待ち焦がれていた公式試合は、こうもあっけなく終わってしまうのか。
少しだけ赤みが残る目元を鏡で確認する。
もう泣きやまなくちゃ。私が泣いたってしょうがない。
観客席から出口に向かいつつ自分を叱咤して、手鏡をカバンにしまった。
少し先を歩いていた友人のとなりに並ぶ。
悲しみが抜けきらなくても気持ちを切り替えようと、わざと会話を弾ませた。
どっちにしろ、助っ人2人に一年生3人のチームで勝ち続けるなんて不可能だ。
いつ負けるかの話であって、それが今日の第一試合だった、というだけだ。
あ、また泣きそう。そう思った時だった。
「あれ、夏目!」
その声は、泉君だ。
どきりとしつつ視線を向けると、臨時バレー部2人の泉君、関向くん、それに…日向君がいるのがわかった。
「二人とも観に来てくれてたんだ」
「まあね。雪が丘中の代表だから当然ですよ」
「千奈津ってそんなキャラか?」
「コージーに言われたくない」
「あれ、二人って仲いいんだっけ?」
「幼馴染」
「幼馴染なんだよね」
「声かぶった」
「やめてよ」
「千奈津が重ねてきたんだろ」
友人含めて3人の会話が弾んでいく。
私は日向君を見て、日向君も私を見ていた。
言葉が出てこない。何か言いたいのに、なにもあげられるものがなくって戸惑っている。
日向君を困らせたくないのに。
何か、なにか言わなくちゃ。
先に日向君が口を開いた。
「さん。ごめん、…負けた」
日向君の瞳が光っているように見えた。
それを見て、私の視界もにじみはじめる。
「…うん、ううん」
それしか返せなかった。たぶん二人同時に視線を外したと思う。
日向君も泣いていたかもしれない。
目元をぬぐっていたせいで、日向君がどんな様子だったか直接確認できなかった。
「そうだ、バス!も乗るよね?」
「の、乗るよ」
「じゃあ、うちら行くから」
「俺らも帰るよ。ねえ、翔ちゃん」
「じゃー、バス停行こうぜ」
1年生部員は先に帰っていたらしい。
バス停に5人で向かうとき、前3人は会話は弾んでいたけど、その後ろを歩く日向君と私はなにも話さなかった。
話題を振ってもよかったけど、なにも出てこなかった。
おつかれさま、かな。
がんばってたね、かな。
最後のスパイク、惜しかったね、かな。
ひらり、ひらりと言葉は浮かんでは、言葉になる前に私の中で溶けて消えてしまった。
どれも正解のようで不正解だった。
バレー部、やめちゃうの?
そんな質問も浮かんだけど、これは反語だと思った。
やめちゃうの?じゃなくて、やめないで。
自分のエゴが垣間見えて落胆する頃、バスがちょうど停まっていて5人で乗り込んだ。
「…疲れた?」
「全然。一試合しかしてないから」
「そっか」
気の利いたことが言えない私はなんとか日向君に話しかけられたけど、やっぱり胸が詰まってそのまま口を結んだ。
一試合しかしてない。その通りだ。
日向君はあれだけバレーがしたかったのに、コートに立てたのは中学3年間で今日のひと試合だけだ。
何も言えない私への助け舟かのようにバスが走り出す。
『手すり掴まれる?』『大丈夫だよ』ってありきたりなことをしゃべってから、友人達3人の会話に参加し、そのうち皆と分かれた。
バス停を降りて、家に向かう…はずなのに、足取りが重い。
もやもやが収まらなくて、かといって自分がどうしたいのかもわからず、途方に暮れたまま歩いていたら、いつの間にか学校に向かっていた。
こんな時間は誰もいない。それに、学校に行きたい訳じゃない。
そうだ。
思い付きのまま、記憶をたどる。
今年の1月に日向君と歩いた道、その道の先にはあの小さな鳥居がある。
あの時は日向君に連れられて行くままだった。ちょっとずつ、道を思い出す。
次第に暗くなってきた空を見上げて、星を探してみる。あの時は日向君にオリオン座を教えたんだっけ。
春が訪れた夜空には、もうオリオン座らしき星々を見つけ出せなかった。
「!!」
人気のない道まで来ると、草陰でがさっと音がするだけでびっくりしてしまう。
もう帰ろうかな。どっちにしろ、ここに何かがある訳じゃない。
そうは思うのに足は動いていた。“怖い、帰りたい”って言葉がたくさん浮かんでも、行くしかない。
なぜか行きたかった。
日向君が連れて行ってくれたあの場所に行って、神様にでも話を聞いてもらいたかった。
「!」
今度は物音じゃなかった。
「ひな、たくん…」
坂の向かいから歩いてきたのは、バスで見た時の日向君そのままだった。
「さん…」
「ぐ、偶然だね。えっと、じゃあね?」
じゃあねっておかしいかな。おかしいよなあ。今日本当にダメだ。ろくなことが言えない。
焦る私の横を日向君が通り過ぎるものだと思っていた。
「あっち、行くの?」
日向君は片手で背後を示した。
あの小さな神社がある場所だ。
「う、うん」
「一緒に行っていい?」
「え」
向かいから歩いてきたということは、日向君は今しがたあの場所に行っていたんじゃないかな。
「おれ、いない方がいい?」
「うっううん!そんなことない。行こう」
「うん」
どっちでもいい。日向君が一緒に行きたいならそれでいい。
ドキドキと気持ちが高まるのは、恋なのか緊張なのか、どっちだろう。
日向君に会いたくてたまらなかったのに、隣にいるだけでこんなに胸が苦しい。
このままこの細道が続いていけばいいのに。そう願ううちに、前に見た鳥居が見えてきた。
「あ…」
近づくと、お供え物を置く場所にはすでにあめ玉が置いてあった。
前に来た時に日向君が置いたキャンディーと同じだった。
「先におれだけで来たんだ」
「…そっか」
「さっき、さんに声かければよかった。会えたからよかったけどさ」
「うん…、会えると思ってなかった」
でも、日向君に気持ちは通じているかもしれないという予感はあった。
恋とかの類じゃなくて、表現しがたい行き場のない想い。
大それたことだけど、ずっと見てきた私だから少しでも近づけたナニか。
「私も神様用にアメあるんだ」
日向君が置いたあめ玉のよこに置いて、並べてみせた。
しゃがみこんで、黙って手を合わせる。
何を聞いてほしかったんだっけ。自分で来ておきながら、我ながら神様に失礼なことを言っているなと思った。
ひとまず感謝をする。ありがとうございましたって。
神様のおかげで1年生が3人も入ってくれたのかもしれないし。
「もういいの?」
待っていてくれた日向君に首を縦に振ってみせた。
「うん、大丈夫」
今日来た理由は願い事じゃなかったから、もう十分だった。
むしろ、今ここにいてくれる日向君と話したかった。
夜風が日向君の髪を揺らした。
「今日、試合来てくれてありがとう」
日向君の視線は真っ直ぐだ。
綺麗な瞳だと思った。私を見てくれているのがもったいなかった。
「応援するって約束したから」
俯きつつ答える。
試合直前はあまりきちんと応援できてなかったから、少しだけ罪悪感があった。
日向君はいったん黙ったけど、何か言いたそうなのはわかったから、私も口を閉じて待った。
「…座る?」
日向君は、小さな鳥居の脇にあるベンチを指さした。
「い、いいよ。立ったままでも」
「……」
「あ、座る?座ろっか」
立ったままでいいと言ったのは、座ったら壊れてしまいそうなベンチに見えたから。
座ろうって言ったのは、もしかしたら話が長くなりそうで日向君が私に気づかってくれたかもしれないとわかったから。
私が早く帰りたがってるみたいに聞こえても嫌だ。
どっちでもよかった。
私は、今、日向君といたい。
「ぎしっていった」
「うん。ギリギリのとこで、なんとかバランス保ってるね、このベンチ」
「だね」
「……」
「……」
「…話、聞くよ、私でよかったら」
さらに間をおいてから、日向君は言った。
「さん、優しいよな」
急に微笑まれて、さっと視線をそらしてしまった。
「そ、んなことないよ」
「優しいよ。…優しい」
日向君は言葉をかみしめるように言った。
勿体ない言葉をもらっていたたまれなかったけれど、お礼は口にした。
本当はこっちがお礼を言う方だ。日向君から、いろんなものをもらってる。
「おれさ、…コートにいたかった。
もっと、いたかったんだ」
「うん…」
そうだろうなって。
やっとたどりつけた場所だったのに、あの試合だけで終わってしまった。もう二度と行けない舞台。
「コージーとイズミンに助っ人入ってもらって。さんにもいっぱい、いっぱい手伝ってもらって、…やっと1年3人入ってくれて、6人で、バレー…」
日向君の声が震えた。
横目で見ていた日向君の膝の上のこぶしが震えていた。
私は空を見上げた。
日向君の震えが空気を伝って届いている気さえした。
嗚咽が聞こえてきて、私はいっそう空を見上げた。お月様がきれいな夜だった。眩しいくらいに輝いていた。
太陽みたいな日向君が隣にいたからかな。そんなバカことを考えて、涙に気づかないふりをした。
「あの…ティッシュ、いる?」
「ある。大丈夫」
少しの時間だったか、いっぱい待ったかはよくわからない。
隣で日向君が鼻をかんで、一呼吸着いてから続けた。
「おれ、勝ちたいよ。勝ちたい。もっと、もっとバレーしたい。おれ、…足りないものがいっぱいあるんだ。全部、足りてない」
言葉に、ならなかった。
「さ、」
触れた、日向君の手は熱かった。
next.