ハニーチ

スロウ・エール 247



「う、れしかったの?」


日向くんがはっきり言い切るから、そんな楽しい出来事だったっけと混乱する。

日向くんが階段とこっちを交互に見た。


「なんかこうっ、漫画みたいだった!」

「マンガ?」

「あれっ、映画だっけ、空から女の子降ってくるやつ」


あった気もするけど、少なくとも上履きが脱げて落ちてくる、なんて間の抜けたシチュエーションじゃなかった気がする。

冷静にツッコミを入れても、日向くんはそうだっけと腕を組んで小首をかしげた。


「でもさ!」


すぐまた表情を変える。


さんのこと、守れてうれしかったっ」


日向くんは迷いなく言い切る。

なんで、そんな、すぐ、そういう……


さん? あっ、行かないとな」


黙り込んでしまった理由を、日向くんは私が卒業おめでとう会に行こうとしていると勘違いしたようだった。

行こうって、いつもみたく廊下を歩きだしている。

私の歩みに合わせて歩く速度がゆるやかだった。
大きな一歩で追いついた。


さん?」


日向くんの後ろの制服を引っ張る。

日向くんは静止に合わせて足を止め、後ろにいる私の方に少しだけ振り向いた。

ぎゅっと、日向くんの制服の布をつまんだまま、一気に緊張した。


さん、どうしたの?」

「え、と」

「もしかして、足痛い? 保健室「行かなくいい」


なんとか発せた言葉の響きは、可愛げの欠片もなかった。

緊張から声までこわばっている。

もう、ちゃんとしなくちゃ。ちゃんと、ちゃんと……


「あ!」


日向くんが声を上げた。

横の壁を見つめている。
視線の先を追いかけると、お知らせや図書館通信のプリントが貼られている中に、部員募集中のポスターを見つけた。

私たちのよく知る、バレーボール部、男子。

日向くんの制服から手を外し、そのポスターと向き直った。

日向くんがポツリと続けた。


「ここ、許可出たんだ」


部員を探していた時のことを思い出しているのかな。

この場所は展示物が集まっていることもあって、私たちの一番最初にポスターを描いたときは貼ることを却下された。

よく覚えている。

限られたスペースなんだ、物事には優先順位がある、だったっけ。


日向くんの横顔を盗み見て、後輩たちが一生懸命描いたであろうポスターをもう一度眺めた。

塗りは雑なところもあるけど、くっきりとしたカラーで、文字も読みやすい。

なんでここに貼ってあるか、理由を思い出した。


「4月じゃないから」

「へっ?」

「ここ、4月は他の部活が使うけど、3月までならいいって言われたんだって」


メールで教えてもらったのを思い出す。

新入部員が一番入る時期は、1年生が部活を選ぶ4月。
この3月に新しく部活を探す人なんていないから、目立つこの場所もポスターを出してもいい。
そもそも人気の部活は貼ろうともしない。

でも。


「うれしいよね、バレー部が続いてくの」

「そう、だね」


同意はしてくれたけど、ポスターをまだ見つめる日向くんの眼差しは、たぶん、私が見ている景色と違った。

もっと遠くだ。

日向くんの未来は、ここじゃない。



「おめでとう、日向くん」


唐突すぎたようで、日向くんは目を丸くした。


「烏野合格っ」

「あ、あーっ! 受かった!!」


日向くんは満面の笑みを作ってピースサインをした。

同じようにポーズを合わせて続けた。


「ちゃんと顔合わせて言いたかったの、おめでとうって」


男子バレー部、部員募集中。

その文字を見つめると、この3年間を思い出す。


「日向くんのバレー、はじまるね」


なんだか、ドキドキしてくる。

それは、いい刺激だった。


「高校でどんなバレーするのか、私、楽しみ」


やっと6人のバレーができる。


3人じゃなくて、

4人じゃなくて、

2人でも、なくて、

1人じゃない、バレーボール。


「日向くんより楽しみにしてるかも、って前も言ったけど」

「ありがとう」


日向くんはポスターから視線を下げ、こっちを向いた。


さん、ありがとう!!」


向けられる笑顔がまぶしい。

照れくさくて、髪を撫でつけつつ、どういたしましてと口走った。


「日向くん、そろそろ」

さん、一回だけやんない?」

「えっ」


目的語のない誘い文句だったけど、日向くんのこの表情、このキラキラとした感じ……わかるに決まってる。


「日向くん、時間」

「一回だけっ、一回でいい!」


日向くんが両手をパチンと合わせて言った。


さん、トスお願いします!!!」


ず、るいなあ。


「ありがとう、さん!」

「……私、まだやるって言ってない」

「ボールならそこ! 隠してあるっ」

「また!?」


前も何だっけ、隠し球があるって下駄箱だったかから持ってきてたのを思い出す。

あ、本当に出てきた。

日向くんはすばやくどこかに姿を消したかと思うと、その手にはバレーボールがあった。


さん、どこでやる?」

「もー……」

「学校でやれんの、最後だし!」

「わかったっ」


ふぅ、と一息ついて観念する。


「ほんとーーーに、一回だけね」

「おしっ、決まり!」

「時間ないし、出たところで」

「そうしよ!!」

「あ、待ってっ」


日向くん、ほんと足早い。

昇降口を出てみると、時間も経っていたせいか、人気が本当になくなっていた。

呼ばれるがまま付いて行き、トスを上げてスパイクを打つくらいならかろうじて問題なさそうな広場に出た。


さんっ!」


日向くんからボールがアーチを描いて飛んでくる。

受け取ったボールはコンディションがよくなさそうだけど、1回くらいなら、まあ、いいかな。

くるりと手の中でボールを回して見せたものの、少しだけボールの空気、なのかな、気の抜けた感じがする。

けど、時間がない。

日向くんは、これまでずっと、こんな風にバレーを続けてきた。


さんっ」

「ん、大丈夫」


準備ができたら、とか、環境が整ったら、なんて言ってたら、きっといつまでも進めない。

今も、できてるとは言い難い、けど。



「いくねーー」


「おーっ」



長く息を吐いて気持ちを整える。


それでも、できることはある。


バレーじゃないけど、お手本みたいなバレーボールには程遠いけど。


想いを込めよう。

丁寧に、ボールを待つ相手に敬意をはらって。




「日向くんっ」




高く、たかく、あげたボールは、青空にくっきりと浮かび上がる。

そのボールを一打、日向くんが振り下ろした手に、ぴたり、ハマった感覚だった。

地面に打ち付けられたボールは一回だけ高く上がり、空気が抜けてきたせいか、いつもよりはバウンドしないで植木に転がっていった。

日向くんはトスの気持ちよさからか声を上げたのち、勢いよく草木に突っ込んでいった。

だ、だいぶ枝が引っ掛かってたけど、大丈夫かな。


「!」


ぴょこっと緑の中から日向くんの顔が出てきてビックリした。


さん!」

「……おめでとう会」

「もっかい!」

「おめでとう会はじまる」

「いま、今、すげーいい感じじゃなかった?

 さんもそう思わないっ?」


このまま日向くんと話してると、第二のトス、その次のトスを強請られそうで(さらには断れなさそうで)、そそくさと下駄箱まで逃げた。

自分たちのところを覗くと、日向くんと私の外履きしか残っていない。

卒業おめでとう会ってどこでやるんだっけ、たしか学校じゃなかったはず。


さん!」


日向くんの手首を掴まれて、びくっと肩を上下させると、日向くんが笑って首を横に振った。

さすがに2回目のトスは諦めたらしい。

けど、ずるずると引っ張られる。


「ど、どこ行くの」

「ボール、かたづけるっ」


日向くんは私の手首をつかんだまま、外に出た上履きのままズンズンと廊下を突き進んで、空っぽの多目的室に入り、空いていた後ろの棚にボールを入れた。


「これでよし!」

「いいの? 体育館に戻さなくて」

「前からここにずっとあるやつだから」

「そっか」

「行こっ」


たった一回のトス、なのに、日向くんは卒業式で見た時よりずっと活き活きとしていた。

バレーボールって魔法みたい。


「あ!」


今度は何かと聞く間もなく、別の教室に引っ張り込まれた。

なんで、ここ。


「みんなのところに行く前に!」

「へっ」



抱きしめられた、資料室の中。



next.