顔で声をかけてくれてから、日向くんは自転車を颯爽とこぎ始めた。
速度がどんどん上がって、姿はすぐに見えなくなる。

時刻表を見ると、もう間もなくバスが来る時刻だった。
遠くにバスが見えていた。


「翼くんもこのバスだったんだ、ね」


日向くんがいなくなって、沈黙させまいと声をかけたものの、やっぱり男子との会話はまだ緊張してしまって、はりきったせいか声が裏返ってしまった。
恥ずかしくて俯くと、短く「ああ」という返事がきて、更に身体が強張ってしまい、声が出なかった。
気まずい。
卒業アルバムの話題を出そうにも、何を言えばいいか思い浮かばず、バスが来てくれて心底ほっとした。

バスの車内は帰宅の時間帯のせいか、それなりに混んでいた。
二人で車内の奥まで入って、手すりにつかまった。

日向くんと話していたことをもう少し聞いてみるとかしたらいいのかな。
でも、サッカー部はいつも通りの練習だったって聞いているし、翼君も疲れているだろうし、と思いながら彼の様子を伺うと、目が合ってしまい、反射的に顔をそらしてしまった。

私、感じ悪いよなあ。
おそるおそるもう一度様子を伺うと、再び彼と目が合った。


「邪魔した?」

「え?」

「翔陽と二人で帰るところだったから」

「う、ううん。全然、平気だよ」


それだけ交わしてから、ぽつ、ぽつと話し始めた。
日向くんが話していたことを二人で反芻しつつ、会話が弾みだす。
ここにいないのに、日向君ってすごい。

その内に、私はバスを降りて彼とも別れた。

携帯を見てみる。日向くんからメールは来ていない。



*



、携帯鳴ってたよ」

「あ、ありがとう」


宿題も一通り済ませて、お風呂から上がり、髪を乾かしていると母親から声がかかった。

こんな時間にかかってくるなんて、誰だろ。
もしかして家庭科部の件で何かあったのかな。
髪を乾かすのをやめて、携帯を見ると、思わずドライヤーを落としてしまった。


「いたっ」


ドライヤーはまっさかさまに足の甲にぶつかった。
足を撫でると、母親から呆れた声がかかった。
それより、電話だ。

だって、日向君からの着信だ。


自分の部屋に駆け込んで、深呼吸する。

着信履歴に残っている名前は、『日向翔陽』だ。

お風呂に入ってリラックスしたはずが、鼓動が急速に早まってしまった。

ごくりと息を飲む。

なんだろう。
宿題かな。英語の範囲を確認したかったとか?
だとしたら、メールも着そうだけど、それはまだない。

万一、私が電話に出なかったせいで、他の人に質問が回ってしまったとしたら、話すチャンスを逃したことがとても悔しい。こんなことなら、髪は半乾きでもよかったのに。


「!?」


まさかの2回目の着信だった。
あわてて立ち上がって通話ボタンを押すと、すぐに日向くんと繋がった。


さん?』

「な、なに?」

『いま、大丈夫?』

「う、ん。どうしたの?」

『今日、言い忘れて』

「何を?」

さんがビラ配りしてくれたことのお礼』

「あ……」


日向くんは、いとも簡単にその話題を口にした。


さん、ありがとう』


感謝の気持ちが伝わってきて、すぐに言葉が出てこなかった。
ありがとうは、私の方だ。
日向くんはこうも優しく、こちらの不安を消し去ってくれる。

いつまでも黙っていると、『もしもし?』って聞こえて、急いで言葉を続けた。


「勝手に、出しゃばってごめんね」

『なんで?おかげで1年が入ったんだよ、謝ることないじゃん』

「う、うん」

『すげーうれしかったんだ。1年にビラ見せてもらって…、そういう方法もあったんだって。おれじゃ思いつかなかったから』

「私も、その、今年になって気づいたから。相談、すればよかった」


来年はもうない。
今年で最後のバレー部員募集だったのに。


『おれも相談する』

「え?」

さん、おれの知らないこと知ってるもんな。ほんとに本当にすごい!』


今、1年生が3人もはいってくれたことは嬉しいけど、どうやって部活動を進めていこうか考え中なこと。
正式にバレー愛好会からバレー部になったから、やるべきことも増えたとは何となくわかっているけど、どうしたらいいかわからないこと。

日向くんは一つずつ説明してくれた。


『う…、こうやって話してみると本当にやることってあるんだ』

「だ、大丈夫だよ。そういう雑用は大したことないから」

『そ、そうかな』

「そうだよ、日向くんしっかり!」


気づけば私の方が日向君を励ましていて、そのまま通話を終えた。


「はあ…」


ベッドに腰掛けて、そのまま背中から倒れこむ。
腕を突き上げて、着信履歴の文字を眺める。

『日向翔陽』

つい、さっきまで電話してたんだ。

ごろん、とベッドに横たわって丸くなる。
身体中に不思議な感覚が広がっていく。くすぐったくて、芯が熱い。
不安はもう消し飛んだ。
嫌われてなくて、…本当に、よかった。

そのままうとうとしてしまって、後に母親に声をかけられて目を覚ました。



next.