ハニーチ

スロウ・エール 36




日向君の言葉が嬉しくて、きっと言葉だけじゃないから、それを支えに私も頑張ろう。

ちゃんと、友人と話すんだ。

そうと決まれば夏休みが始まる前に、と気合を入れたものの、上手くタイミングが掴めなかった。
私は卒業アルバム委員の仕事があったし、友人も友人で係や掃除当番やらですれ違ってしまった。
仲が良かったはずなのに、こんな簡単にきっかけをなくしちゃうものなんだろうか。それとも避けられてる?
マイナス思考、よくない。
気を取り直して、足の赴くまま、久しぶりの校庭の隅にやってきた。

三人のうちの一人が私に気づいた。


「あ!」

「ちゃんと水分取ってる?」

「と、取ってます!」



日向君のいないバレー部、1年生の3人が校庭の隅っこで練習をしていた。
ほんの少しの日陰に隠れつつ、白いビニール袋を差し出した。


「はい、これ」


遠慮がちに後輩が受け取った。


「ただの…、スポーツドリンクだけど」

「あ、ありがとうございます」


つい癖で4つ用意してしまった。1年生3人と、日向君の分だ。

日向君は今日も確か補講のはず。


「適当に飲んじゃっていいから」

「あ、でも、日向先輩は後から来るって」

「え、そうなの?」


後輩と話しつつ、今日の補講の予定を思い出してみる。

話を聞くと、日向君もまだ練習に混じることもあるらしい。4人でもバレーはできないけど、バレー部がバレー部として継続していることはなんだか嬉しかった。

正直、北山第一との試合で、3人がバレーを嫌になっていてもおかしくない。

あの試合の話をすると、何とも言えない表情で三人は顔を見合わせた。


「でも…強豪とやれるの、レアといえばレア、だったし」

「だよなあ、自分たちじゃとても…」

「そういや、今度の土曜に北山第一、決勝戦らしいですよ」

「そうなんだ。見に行くの?」

「どうしよっかなーって」


少しでも関心を持っていてくれている様子も見受けられて、勝手に鼓舞される。

会話をしながらこんなに暑いのに練習をしていることも、1年生なりにバレー部をやっていてくれている証明のようだ。
じりじりと暑くさせる熱気にうんざりしつつ、制服を胸元辺りでつまんではたはたと揺らした。


「来年は勝ってね」

「え!」
「いや!まず、人数…」

「いけるって。大丈夫」


1勝してくれたらいいなと願うのは自由だ。
プレッシャーだろうが、こうやってバレー部の部員を応援できることは、すごく自分勝手だけどうれしい。
日向君が一生懸命、形にしたバレー部、いつの間にか私にとっても大切な何かのようだ。


「鈴木君」

「は、はい」

「トス、出そっか」

「え」

「女バレともやってるんでしょ? 私もちょっとだけできるからさ」

先輩、制服ですけど」

「だいじょーぶ。ほら、ボール」


確かに、制服だ。
汚したら親に怒られるだろうな。
日焼け止め、ちゃんと塗ってないのにな。今日、この後も塾があるのにな。

やらない理由はいくらでも浮かんで、でも、手には確かにバレーボールがある。

日向君以外にトスを上げる日が来るなんて、思いもしなかった。

見上げる先は体育館の天井じゃない、閉塞感のあったあの空間じゃない。

青空だ。


「いくよっ」



*



青空を素早く切るバレーボール、思いは変わらず込める。

高く、丁寧に、敬意を持って差し出すように。

何度も何度も飽きるほど上げたボールは、その先にいるスパイカーを見据える。

バレーは繋ぐスポーツだ。
繋いでいく難しさを、その奇跡を何度でも信じて、飛ぶ。



「はああ…、も、無理。パス」

「えー、ばてるの早いよ」

「あのねえ」


なんでバレー部の後輩たちを相手にしていたはずが、女子バレー部の3年たちが混ざってくるのか。

今日も女子バレー部に混ぜてもらう日で、たまたま知らせに来てくれたらしいが、そんなことどうでもいい。
家庭科部の人間を運動部と同じように扱わないで、と言いたい。

まあ、みんな楽しそうなのがよかった。

今は1年生男子3人と、3年女子でバレーが続いてる。
私は抜けても支障なさそうだ。


「じゃあ、私、行くね」

「ありがとうございました!」

「ありがとうございましたっ」
「また来てください、先輩」

「うん、夏バテ気を付けて」


先輩、という響きをかみしめて、スカートを払う。
すっかり汗だくになってしまった。砂ぼこりで汚れた制服、親に何を言われるだろうと想像して眉を寄せる。


「いいなーー!」
「!!」


つんざくように届いた声の主は、日向君だった。


「あ、あれ、補講は?」

「これからっ。さん、トスあげてたっ」

「う、うん。なんか、成り行きで」

「すげー今日調子よかったね」


そうかな、と思うも、日向君から見ると今日の私は調子が良かったらしい。
自分では気づけないけど、そうなんだろうか。

今は手元にないボールを想像して、自分の指先を見つめた。


「おれも掃除当番じゃなかったら一緒にやれたのにっ」

「いつでもできるよ」

さん、夏休みも学校来る?」


そういえば夏期講習に申し込んでいる人は夏休みと言っても学校に来ることになる。
もともと家庭科部の作業もあるから、被服室を使わせてもらう予定だ。

そう告げると日向君が嬉しそうで、つられて私も口端があがった。

ふと、さっき1年生と会話したことを思い出す。

北山第一が今度、決勝戦をすること。
日向君も試合を見るんだろうか。

来年、烏野でバレー部に入るなら、あの中の誰かは確実に対戦チームにいるだろう。
ひょっとすると烏野バレー部に入るなんてこともあるかもしれない。


「ん?どうかした」


今、こうしていい雰囲気でいる日向君に、あの試合を思い出させることが私にはできなかった。

私の心境など知る由もない日向君はさっきと変わらず笑顔で両腕を突き上げた。


「元気出てきたっ」

「よかったね」

「烏野入るためだもんな、補講くらいっ」


「翔陽ーー、先生が探してたぞ」

「うぇ!?」


通りがかりのクラスメイトが日向君に声をかけた。


「ごめん、さん。おれ、行くっ」

「う、うん」


今にも目の前から走っていなくなるかと思った。
日向君が急速で戻ってきた。

距離、近い。


「!」
「髪、ほこりついてたっ」

「あ、ありがと…」

「じゃね!」


じゃあ、ね。

言葉にならず、返事を飲み込んだ。どきどきと、残された私は鼓動を早める。

落ち着け、わたし。
ゆっくりと深呼吸をして歩き出す。

窓ガラスにうっすらと映った自分の髪はぼさっとしていて、急に恥ずかしくなった。
日向君が触れてくれた箇所に触るのはもったいない。

他を手ぐしで整えて、週末の予定を決めた。

北川第一の試合、見てこよう。


何のためかわからないけれど、きっと、何か得て見せる。
頭のどこかで思い出したくない気持ちもあったが、だからこそ踏み込んでみたかった。



next.