ハニーチ

スロウ・エール 242




「ちゃんと、……告白する」


日向くんになにも伝えてないのに、世界がもう変わった。
ドキドキしてきた。
卒業式には緊張してなかったのに、こんな、決めたくらいで。

ふと、そばの友人がいつまでも反応がなくて声をかけた。

何か、その、言ってほしい。

呼び出すように背中を押したんだし。


「いや、……、ほんとに今日、……するんだって思って」

「呼び出せってずっと言ってたじゃん」

「言ったけど、そっかあ」

「なに」

「いやー……うん、うん」

「え、なに」

「別に何も」

「なにっ、言ってよ」

「なにもないって」


涙をこぼしていた友人は楽しそうに、それでいて何も言わずに学校へ歩き出した。

今泣いたカラスがもう笑った。
慣用句がよぎる。
笑顔になったならいいことだ。

隣に追いつくと、助けが必要なら言ってと友人はすぐ口にした。

た……、助けって。

別に、ただ、日向くんを呼び出すだけだ。

とてもかんたんなこと。
いつもみたく日向くんに声をかければいい。

日向くん、ちょっといい?
今日、卒業式が終わった後、時間……

見慣れたはずの校門には、卒業式の看板が立てられていた。


、日向は教室にいるみたいだよ」


下駄箱の前で友達がなぜか指差し付きで報告してくれた。

そんなの、三年生はみんな教室に集合だから当たり前のことだ。


「日向のことだから式はじまるまで走ったりしそうじゃん」

「それは偏見すぎ」

のほうがTくんのことよくわかってるか」

「……先、行くからね」

「あ、ごめんって、!」


靴を履き替えて教室に向かう。
日向くんたちの外靴はそれぞれの場所に収まっていた。

友人と会話しながら、想像の中で、日向くんを何度も呼びだした。

式が終わったら、時間が欲しい。

いいよ。どこで?

場所は……

どこがいいんだろう。

自問自答しつつ、自分たちの教室に入った。

日向くん、いた。


「ひ、「っち、ちなっちゃーーーん!!」


いきなりの衝撃は、友達がいきなり飛びついてきたからだ。
クラス全員が集まる教室は久しぶりで、とても賑やかだった。

気づけば友達に囲まれていた。


「聞いたよ、ちゃん、ぜんぶ受かったんだってね」
「おめでとう!!」

「あ、ありがと。 第一志望、受かったんだよね」

「奇跡起きた!」
「ねっ、千奈津、こっちの高校も受けたんでしょ?」
「東京からこっち通おうよ!」
「距離、距離」


話が弾む。

それは楽しい。


「えー、なんか緊張するー」
「する?」

「俺、式寝そう」
「隣の担任、すげー泣くらしい」

「なー、ジャンプ持ってきた?」


教室のどこでも会話が飛び交う。

そのなか、たった一人を気にし続ける。

日向くん、あのね。

今日、式が終わった後に。

友達との会話から抜けるきっかけはない。
日向くんは向こうでしゃべっている。

いつまでも声をかけられずにいると、ふと、偶然、日向くんと目があった気がした。

これは、もしかしてチャンス。

みんなとの会話もひと段落ついた時だった。

日向くんのところに行くなら、いま。


「ひ、「


日向くんと私の間に、タイミングよく、学ランのクラスメイトが割って入った。

同じ委員会だから、こんなふうに呼びかけられることは珍しくなかった。

サッカーの推薦で早々に合格が決まっている彼は、いつもどこか余裕そうにみえた。


「な、なに、翼くん」

「今日、式の後」

「式っ?」


よりにもよって、卒業式の後と出てきてつい反応してしまった。
気にせず続けてと話すと、卒業アルバム委員の仕事を言い渡された。
いや、私も同じ委員なんだから、自覚してなきゃいけないんだけど、まるで認識してなかった。
そんなのあったんだ。


、どうした?」

「な、なんでもない……よ」


そうだ。


「委員の仕事、すぐっ、終わらせようね!!」


笑われた。
たぶん、“すぐ”を示すジェスチャーがおかしかったんだろう。
必死すぎたみたいではずかしい、けど、日向くんとの時間を作るためだ。仕方ない。


「二人で力を合わせて頑張ろう、卒アル委員として最後の仕事!」


相手は頷いていた。
そばで他の子が翼くんの笑顔かわいいと呟きあっていた。

笑顔……?
飛雄くんの時より変化がわかりづらかった。
いや、飛雄くんも同じくらい、かな。

そんなことを考えている内に、予鈴が鳴った。
みんなが自分の席に着くのに合わせた。


さん、おれに、なんか用事あった?」


日向くんだった。

席に向かう途中、わざわざ私の方に来てくれた。


「あ、えと」


ドアの開く音、先生が入ってきて、慌てて席についた。

号令がかかって、今日の説明が始まる。

言えてない。

今日、式の後、時間が欲しい。

それだけなのに。
日向くん、隣の席なのに。

また目が合った。

すぐ係の人がはいってきて、視線は逸れた。

卒業生の胸に花飾りをつけてくれるそうだ。
机の列ごとに2人1組の二年生たちが位置につき、前から順番に花をつけてもらっている。


「花っ、すげっ!」

「ね、すごいね」


まだ話せていない約束を胸に秘めながら、日向くんと顔を見合わせた。

さすがにこのタイミングで言い出せない。
いっそ手紙でも書くか。
そう思ったけど、花をつける順番はすぐやってきた。


「卒業おめでとうございます。 記念のコサージュをつけるので動かないでください」

「はい」


花はすぐ決められた位置に付けられた。
日向くんも隣で、おぉっと声を上げていた。

係の人たちが出ていくと、先生が、間も無く式典が始まると説明を始めた。

少しずつ、実感してくる。
これで私たちが卒業するんだって。


「じゃあ、そろそろ整列。 号令ー」

「きりーつ」


いつもの流れ、また一つ終わる。

椅子を戻して廊下に出る。

先を歩いていた日向くんが振り返った。


さん」


呼ばれただけなのに、きっと、たぶん、日向くんは私の話を聞いてくれようとしていた。

式が終わったら二人で話したいことがある。
卒業アルバム委員の仕事がある。

二つ同時に浮かんで、言い出せない約束が喉元に留まる。



「卒業生はやく並べー」


先生が廊下から教室を覗き込んで、残っている生徒を急かした。


「日向くん、行こう」


前に向き直る日向くんにすかさず近づいた。

ささやきが届くくらい。


「式終わったら時間欲しい」


早口すぎたかな。

日向くんがハッと立ち止まり、肩がぶつかった。


「ご、ごめん、日向くん痛くない?」

「いいよ!!」


その“いいよ”は、肩がぶつかったことじゃなく、その前の言葉に対する返事だとわかった。


「並ぼう、さんっ、卒業式っ」

「ん、行こう」


廊下はガヤガヤしていた。

朝礼がある時と同じだ。

それぞれの胸には華やかなコサージュが付いていた。

いつもの並び順で整列する。


私はこうやって並ぶ時、みんなの間から日向くんの後ろ姿を見るのもすきだった。


ちゃん、前行ってるよ」

「あ、ごめ」


つい、ぼんやりしていた。

日向くんとまた目があった気がした。
いや、きっと都合のいい勘違いだ。
日向くん、他の男子としゃべっていたんだし。

せっせと前の人に遅れないようについて行きながら、窓の外を見た。

やっぱり寒そうだ。

木の葉が一枚高くたかく飛び上がって、そのまま窓枠から見えなくなった。

空は、青く、とおい。



next.