抱きしめられた時、思った。
いつもより日向くんが近い。
「さん、前っ、見たほうが」
『みんなで大きなハートを作ってね♪』
プリクラ機が日向くんの声にかぶせてきた。
私は耳から入る情報と、それ以上のことを処理しきれずにいた。
日向くんが近すぎた。
いつもより勢いがあって、いつもより力が入ってて、いつもより、なんか、余裕のない抱きしめ方だった。
余裕のある抱きしめ方ってなんだろ。
一人ツッコミを入れるくらい混乱していた。
だって、近い。
私も日向くんもコートを着てない。
日向くんに至っては学ランも着てない。
自分と日向くんの身体的な違いを直接感じていた。
急に、日向くんは“男子”なんだって自覚した。
これまでいくらでもわかっていたつもりなのに、ぎゅっとされること、何回もあったのに。
体温のせいかな。腕に、力が入ってるからかな。
汗かきそう。のぼせそう。どうしよう。
暖房は変わらず吹き付ける。
この建物は全体的に暑すぎた。
熱は、なにもかも急上昇していた。
頭の中はまっしろだった。
『ハートは上手にできたかな?』
機械は、前に撮った時と同じく、こっちの状態なんてかまわず、決まり文句をくり返す。
ポーズを決めてね♪
ちょっとだけ静かにしてて、と言いたくなりつつ、体を捻ってカメラを見た。
すぐ下のモニターに自分たちの姿がある。
日向くんとまっすぐ視線が合った。
その腕の中におさまっている、自分。
客観的に見た自分たちの姿に、はずかしさがさらに込み上げた。
日向くんも同じのようで、肩に力が入っていた。
画面越しでも、実際の感覚でもわかった。
コートがないだけで、こんなにも相手のなにもかも分かってしまうのか。
残り時間を示す円グラフがどんどん細くなってゆく。
シャッターチャンスが近づく。
「日向くん、……ポーズ」
「ぽー、ず」
日向くんはぎゅっとしたまま動かなかった。
私もまた動けなかった。
ポーズを指示するモニターでは、大人数でつくるハートのやり方をアニメーションで教えてくれていた。
自分たちだけ、時間が止まったみたいだ。
シャッター音。
そのままの状態で、撮影された。
『いい感じ♪
次が最後のポーズだよ♪』
ハートのかけらもない写真を自動的にほめて、画面はスムーズに切り替わった。
いつまでもモニター越しに日向くんと見つめあった。
直接みればいいのに。
それでも、いつまでも動けずにいた。
『最後は、とびきりのスマイルだよ♪』
日向くんの腕は回ったままだ。
スマイルって、なんだっけ。
あ、笑顔、笑顔だった。
日本語の理解すら覚束なくなった時、日向くんが言った。
「すっ、スマイルだって!」
「そ、……だね、スマイル」
「ん!」
「日向くん、それ、スマイル?」
「なってない?」
「なってない、離れ、」
た、ほうが。
言いかけてやめたのは、日向くんの腕に力が入ったからだ。
「さん、……このままじゃ、ダメ?」
日向くんのささやきが、胸の奥まで響く。
離したくないって、言われてるみたいだった。
目を見たらきっと、日向くんの本心がもっと伝わってくる気がしたけど、それはできなかった。
ぜんぶ、近すぎたから。
けれど、それは、嫌なことじゃなかった。
「……ダメじゃ、ない」
そっか。
日向くんの相槌は、ほんの少しだけ声が弾んでいるように聞こえた。
ただ、ダメじゃないけど、これ以上、どうしたらいいかもわからなかった。
こういうとき、ふつう、どうするんだろう。
参考書でも欲しかった。予習したい。
……予習ってなにするんだ。
混乱していた。
タイマーは規則正しくすすんでいく。
心音は早くなっていく。
とっさに日向くんの服をつかんだ。
そのままの体勢で、その時を迎えた。
スマイル、しないと。
自分の表情を確かめようと思ったのに、モニターを見れば、やっぱり日向くんを見てしまい。
その日向くんは、どこか嬉しそうに表情を緩ませていた。
パシャリ。
機械は、被写体を、ありのまま映した。
私は、照れているような、はずかしがってるみたいな、誰かに少しも見られたくない表情だった。
『撮影はおしまい! 外で落書きタイムだよ♪』
プリクラコーナーの流行りの曲がよくきこえる。
日向くんの服を掴むのをやめた。
「そ、そろそろ」
「ぅ、うん!」
日向くんが腕を解いた。
すぐに荷物に駆け寄り、自分のコートを手にした。
日向くんのも。上着と一緒に。
「これっ、日向くんの!」
「あ、ありがとう」
指先がふれあった途端、大げさなほど反応してしまった。
コートを羽織ってボタンは止めず、自分の荷物を手早く腕にかけた。
「日向くん、行こっ、落書きしなきゃ」
いつもと同じを心がけて声を発した。
プリクラ機の出入り口をすばやく通り抜け、落書きコーナーへと移動した。
日向くんもすぐ後に続いた。
落ちつけ、友達とやった時と変わらない。
備え付けのタッチペンでモニターに触れる。
今しがた撮影した写真が並ぶ。
その中から落書きしたい1枚を順に選ぶだけだ。
一気に表示された画像は、当たり前だが後半ぜんぶ、ポーズも、なにもなかった。
くっつきあう二人。
見てられなくて、一番はじめに撮った『みんなで輪になろう』の写真を選択した。
なんでもいいから書こう。カラーペンのボタンを押した。
「さん」
「な、なに!」
声が裏返ってしまった。
抱きしめられていた感覚が、はっきり思い出されたからだ。
日向くんは目を丸くした。
「さん、どうしたの?」
「そういう、日向くんこそ」
落書きコーナーは、ペンが右と左にそれぞれセットされている。
日向くん側のペンは、備え付けられたままだった。
書かないの?って聞くと、書くけど、と返された。
「けど?」
「さん」
声のトーンで分かった。
「お、怒ってないよっ」
「!なんでおれが言おうとしたことわかんの? さんやっぱ超能力が!?」
「ないよっ」
そのやりとりで、ほっと肩の力が抜けた。
「ただ、なんとなくわかっただけ」
気を取り直して、カラーペンの種類を変えた。
日向くんは私のモニターを見るばかりで、相変わらずタッチペンを持たない。
視線に気づいた日向くんが目を丸くした。
「なに?」
「日向くん、ずっと、こっちみてるから」
「さん、なに書くのか気になって」
ペン先を浮かせたまま、どうしたものかと、意味なくペンの細さを変更した。
「印刷した時に見れるから、今は、あんまり……見ないでほしい」
そう伝えると日向くんは、モニターから視線を外した。
そうじゃ、なくて。
「私のことも、見ないで」
「えっ、なんで?」
なんでって。
「は、はずかしいから」
「なんで?」
「なんでも」
「おれが、ぎゅってしたから?」
「……言わないで」
ペンを持ってないほうの手で顔を隠すようにすると、日向くんは瞳を輝かせていた。
「な、なんですか」
「おれ、何もしゃべってないよ!」
「顔が、しゃべってる」
「顔!? そ、そんなつもりなかったっ、けど、さんが言うなら、たぶん合ってるな」
合ってるってことは、何か言いたいことがあるってことで。
じっと日向くんの真意を探ると、こっちの気も知らないで日向くんは楽しそうに続けた。
「おれ、いま、何て言ってるかわかる?」
「へっ」
「今のさんならわかるかなって」
当ててみて、って日向くんはかんたんに言う。
超能力はもちろん持ってないので、正解がさっぱり浮かばない。
やけになって適当に口走った。
「私が……かわいい、とか」
「すげっ、当たった!!」
当たりなの!?
動揺したせいで、ペン先がモニターに当たり、画像に変な線が入ってしまった。
慌ててやり直しボタンを連打した。
日向くんは、私がどれだけ振り回されているか、これっぽっちも気づかないで、のん気に続けた。
「さん、ずっと可愛いけど、さっきぎゅってした時、いつもよりこう、さん!!って感じしたし、いい匂いした」
「!」
「腕のなかでも、こう、焦ってんのもわかってさ、それがまた可愛くて」
「日向くん、ストップ!!」
私の一言で、日向くんはピタリと黙った。
その間に、ゆっくり深く呼吸をくりかえした。こっちが、もたない。
「もう、かわいい言うの、禁止……」
「また!? お、おれ、言いたいんだけどっ」
「とにかく禁止」
「え、えーー……、あ!」
ん?
「書く!!」
日向くんがペンを手に取った。
見よう見まねで今しがた撮影した写真(しかも、ぎゅってしてるやつ)を選んで、大きく『かわいい』って書き出した。
「ちょっと日向くん!」
「禁止されたの言うのだから、書くのはいいってことで」
「やだ、他のにしてっ」
「じゃあ、可愛いって言っていい?」
「じゃあ、じゃない!」
「じゃあ……書く!」
「やだってばっ」
そんなやり取りをしているうちに、次のお客さんが入ってきて、落書きタイムの制限時間を、プリクラ機がまた明るく教えてくれた。
next.