“困ったことがあったら言ってね!!!”
日向君の声が今にも聞こえてきそうなメールだった。
なぜか部屋をきょろきょろと確認してしまう。誰もいないとわかってるのに恥ずかしくなる。
……なっちゃんが、変なこと言うから。
日向君が、前と違うなんてこと、ない。
ないよ。
頭を真っ白にしたくて、友人に持ってきてもらった荷物の一つである明日のプリントを解くことにした。
明日の講習で一旦は学校に行くことはなくなるから、最後くらいきちんと準備したい。それに、夏休みの宿題もある。塾のもやらないと。受験生は忙しい。
そうこうする内に母親が帰ってきた。
従兄が宣言通り車で送ってくれたらしい。
母親がいかに祖父がわからずやかを滔々と語ったので、かえって日常に戻れた気がして嬉しかった。
祖父はもう大丈夫らしい。よかった。
気を抜くとすぐ友人の言葉が浮かんだ。
『日向、の前だと違うんだよ、全然』
そんなこと、ない。
ないってば。
こんな風にメールをくれるのだって、声をかけてくれるのだって、私が日向君を応援してるから。
日向君が、ずっと独りでバレーをしてきたから。
夜寝る前に、ふとよぎった。
もし日向君があの日あの場所でバレーをしていなかったら、私はどうなっていたんだろうって。
私は、日向君を好きにならなかったんだろうか。
その想像はちょっと怖くて、すぐに考えるのをやめた。
私は、日向君を好きな自分のことは好きになれそうだった。自信とは、程遠いけれど。
*
「しょーちゃん、おはよー」
「はよー」
聞きなれた呼び名、何度も聞き覚えた声。
それはやっぱり日向君だった。
隣にいるのは、確か幼稚園が一緒の子……のはず。アキちゃん、だっけ?
日向君の交友関係をちゃっかり覚えてしまっている辺り、自分はストーカーなのかと心配になるけれど、日向君に害を及ぼしてるわけじゃないからいいよね、と自分に言い聞かせる。
幸い二人とは距離が離れているから大丈夫だ。
「!!」
「さんっ」
な、なんで、いきなり日向君は振り返るのか。
私の視線が強すぎたの?そんなにガン見しちゃってた?
焦る私は何故か足が止まってしまったけれど、日向君は自転車を押したままこちらにやってきた。
「大丈夫だった?!」
「あ……、うん、なんとか」
昨日のことを全部ひっくるめて聞いてくれたと思ったので、それは素直にうなずいた。
「あ、日向くんごめんね」
「何が?」
「メール……返事、しなかったから」
「いいよ、そんなの。大丈夫ならよかった」
「う、うん……」
「行かないの?」
「い、行く」
日向君の後を遅れて歩き出した。
歩く方向には当然さっきまで日向君の隣にいた女子がいるわけで、向こうからするとこっちは誰なんだ状態である(いやきっと存在くらいは知っているだろうけど、自分としゃべっていたはずの日向君が自分を放って私を相手すればそりゃ面白くないだろう)
密かに焦っている私に日向君は気づかず、その子にも『行こう』と声をかけた。
その子の表情が硬かったのはぜひ気のせいであってほしい(どうか!)。
「そうだ、さん今日って塾ある?」
「ないよ」
「じゃあ、講習終わってからさ、お祭り行こう」
「お祭り?」
「そう、今日商店街で夏祭りやるんだって。なっ」
「う……うん」
「さっき誘われたんだけど、さんもどう?行かない?」
それ、私は行っちゃいけないような。
日向君をはさんで向こう側にいる彼女をおそるおそる確認すると、何とも言えぬ不機嫌さを醸し出しているようだった(これたぶん気のせいじゃない)。
「いや、私は……」
「さん勉強忙しいよ」
そうだね、受験生だもんね。怖い!
表情には出さないようにして適当に相槌を打った。
「ちょこっとでも難しい?」
「ま、まあ……」
日向君と夏祭り、行きたい。行きたいけど、この状況では頷けない。
でも、日向君にこんな顔見せられたら行くって言いたくなる。
困っていると、日向君は反対の方にいる彼女を見ていった。
「じゃあ、おれもやめる」
「え、なんでしょーちゃんもやめるの」
「さんが勉強してるのに、おれの方が手ぇ抜いてらんないじゃん」
「えーー!赤点仲間じゃん、行こうよ」
「いいって。おれ、先生に本気で烏野受かるなら夏休み返上って言われてるし」
「さっきまで行くって言ってたのにー」
「ごめんな」
二人の応酬をいたたまれない心地で聞いていた。なんとか日向君が行く口実を作れないものか。
そうだ、とばかりに早口で告げた。
「じ、じゃあ、私、勉強しないでおくよ。ね!」
そしたら日向君も気にせずお祭りに……
「え、さん行ける!?」
そ、そうじゃない。そう言いたいわけじゃない。
けど、こんなきらきらとした瞳で日向君に言われたら、今更撤回することもできない。
嘘もつきたくない。
覚悟するしかなかった。
「い……行く」
日向君が嬉しそうに笑ってくれたから、(その隣の人のことは気にしないで)ひとまずよかったと思った。
*
話をよく聞いてみると、一度家に戻ってからまた集合するみたいだ。
講習は午前中でおしまいだから、確かに時間はある。
彼女は別クラスだから分かれて、日向君と教室に向かいながらそんな話をした。
日向君は家との距離もあるから、午後は図書館で勉強らしい。
「家だと寝ちゃうしさ」
「わかる。だらけるよね」
「さんは一回家戻るんだよね、浴衣……」
「き、着ないよ、着ない」
そう、さっきまで一緒にいたあの子はみんな浴衣を着てくるから見てほしいと主張していた。
きっと可愛い。
その子の方が収まりがいいと思った。日向君との、身長的にも。
だからブンブンと髪を揺らして否定した。
「面倒だし、浴衣。ほら、あんまり動き回れないじゃん」
「人、けっこういるもんね、毎年」
「去年すごかったよ」
「去年来てたんだ!」
「え!」
「おれも行ったから」
「そうなんだ。その時は浴衣だったけど、けっこう大変で……」
それも嘘じゃなかった。
浴衣が面倒だと思うのも、身動きが取りづらいって思うのも、全部。
でも、全部は言葉にしていない。
(浴衣、好きな人の前で着てみたい、なんて……)
「見たかったな」
日向君はぽつりと呟いた。
前を向いたまま、誰かに宛てるわけでもなくそう発した。
なにを、見たかったのか。
尋ねるより早く日向君は早口で言った。
「あ、い、いや、ご、ごめんっ。なんでもない。と、とにかくさ、さん戻んないなら一緒に学校から行こうよ。アイツも皆も直接家から行くだろうし」
「そう、だよね。浴衣着るならみんな……」
教室に入るとそれぞれ別の人に話しかけられて、この話も終わった。
席について気持ちを落ち着けようと深呼吸する。
日向君が他の人といる時と違うかなんてわからなかった。
自分のことでいっぱいだ。
あからさまに喜んでるし緊張してる。
頬に手を当ててみると、確かに熱い。
あ、日向君と、お祭り行けるんだ。
そう考えただけで鼓動がはやい。
next.