ハニーチ

スロウ・エール 45




白鳥沢学園高校のことを調べてみると、バレー部はとても強いらしい。
あのジョニーズ事務所、じゃないか。及川さんのいる青葉城西にも勝っている絶対王者だ。
その青葉城西も県ベスト4の強豪校だ。
あの決勝戦を見に来ていたのも、もしかしたら将来のチームメイトを見定めに来たのかもしれない。
お茶を買ってくれた人も、かなり身体はしっかりしていたように思う。
もし日向君が烏野高校に入ったら、どこかでぶつかるのかな。そもそも、烏野ってそんなに強いんだっけ。

未来の想像をしているうちに、バレーの雑誌が私の勉強机の上に揃ってきていた。
参考書だけが並ぶはずの机には、どうしてかバレーのルールブックまで顔を出している。

手に取ると、ちょっと古い本の匂いがする。
ところどころ、波打った紙面の上に鉛筆で線が引かれている。ひらがなばかりの一言コメント、夢中になって読み解いたんだっけ。

本のページの間には、写真が入っていた。小学生の私、バレーチームの皆で撮ったものだ。
取り出すこともなくそのまま本を閉じる。

この中にあの頃の私がそのまま閉じこもっているかのようだ。

今を生きる私は、また勉強にいそしむ。

烏野高校の過去問、それに白鳥沢も。
学校でも塾でも気を利かせた先生がわざわざプリントを用意してくれたものだから断り切れなかった。

ここにも優柔不断な私が顔を出す。
進められるままに進んでしまう。本当の気持ちなんてどこにあるのかわからない。

考えるのが嫌になって、参考書を開いた。
勉強をしていれば少なくとも親に怒られることはない。








「で、T君とは進展はあったかね?」

「何キャラ、なっちゃん」

「だって夏だし。青春してるかって気になるじゃん」


楽しそうに話す友人は、昨日東京から帰ってきた。
お土産のお菓子を渡したいと呼び出されて、店内の一角でそれぞれアイスクリームを食べながら話を弾ませる。


「青春もなにも……学校、補修工事で行けないし」


数日間だけ学校自体が閉鎖されている。確か耐震工事だったっけ。
図書館は開いていたからちょくちょく行っていたけど、日向君とはタイミングが合わなくて傘も返せていない。

友人がつまらないとばかりに口をとがらせる。

そりゃ私だってつまらない。会えるものなら一目でいいから会いたい。
ついむしゃくしゃして、ガリッと音を立ててコーンをかじった。
あのお祭りの日から日向君には会えていないんだ。
浴衣のあの子とはどうなったんだろう。あの電話、きっとアキちゃんだ。私といたのを聞いて、どんな反応だったんだろう。

なんとなく怖くて、この日のことは友人に話していない。

当の友人は、父親のいる東京に引っ越し準備でしばらく行っていたけれど、なんだかんだ行ってみれば楽しかったらしい。
観光ブックを開いて話を聞くと、どこもここにはないワクワクがあった。


も受験終わったら東京来なよ」

「えぇっ、東京に?」

「春休みにさっ。いいじゃん、うちに泊まって。私の部屋、テレビもあるし、一緒にゲームしようよ」

「何のゲーム?」

の好きなキャラが出てくるやつとか」

「それ東京でやる意味ある?」

「じゃあ東京見物。楽しみないとやってらんないじゃん?中学ラストなんだし」

「まあ、そうだよね」

「あ、それか思い出作りに肝試しする?」

「なにそれ、どこで?」

「うちの学校にもあるんだって」

「えーー」


アイスを食べ終えて外に出ると、蝉がうるさくてべたっと張り付く暑さが待ち受けていた。
焼けそうなのと暑すぎなのが嫌でショッピングモールに逃げてみた。
サマーセールで賑わう洋服屋さんや雑貨を見て回る。
なんだか楽しくなって、記念にプリクラを撮って帰った。

久しぶりにこんなに笑ったかもしれない。夏って最高。

そんな気分になって勢いのままに日向君にメールしてみた。


今度、いつ学校行く?
傘も返さなきゃと思って


顔文字はいるのかな。絵文字、どうしよう。
ハートの絵文字をつけてみて、やっぱりあからさますぎるなと消して、何にもつけないのもなと顔文字を足してみた。
その顔文字も一息つくとこびを売っているかのようにも見えて、結局何もつけずに送った。

なかなか返事は帰ってこなかったけど、次の日の朝には来ていた。

工事が終わったら行く!!

日向君の声が聞こえてくる気がする。
携帯をぎゅっと握りしめて意味もなくその場でくるりと回った。

ちょうど部活もしなきゃ行けないと思っていたところで、タイミングもばっちりだ。
私もその日に行くよと告げて、カレンダーに印をつける。
日向君に会える。
学校なのに、やけに待ち遠しかった。



このまま順調にいくかと思っていた矢先、どこかに落とし穴は待ち受けているものだった。


アキちゃん、だ。


学校に行く前に寄った塾の自習室、たまたま空いていた1席に座ると、荷物だけが置かれた席に戻ってきたのが彼女だった。
最初は気づかず問題を解いていたけれど、やけにちらちらと視線を感じるなと思って隣を見て、ようやく気づいた。
持っているテキストを見るに日程Cの夏期講習を取っているらしかった。
クラスが違うから気づかなかったが、先に彼女は気づいていたらしい。

私が彼女の存在に気づくと、舌打ちして彼女は不機嫌そうな顔でその場を立ち去った。

いたたまれなくて、私も荷物をまとめて後にする。
今日はこの後、日向君に会えるっていう日なのに、間が悪いなとため息をついた。

さらに運がなかったのか、その光景を月島君に見られていた。

自動販売機の前で飲み物を飲む彼が、普段なら挨拶すら興味なさげなのにわざわざ声をかけてきた。


「嫌われてるみたいだねー」


声がどこか喜々としているところが嫌みっぽい。


さん、何かしたの?」

「なんにもしてません」

「それであんなに嫌がられるんだ」


相手にしちゃ負け、と頭の中で繰り返す。


「さようなら、月島君」

「鈍すぎるんだよ」

「何が?」


つい相手にしてしまった。私の負け、どうでもよかった。


「人の気持ちに」


意味ありげに口端をあげる彼に対して黄色い悲鳴を上げる女子がいるかもしれない。
けれど、こんな風にからかってくる人のどこがいいんだ。
あからさまに私が不愉快を露わにしたって、かえって愉快そうに微笑んでくる。

月島君に人の気持ちに鈍いと言われたら終わりだ。

腹が立ってそのまま塾を後にした。








折角、日向君に会えるのにこんなもやもやした気持ちでいるなんて嫌だ。
深呼吸しよう、深呼吸。

大きく空気を吸い込むと暑さごと身体に入り込んでくるようでむせてしまった。

見慣れた校舎は前と違わず、工事が終わっている部分は真新しいペンキで塗装がされていた。
そういえば柱が追加されているような。

一番太陽が高い位置にある時間帯で廊下もすごく暑いけれど、どこかの教室の扉が開けっ放しなのかもしれない。
足下に少しひんやりとした空気を感じる。

反対側の階段からみたいだ。
本当はすぐそばの階段で上がればいいけれど、涼しさを辿っていきたくて進路を変更した。

もしかして教室にいるの、日向君かな。

急に胸がくすぐったくなって、誰もいないのをいいことに廊下をスキップしてみた。


「!!」


ちょうど右に曲がった階段のところに、まさか日向君が座っているとは思わない。

階段を上がった数段、そこに腰掛けたままの日向君は壁にもたれていた。
手には教科書がある。今にも日向君の手から滑り落ちそうだ。

あ、落ちた。


日向君は壁にもたれかかったままだけど、小さくうなり声を上げたから起きそうだった。

足下に滑ってしまった教科書を拾い上げて、日向君の手元に近づけた。
正直、起きてもらいたかったのもある。



「おはよう、日向君」


日向君の瞼が上がった。



「ん……」

「階段で寝たら危ないよ」



日向君の瞳は半開きでまどろんでいた。




「目、覚め、







聞き間違いじゃなければ、名前で呼ばれた。

日向君の手は教科書じゃなくて、私の肩に触れた。

前屈みになると、顔がどうしたって近くなる。
さらりと日向君の前髪が私の額に触れそうだった。

そのまま動けずにいると、更に距離が近づいたから、さすがに少しのけぞった。


「あ、あの……!」


声が震えてしまった。

日向君が目をぱちくりさせた。
私の肩を握ってみて、そして手を離す。


「お……おはよう。大丈夫?」



日向君が自分の手のひらを眺めて、次に私を見た。



さん……、ごっごめん!!いいいい今、いま、おれ、ゆめ、うわ!ごっごめん!!」


「あっ、ひな、きょうか…しょ」



どころじゃ、ないか。

日向君がものすごい勢いで階段を上がっていくのが足音でよくわかった。





next.