ハニーチ

スロウ・エール 31


とある日の昼休み、聞き覚えのある声がした。
声のする方に近づいてみると、日向君が1年生の3人と一緒にバレーをしている。
1年生のみんなも、以前の緊張が抜けているみたいで表情が明るかった。
日向君は、もう一人じゃない。

『もう一回!もう一回だけ!』

あのボールをせがむ声は、これからもずっと聞こえてこない。



「バレー部?」

「!び、びっくりした」

「ご、ごめん」

「こっちこそ、ごめん。おおげさに」

「ううん。翔ちゃん、さっきからやってるよね」

「うん……」


泉君にこうやって声をかけられるのは2回目だ。前は体育館だった。あの時もこんな風に日向君を眺めていた時だ。
変に思われるかなあ。
密かに緊張する横で、泉君が言った。


「1年生といい感じでよかったね」

「うん」


少し間をおいて、泉君が声を落とした。


「……もう、終わったんだよね、あの試合で」


泉君が、この間の一回戦のことを言っているのはわかって、言葉が出てこなかった。
静かに頷くだけだ。

こうして日向君が1年生とバレーをしていても、練習を重ねても、日向君があの真剣な舞台に立つ機会はない。
切なさがこみあげてきて、私がそんな気持ちになってどうすると自分を叱咤した。

日向君はバレーをしたがってたけど、……したかったバレーはこれなのかな。

バレーって、なんだろ。



「泉君、もう部活引退だっけ?」

「うん、実質ね。練習に出てもいいけど、夏は2年生中心のチームだから」

「そっかあ」

「夏の体育館は暑いから今年は楽でいいよ」

「でも、ちょっとさみしい?」

「まあ、どうだろ」


運動系の部活は大会が終わると一気に3年生は引退していく。冬まで残る3年生もいるけど、受験という現実を前にすれば、その選択をする人は少ない。
私の所属する家庭科部は引退のきっかけはあってないようなものだから実感はわかない。
ただ、学校の中の光景が変わるたび、“私たち”の場所は減っていくんだなと思い知らされる。


「あれ、さんもう行くの?」

「うん、じゃあね」


日向君たちに声をかけずに、泉君と分かれた。

日向君はバレーをしているのに、なんで、私、こんな気持ちでいるんだろう。




*





っ」


ひとりで通学路を歩いていると、聞き覚えのある声が車道側から聞こえてきた。

速度を落とした自動車の運転席には、見知った従兄の姿があった。
相変わらず目元はおじいちゃんにそっくりだ。


「乗ってくか?」

「けーちゃん、どうしたの?」

「近くまで配達だったんだよ。そしたら、とろとろ歩いてる中学生がいるなと思ったら、でな」

「とっとろとろしてないよ!」

「そうか?」

「そう!」

「ははっ、乗んないのか?」

「乗るっ、ありがとう」


助手席に座ってシートベルトを付ける。
従兄妹に運転してもらうのは久しぶりだ。それなりにお店は忙しいようで、たまにお店に行っても、従兄妹がいないことが多かった。


「そういや最近じーさんいないだろ」

「うん」


ふられた話題に頷く。
そういえば祖父の家に行っても、以前よりは家を空けているようだった。
身体を壊したわけではなさそうだから、特に理由は聞いていなかったが、従兄妹は事情を知っていたらしい。


「烏野バレー部に力入れてるみたいだ」

「烏野?」

「今年春からだったかな。またやり始めたらしい。今いる連中は、しごかれて大変だろうな……」

「え、かわいそうだね」

「それが部活だろ」


その声は、どこか懐かしむニュアンスが含まれていた。

前にぼやいていたのを聞いたことがある。

頑張っても報われない。ベンチを温めるだけで、練習しても試合に出られない。
それでも、ボールを受ける。ボールを拾う。何度だって壁になる。たった一回のチャンスが来ることを待ちのぞみ続ける。
それを初めて聞いたときは、だったらやめればいいのにって感想だった。
今の私は、日向君を知っている。だったらやめればいいよ、なんて、絶対に言えない。

従兄妹の横顔を眺めながら、バレーってなんだろうと改めて思った。


「……じーさん、無茶しなきゃいいけどな」


ぽつりと続いた言葉に、以前急き込んでいた祖父の姿がよぎった。
怖くなって、窓の外を見た。電灯が一つ、二つと意味もなく数える。返事はしない。
下手に相槌を打ったら、心の中にある心配と不安がふくらんできそうだ。

わざと明るく振る舞って話題を変えた。


「そういえば、けーちゃんはバレーどう?」

「どうってなんだよ」

「いや……、楽しい、かなって」


何を聞きたいか自分でもわからなかった。
ただ、バレーとずっと向き合い続けている従兄妹からすれば、自分よりもバレーに対する解を持っているような気がした。


「まあ、楽しくなけりゃ今も続けないだろうな」

「そっか」

「そういうはどうなんだ」

「どうって?」

「けっこう練習してただろ」

「それは……小学生の話だよ」


中学では、日向君にトスを出したくてやったくらいで、あんなの…練習と呼んだら鼻で笑われそうだ。


「まあ、女ってのはいろいろあるんだろうな」


従兄妹の含みのある言い方に笑ってしまった。


「けーちゃん、女の人と何かあったの?」

「はあ?」

「いろいろあるとか言いだすから。けーちゃんがそんなこと言うの意外」

「なんもねーよ」

「女子高生から告白されたとか!」

「たく、ガキはすぐそれだ」

「けーちゃんが彼女出来たらお祝いしたいもん」

「へーへー」


車から窓の外をしばらく眺めてから聞いた。


「けーちゃん」

「んー?」

「バレー部って、なんだろう」

「なんだ、結局入ったのか」

「私は入ってないんだけど……、友達が、ずっと一人でバレーをやってて」

「ひとりじゃバレーできないだろ」

「できないけど!」


けど、ずっとバレーを続けてる。

やっと部活として認められる人数を集めて、試合に出て、もう終わってしまった。

従兄妹にかいつまんで話をしてみたが、合点がいかないらしかった。
そりゃそうだよなあ、バレーは6人でするものだ。


「サッカーは変な話、スーパー選手がいれば1人でも勝てる。ボールを一人がキープし続けてゴールを決めればいい」


バスケも同じで、ボールを手にしたら誰にも触れさせずにゴールすればいい。
野球だって、もしピッチャーなら、すべての打席を打ち取り、自分で1点でも取って守り切れば、1人でも理屈上は勝てる。


「だけど、バレーは違う。連続してボールを触ることは出来ない」

「そう、だね」

「そいつ、よくやめないな」


従兄に言われて、唇を噛んだ。


「そうだね……」


神様はどうして日向君にバレーを出会わせたんだろう。
バレーができる環境にいる人に、あの熱意をあげればよかったのに。

前から薄々と感じていたことを従兄妹に話してしまった。

応援、……しない方がよかったのかな。

考え出すと答えが出てこず、そもそも日向君に私自身がそこまで影響力があるとは思えないという結論にいつも辿り着くから、深くは考えないようにしてきた。
ただ、他のクラスメイトのように、『他の部活にしたら』と言えばよかったんじゃないかと思う瞬間はあった。
言ったところで、日向君がどうするかなんてわからないけど。


「あー……よくわからねーが、がそいつを応援したとして、その応援は意味はないし、かといって意味がないわけじゃない」


まるで哲学みたいな言い方だ。


「誰かの応援程度でバレーは続けられないってことだよ。何にしても言えることだろうが」

「そう……だね」

「だからって無駄ってわけでもない」

「なぐさめはいいよ」

「慰めじゃねーよ。もあるんじゃないのか?どうしたって苦しい場面でもうやめてしまいたいって思える瞬間、ふっと頭が真っ白になる。そのときに気づくんだよ、声援ってやつに」


もう飛ぶのをやめてしまいたい。もうこの緊張から解き放たれたい。もう結果が出てしまえばいい。自分には、どうしようもできない。


「思考が静まってクリアーになる時があるんだよな。身体は疲れ切ってるのに、なぜか頭の奥底までまっすぐ落ちてくる声が」

「……そんなの、私、経験ない」

はあんまり感情出さねえからな」


自分では出しているつもりだけどと告げると、その程度かと笑われてしまった。

確かに、私は従兄妹ほどにバレーの熱を持っていないし、ましてや日向君ほどの熱量を何かに持ったことはない。
家庭科部も友人に誘われたからだし、勉強も必要だから、委員会も中学最後だからってだけで他のことだってよかった。

私は、羨ましかったのかもしれない。

バレーに出会えた、日向君が。

だから、日向君を応援したくて、もっと見ていたいのかもしれない。

そう結論づくと、自分が情けなくなってきた。ようは、自分が出来ないから他人に期待してるってことじゃないか。


「焦んなよ」


ちょうど赤信号で車がとまったタイミングで、従兄妹の大きな手が私の頭に触れた。
ぽん、ぽんと2回触られる。


「そういうのに出会えるタイミングも人それぞれだ。高校に入ってからかもしんないだろ」


そんな風に言ってもらえると、少しだけ心が軽くなる。

もう家の近くだ。



「けーちゃんって先生に向いてるかも」

「なんだ、急に」

「今の言葉、励まされた」

「そっか」

「コーチもいけるんじゃない? けーちゃんのバレーの教え方上手いし。もし誰かがコーチ探してたら推薦するね」

「へいへい。ほら、着いたぜ」

「ありがと!」


荷物を持って車から降りる。


「おばさんにもよろしくな」

「寄ってかないの?」

「もう遅いからやめとくよ。じゃーな」

「あ!」

「ん?」

「けーちゃん、……ほんとにありがと。だいすき!」


従兄妹は照れくさそうに手を振って、すぐに車を出してしまった。
でも言いたかった。もらった言葉はどれも大切だった。

元気よく家に帰る。ほんのちょっとだけ軽くなった心のおかげか、何をするにしてもやる気が沸いた。早く明日が来るといい。



next.