どこから見ようか。
商店街のお祭り気分に浮かされて二人きょろきょろしたのも束の間、日向君のことを知っているお肉屋さんに声をかけられて、なぜか二人で揚げ物を手にしていた。
『こないだはありがとうね』
『日向くん、何したの?』
『なんだっけ?』
お店のおばさんも笑ってて、きっと日向君らしく何かしたんだろうなーって、特に偉ぶるわけもないその姿に微笑ましさを覚えてつい声を漏らして笑ってしまった。
ありがたいことに私までお相伴にあずかった。
二人でコロッケにかぶりつく。舌が熱くなる、いつもの味。
周りからは焼きそばの匂いとか綿菓子の甘ったるい匂い、縁日の賑わいが聞こえてくるから、いつもと同じなのに、同じじゃない光景が不思議でしょうがなかった。
「さん、どうかした?」
「う、ううんっ」
自転車を置いてきた日向君が隣を歩く。
雷が今も鳴っているお天気のせいで、いつもはまだ明るい空がもう暗い。
そのおかげで、赤ちょうちんに照らされた通学路が特別に見える。
「あ、スーパーボールすくいある!!」
日向君が早足になった先には、水の上いっぱいにカラフルなボールがぎっしりと浮かんでいた。
これ、逆に掬いづらいんじゃ……。でも、ちょうど法被を着た子供の手には5、6個のスーパーボールがあった。
「やるの?」
「あのでかいキラキラ狙ってみる」
「これ?」
「これっ」
「む、無理じゃない?」
ひときわ目立つスーパーボール、周りの小さなものに比べて5倍くらいはありそうだ。
おたまで掬うのかと思っていたら、日向君に渡されたのはモナカのタイプだ。
こんなの、水の中に入れた瞬間に流されて終わる気がする。
気合いを入れた日向君がしゃがむ後ろで、前かがみになって様子を伺う。
ちょうど流れに乗って大きいスーパーボールが流れてきた。
日向君のモナカが水面に近づく。
「……ぉっ、わっ、ええ!」
つい、声を出してしまった。
大玉スーパーボールを見事にあんな小さなモナカに入れることに成功したから。
そして、そのまま水からモナカを引き上げた数秒、重みに耐えられなかったのかモナカが落下してしまったから。
日向君の手のひらに参加賞の中ぐらいの青玉が渡される。
どことなくしょげて見えた日向君に代わって、私もスーパーボールすくいに挑戦する。
渡されたモナカはすでに頼りなさそうに見えるのが本音だが、お祭りは楽しんだもの勝ちだ。
「よし」
「さんがんばれ!」
日向君の応援を受けて、いざ勝負!
「「あっ」」
それは本当に一瞬の出来事だった。
大玉のスーパーボールに近づいた瞬間、何故か知らないけどモナカは外れてしまった。
絶対、不良品……!!
そう思ってたら、お店の人もそう思ったらしくて、もう一回だけチャレンジさせてくれた。
と言っても、こんな大物を取れずはずもなく、手の中には日向君と色違いの蛍光イエローの参加賞。
でも、なんか笑ってしまって、笑ったらおかしくなって、気分が上がったら降ってきた小雨も気にせず歩いてしまった。人がいっぱいで傘が差しづらいのもあった。
でも、どんどん雨粒が大きくなっていく。
日向君に借りた傘を開いた。
「日向君も入りなよ」
「いいよ! あっち行こうっ」
お店の前の少しの屋根の下、日向君が走っていくから、黄色い傘を開いたままその背中を追いかけた。
屋根がかぶさった部分は乾いていて、私たちの濡れた靴のあとがくっきりと残った。
日向君のふわっとした髪も水に濡れてぺたっとしている。それは私も同じだった。
さっきまで人であふれていた商店街が急に静かになる。
雷が光った。少しして、雷が鳴った。
「今の感じだと近いね。早くやむといいけど……」
言いながら、浴衣で来ると言っていたあの子が頭に浮かぶ。
浴衣だと厳しいだろうなあ。
着替えてから来るなら、雨には降られてないといいけど。
きっと、きっと好きな人に見てもらうために特別な装いだろうから。
隣で空を見上げている日向君を横目に見て、私は一人気合を入れた。
「私、今日はもう帰るよ」
「えっ!!」
そこまで驚かれるとは思っておらず、面食らってしまったが、続けた。
「いや、この雨だし……、まだ一緒にいるけど、ほら、日向君、約束あるし、そしたらこの傘……」
私がバスに乗ってしまえば、日向君のこの傘を渡すことができる。
その傘で、日向君はあっちに行くことが出来る。
言いながら、自分の嫌な部分がちらついている気がして、日向君の顔は見れなかった。
「待って」
日向君の携帯が鳴って、誰かはわからないけれど、日向君が誰かと話し出した。
「もしもし。ん、あー、すごい雨だよなあ。そっちは?まだ家?そうだよなあ。……うん、え?ああ、そっちに?今から?」
なんとなくだけど、家に誘われてるのかな。
そんな単語が聞こえてくる。
雨、もっと強く降ってくれたらいいのに。そんなワガママな思いを雨はかき消してくれない。
「いやっ、一人じゃない。違う、さんと一緒。……図書館で一緒に勉強してたから。……なんだよ。か、関係ないだろ。いいじゃん、別に。……、……だったら、いい。いいって。みんなによろしくっつっといて。じゃな」
日向君のガラケーがぱたんと閉じられて、急に日向君の瞳を向けられると、心の奥底のなんだって見透かされそうで、意味なく傘の柄を握りしめた。
いま一瞬垣間見えた厳しい表情が、すんなりと笑顔で隠されたようだった。
「この雨だから今日やめるって」
「そ、……そうなんだ」
「浴衣でこの雨はきついよね」
「うん」
「ほんとすごいよな、止むかな」
「あっちの、端っこはちょっと太陽見えてるね」
「すげ!!ほんとだ」
「狐の嫁入りかなあ」
「きつ、……なに?」
「言わない? こういう天気の事、狐の嫁入りって」
「そうなんだ。今日、めでたい日なんだなー」
「どうだろ。太陽、もう見えない……」
目を凝らして遠くの景色を眺めていると、日向君の携帯がまた鳴った。
繰り返される着信音、それはなかなか止まらない。
日向君が携帯をポケットにしまった。
出ないの?
口に出さないで疑問が浮かぶ。
日向君が携帯をやっぱり取り出して、少ししてから電源を切った。
*
しばらく二人でぼんやりと雨宿りをしていると、雨が少し弱まってきた。
でも、雷は相変わらずゴロゴロと鳴っている。
雨のおかげで気温が下がるかと思ったけど、それどころか湿度が上がってうんざりだ。
ちらほらお祭りの賑わいも戻ったけれど、どうやら予定されていたカラオケ大会は野外ステージではなく、近くの公民館に移動になったみたいだ。
観客席のブルーシートが水浸しになっていた。
「すげー。プールみたいだ」
「いいよ?泳いできても」
「さんも?」
「私は応援で」
「ずりーっ」
日向君、今度はちゃんと笑ってる。
さっき、何言われたのか気にならないと言えばウソになるけど、口をはさむべき問題じゃない。
日向君と、その子の問題だ。
密かに胸がチクリと痛む。
「あ」
「どうかした?!」
「いや、ちょうど木から水が」
「あー、さっきの雨か。え、でも少しまた降ってる?」
「んーーー、確かに、降ってる、かも」
「傘、差しなよ」
「日向君も入ろうよ」
大きいとはいえなくとも、傘を広げればそれなりに広い。
「オレはいいよ」
「でも、風邪引いちゃうから」
「いいって」
それでも、小雨に濡れ続ける日向君を見ていられなかった。
傘を持つ腕を伸ばした。
あの時のことがよぎった。
北川第一のあのセッターの人を見かけたときと同じだ。
「ば、バレーの選手は、身体冷やしちゃよくないからっ」
一歩先行く日向君へ、黄色い傘を傾ける。
ちょうど私は真後ろだ。向かい風だからちょうどよかった。
傘にちょうど雨が当たるから、日向君を濡らせずにすむ。
人のいないバス停の屋根の下まで、結局、傘を差し続けた。
傘を閉じたとき、雨水がじゅわっと流れ落ちた。
見た目よりも雨は降っていたみたいだった。
日向君の背中をそっと盗み見る。
後ろ姿だけだと、日向君がどう思っているかわからない。
そもそも、断っている相手を強引に傘に入れてしまったわけで、傘を貸してくれた恩人にけっこうひどいことをしてしまったよなと一人反省する。
「あの……日向君?」
「うぇ!?な、なな、なにっ」
「あっいや、ごめん、その、無理に傘さして」
「い、いいよ、全然!そんなの、うんっ」
「な、ならいいんだけど……」
「そっそれよりさん濡れてない!? おれ傘に入れたせいで」
「それは、あの、大丈夫」
「そ、そっか」
「うん」
ちょうど二人黙ると雷が鳴った。
「もう帰ろっか?」
「そうだね。日向君、駐輪場まで」
送るよ、と言う前に、日向君はカッパを持っていたのを思い出してそれをかぶった。
そういえば、学校を出るときに持ってるって言っていた。
日向君が濡れないならもう安心だ。
「おれさ、さんが嫌とかじゃなくてさっ」
いきなり何の話だろう。
突然始まった話に口は挟めなかった。
「や、やっぱり、その、すげー、ドキドキするっていうか、その、嫌じゃ、嫌じゃなくてさ」
「う、うん」
「だから、その、……それだけはわかってほしい」
「う、うん、わかった」
とりあえず嫌じゃないという部分だけはわかったので、頷いてみる。
すると、日向君がとても安心した様子を見せてくれた。
よくわからなかったけれど、日向君が笑顔ならなんでもよかった。
日向くんも肩の荷が下りたようで、急に饒舌に会話を続けた。
その内に、駐輪場に着いて、日向君とは分かれた。
ちょうどやってきたバスに飛び乗ってからしばらくして、言っていたことがわかった。
傘のことだ。
そっか、私のせいで、さっき、相合い傘だったんだ。
next.