「さんって、すごいよなー。
おれの知らないこと、いっぱい知ってる。
こう、スッ てっ。
サッ てっ。
教えてくれて、いつも、ずっと、すごい。
さんが教えてくれると、違う。
変わるんだ。
同じで、同じじゃない。
おれの見てた世界と、
さんが言ってくれたのと、
……ぜんぶ」
日向くんが夜空を見上げていたかと思うと、また地上に視線を戻した。
ちっぽけな、となりに。
「さんがいてくれてよかったっ」
日向くんは私の手を取って握った。
「さん、どこ行くの?」
指先は、私より冷たかった。
しん、と鈍く熱を奪う、冬の感覚。
日向くんにまじまじと見つめられ、光り輝くタワーを眺めながら答えた。
「どこも、いかないよ」
「ほんと?」
「なんで?」
努めて声のトーンの明るさを保って言った。
「なんで、日向くん、そんなこと聞くの?」
二人でイルミネーションを見に来たのに、その相手を置いていくなんて、常識的にありえない。
日向くんは、私の手を引いた。
視線を戻さざるを得ない。
日向くんは、目をそらさずに続けた。
「そんな、気がした」
胸の奥がざわめく。
日向くんの手に自分のも重ねて温めようとした。
日向くんの手の甲は冷たかった。
私の手のひらはあたたかかった。
赤い光が周囲を照らし、瞬いてまた違う色に切り替わる。
誰かがタワーのスイッチを押すたびに、あざやかな明るさが夜に広がった。
赤は、なんだっけ。
何のパワーだったっけ。
説明書きを思い出そうとしていると、日向くんが言った。
「さんは、そう、思わない?
自分のこと、すごいって。
……おれは、いつも思う。
あっ。
おれのことじゃなくて、さんのこと、いつもすごいって思ってるって意味で」
「大丈夫、ちゃんとわかるよ」
「そっか、よかった!
……思ってること、伝えんの、むずかしい」
「そうだね……」
私も、そう思う。
頷くと、日向くんは笑った。
さんはできてるって。
さんみたくできたらいいのにって。
日向くんは本当にそう思ってる口ぶりだった。
私は、
おもっていることを、
ちゃんと……
日向くんにそう思ってもらえる人間なのか。
自問自答して、ぽつり、こぼした。
「日向くんは、強いね」
青いライトが光った。
日向くんの瞳も、鮮明なブルーが灯った。
日向くんの手もあったまってきた。
もっと暖かくしてあげたくて、手を高く持ち上げ、大事にこすり合わせた。
日向くんはそわそわと目を泳がせた。
「つ、強いっ?」
「……つよいよ」
私と、ちがう。
ぜんぜん、ちがう。
逃げる準備をしない日向くんは、強いと思う。
「日向くん、手、あったまってきた?」
「え、あ、……うん」
「じゃあ、帰ろう」
手をにぎるのはやめ、肩からずれてきたカバンをまたかけ直した。
コートの生地のせいか、動いている内に荷物が滑ってきてしまう。
もともとイルミネーションを見たら帰る予定だった。
メインのタワーを見られたし、帰るにはちょうどいい。
「さんが、おれのこと、強く見えたなら」
日向くんは私の手をしっかり握りしめた。
「さんがいてくれる……から」
そんなことないよ。
言葉を挟もうとしたのに、それは途中で遮られた。
強い語調だった。まなざしだった。
私の知る、強さがにじむ。
「おれ、強くなりたい。
始まってもないけど、今よりもっと、もっと強く。
結果もまだ出てないけど、今日で、やっと」
黄色いライトが夜に広がった。
「やっと、おれは、これからバレーできるっ」
オレンジ、赤、ピンク、と色が移り変わっていく。
私たちと同じだった。
これから、どんな色になるだろう。
すべてが瞬き、混じり、溶けあい、やがてまっしろい光に包まれる。
日向くんが照らされる。
日向くんに引き寄せられる。
間近で見る光は、そばで見ても変わらない輝きだけど、ひとつ、気づいたことがあった。
その瞳のなかに、私がいる。
きっと私の瞳にも、同じように光り輝く日向くんが映り続けているんだろう。この世界とともに、これからも、この先も。
日向くんは言った。
「さんに、そばに、いてほしい。
おれは、なんで……バレー部ない学校にって……、……でも。
さんに会うためだったんじゃないかって思ったら、いや」
日向くんは言葉を切って、微笑んだ。
「そうだったらいい!!」
おれが、いま、ここにいるのは、さんと。
言葉が途切れたのは、私のせいだった。
抱きついていた。
片腕でも、荷物が邪魔でも、少しでも、近くに、日向くんに、ふれたくなった。
目も閉じた。
瞼を下ろせば真っ暗闇、だからこそわかる。
光は、ここにあった。
私は、日向くんのそばにいる。
「日向くんの3年間」
ううん、もっとだ。
「これまでの時間、これからのためにあるんだとおもう」
それこそが未来。
私たちの、明日。
「うまく、言えないんだけど……日向くんだけじゃなくて、私も、そうなんだと思う」
日向くんはできてるって、さっき言ってくれたけど、私も同じだ。
思ってること、ちゃんと伝えられたらいい。
上手くできなくても、日向くんみたく、せめて“やろう”とすることから逃げずにいよう。
一呼吸おいて、言葉を選んだ。
どれもふさわしくない気がしたけど、それでも、言葉にした。
「今日のこと、私、忘れない」
わからなかった自分の気持ち、少し、わかるようになったのは、日向くんのおかげだ。
高校生になっても、もっとずっと、大人になっても、今日だけじゃない、今までの事、ぜんぶ、これからずっと大事にしていく。
ただ、伝えたいのは。
「日向くん、今日も、ありがとう」
あふれあふれる想いを、ぎゅっと腕に込めた。
こうして、ぜんぶ、伝われって気分だった。
「さん」
「なに?」
「顔、あげて」
言われるがまま動いてみせた。
こう?
日向くんに聞こうか迷ってるうちに、それはすぐ、風のごとく、ふれて、また離れた。
いまの、感覚は。
目を開けると、日向くんが唇を片手で押さえていた。
「……ごめん、おれ、がまんが、その……
口は、さんが、ちゃんとしたいと思った時にって、だから、その、ほっぺたなら、いいかなって、さん、大丈夫?」
いつまでも返事どころか少しも微動だにしない私を、日向くんは心配そうに見つめた。
いや、だって、今、まだ感触が。
やっとのことで答えた。
「だ、だ、……だいじょぶ、じゃ、ない」
日向くんが、日向くんの唇が触れたであろう箇所に片手を添えた。
大丈夫なわけ、ない。
「ごっごめん」
「あ、謝るなら最初から……! あと、私の、せいにしないでね」
また、さっきみたく理由にされても困る。
日向くんは口を尖らせて自分の髪をわしゃっと握りしめた。
「でも……、さんが」
「わたしは! いつも通りで!」
「そのいつもがかわいい!!」
日向くんが私を抱きしめた。
あまりに急なことで、自分に残る冷静な部分が、カバンがぶつかり合ってやっぱり冬の格好は抱き合うには向かないなと呟いた。
「我慢しても、さんがすぐかわいくなるから……、……。
……かっ、帰ろ!!
おしっ、帰る!!」
「ちょっと、日向くんっ!?」
これまたスイッチでも押されたみたく、日向くんが私の手を引っ張って勢いよく歩き出す。
「このままだとさんに、なに、するかわかんないから、なんとかなる内に帰ることにする!! 決して!」
先を早歩きしていた日向くんが振り返った。
「おれは、さんといたくないんじゃなくて!
これからもさんといたいから、今は、帰るっ、ので! そういうことだから!!」
「う、うん……でも、日向くん」
まだ進もうとする日向くんを引っ張った。
「帰る方向、たぶん違う」
日向くんはぴたりと立ち止まり、ばつが悪そうに黙った。
そんな様子がおかしくて、つい笑ってしまう。
声がこぼれた。
日向くんが気まずそうにそっぽを向いた。
「か、かっこわるい……」
「そんなことないよ」
即答で来た。
よく知っていた。
「日向くんは、ずっとカッコいい!」
白い光がちょうどまた夜空を、私たちを照らした。
「行こう、私が案内する。道、覚えてるし。
ね、日向くん。
……日向くん? 聞いてる?」
「き、聞いてるッ!」
「じゃ、行こう」
スタスタ歩き出すけど、日向くんが一歩遅れた形で、今度は私が連れて歩く格好だった。
どうしたんだろう。
振り向けば日向くんは目をギュッと閉じて歩いていた。
「どしたの、日向くん」
「ち、ちょっとまぶしかったからッ、落ちつくまで目閉じてようって」
「そんなに?」
同じイルミネーションを眺めていたけど、そこまで目に刺激を受けるものだったのか。
いや、日向くんの動体視力を考えれば当然か。
「私がちゃんと連れてくから安心して」
あ、そうだ。
「さん!?」
「えっ?」
危ないから腕をまた組んだだけなのに、そこまでおどろく?
日向くんが薄目でこっちを見た。
「さん、いま、なにを……」
「いや、腕を組んだ方が、日向くんこけないかなって」
「それはっ、今はっ、だ、大丈夫……」
「目、もうへいき?」
「じゃないけど、でも……でも、さん、おれ、その」
「なに?」
「や、やっぱり、うで……ぃや、だめだ! おれはこれからもちゃんとさんといたい!
さん、手!」
「手?」
「手! おれに貸して」
「こう?」
「行こっ!!」
きちんと結び直した手と手。
日向くんはしっかりと掴んで、駆けだした。
「えっ、
ひなっ、
なんでっ、走るの!?
バス、まだ余裕あるよっ?」
「そうだけどっ、
おれが、ない!!!」
「えっ?」
「おれがっ、ちゃんとさん連れてくから!
ちゃんと、
……だいじに……」
チカチカチカ、と繰り返す横断歩道の『すすめ』の色。
止まってもいいのに、日向くんはスタートラインを踏み切るように突っ走った。
日向くんに続いて白いラインに一歩踏み出した。
途中で止まれって赤くランプが灯ったのに、走り切った。まだ止まらなかった。走り続けた。
熱くなる。
冬の寒さから守るための衣服が邪魔になってくる。荷物の振動も、なにも、放り投げたい。
鼓動が早い。
息も切れそうになる。
けれど、足を動かした。
日向くんに追いつきたかった。
日向くんの方がすごく速くて、本当は速度を落としてほしかったけど、日向くんのスピードに合わせたかった。
いや、できるなら、本当はその“先”に行きたいくらいだった。
でも、現実は、いきなり体力がすごくなるわけがない。
息が切れて立ち止まってしまい、もちろん、手を繋いだ先の日向くんも足を止めた。
「ごっごめん、日向くん」
「おれこそっ、早すぎた、ごめん!!」
「んーん、でも……、ちょっと、待って、息」
「いいよ、いっぱいして!」
「ん……、はーー」
真っ白い息が、ふぁあって、広がって、また、広がる。
コートのボタンを一つ外した。また一つ。
首筋に当たる冬の風が心地いい。
「暑くなった」
「おれの、せいだ」
「んーん、ぽかぽかして、気持ちいい」
日向くんは間をおいて、小さく頷いた。
呼吸も整え終えて、バス停も近いし、ゆっくりと歩き出した。
外灯だけのやさしい歩道を進んでいく。
「きれいだったね」
話しかけると、日向くんが目を丸くした。
イルミネーション、きれいだった。
言葉を足すと、日向くんも首を縦に振った。
「もうおわりなんだって」
「なにがおわり?」
「ここのイルミネーション」
クリスマスから始まって、3月末まででおしまいだ。
また、次の12月が来るまでは、ただのまっくらな公園に戻る。
そう考えると物寂しい気もする。
「来年も来ようよ」
おれたち、二人で。
だめ?
遠慮がちに日向くんが問いかけた。
ダメなわけがない。
「じゃあ、決まり!!」
日向くんは、やっといつもみたく笑って、やさしく手を握りしめてくれた。
どんな表情も、なにも、ずっと眺めていたかった。
next.