ハニーチ

スロウ・エール 29


日向君の公式試合は、確かに存在したのかな。
あの北川第一とやったのは夢の中で、本当はこれから始まるんじゃないかな。

寝ぼけたことを思ってしまうくらいに、いろんなことが詰まった一日を思い返す
もう、終わってしまった。

鞄から取り出したままの、もう使わない対戦表と、試合日程のプリント。
受け取った時はこれからを想像して緊張感したんだった。
印字された日付はもう過去だ。

全部、終わってしまった。

私は、今もその余韻で胸がいっぱいになる。
日向君はどうだろう。



「はーい、集合ー」


すっかり朝日が差し込む体育館、私は気持ちを現実に引き戻す。
女子バレー部の3年生が並ぶ。


「えっと、じゃあ撮るよ」


余韻に浸っている場合じゃない。今を生きなくちゃ。今が、どんどん刻まれていく。


「ごめん、山田さん、もうちょっと寄ってもらっていい?」

「うん、りょーかい。ほら、もうちょっとぎゅっと寄って!ぎゅっと!あ、2年混ざんない!あんた達は来年!」

「あ、山田さん、オッケーだよ。撮るねー」


デジカメで皆の顔がはっきり映るように焦点を当てる。


「はい、…ちー、ず」

「ちーーず!」

「あ、もう一枚行きます」

「はーい」


ぱしゃ!

ぱしゃ!ぱしゃ!

私がデジカメで撮った背後から、別のシャッター音がした。
どうやら、2年生たちがスマホで3年生を撮影したらしい。
賑やかな雰囲気に、私もつられて楽しくなった。


「協力ありがとー」

さんも朝練に付き合ってもらってありがとね。ほんっと間が悪いんだ、うちの連中」

「しょうがないよ、この時期、皆いろいろあるし」

さんはやっぱ優しいなあー。あ、画像見ていい?」

「どうぞー」


本日の卒業アルバム撮影、1番目は女子バレー部。
3年生が全員集まれる一番早い日が朝練の時、というから、私も頑張って早起きした。
すべての3年生を写真に収めるためだ。これくらい大丈夫。

女バレの山田さんは前から話を聞いてもらってるから、都合もつけやすくて助かった。卒業アルバム委員は、意外と撮影部隊として忙しい。


「もう全部の部活撮った?」

「ううん、バスケ部は今日の放課後で、吹奏楽部はパート別だから昼休みも撮りに行かないと」

「うえー、たいへーん」

「山田さんの方が大変じゃない? 試合、勝ったんだよね。おめでとう」

「ありがとう!ほんと…、勝てて、よかった」


いつもクラスで見かける子なのに、じんわりと勝利を噛み締める姿がまぶしく見える。
同じ日の大会、私は日向君だけを追っていたけど、本当は、いろんな人たちの“瞬間”が動いたんだ。
自分のちっぽけさを目の当たりにした気がして、一つ気合いを入れた。


「や、山田さん!」

「なに?はい、カメラ」

「あ、カメラは、うん」

「ん?」

「あの、お、お願いがあって」


改まって、かしこまって、勢いをつける。
こないだの日向君とのラーメン、その時に託された重要な任務を果たす時が来た。



「あ、日向君っ」

「おはよう、さん!早いね」

「あのさ、今日の放課後、大丈夫だって」

「え!ほんとに!?やったー!」


日向君が両手を差し出すから、私も嬉しさのまま、ぱん、と音を立てて合わせた。


「そこのお二人さん、何騒いでんの」

「なっちゃん、おはよう」

「夏目、はよ!」

「おはよ。その短い会話で何を話してたのさ」


日向君から言うかな、と少し見守っていたけど、話を濁して行ってしまった。
さすがに恥ずかしいのかな、そうだよね。

友人が私の肩を小突いた。


「二人だけの秘密?」

「なにその言い方。違うよ」


友人の言葉に、あの鳥居の前の出来事を思い出したけど、今はその話じゃない。
日向君には口止めもされていないし、どうせバレー部の子から話はいずれ漏れるだろうから、話してしまった。

女バレの練習に、日向君達が参加させてもらえること。

私は、その仲介役を頼まれた。


「へー、とうとう女バレになるのか」

「都合がつく日に混ぜてもらうだけだよ」

「女バレじゃん」

「なっちゃん。茶化さないでね、待望の一年生達もいるんだから、恥ずかしがっちゃう」

「どういう風の吹き回し?今まであんなに男子バレー部だーって言い張ってたのに」

「まあ、うん…そうだね」


あの試合があったから。
女子に混ざる恥ずかしさより、ずっと、ずっとバレーがしたいんだろうな。

そんな日向君を思うと、胸がギュっとする。

友人と教室に向かいながら、窓の外を眺める。
あんなに小さかった黄緑の葉も、もう立派に成長している。時間が過ぎていく。


の提案?」

「女バレのこと? 違うよ。日向君から頼まれたの」


真向いに座った日向君を思い出す。
がたがた揺れる椅子に、薄暗い店内、メニューの貼り紙だらけの壁、違う意味のドキドキでいっぱいだったあの時、ラーメンを口にしながら、日向君が切りだしたんだった。

手伝えることがあって、うれしかった。



、いよいよマネージャー就任?」


からかいのニュアンスを持って友人が私の顔を覗き込む。
自分の席に向かいながら、少しだけ間を置いて答えた。


「それも、悪くないかも」


思わぬ返答に、友人も目を丸くした。
私は、自分の席に着く。


現代文の問題風に言うなら、心境の変化を述べよ、といったところだろうか。
そんなおおげさなものじゃないけど。

ただ、あれだけマネージャーはやらないって、他のやりたいことをやるんだと決めてい固い決心みたいなものがなくなった気がする。
ちょっとずつだけど、バレーに対する心境も変わってきた。


全部、日向君を見ていたから。

日向君のそばにいたら、私の抱えていたこだわりなんか、どうでもよくなってくる。
もっと、もっと一緒に前へ進みたいって思えてくる。


試合前の体育館に足を踏み入れることが億劫だったはずなのに。

今の私は、あの真剣な空間に、難しい理屈はいらないんだと知っている。



「次、さん」

「はい」



私は立ち上がった。

窓の外の若葉すらこうも変われるなら、私たちはもっと変われるはずだ。






*






「今回の模試の結果は人それぞれだと思いますが、これから夏が来るので、まだまだやる気次第で変わるから、気を落としすぎないように。雪が丘で過ごす青春も勉強も、両方いいとこどりしちゃってください。

…はい、じゃあ、号令」

「きりーーつ、礼」


がやがやとクラスが騒ぎ出す。
手元にはさっき配られた模試の結果は、先月受けたばかりのものだ。


部活が落ち着いた人も増えてきた。
そうなれば、次の大きなイベントは受験だ。

私も親に塾を勧められたりもするので、ちょっとしたストレスだ。

模試の結果を見る限り、烏野高校なら合格圏内なんだから塾に行かなくても、という気はするけど、油断は禁物だろう。


「おい、日向、息してないぞ!」
「翔ちゃん、しっかり!」


背後を見ると、机に突っ伏したまま動かない日向君がいた。

…ぜひとも頑張ってもらいたい。
烏野で、日向君がバレーするところ、見たい。
いや、例え、違う高校でだって応援する。
きっと日向君はどこにいたってなにがあったってバレーと向き合うはずだ。私と、違って。





*






さん、なにやってんの?」


声のする方を見ると、日向君が階段から上がってきたところだった。
ちょっとした休み時間はまだ少しだけ残っていた。


「撮影中なの、アルバム用の」

「あ、卒アルかあ。さん、委員だよね。あ、オレも今度撮ってくれんの?」

「もちろん」


ぱしゃり、とふざけて今の顔をそのまま撮影してしまった。
日向君が驚いていた。


「え、な、いい今、撮った!?」

「うん、撮っちゃった。ごめんね」


ちょっとだけふざけてみた。これくらいできる自然な緊張感がうれしい。

日向君が窓ガラスに映る自分を見ながら、髪を指先でつまんだ。


「どーせ撮るならもうちょっとかっこいいのがいい!」

「かっこよかったよ?」

「ほんと?」

「前髪ちょっとあれだったかも」

「ほらー!」

「うそ、ごめん、今のはもう削除するから」

「えっ」

「あ、ひとりの写真は基本ダメなんだ。ルールがあって、3年生全員を映すとか、2人以上一緒に映すとか」


そうでもしないと、デジカメで遊ぶ生徒がいるからだろう。
現に、あんまりふざけない私でも、つい遊んでしまった。
惜しいけど、さっき撮った日向君の画像は削除した。


「どんなの撮ってんの?」

「今のは廊下、それに階段も」


どの場所も卒業したらきっと懐かしいはずだ。
もうカウントダウンは始まっている。

日向君が近づいてきてデジカメをのぞきこむ。
距離が縮まって、やっぱり少しずつ鼓動が早くなった。
慣れないなあ、誰とでも日向君は近づけるのに、と思いつつ、何を撮影したか説明する方に集中する。


「おお!美術部すげー!」

「ね、作品と一緒に映ってもらったから」

「絵、でっかい! こんなの美術室にあった?」

「奥の準備室にしまってるみたいだよ。あの中ね、石膏像もあるんだよ」

「石膏像?」

「ほら、あの白い首だけの人形…ていうか、像?」

「あ、前に描かされたやつ!」

「そうそう」


もう2分もしたらチャイムが鳴る。教室に戻らなくちゃ。次は古典だったはず。


「え」


ぱしゃり、音がした。デジカメを持ってるのは私なのに、日向君から音がした。


「撮影」


日向君が笑って、携帯の画面の方を私に向けた。私の、横顔だ。


「!?」

「保存していい?」

「だ、だだだダメ!消して、それだめ!」


よりにもよって髪の後ろが変に跳ねている。絶対寝癖だ、もうやだ。


「さっきのお返し!」

「ごごめんて、悪気はなかったんだよ、ほんとーーに」


私が美人なら気にならないんだろうけど、これは、ダメだ。絶対ダメなやつ、こんなのが日向君の手元に残るなんてありえない。


「あ、消してくれた?」


日向君が携帯をズボンのポケットに入れていた。


「消した」

「そっか」

「今度また撮るから、さんの隙見て」

「な…!」


なんで、言葉にならずに見つめると、日向君と目が合った。


「次は保存する」

「いや、それ困る。すごく、困る」

さん顔赤い」


席に向かう日向君が笑いを噛み締めていた。
やっとからかわれたんだって気づいた。
ずるいなあ、日向君。


next.