ハニーチ

スロウ・エール 234



抱きしめられた時、思った。

いつもより日向くんが近い。



さん、前っ、見たほうが」

『みんなで大きなハートを作ってね♪』


プリクラ機が日向くんの声にかぶせてきた。

私は耳から入る情報と、それ以上のことを処理しきれずにいた。

日向くんが近すぎた。

いつもより勢いがあって、いつもより力が入ってて、いつもより、なんか、余裕のない抱きしめ方だった。
余裕のある抱きしめ方ってなんだろ。
一人ツッコミを入れるくらい混乱していた。

だって、近い。
私も日向くんもコートを着てない。
日向くんに至っては学ランも着てない。

自分と日向くんの身体的な違いを直接感じていた。
急に、日向くんは“男子”なんだって自覚した。
これまでいくらでもわかっていたつもりなのに、ぎゅっとされること、何回もあったのに。

体温のせいかな。腕に、力が入ってるからかな。
汗かきそう。のぼせそう。どうしよう。

暖房は変わらず吹き付ける。
この建物は全体的に暑すぎた。

熱は、なにもかも急上昇していた。
頭の中はまっしろだった。


『ハートは上手にできたかな?』


機械は、前に撮った時と同じく、こっちの状態なんてかまわず、決まり文句をくり返す。

ポーズを決めてね♪

ちょっとだけ静かにしてて、と言いたくなりつつ、体を捻ってカメラを見た。
すぐ下のモニターに自分たちの姿がある。

日向くんとまっすぐ視線が合った。
その腕の中におさまっている、自分。

客観的に見た自分たちの姿に、はずかしさがさらに込み上げた。

日向くんも同じのようで、肩に力が入っていた。
画面越しでも、実際の感覚でもわかった。
コートがないだけで、こんなにも相手のなにもかも分かってしまうのか。

残り時間を示す円グラフがどんどん細くなってゆく。
シャッターチャンスが近づく。


「日向くん、……ポーズ」

「ぽー、ず」


日向くんはぎゅっとしたまま動かなかった。
私もまた動けなかった。

ポーズを指示するモニターでは、大人数でつくるハートのやり方をアニメーションで教えてくれていた。

自分たちだけ、時間が止まったみたいだ。


シャッター音。

そのままの状態で、撮影された。


『いい感じ♪

 次が最後のポーズだよ♪』


ハートのかけらもない写真を自動的にほめて、画面はスムーズに切り替わった。

いつまでもモニター越しに日向くんと見つめあった。

直接みればいいのに。
それでも、いつまでも動けずにいた。


『最後は、とびきりのスマイルだよ♪』


日向くんの腕は回ったままだ。

スマイルって、なんだっけ。
あ、笑顔、笑顔だった。
日本語の理解すら覚束なくなった時、日向くんが言った。


「すっ、スマイルだって!」

「そ、……だね、スマイル」

「ん!」

「日向くん、それ、スマイル?」

「なってない?」

「なってない、離れ、」


   た、ほうが。


言いかけてやめたのは、日向くんの腕に力が入ったからだ。


さん、……このままじゃ、ダメ?」


日向くんのささやきが、胸の奥まで響く。
離したくないって、言われてるみたいだった。

目を見たらきっと、日向くんの本心がもっと伝わってくる気がしたけど、それはできなかった。
ぜんぶ、近すぎたから。

けれど、それは、嫌なことじゃなかった。



「……ダメじゃ、ない」


そっか。

日向くんの相槌は、ほんの少しだけ声が弾んでいるように聞こえた。

ただ、ダメじゃないけど、これ以上、どうしたらいいかもわからなかった。

こういうとき、ふつう、どうするんだろう。
参考書でも欲しかった。予習したい。
……予習ってなにするんだ。
混乱していた。

タイマーは規則正しくすすんでいく。

心音は早くなっていく。


とっさに日向くんの服をつかんだ。

そのままの体勢で、その時を迎えた。


スマイル、しないと。

自分の表情を確かめようと思ったのに、モニターを見れば、やっぱり日向くんを見てしまい。
その日向くんは、どこか嬉しそうに表情を緩ませていた。

パシャリ。

機械は、被写体を、ありのまま映した。

私は、照れているような、はずかしがってるみたいな、誰かに少しも見られたくない表情だった。



『撮影はおしまい! 外で落書きタイムだよ♪』


プリクラコーナーの流行りの曲がよくきこえる。

日向くんの服を掴むのをやめた。


「そ、そろそろ」

「ぅ、うん!」


日向くんが腕を解いた。

すぐに荷物に駆け寄り、自分のコートを手にした。

日向くんのも。上着と一緒に。


「これっ、日向くんの!」

「あ、ありがとう」


指先がふれあった途端、大げさなほど反応してしまった。

コートを羽織ってボタンは止めず、自分の荷物を手早く腕にかけた。


「日向くん、行こっ、落書きしなきゃ」


いつもと同じを心がけて声を発した。

プリクラ機の出入り口をすばやく通り抜け、落書きコーナーへと移動した。
日向くんもすぐ後に続いた。

落ちつけ、友達とやった時と変わらない。

備え付けのタッチペンでモニターに触れる。
今しがた撮影した写真が並ぶ。
その中から落書きしたい1枚を順に選ぶだけだ。

一気に表示された画像は、当たり前だが後半ぜんぶ、ポーズも、なにもなかった。
くっつきあう二人。

見てられなくて、一番はじめに撮った『みんなで輪になろう』の写真を選択した。
なんでもいいから書こう。カラーペンのボタンを押した。


さん」

「な、なに!」


声が裏返ってしまった。
抱きしめられていた感覚が、はっきり思い出されたからだ。

日向くんは目を丸くした。


さん、どうしたの?」

「そういう、日向くんこそ」


落書きコーナーは、ペンが右と左にそれぞれセットされている。
日向くん側のペンは、備え付けられたままだった。

書かないの?って聞くと、書くけど、と返された。


「けど?」

さん」


声のトーンで分かった。


「お、怒ってないよっ」

「!なんでおれが言おうとしたことわかんの? さんやっぱ超能力が!?」

「ないよっ」


そのやりとりで、ほっと肩の力が抜けた。


「ただ、なんとなくわかっただけ」


気を取り直して、カラーペンの種類を変えた。

日向くんは私のモニターを見るばかりで、相変わらずタッチペンを持たない。

視線に気づいた日向くんが目を丸くした。


「なに?」

「日向くん、ずっと、こっちみてるから」

さん、なに書くのか気になって」


ペン先を浮かせたまま、どうしたものかと、意味なくペンの細さを変更した。


「印刷した時に見れるから、今は、あんまり……見ないでほしい」


そう伝えると日向くんは、モニターから視線を外した。

そうじゃ、なくて。


「私のことも、見ないで」

「えっ、なんで?」


なんでって。


「は、はずかしいから」

「なんで?」

「なんでも」

「おれが、ぎゅってしたから?」

「……言わないで」


ペンを持ってないほうの手で顔を隠すようにすると、日向くんは瞳を輝かせていた。


「な、なんですか」

「おれ、何もしゃべってないよ!」

「顔が、しゃべってる」

「顔!? そ、そんなつもりなかったっ、けど、さんが言うなら、たぶん合ってるな」


合ってるってことは、何か言いたいことがあるってことで。

じっと日向くんの真意を探ると、こっちの気も知らないで日向くんは楽しそうに続けた。


「おれ、いま、何て言ってるかわかる?」

「へっ」

「今のさんならわかるかなって」


当ててみて、って日向くんはかんたんに言う。

超能力はもちろん持ってないので、正解がさっぱり浮かばない。

やけになって適当に口走った。


「私が……かわいい、とか」

「すげっ、当たった!!」


当たりなの!?

動揺したせいで、ペン先がモニターに当たり、画像に変な線が入ってしまった。

慌ててやり直しボタンを連打した。

日向くんは、私がどれだけ振り回されているか、これっぽっちも気づかないで、のん気に続けた。


さん、ずっと可愛いけど、さっきぎゅってした時、いつもよりこう、さん!!って感じしたし、いい匂いした」

「!」

「腕のなかでも、こう、焦ってんのもわかってさ、それがまた可愛くて」

「日向くん、ストップ!!」


私の一言で、日向くんはピタリと黙った。
その間に、ゆっくり深く呼吸をくりかえした。こっちが、もたない。


「もう、かわいい言うの、禁止……」

「また!? お、おれ、言いたいんだけどっ」

「とにかく禁止」

「え、えーー……、あ!」


ん?


「書く!!」


日向くんがペンを手に取った。

見よう見まねで今しがた撮影した写真(しかも、ぎゅってしてるやつ)を選んで、大きく『かわいい』って書き出した。


「ちょっと日向くん!」

「禁止されたの言うのだから、書くのはいいってことで」

「やだ、他のにしてっ」

「じゃあ、可愛いって言っていい?」

「じゃあ、じゃない!」

「じゃあ……書く!」

「やだってばっ」


そんなやり取りをしているうちに、次のお客さんが入ってきて、落書きタイムの制限時間を、プリクラ機がまた明るく教えてくれた。



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