「…あの、ね」
手が伸びていた。
何を思ったのか自分でもわからない。
気が付いたら、日向君の左手に自分のを重ねていた。
当然、驚いた日向君がこっちを見る。
私も自分自身にびっくりしていた。同時に、自分の気持ちを手玉に取るような冷静さもあった。
それは、乱暴で、無作法で、勝手な感情だった。
ここにいるんだよ。
日向君がバレーできるのを心待ちにしている人、いるんだってば。
ただ伝えたいだけの私がいた。
(ひとりじゃないよって伝えたいだけだった)
私は、ずるかった。
そのまま全部日向君に言えばいいのに。
言ってしまえば自分勝手さを認めてしまうから、かっこ悪くて、表現できない。
そのくせ、気持ちだけは先走って、日向君の手をつかんでいた。
この手を振り払われたらショックだったけど、振り払ってほしいとさえ思った。そうしたら、きっと、私は諦められる(こんなところもずるい)
「あの…、…見たかった」
まばたき、しちゃダメだ。
「コートにいる日向君、もっと、見てたかった」
まばたき、ダメなのに。
絞り出した言葉と、落ちた涙。
日向君に、全部、ぜんぶ通じて、嫌われちゃえばいい。こんな自分、はじめてだ。どうしたらいいんだろう。
ようやく日向君の手を離せた。
「ごめんね、日向君」
日向君の温もりがまだ残る手で目元をこすった。
まばたき、ダメだったのに、しちゃったら、涙、こぼれた。
風がまた吹いて、濡れた頬には冷たく感じた。
ふと頬に何かが触れた。
日向君がタオルを当ててくれたんだと気づいた。
「ごっごめん、きれいなの持ってなくて。でも、こっちの方はあんま使ってないから。あ、汗くさいかもしんないけど」
「あ、ありが、と」
タオルを受け取って、そっと顔に当てると、お日様のにおいがした。
ほっとして、また泣いてしまいそうだった。
「泣かないで、さん」
日向君の困った声は、とてもやさしかった。
「うん……、ごめん」
「じ、っじゃなくて!泣くのよくないって訳じゃなくてさ、その」
日向君は、困惑した様子で髪をわしゃわしゃっと乱暴にかいた。
「な、泣いてほしくない。さんの涙、もったいないよ、こんな、今日のことで」
「……」
「さっき、その、おれも……だったけど、や、やっぱりさ、バレー…すげーー、したいって思ったんだ。もっと、もっとしたい。だから、いろいろ、足んないって気づいた。練習も、バレーの経験も、全部」
日向君は懸命に言葉を紡いだ。
その瞳は、もっと先を捉えているようだった。
「おれ、勝ちたい。今日の…“王様”だって倒して、最後までコートに立ってみせる。
今度は、烏野で」
雨上がりの青空みたいだった。
日向君の、笑顔。
「そしたらさ。
さん、おれのこと、見てられるよ、もっと」
「う…、うん。そうだね」
「あ!いや、えっと、き、強制じゃないんだけどさ。応援って無理してやってもらうもんじゃないし、見ててさん楽しいかどうか…」
「ううん。無理、してない。してないよ」
タオルはもう必要なかった。
「優しいの、…日向くんだよ」
私のどうしようもなかった気持ち、ちょっとは軽くなったから。
照れた様子で日向くんが頬をかいて、空を見上げた。
つられてさっき見つめたお月様を眺めた。
「タオル、洗って返すね」
「いいよ、どーせ洗濯するし。貸して」
「あ、ごめん、…汚しちゃって」
「全然! 女の子の涙はキレイなものって聞いたことあるし」
「うっ…、私はそんなことないし、…そもそもごめんね、なんかいろいろ」
泣きだしてしまったことや、自分がしでかしてしまったこと(日向君の手を握ってしまったこと)を今さら実感して気恥ずかしくなってきた。
日向君もそれを察してか、慌ててフォローしてくれた。
「いや!ほ、ほら…、おれも、その…かっこわるいところ、見せちゃったから。お互い様じゃん?」
日向君ははにかんだ様子で、小指を差し出した。
「今日のこと、さんとおれ、二人だけの秘密にしよう」
「!」
「ねっ」
私はおずおずと自分の小指を同じ高さまで上げてみせると、日向君の小指がすぐに絡んだ。
「ゆーびきり、げーんまん、うーそついたら、はりせんぼん、のーます」
ゆび、きった!
指が離れた。
日向君がじっとこちらを見るから、私もそのまま見つめ返した。
はりきった指きりの時より落ち着いた声で、日向君は言った。
「…もう、泣かせないから。今日みたいなかっこわるいところ、さんに見せないようにがんばる」
「が!がんばらなくていいよ」
もう、いっぱい頑張ってる。
喉元まで出かかった言葉を押しとどめた。
「だいじょーぶ、がんばれる。今、すげぇやる気出たんだ。ほんとにっ」
「!!」
「ごっごめん!」
日向君がぴょんっとベンチから立ち上がると、ぎしぎしと揺れるベンチがバランスを崩しかけた。
な、なんとか壊れずに済んだ。私も合わせてベンチから立ち上がる。
「帰ろう、もう遅いし」
「そうだね」
「あー、なんかはらへったなー。あ、そういえばさ、来る途中にラーメン屋、見つけたんだ。一緒に行ってみない?」
「い、行く」
「おっし、決まり!」
鳥居の向こうにいるであろう神様に会釈してから、歩き出した。
「来る途中にラーメン屋さんなんかあったかな」
「少し脇道にそれたところに提燈がかかってた」
「ラーメン屋さんに提燈…」
日向君の話に相槌を打ちながら、記憶をたどった。
そういえば、そんな提燈を見かけた気がする。
といっても、つぶれかかった廃墟の中にぽつん、とあるだけで、一体何のお店だろうとしか思っていなかった。
そもそも今もお店なんだろうか。
「いい匂いしてたんだ!」
日向くんが声を弾ませて言うから、自分一人じゃ絶対に近寄ろうとも思わないけど、行ってみようと決意した。
実際辿り着いたお店は、やっぱり予感していた通り、入るのも戸惑うレベルの外観で、予想通りの内装で、店長のおばあさんも雰囲気がありすぎで、とてつもなく怖かった。
ただ、ラーメンは美味しかったのは本当だ。
衝撃的すぎたせいで、今日の夢にも出てきた。
向かいに座ってる日向君はしあわせそうで、いろいろおしゃべりもした。
何を話したか思い出せない。
朝起きたら、はずかしくてしあわせだった。
next.