ハニーチ

スロウ・エール 32


浮かれた気分も一瞬だ。
こんなに晴れやかだった気持ちもすぐ曇る。
その変わりように自分で呆れてしまう。

理由は単純だ。

日向君に、避けられている。



「避けられてる?まさか」

「いや、そのまさか」


がっくりと肩を落として体育館の舞台にもたれかかる。

今日はスポーツ大会だ。
男子は半分はサッカーなのでグラウンド、もう半分はバスケなので別の体育館にいる。

女子はこちらの体育館でポートボールだ。

他の学年もそれぞれスポーツをしているから、試合ではない生徒達で体育館の周りは賑わっている。

友人はペットボトルに口を付けて小首をかしげた。


「今日も普通だったじゃない」

「それはなっちゃんとでしょ、私なんか……!」

「なんか?」


一旦口をつぐんで思い出す。

この間、廊下ですれ違った時だ。


『あ、日向君、おは……『!!』

『ど、どうかしたの?』

『お、おはよ!ちょっと、その……あの、うん、おれ、あっちだからッ』


教室がある方向とは真逆に、日向君は走って行ってしまった。

びくっと何かに怯えるような、緊張しているような、ともかく好意的な行動とは思えず、どうしていいかわからない。
以前のようにクラスメイトにからかわれるのを警戒しているのかとも思ったが、周囲に誰もいない時でも同じ反応だった。

こんなとき、どうすればいいのか。


「メールで聞いてみれば?」

「聞いたんだけど、『さんは悪くないから!!おれの問題!』って返されて…」

「おれの問題ってなに?」

「それがわかんないから……、わかんない!」

「こらこら、自分の手が痛いでしょ」

「……痛い」


想いのままに舞台の床を手のひらではたくと当然ながら痛いのは自分の手の方だった。
友人がひょいと舞台に腰掛けるので、真似て自分も隣に座った。
タオルを固く握りしめて、もやもやとした想いをぶつける代わりに思い切り振りまわしてみた。
当然、気持ちは晴れない。


「なんかしたの?」

「なんにも!何もしてないよ」


バレー部の差し入れも前と変わらないペースだし、女バレとの練習も順調だと聞いている。
クラスで接するときだって、ほんの数日前はにこやかに笑顔で会話していた。


「ねえ、私の気に食わないところ、ある?」

「急に何」

「なんでもいいよ。どんとこい」

「うーん……、勉強してないって言っといてイイ点数とるとこ?」

「な!?」

「でもT君の場合、成績は論外だからなあ」


友人の言葉に反論しようにも、先日の模試の結果を聞かされた身としては沈黙による肯定を示すほかなかった。
友人はちゃぷん、と音を立ててペットボトルを置いた。


「泉にでも聞いてみる?」

「いいよ。なんか、その……ひな」


日向君、と言いかけて周囲に同学年のクラスメイトがたくさんいることを思いだし、言い直した。


「……T君が、自分の問題って言うなら、その、待つしかないし」


言いながら、以前のように話せないことが寂しくも切なくも、悲しくもあった。

バスケ、見ててって言ってくれたのに。
見に行ったら迷惑って事かな。

考えながら、目の前に広がるポートボールの試合に興味など持てなかった。


っち、っちー」

「ん?」


別の友人が声をかけてくる。
他のクラスの子も一緒だ。どうやら吹奏楽部の繋がりらしい。

後ろで何やら楽しそうに話している。
聞いてみなよ。えー、でもー。
どうやら私に聞きたいことがあるらしいが、聞くのを悪いと思っているらしい。

質問するならするで、さっさとしてもらえるといいんだけどな。
日向君とのことがあって、些細なことで腹が立ってしまいそうだった。


「なんかっちに聞きたいことがあるんだって」

「なに?」


その二人とはあんまり話をしたことがない。でも、1年生の時は同じクラスだったから顔は知っていた。

それでも、なかなか質問してくれない。


、卒アルの写真、撮りに行くから後にしてもらったら」


友人が助け船を出してくれた。
謝罪を述べて、別の体育館に向かう。


「なっちゃん、ありがと」

「いいよ。なんだろうね」

「うん……」


悪いことは重なるとはよく言ったものだ。
日向君のところに向かうというのに、気が晴れない。

手元には、卒業アルバム委員のシールが貼られたデジタルカメラだ。

そっと扉を覗くと、なかなかの接戦が繰り広げられていた。

日向君、いた。



「日向!!」



パスが日向君に渡る。
ダン、ダダンッと強くボールを床に叩きつけて、相手チームを交わして日向君がこちらのゴールに近づいてくる。

この間の体育の授業を思い出す。

点数、入れ!と手に汗握る。



「!!」

「ああーー!」


一瞬だけ、日向君と目が合った気がした。

その時、日向君の手からボールが零れた。ボールを蹴ってしまったようだ。
気まずそうに日向君がチームメイトの男子に謝った。

わたしの、せい、かな。


「うっわ、逆転……」


自意識過剰でもなんでもいい。少なくとも自分は勝利の女神ではないようだ。


「なっちゃん、私、サッカーの方行くから結果だけ教えて……」

「ちょ、大丈夫?」

「うん……、とりあえず頭冷やす」


私が見に来てからというもの、日向君のミス連発が重なっていた。

タイミングの問題とはわかっていても、私が視界に入るせいで調子を崩してしまったのかもしれない。
最近避けられていることと照らし合わせると、ついネガティブな方向に考えてしまう。

グラウンドまで来ると、気分は少しは紛れた。

同じ卒アル委員の翼君が華麗にボールをさばいていた。
黄色い声援の先は彼だ。取り巻きの中にさっき質問してきた女子を見つけてしまった。


「あ、さん!写真撮り終わったの?」

「えっと、こっちの写真も撮らなきゃいけなくて」


こんなことなら体育館にもう少しいればよかったかも。


「あの、さっき聞けなかったんだけど……聞いていい?」


断れるはずもなく、おずおずと頷いた。
黄色い声援と似た、高いトーンで彼女は言った。


さんの彼氏……、すっごくかっこいいね」

「え」


意表を突かれて、彼氏という単語の意味がわからなくなった。


「こないだ車で送ってもらってるとこ」
「ねー、見ちゃったよね」
「私たちてっきり遠野君と……」
「だから違うって言ったじゃん」
「遠野君と話してる子、レアだからさ」
「でもほら、さんがあんな風に甘い感じで…」
「そう、だいすきーってうらやましいー」


繰り広げられている会話に口を挟む隙はない。

なんの、話をしているのか、理解が追い付かない。


さん、彼氏さんとはどこで出会ったの?」

「え、えーっと……」


車で?大好き?

キーワードを繋ぎ合わせていくと、このあいだ従兄に送ってもらったことを思い出した。
まさか、けーちゃんが、私の彼氏?


「あ、あの」
の彼氏?」

「夏目さんも知ってる?」


体育館にいたはずの友人がやってきて驚いた。
日向君達の試合はどうなったんだろう。


「彼氏なんていたの?」


友人の声は既に棒読みで、彼氏などいないことを確信して演技をしているのが明白だった。


「彼氏じゃなくて、けーちゃん!」

「ああ……」

「けーちゃんだって」
「呼んでみたーい」

「いや、従兄妹だから!」


あまりに大きな声を出してしまったせいで、試合中の関向くんたちにも届いたらしい。男子数人の視線を浴びてしまった。

早口に言い訳して、友人の腕を引っ張って元いた体育館に向かった。

従兄の存在を知る友人は、大笑いしていた。


「繋心さんがの彼氏とか……!」

「わ、笑いすぎ」


しかも、かっこいい彼氏って……。
彼女たちの評価に疑問を覚えると、友人はすかさずかっこいい方だよとフォローした。

正直、身内の評価は難しい。
自分から見れば祖父を思い起こさせる顔つきだ。


は似てないんだね、そのおじいちゃんに」

「男の人なら似ててもいいけど、女子であの眉毛は……」


どうせならもっと繊細な眉がいい、なんて言えば怒られそうだ。

女子の体育館に戻ると、自分たちの試合がこれから始まるところだ。
気を取り直してポートボールに集中する。
少しでも点数を取ってチームに貢献しないと。


気合いを入れて臨んだ試合をなんとか勝利、やっぱり1勝できると嬉しい。


ちゃん、なっちゃん、勝った?」

「勝ったよー」
「そっちは?」

「それ……、聞く?」

「つまり負けたと」


高揚感に満ち満ちてお昼休みに入り、一斉に教室に向かう。

男子も同じで各々が体育館とグラウンドから校舎に集まってきていた。


「夏目ーー」


聞きなれた声が背後からする。

泉君、その隣に日向君がいた。目が、合った。

また避けられるか気構えたけど、日向君は視線をそらさずまっすぐこちらを見る。
視線に耐えられなくて私の方がそらしてしまった。
あんなに待ち焦がれていたのに、いざ目が合うと落ち着かない。


「女子、どう?」

「どうって勝ったけど」

「すごいじゃん」

「当たったチームにバスケ部いなかったからね。そっちは?って逆転勝ちか」

「まあ危うかったけど」


泉君と友人の会話を聞いて、日向君のチームはあの後逆転したことを知った。
よかった。自分の存在との関連性は定かではないけれど、やはり勝っていてくれた方が嬉しい。

ちらりと戻した視線の先に、さっきより距離が縮まった日向君の姿があった。


さん!」


名字を呼んでもらう事すら数日ぶりだ。


「その……、さ」


日向君の顔は、暑さのせいか火照っていた。

バスケ、そんなに一生懸命だったのかな。

目が合っても逸らされない。なんてことないのに、すごく、うれしい。



「前にさ」

「うん」

「メールで言ったやつ」

「う、うん」

「おれの問題! その、解決したから」

「そ、そっか。よかったね」

「うん、……よかった!」


満面の笑み、なんだか久しぶりに日向君に会えたような心地がした。
理屈はよくわからないけれど、それだけで満たされる。

泉君と友人の背中がもう小さくなっている。
駆け出そうとしたけれど、日向君は追いつく気はないようだった。


「午後、スリーポイント狙うから!」


ちょっと前まで見た怯えは消え失せ、自信満々に日向君が言い切った。

この、お日様の下にいるような心地よさはなんだろう。

あんな勢いのある試合でバスケ部でもないのにスリーポイントは難しいはず。
そう思うのに、日向君ならできるかもと思われる何かがある。


つい話が弾んで気づいたらお昼休みが半分過ぎていた。

友人の元に慌てて戻ると、意味ありげに小突かれた。

私はつい緩む口元を片手で隠した。
これからお昼を食べないといけないのにな。


next.