ハニーチ

スロウ・エール 237





「う、うでって、腕を」

「日向くん、ボタンが」

「!」


かけ間違えている。

指摘すると、日向くんはおずおずと学ランのボタンを途中まで外し、正しくはめ直した。


「ぼ、ボタン! じゃなくて、腕と、いうのは、さん」

「日向くん、コートも」

「あ……、ありがとう……」


置いてあったコートを着やすいように持ってあげて、日向くんがそれぞれ腕を通して肩を揺らした。

これでよし。

コートのボタンもすれば寒空の下でも大丈夫だ。


さんっ!!」


イルミネーションを見に行くべく、荷物を肩にかけ直した時、日向くんが私のカバンを引っ張った。

目が合うと、すぐ逸らされ、またすぐ視線がぶつかり、また視線が私以外へと移る。


「う、うでって、言ってたけど……」

「ここは、ほら、暑いからはやく外行こう」

「……」

「イルミネーション、私、早く見たいな」

「い、行こう」


日向くんはまだなにか言いたげだった。
けれど、私のカバンから手を離し、ベンチに置きっぱなしの自分の荷物を手に取り、ぼんやり数歩進んだ。

そんな日向くんを観察していると、となりに私が来てないことに気づいたらしい。

日向くんがこっちを振り返った。

来ないの?

そんな視線が送られる。

走って日向くんの隣に並ぶ。
二人、歩き出した。

出口に向かう途中、ふと気になって自分の携帯を取りだした。
付けたばかりのストラップをまた見たくなった。

ゆらゆらと揺れる、カラスのヒナ。

やっぱり、ちょっと、日向くんぽい。

……いいな、これ。
おそろい、だし。

浮かれてるのが日向くんにバレないよう、すぐ携帯をしまった。


外はすっかり暗くなっていた。

吹いてくる風は、建物をガンガン暖める空調から、この季節らしい冷気に変わる。
中にいた時は、寒さが恋しくもなったけど、いざ足を踏み出すと容赦ない寒さに、やっぱり冬なんだと実感させられた。

いまは、冬。
春はまだ遠い。

ここに春が来る頃、私たちは高校生になる。



さん、行かないの?」

「行くっ」


なんてことない夜空を見上げていると、日向くんに声をかけられた。

日向くんは私の返事を聞いてから、イルミネーションが施されている場所を目指して歩き出した。

前だけを見て。


「日向くんっ」


少し狭かった道から、広めの歩道に出た時だ。
日向くんがするみたく勢いをつけて切り出した。


「いいっ?」


返事を待たずに行動する。

日向くんは固まってしまった。

私も、いつもこんな感じなんだろうか。
今の日向くんに、いつも日向くんに動揺させられる自分を重ね合わせる。

確証はない、けど、なんとなく理解する。

日向くんは、ほんとうに、私のことがすきなんだって。

同じだった。
私も、日向くんといると、いつもこうなる。

どう反応していいかわからなくて、でも振り払いたいわけじゃない。
ただ、すべての感覚が日向くんへと注がれる。

日向くんと私、もちろん違うところもあるんだろうけど、少なくとも私は、日向くんのことしか考えられない。
好きな人にふれられている瞬間、ぜんぶ、すべて相手のことでいっぱいになる。

私から腕を組んでみて、こんな日向くんを前にしたら、さすがに気のせいじゃないかもって……思わされる。

でも、日向くんの本当の気持ちを確かめる術はない。
同じだといい、とは思う。


ああ、そっか。

だから……


「考えてること、わかったらいいのにね」


日向くんは目を丸くした。


「前に、日向くん、そんなこと言ってたなって」


あれは、たしか、お互い予定をなんとか合わせて会った時だった。
今日みたくファーストフード店で、二人並んで座った。

あの日は、日向くんに会う前に……



“トス、
   ……誰も待ってなかったこと、あるか?”




飛雄くんと勉強会をした。

北川第一の後輩二人が、飛雄くんの進学先を気にしてわざわざ来たんだっけ。
私は、飛雄くんの話を聞いている内に、関係ないのに泣いちゃって……そんなことも、今は懐かしい。

もし相手の気持ちをこんなふうに触れるだけでわかるなら、あの時も、今も、もっと、なにか違うことができてたのかな。

でも、残念ながら、私はいつも通りの私で、わかるのは、どこまでも自分の気持ちだけだった。

日向くんの腕をやんわり引いた。


「日向くん、行こう。

 あ、返事、まだ聞いてなかったけど……いい、よね?」

「へっへんじって?」

「今こうしてるの嫌「やじゃない全然!!!」


日向くんは前のめりで返事をしてくれた。

わかってはいても、この勢いにほっと胸を撫で下ろす。

安心して日向くんの腕に力を込めた。


「じゃあ、このままでっ」

「……うん」


歩き出して光っている方を探してみるものの、前にイルミネーションを見に行った時と出口が違っている。
周囲は植木が高く連なっていて見通しがよくない。

方向、合ってるかな。


「ごめん、道間違えたかも」


さっきのところ、やっぱり曲がった方がよさそうだ。
日向くんの腕を引いて進んでいく。

いつまでも反応がない。


「日向くん、……だいじょぶ?」

「お、おれはずっとだいじょーぶ!!!」


いや……、うん。


「緊張、してるみたいだから」


日向くんから見たら、私もいつもこんな感じなのかな。
ある意味、挙動不審というか、日向くんに笑われてしまうのも無理もないぎこちなさだ。

好きな人の前、とりわけすぐそばだと、人って気持ちを隠せないのかも。

そんなことを考えていると、日向くんはうつむいて続けた。


「緊張なんて、ぜんぜん……」

「肩に力ずっと入ってるのに?」

「か、肩!?」


私の指摘に、日向くんは今や肩どころか全身で緊張しているように感じられた。


「どんどん力入ってる気が、日向くんっ、リラックスして」


これから戦いに挑むわけでも、烏野の試験をもう一回受けるわけでもないんだし。


「ただ、光るやつ見に行くだけだよ?」


日向くんの腕が、緊張とは違う力の込められ方で、私の腕を引いた。


「光るやつ見に行くだけっ、だけど、さんがいてくれるだけで、ちがう!」


日向くんが私を見つめる。

近くて、今度は私が視線をそらした。


「こんな風に腕組むのはじめてだしっ。
 しかも、さんからこんな風にっ、だから、力、つか、気合いがいる」

「き、気合い?」


緊張でもなくて、気合い?

気合いって、物事をする時に集中する気持ちの勢い、だっけ。
辞書の意味を記憶から引っ張り出している時に、日向くんは続けた。


「気合い、いる! じゃないと、おれの中のじゃね、ん……、それはっ、さんは気にしなくていいんだけど、おれ的には重要な問題でッ!」

「じゃね?って、なに?」

さんはおれのこと!! おれのことだけ考えててください!」

「日向くんのこと」


もういっぱい考えてるけどな。

腕を組んでるときから、いや、組もうって言い出した時からずっと、いまも、こんなに胸の鼓動がうるさい。


「おれ一人ずっと、ドキドキっ、してる」


さん、近くて……

日向くんが小さくつぶやいて、自分の髪をもう一方の手でわしゃっとした。


「そんなこと、ないよ」

「へ?」

「日向くんだけじゃなくて……」


言いかけて、気づく。


「さっきは日向くん」

「さっきっ?」

「プリクラの時」


ぎゅってされていた時間を思い出す。


「ぜんぜん、日向くん、緊張してなかった。 今より、もっと近かったのに」


日向くんの体にまた力が入る。


「あっ、あん時は……

 緊張より、さんだ!!!って、いっぱいだったから、今も、緊張ではなくて。

 さん、わかんない?」


日向くんが呼吸を整えて続けた。


「おれ、ずっと、

 さん、ぎゅってしたいって思ってる」


していいなら、今すぐに。

切羽詰まったような、余裕のない声色。

気になって日向くんの方をみると、瞳の奥底にたしかな想いが垣間みえた。
真正面からぶつかった感覚だった。



next.