ハニーチ

スロウ・エール 243




もうすぐ体育館というところで列は止まった。


「予行練習どおりにな。

 こっから先は、中に声聞こえるから静かに」


先生からそんな注意をもらい、続けて前の人と間隔を空けすぎないようにと指示された。

なんか緊張してきた 私も

前後の友達とささやきあう。

他人事だった“卒業”が、じわじわと自分のものになっていく。

整列して、また一歩、少しずつ前に進む。

体育館からは音楽と拍手が聞こえていた。

さざなみのようだった。
生徒が1人また1人入るたびに大きくなる。

遠かったはずが徐々に近づく。

背筋を正して踏み出す。


さあ、中へ。



体育館は、卒業生を送り出す準備万全だった。

生徒は、順々にきれいに並べられたパイプ椅子前へ移動していく。

予行練習の時と異なり、壇上には華やかな花が飾られ、奥にできた来賓の席には知らない人たちがズラリとこっちを眺めている。

後ろには、卒業生の親たちが拍手や熱い眼差しを送っている。

親も来ているはずだが、見つけられなかった。
今朝、日向くんと見かけた友人の父親はすぐわかった。大きなレンズのカメラを構えていた。

日向くんの家族も来ているんだろうか。

見つけられないうちに、入場の音楽が終わり、私たちは着席した。


それでは、これより……


定番の文句で、式は始まった。

事前に聞いていた通り、プログラムに則って、はじまりのあいさつがなされ、次はみんなで校歌を斉唱する。
合図を受けて一斉に立ち上がった。

ピアノの伴奏が始まる。
音楽の授業でも、何かの行事でも、こんな風に校歌を歌った。
体育館には歌詞が飾られていたけど、歌詞は見なくても大丈夫だった。

これも、卒業したら忘れていいんだ。
好きとも嫌いとも、なにも特別な想いはない。
ただ、予行練習のときと同じように声を出す。

もしこの学校に入らなかったら、この歌とも出会わなかった。
出会わなくてもよかった気をするけど、これもまた一つの出会いなんだろう。
意味があるとは思えないけど、ないとも言い切れない。


“そうだったらいい!!”


あの夜、日向くんは高らかに言い切った。


バレー部のない学校になんで……

きっと、考えたこと、……一回くらいあるんだろう。


思い出す。
イルミネーションに照らされた日向くんとともに。


日向くんは、この学校で、6人のバレーはできなかった。
でも、だからって、なんにも意味なかったわけない。

私も、“そうだったらいい”って思う。

きっと、なんでもそうだ。

自分が、そうだと決めたなら、きっと、“そう”なるんだ。


きちんと制服を着たみんなと声を合わせる。

紅白の布で飾られた体育館。

卒業式の仰々しい看板。

決められたプログラム。


“そうだったらいい!!”


意味、きっと、あるんだって、私も。
そうだよね。


おそらく、もう歌う機会のなさそうな校歌をできる限り声をだして歌った。


曲が終わって、また着席する。


次は、卒業証書の授与だ。


名前を呼ばれた順番に移動し、壇上に上がる。


「以下同文です。 おめでとう」


校長先生が卒業証書を手渡していく。

生徒は礼をして、拍手が贈られる。

くりかえし、繰り返される。

また名前が呼ばれ、また順番が進む。


音楽は静かに流れつづける。
厳かな雰囲気の式場内だけど、時々カメラのフラッシュが光った。

泣くのかなって思っていたけど、自分じゃなくて隣の席の子が涙をこぼしていた。
ポケットにティッシュを入れていたらしく、目元に当てていた。

大丈夫か聞こうとも思ったけど、隣の子はもう顔を上げていた。

私はまだハンカチは使わなくて良さそうだった。
なんで泣いたのか気になりつつ、なんで泣かないのかなと自分を顧みた。



「日向、翔陽」


「ハイ!!!」



日向くんが呼ばれて壇上に上がっていった。

練習通りに卒業証書を受け取っていた。

目元が光ってみえたけど、予行練習の時みたく袖口でぬぐう素振りはなかった。






「それでは、卒業生の退場です。

 皆さま、あたたかな拍手でお見送りください」


眠たかった来賓の挨拶まできちんと終えた卒業式は、たくさんの拍手を受けつつ終了した。

体育館を出て終わり、というわけじゃなくて、きちんと教室まで行って、担任の先生からの挨拶や最後のホームルームがある。
その前にやることもある。

日向くんに『式の後』の時間をもらっておいてなんだが、けっこう忙しいと今さら気づいた。


「ねー、さん泣いた?」

「いや、私は全然」

「いいなー、どう? 目赤い?」

「ううん、大丈夫だと思う」

「なんかさー、急に来たんだよねーはずかしー」


クラスメイトの子は、瞬きをくりかえし、照れた様子で笑った。

卒業式会場となっていた体育館を離れると、みんな緊張もゆるんでおしゃべりが始まった。
まだ会場内に聞こえると注意がどこからか飛んできたけど、見慣れた教室の廊下まで来てしまえば聞く耳をもたない。

堅苦しい行事からの開放感でいっぱいだった。

整列も乱れたすきに、友人の肩をたたいた。


、言わないで」

「へっ?」

「ありえない、あの父、さいっあく」


一際目立っていたカメラのことを気にしたらしかった。

つい笑ってしまうと、友人がにらみを効かせるので、こほんと気を取り直した。


「これも愛情だって」

の家族はそんなことしてなかった」

「あ、いた?」


そんな返事をすれば、自分の家族に気づかないなんてと呆れられた。

あんなに人がいっぱいいたら見つけられないこともある。

そう説明する最中、時折視線を送ってくる男子の存在に気づいた。


「そうだった……」

?」

「ちょっと行ってくる」


卒業アルバム委員の仕事があるって教えてもらってたのに忘れてた。

しかし、友人は何をかんちがいしたのか、いよいよ!?と興奮した様子で口元を押さえた。

たぶん、ぜったい違う方(日向くんとのこと)を想像してる。


「あのね、違うからね」

「遅れてもいいよ、担任はまかせて」

「だから違うから」


さんっ」


卒業式が終わったからだろう、日向くんもこっちを気にしてわざわざ来てくれた。

友人がサッと二人にしようとするのを思わず掴んで引き留めた。


、なにす、「余計なことしなくていいから。 日向くん、ごめん、委員の仕事とかホームルーム終わってから声かけるね」

「ん……、わかった!」

「じゃ、なっちゃん、変なことぜっったい言わないでね、私は行ってくる」

「へーい」

「じゃあね、日向くん!」


前を向くと、同じ委員の翼くんがこっちを見ていた。
私が手を振ると一つ頷いてゆっくり歩き出す。
すぐ追いついて、今しがた終えたばかりの式のことを話題にした。
卒業生代表のあいさつ、すごかったね、なんて当たり障りなく。

なんの仕事をするんだっけ、なんて当たり前の質問もせずに、自分たちの教室を後にした。





「なー、夏目」


クラスメイトの男子に呼ばれて、彼女は足を止めた。

彼の見つめる先には、彼女の友人であると同じクラスの男子の後ろ姿がある。

二人は同じ委員会だった。


「なに、日向」

さん、翼とどこいったの?」

「わかんないけど、委員の仕事だって」


何を聞いていたんだ。
そんな風に彼女は返すと、ふと自分たちの教室前に段ボールが置かれているのに気づいた。

なんだろ、あれ。


「委員ってなに委員?」


日向の発言にまた彼女は振り返った。

もうたちの姿はない。


「卒業アルバム委員だよ」


そんなことも知らないの?

彼女の声はそんなニュアンスも含んでいたが、質問の答えを聞いた日向は、別段彼女の含みのある物言いを気にすることもなく、小首を傾げた。


「なに? と遠野が卒アル委員って知らなかった?」


同じクラスで知らないわけがない。
なにを、日向は不思議がっているのか。

日向は腕を組んだまま、うーーんと唸っていた。


「日向、どしたの?」


「いや、さっき先生に頼まれてさ。

 あの段ボールにアルバムの余りあるから数確認しろって」


段ボール。

彼女は合点がいった。

卒業アルバムが入った段ボール箱だったのか。


「それ、委員に言っとけって?」

「そうっ、卒業アルバムは机に全部並べてあるし、さんたち他にもやることあんだなーって……

 卒アル委員って大変だな!!!」


日向の方は整理がついたらしく、踵を返した。

今度は彼女の方が動かない。


「夏目? 教室入んないの?」

「このあと、ホームルームだったよね?」

「そうそうっ、終わったらおめでとう会!」

「……だよね」


朝も先生から説明されたから、彼女もよく覚えていた。

日向は彼女に声をかけた。


「それがどうかした?」

「ううん……」

「?おれ、中入るけど」

「待って!」


同級生の彼女の呼び止めに、日向は足を止めた。

しかし、いつまで経っても彼女はしゃべらない。

無言のまま日向のそばに近づき、通り過ぎて教室を一瞥した。
中は、席につく人と集まっておしゃべりする人半々、それぞれの机には日向の言う通り、卒業アルバムが置かれている。

しゃがんで箱を覗くと、しっかりとした冊子がいくつか斜めに入っていた。


「夏目、なんだよ、待ってって」

「いや、……いい」

「ハ!? 気になんだろ、おれなんかした? 朝もなんか話あるっぽかったし」


彼女の方も今朝の出来事を思い出し、泣いたのを見られた気まずさもあって黙ってしまった。

日向もそれに気付き、迷った末に段ボール箱を持ち上げた。


「日向っ、それ、どうすんの?」

「このままにしとけないし……先生の机に置いとく」

「委員の仕事じゃん」

さんも翼もいないし、いるやつがやった方がいいだろ。 夏目、ドア開けてくんない?」


彼女が教室の扉を引くと、日向は元気よくお礼を言った。

彼女はざわつく教室内で声をひそめて尋ねた。

しかし、思いの外、声量が少なく、日向が聞き返す。
彼女は片手を口に添えて繰り返した。

のこと、気にならないのか。

日向は表情ひとつ変えずに答えた。


「なに気にすんの?」

「……いや、なんでもない」


日向のことだ。
卒業式のあと、誰かを呼び出す意味なんて、きっとわからないに違いない。

彼女は、友人のが今朝話していた“告白”の行く末を案じながら、かといってこれ以上変なことを言わないようにと黙った。

席、いこう。


「なに気にしてるかしんないけど、気には、してる」


その発言は日向翔陽のものだった。


「でも、夏目が気にしてることはたぶん気にしてないっ、……と、おもう!!」


日向はそれだけ言い切ると自分の椅子に座った。

翔ちゃん、何の話?と聞かれると同時、日向は卒業アルバムのカッコよさに声を上げて話題は流れた。



next.