ハニーチ

スロウ・エール 28



「…あの、ね」


手が伸びていた。

何を思ったのか自分でもわからない。

気が付いたら、日向君の左手に自分のを重ねていた。

当然、驚いた日向君がこっちを見る。

私も自分自身にびっくりしていた。同時に、自分の気持ちを手玉に取るような冷静さもあった。

それは、乱暴で、無作法で、勝手な感情だった。

ここにいるんだよ。
日向君がバレーできるのを心待ちにしている人、いるんだってば。

ただ伝えたいだけの私がいた。
(ひとりじゃないよって伝えたいだけだった)


私は、ずるかった。

そのまま全部日向君に言えばいいのに。
言ってしまえば自分勝手さを認めてしまうから、かっこ悪くて、表現できない。

そのくせ、気持ちだけは先走って、日向君の手をつかんでいた。
この手を振り払われたらショックだったけど、振り払ってほしいとさえ思った。そうしたら、きっと、私は諦められる(こんなところもずるい)



「あの…、…見たかった」



まばたき、しちゃダメだ。



「コートにいる日向君、もっと、見てたかった」



まばたき、ダメなのに。


絞り出した言葉と、落ちた涙。
日向君に、全部、ぜんぶ通じて、嫌われちゃえばいい。こんな自分、はじめてだ。どうしたらいいんだろう。


ようやく日向君の手を離せた。



「ごめんね、日向君」


日向君の温もりがまだ残る手で目元をこすった。
まばたき、ダメだったのに、しちゃったら、涙、こぼれた。
風がまた吹いて、濡れた頬には冷たく感じた。

ふと頬に何かが触れた。
日向君がタオルを当ててくれたんだと気づいた。


「ごっごめん、きれいなの持ってなくて。でも、こっちの方はあんま使ってないから。あ、汗くさいかもしんないけど」

「あ、ありが、と」


タオルを受け取って、そっと顔に当てると、お日様のにおいがした。
ほっとして、また泣いてしまいそうだった。


「泣かないで、さん」


日向君の困った声は、とてもやさしかった。


「うん……、ごめん」

「じ、っじゃなくて!泣くのよくないって訳じゃなくてさ、その」


日向君は、困惑した様子で髪をわしゃわしゃっと乱暴にかいた。


「な、泣いてほしくない。さんの涙、もったいないよ、こんな、今日のことで」

「……」

「さっき、その、おれも……だったけど、や、やっぱりさ、バレー…すげーー、したいって思ったんだ。もっと、もっとしたい。だから、いろいろ、足んないって気づいた。練習も、バレーの経験も、全部」


日向君は懸命に言葉を紡いだ。
その瞳は、もっと先を捉えているようだった。


「おれ、勝ちたい。今日の…“王様”だって倒して、最後までコートに立ってみせる。
今度は、烏野で」


雨上がりの青空みたいだった。
日向君の、笑顔。


「そしたらさ。
さん、おれのこと、見てられるよ、もっと」

「う…、うん。そうだね」

「あ!いや、えっと、き、強制じゃないんだけどさ。応援って無理してやってもらうもんじゃないし、見ててさん楽しいかどうか…」

「ううん。無理、してない。してないよ」


タオルはもう必要なかった。


「優しいの、…日向くんだよ」


私のどうしようもなかった気持ち、ちょっとは軽くなったから。

照れた様子で日向くんが頬をかいて、空を見上げた。
つられてさっき見つめたお月様を眺めた。



「タオル、洗って返すね」

「いいよ、どーせ洗濯するし。貸して」

「あ、ごめん、…汚しちゃって」

「全然! 女の子の涙はキレイなものって聞いたことあるし」

「うっ…、私はそんなことないし、…そもそもごめんね、なんかいろいろ」


泣きだしてしまったことや、自分がしでかしてしまったこと(日向君の手を握ってしまったこと)を今さら実感して気恥ずかしくなってきた。
日向君もそれを察してか、慌ててフォローしてくれた。


「いや!ほ、ほら…、おれも、その…かっこわるいところ、見せちゃったから。お互い様じゃん?」


日向君ははにかんだ様子で、小指を差し出した。


「今日のこと、さんとおれ、二人だけの秘密にしよう」

「!」

「ねっ」


私はおずおずと自分の小指を同じ高さまで上げてみせると、日向君の小指がすぐに絡んだ。



「ゆーびきり、げーんまん、うーそついたら、はりせんぼん、のーます」


ゆび、きった!


指が離れた。

日向君がじっとこちらを見るから、私もそのまま見つめ返した。
はりきった指きりの時より落ち着いた声で、日向君は言った。


「…もう、泣かせないから。今日みたいなかっこわるいところ、さんに見せないようにがんばる」

「が!がんばらなくていいよ」


もう、いっぱい頑張ってる。
喉元まで出かかった言葉を押しとどめた。


「だいじょーぶ、がんばれる。今、すげぇやる気出たんだ。ほんとにっ」

「!!」

「ごっごめん!」


日向君がぴょんっとベンチから立ち上がると、ぎしぎしと揺れるベンチがバランスを崩しかけた。
な、なんとか壊れずに済んだ。私も合わせてベンチから立ち上がる。


「帰ろう、もう遅いし」

「そうだね」

「あー、なんかはらへったなー。あ、そういえばさ、来る途中にラーメン屋、見つけたんだ。一緒に行ってみない?」

「い、行く」

「おっし、決まり!」


鳥居の向こうにいるであろう神様に会釈してから、歩き出した。


「来る途中にラーメン屋さんなんかあったかな」

「少し脇道にそれたところに提燈がかかってた」

「ラーメン屋さんに提燈…」


日向君の話に相槌を打ちながら、記憶をたどった。
そういえば、そんな提燈を見かけた気がする。
といっても、つぶれかかった廃墟の中にぽつん、とあるだけで、一体何のお店だろうとしか思っていなかった。
そもそも今もお店なんだろうか。


「いい匂いしてたんだ!」


日向くんが声を弾ませて言うから、自分一人じゃ絶対に近寄ろうとも思わないけど、行ってみようと決意した。

実際辿り着いたお店は、やっぱり予感していた通り、入るのも戸惑うレベルの外観で、予想通りの内装で、店長のおばあさんも雰囲気がありすぎで、とてつもなく怖かった。
ただ、ラーメンは美味しかったのは本当だ。
衝撃的すぎたせいで、今日の夢にも出てきた。

向かいに座ってる日向君はしあわせそうで、いろいろおしゃべりもした。
何を話したか思い出せない。

朝起きたら、はずかしくてしあわせだった。

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