ハニーチ

スロウ・エール 241





卒業式当日の朝。

この制服も、この通学路も、今日で最後。

涙がこぼれると思ったのに、いつもと変わらなかった。
気分的には、荷物が少ないくらいで、久しぶりの登校という感じ。

実感がない。
卒業する実感。

式が終わったら泣くのか、それとも卒業おめでとう会でこらえきれなくなるのか。

天気さえも、曇りのち雨なんて予報は外れて、青空だ。

寒さは変わらないけど、卒業を惜しんでこぼれる涙雨、なんてことはなさそう。
清々しく見送ってくれるだろう。

白い息を長くはいて、手をすり合わせる。

向こうに立っている人を見つけた。

こっちに気づいた相手も手を振った。


さんっ、おはよ!」

「おはよう、日向くん」


このやりとりも今日で。
そんなことが脳裏によぎったけど、すぐ切り替えて腕時計で時間を確認した。


「どうしたの、さん」

「いや、遅刻したかなって」

「んーん、おれが早く着いただけ。 待ってたかったっ、行こう」


頷いて一緒に並んで歩く通学路。

他の人はいない。

手はつながない。


さん、昨日、あの後、すぐ寝れた?」

「うん、すぐに。 日向くんは?」

「おれは、電話切ったあと」

「走りにいった?」

「!さん、なんでわかんの?」

「なにかあると、日向くんいつもそうだから」

「気持ちがこう、ガッ!!て落ちつかなくて、少しだけ走った!」

「走ったらすぐ寝れた?」

「んっ! ポカポカなってすぐっ」


話しながら、日向くんは縁石に上がって両腕でバランスを取りながら歩いた。

今日は自転車じゃないから、こうやって並んで学校に行けるのが新鮮だった。


「なにっ?」


視線に気づいた日向くんがこっちを向いた。

どきっとしたのは、黙っておこう。

日向くんがコンクリートブロックから降りたとき、横道から一台の車が出てきて道路脇に止まった。


「あ」
「お」


日向くんと私の声が重なり、自動車から降りてきたほうも私たちに気づいた。

友人だった。
運転手に向かって何か言ったかと思うと、片手で追い払っていた。


「車、かっけーっ。 夏目の家の人?」

「たぶん、お父さんだと思う」

「おー、東京の人だ!」


日向くんが走り去っていった車を見て言った。

今日は卒業式だし、親も出席する人が多い。
生徒は早めの集合時間だから、たぶん学校まで送ってもらったんだろう。
ここで降りたのは、親を目撃されるのが恥ずかしかったと予想する。

よし、と駆け出して友人の隣に並んだ。


「なっちゃん、おはよう!」


友人がばつの悪そうに眉を寄せて挨拶も短く、早歩きした。


「いいよ、二人で行きなよ」

「なにが二人?」

「!別に」


日向くんも同じく隣にやってきて尋ねると、友人はなんでもないって顔を作った。


「日向、なんでといんの?」

「なんでって、今日卒業式じゃん。 自転車じゃなくてバス使った!」

「体育館でバレーは?」

「あのな、卒業式の日は体育館借りれないんだからな!」


日向くんがはきはきと説明する。
昨日、同じことを電話で聞いたのを密かに思い出した。

卒業式の日は体育館は使えない。

なぜなら、体育館は卒業式の準備をしているから。


「はよっ、千奈津、翔陽に
「おはよう」

「イズミンもコージーもおはよう!!」


なんとなく全員そろったって気分になるのは、最後の学期の座席が近かったからだ。
同じ班で、なにかと行動することも多かった。

流れで私と友人が後ろに、日向くんたち3人が前を歩いて学校に向かう。

前を歩く日向くんが腕で顔を擦っていた。


「翔陽、まだ泣くの早いだろ」

「なっ泣いてねーし!」

「翔ちゃん、ティッシュあげよっか?」

「いいって、イズミン! おれ泣いてないって!」


そう主張する日向くんの目元がきらめいているのが見てとれた。

友人が軽く小突いてくる。


もあげれば?」

「なにを?」

「ティッシュとかハンカチ」

「誰に?」


そう返せば、ひどくあきれられた。

受験期間のせいで、さらにやる気が失われてる、だって。

そんなことを言われても。


「泉くんがもう渡してる」

、今日、卒業式だよ?」


そんな当たり前のことを言われても、そうだね、と首を縦に振る以外に返事が浮かばない。

友人はなんにもわかってない、とため息をついて、不出来な教え子に言い聞かせるように続けた。


、呼び出すなら、式終わった後!おめでとう会が始まる前!! ……だからね」


ビシッと教えられ、ぽかん、と聞き入った。
だけで、理解はあんまり追いつかない。

そんな私に構わず、友人の話は続く。

卒業式が終わって教室に戻り、おめでとう会までの時間がある。

毎年、この時間がチャンスだと。

部活の後輩が来たり、先生たちとも皆んな写真撮ってるから、その時になら二人の時間も作れる。


「え、私も先生と写真撮りたい」

「先生はおめでとう会の時でいいよ、T君を呼びださなきゃっ」


T君を、呼び出す。

少しさきにいる日向くんが視界に入る。

友人には、あの夏以降、なに一つ伝えていなかった。
話すべきタイミングも、きっかけもなかった。
作ってもなかった。


「あの、……さ」

「おめでとう会終わった後は流れ解散だし、そのまま親と帰る人もいる! できるなら今のうちに約束も、そうだ!」

「えっなにっ、なに」


今にも何かしそうな友人を止めようと腕を引っ張ったものの、口まではふさげない。

日向くんも呼ばれればすぐ振り返る。


「夏目、なに?」

「卒業式の後さ、「なっちゃん!ちょっと!!」


ずるずると友人を引っ張り続け、見えてきた校門へと急ぐ。


「なっちゃん、……いいから」

「今日逃したら最後だよ」

「そ、それはわかるけど」

「学校変わるって節目だよ? はっきり伝えなきゃ成就するモンもしなくなるっ」



「二人とも何の話してんの?」


まさか日向くんが来るとは思っておらず、二人で固まってしまった。

日向くんはいつも通りの様子で続けた。


「じょーじゅって?」

「なんでもないよ、日向くん、気にしないで」

が、日向に話があるんだって」


だから、そういうのは!

友人にアイコンタクトを送るも、日向くんが私に向き直った。


「話? さん、おれに話あんの?」

「な、ない! なっちゃんが勝手に」

「じゃあ、なんで夏目はさんがおれに話があるって」


気にしなくていいよと口を挟む前に、友人が日向くんに告げた。

自分からは話せないけど、はずっと前から日向に話があると。

言われた日向くんは不思議そうに首をかしげた。


「んー……よく、わかんないけど、さんが話あるなら聞くし、どっちかっていうと……

 夏目が、おれに話あるんじゃない?」


急に話を振られた友人がドギマギと顔を背けた。


「な!! んで、私が日向に」

「なんとなく? 会った時からずっ、と!?」


日向くんが驚くのも無理もない。

私も同じだった。

友人の目から涙がひとしずく伝っていた。


「な、夏目! ごめっ、おれ、なにか!」

「翔陽たち何突っ立って……ちなっ千奈津!?」
「てぃ、ティッシュなら!」

「さ、3人とも……」


行ってていいよ。

俯いて動かなくなった友人の肩を支えて合図する。

3人はこちらを気にしながら学校に向かった。

少し道を外れて、泉くんから分けてもらったティッシュを手渡すと友人は小さくお礼を言った。
謝罪も。
泣いてごめんと。
日向のこともごめんと。


なんとなく理解していた。

3年の付き合いだけど、その3年で友人のことを少しはわかっているつもりだった。


「いいよ、今日は、卒業式だし。

 ……寂しいよね」


気持ちというのは、なんでこうも制御できないんだろう。

押さえようとするとあふれ、必死に隠してもこぼれてしまう。

大人になれば上手くごまかせるのかな。
今は想像もつかない。

友人もまた哀しさだったり不安な気持ちが高まったんだろう。
そういう時、なぜか友人は口調が強まり、どこか怒っているような印象を受ける。

前の引っ越しの時に学んだ。

それも心を守るための人間心理かもしれない。

教師のように伝えてみせると、友人もなにそれと笑ってくれた。よかった。

今なら伝えられそうだと思った。


「あのね、なっちゃん、実は、私……」


日向くんと


言いかけて踏みとどまったのは、怖かったからじゃなかった。

日向くんがよぎった。

胸がぎゅっとつかまれる感覚。

その瞬間、理解した。

まず1番に伝えるべき相手がいる。


ひと呼吸置いて、言葉を選び直した。


「私、……日向くんに、気持ち伝える」



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