「日向くん、なんでしょうか?」
アイコンタクトだけでは読み取れない。
日向くんはすぐさま顔を背けた。
「な、なんでも!ないっ!!
……あるけど、ない」
「どっち!? なんでもあるの!?」
「あるけどっ、うまく、言えないから……」
手をぎゅっと握る。
日向くんが立ち止まった。
おなじく足を留め、まっすぐ見つめる。
日向くんがきまりが悪そうにまた違う方向に視線を変えた。
「その、さ……」
日向くんは、一生懸命、言葉を探していた。
えぇ、と。
何か言いたいんだってことだけは伝わるよう、ちいさく呟いて、ちら、ちらと私を気にした。
私は、なにか、助けになることを言おうとして飲みこんだ。
待つことにした。
日向くんが言いたいことがあるのなら、いくらでも待とうって。
日向くんがいつもそうしてくれるみたく。
沈黙のち、ぴったりと目が合う瞬間があった。
きらりと光る、わずかな時間。
日向くんがすばやく片手を運んだ。
「今さっ、すごく、ドキドキしてる」
繋いでいた手は日向くんの左胸に押し当てられていた。
「わかる!?」
自身の鼓動が早まる。
理由はどうあれ、日向くんに触れている。
日向くんはそんな私に気づかない。
正解をたしかめるみたく、顔を覗き込んだ。
手のひらの感覚は、もちろんあった。
もちろん。
「ふ、服があるから……」
冬服、制服、コート。
寒さ対策十分な衣服は、着ている人のすべて、胸の鼓動の早さも当然遮断している。
「そ、そっか!」
「待って!!」
早々にコートのボタンを外し出す日向くんを思わず制止した。
驚いた日向くん、力がゆるんだから自分の手を引いた。
お互いに黙り込み、ぎくしゃくと各々でこの状況を理解した。
日向くんが頭の後ろに手を当てて、なにか、きっと謝ろうとした。
だから、先手を打った。
「ひ、日向くん! 一度、頭冷やそう」
指差した。階段を。
せっかく上がってきたフロアーなのに、エスカレーターもエレベーターもあるのに、あえて階段を。
ぐるぐるぐると、途中の階に出ることもなく、外に出るまで階段を下り続けた。
すすんで先頭を切り、背後に日向くんがついてきていることを確認しながら。
外の出口に通じる1番下の階まで来ると、冷たい風が吹き付けてきた。
あたたかな空気に慣れた肌は、一気に目が覚める。
寒かった。とても。
とても寒くて、お互いにまた目を合わせ、外に出た。
冬の風、春はまだ遠い。
それでもクリスマスの時よりはまだ空が明るい気もした。
イルミネーションもまだ。
あの時のように、公園にやってきた。
とくになにも話さなかったけど、気にならなかった。
前に来たときは、何故かここでバドミントンしたんだっけと思い出した時、日向くんも同じことを口にした。
「ここ、バドミントンしたところだ」
覚えてたんだってとなりを見ると、日向くんが続けた。
やる?って。
「あるの? バドミントン」
たしか、あの時、どっちが預かるかって話になって、夏ちゃんとの遊び道具にでもと日向くんに持って帰ってもらった。
日向くんのカバンの中に入ってるとは思えない。
高らかに宣言された。
「ある! 家にっ」
日向くんがいたずらっぽく口元を緩める。
同じく笑った。
「じゃあ、どうやっていまやるの?」
「エアーバドミントン!!」
「やだよっ」
「こうやって、ラケットあるみたくさっ、こう!」
日向くんがなんにも持ってないのに、実際に道具があるみたく見えない羽めがけて、これまた見えないラケットを振りおろした。
人のいない公園とはいえ、同じように振る舞う勇気はない。
ひとり奮闘する日向くんを観察した。
「それ、おもしろい?」
「わかんないけど、やったらおもしろいかなって、……さんとだったら」
日向くんは元から見えないラケットをどこかに片付け、私の隣にすんなり戻った。
「ありがと! さんのおかげで落ちついたっ」
よかったって返しつつ、私はまだ密かにドキドキしていた。
たぶん、違う緊張感。
日向くんに打ち明ける時は、いつだって肩に力が入る。
言葉をとりわけ丁寧に選ぼうとして、結局、当たり障りないものを口にした。
「今日、もう、帰る?」「なんで?」
それはとても早い返答で、予想してなくて、自分の髪を意味なく触った。
「いや、えと……」
「さん帰りたいの?」
「ううん」
「じゃあ、なんで?」
顔を上げれば、よそ見することなく、日向くんは私と向かいあっていた。
ごまかせなかった。
「日向くん、慣れないところ回るの、嫌かなって」
肯定されれば傷つく。
でも、それは自分の問題だった。
ただ、ちゃんと知りたかった、日向くんのこと。
覚悟して見つめていると、日向くんが口を開いた。
「いやじゃない、……嫌じゃないよ。
ほんとう。
さん、言ってた。
おれもおんなじ」
日向くんが言葉を区切って、軽やかにつづけた。
「さんとだったらどこでもいい、どこでも行きたい。
公園でもお店でもハンバーガー食べるのでも、ぜんぶ!!
ずっと外は寒いけど、つか、おれよりさんが心配! 冷えてない!?」
日向くんはそっと私の頬にふれた。冷たいことを確かめてすぐ離れる。
遠慮なくためらいなく、なんてことないように、私の全感覚が飛び跳ねたことなんか気づかず。
「風、つよいよな、もう戻ろう、ストラップ、いやっなんでもいっか、さんが寒くないところに、「日向くんは」
ひとつ息つくと、うっすら白く吐息がかき消された。
「日向くんは、……付き合ってる人と、どこ、行きたい?」
日向くんから返事はないのは、伝えたことが理解されてないからだった。
つきあってる、ひと。
日向くんは言葉をゆっくりと咀嚼した。
「付き、合って……る、ひと、って、さんってことだよ、ね?」
「わ、私じゃなくてもいいけど」
「それはおかしい!! おれが付き合ってるのはさんっ、だし、彼女だし! おれが、さんのカレシだし!」
「一般論で、ぜんぜん」
「一般ってみんなってこと?」
「そう」
「みんな……」
「男の子は、その、彼女ができたらどこに、「それ知って、さんどーすんの?」
答えを聞かせてもらえるどころか、私が質問されて面食らった。
「どうするって、参考に」
「なんの参考っ? おれ以外と、どっか出かけんの?」
「でっ出かけないよっ」
「だったら、おれのことだけでいいじゃん。 他のやつなんか……、おれは、さんと行けるならどこだっていい」
「でも、どうせ行くなら日向くんも楽しいところ「楽しいよ」
矢を放つみたく、日向くんの言葉がとんできた。
「たのしい、今、こんなふうに、さんといるの、すごく……楽しい。
ずっと、いられたらって思うくらい。
さっきみたいな店、慣れてないのはホントだけど、さんとだったら行きたいって言ったのも、ほんとう。
さんとなら行ってみたい。
さんとだったら、いや、さんとだから、行きたい。
さん……」
不意に撫でられておどろくと、日向くん自身もびっくりしていた。
手を握りしめてすぐポケットに隠して身体の向きを変え、空を見上げていた。
「……おれさ、女子のこと、気になんないわけじゃないけど、あんま、考えたことなくて。
……彼女とか、そういうの」
日向くんが黙った代わりに風が鳴き、髪を揺らした。
「そういう話になってもよくわかんなかったし、今も……“はじめて”で」
また、目が合う。
悩ましげに、けれど、あたたかい眼差しで。
「さんといると、すげぇうれしい、たのしい。自分でもなんでかわかんないけど、すきだって、だいすきだって、会うたび、今もすげぇっ、いっぱいで!!
もっと、……してみたい。
腕、組むのもさ、……うれしかった。とまんなく、なりそうなくらい」
日向くんはとてもやわらかく微笑んだ。
「ひとりじゃ行かないところ、さんとなら行ってみたい。それが、おれの行きたいところ!
それじゃダメ?」
だめなんてことないと首を横に振ると、日向くんはホッとした様子で笑った。
「じゃあさ、行こう、さんが気にいるストラップ、見つけたい」
日向くんはとても自然に私の手を握った。
いまにも、どこかに連れ去るみたく。
「わ、私も」
なぜか駄々をこねる子どもみたく、手は離さないくせに立ち止まって告げた。
後回しじゃダメだと思った。
「私も、考えたことない。……誰かと、こんなふうに」
ううん、ちがう。
「日向くんと、こんなふうに過ごせるなんて、考えたことなくて」
こうやってお昼食べるのも、出かけるのも、手をつないでるのも、一緒にストラップを探すのも、イルミネーション見に行くのも、ぜんぶ。
「ぜんぶ、夢みたい……」
どこかで眠っていて、いつかのタイミングで目が覚めるんじゃないかって。
「夢じゃないよ。
おれ、ここにいる。
さんといっしょにいる。
そんで、今も、これからもいるっ」
日向くんの言葉にすぐ頷いた。
確かな手の温もりと冷たい空気が現実だと知らせてくれる。
本当に冷えてきたから足早にビルに向かった。
人混みがあるわけでもない広い道を、腕がくっつき合う距離のまま。
何が変わったわけでもないのに、この胸にある想いを確かめ合うだけでこんなにも気持ちは晴れやかだった。
「わくわくするっ」
公園に向かう途中、横断歩道の前で日向くんが言葉通りの雰囲気をまとってつぶやいた。
信号が青になった。
「わくわく?」
「さんとこれからどこに行こうか、考えるだけで楽しい!」
さんは?って聞かれる前に、そうだね、と同意して、日向くんとの距離をまた少しだけ縮めた。
next.