ハニーチ

スロウ・エール 53











あ、これ、夢だ。

だって、名前で呼ばれた。いつもは、さんって呼ぶはず。

夢だと自覚しても、目の前の日向君は私の思う通りにはならない。
なんで、笑ってないんだろ。

どうせならもっと楽しい夢にしてほしいのに。
私は笑った日向君が見たい。

すぐそばにいる日向君は、まっすぐこちらを見ていた。
と思えば顔をそらされる。何か言いたそうで、戸惑っていて、でも、また、私を見る。

夢なのに自由がなくて、日向君に一言も発せられなかった。なされるがまま、互いの距離が縮まった。


さん、わかってないかもしんないけど、さ”



“おれは、すごく……”



すごく、

 なに?



日向君が近いのに、その言葉の先が聞こえない。





バスが停留所で停まった。
大きくバスが揺れたように感じたのは、一番後ろの席に座っていたからだろう。

となりにいた母親がまだ寝てていいと言ったけれど、今見た夢のせいで眠れそうになかった。

あの、家庭科室での出来事が混ざった夢。

気を取り直そうと、電光掲示板に映る停留所の名前を確認した。

まだ白鳥沢学園にはつかない。

確かに母親が言う通り、寝ててもいいけど、けど、今目を閉じたらあの時のことを一気に思い出しそうだ。

先生に見られたのも、日向君に故意ではないにせよ抱きついてしまったことも、全部はずかしかった、あの出来事。

誰からも注目されてないのに赤面しそうで、両手で顔を隠して体を丸めた。


そういえば、日向君は何を言おうとしてたんだろう。

夢をきっかけで思い出す。

さっきみたいな場面は、実は何度か実際にあった。
言葉を濁して、クラスにいる時と違う顔をする日向君。



……まずい、なんか無駄にドキドキしてきた。

ただでさえ、映画に行く約束で浮かれているのにこれ以上は困る。


もう日向君のことを考えるのはやめよう。バスの外でも見よう。

途端にバスはまた停まった。

今度は知り合いが乗ってきて驚いた。

同じクラスの遠野翼くんと翼君のお母さんだ。

バスは混んでいなかったし、相手もこっちに気づいたようで長椅子の反対側に二人も座った。

母親たちの会話が弾んでいく。


「もう準備がいろいろ大変で」


県外の高校で寮生活の予定だから夏休み中にいろいろ進めていくとかなんとか。

その話の中で東京に行く友人の話も出ていた。
うちのクラスからは二人も遠くに行ってしまうんだ。他にもいるのかな。

少ししんみりしている内に翼君たちはバスを降りて行った。

母親が私を小突く。
どうやら翼君が私のことを下の名前で呼んでいたので好かれてるんじゃないかと勘繰ったらしい。

その程度で好かれてるなら私はずいぶんモテモテじゃないか。
適当に話は流したが、また疑問が一つ。


日向君は、私のことはずっと“さん”って呼んでいる。
けど、一回だけ名前で呼んでくれたことがある。
あの階段での出来事だ。

あれは、なんだったんだろ。

明後日会う時に聞いてみようかな。いまさらかな。



そうこうする内に、白鳥沢学園高校前と車内アナウンスが流れて停車ボタンを押した。












「じゃあ、後でね」

「うん、あとで」


母親に今日ついてきてもらったのは、白鳥沢学園のオープンデーかつ保護者向け説明会があったから。

もし塾の人で一緒に来れそうなら親に声はかけないけど、みんな白鳥沢は受かりそうもないからと断られてしまった。
クラスの子でも白鳥沢を受験する人がいるとは聞いたことがない。
というわけで、母親と白鳥沢となったわけだ。

立派な校舎だし、来てよかったな。
一度自分の目で見てみたかったこの学校は、マップをもらって眺めるだけでもかなりの広さだということはわかった。

どこに行こう。

今日は一般向けに体験コーナーもいくつかある。
馬術とか面白そう。チアリーディング部のパフォーマンスもある。あ、でも、バレー部も気になる。

県内随一の強さを誇るって雑誌にも書いてあったし、月島君が言うようにあのくらいの背丈の人が本当にゴロゴロいるか確かめてみたい。
いや、でも実際月島君みたいのが何人もいるのやだな。


悩みつつバレー部がイベントをやっている体育館へ歩き出すと、唐突に大きい人に出くわして、さすが白鳥沢と密かに思った。
ぶつかりそうだったので会釈する。

このまま通り過ぎるはずだった。



「今、時間はあるか」


辺りを見回した。

誰もいない。

この人の質問は私に向けてだということが分かった。



「あ、ありますが」

「中学生か?」

「は、はい」

「来年うちを受験するか?」

「その……予定です」

「これからバレー部を見に行くのか」

「は、い」


まるで尋問のようだった。
敵意は感じないけれど、ふるいにかけられていることはよくわかった。
そして、私はその条件に適ったらしい。


「ついてきてほしい」


その人が歩き出す。返事も待たずに。しかも、足が速い。

え、行くべきなの。行かなきゃなの。いや、でも無視するの悪いような、あ、こっち見た。

たぶん月島君くらい身長ありそう。
そう思いながら断る理由もないので、その人の後ろについて歩いた。

体育館だ。
もしかしてバレー部が何かやってるところ?

マップで確認すると、これは第1体育館で、バレー部はもう少し大きい場所でやっているようだ。
それでもこっちの体育館にも、幾人も今日のオープンデー参加者らしい人たちがいた。

ただし、全員男子だ。



「ぶは!」


ここまでついてきた人と同じジャージを着た人が体を折って笑った。


「若利君、まさかの女子連れてくるとはね」

「? バレー部に行く中学生でうちを受験するならだれでもいいと聞いたが」

「そうは言ったけど、そこは男子でしょ。女子はマネしかやれないし。男子とは言ってなかったけど。それにけっこう時間かかって一人って」


髪の毛がツンツンした人がひとしきり笑い終えて私から目をそらし、体育館に集まった男子に向かった。


「まあ、いっか。こんだけいれば」


そう言って向かった先は、当然とも言うべきバレーのコートだった。







だん、だん、と力強く床に打ち付けられるバレーボールが可哀そうに見えた。

これが、最強のスパイカー。
今更ながら雑誌にも載っていた牛島若利選手だということに気づく。

この人率いる高校生チームと、おそらく私と同じように集められた中学生チームがなんとか試合の形になっていたのは、人数のハンディがあったからだ。
じゃなきゃ一瞬で試合が終わっているだろう。
試合というのも変か、ミニゲームだ。たぶん、中学生の能力を見るための。



「帰んないの?」

「!!」

「よっと」


さっき心底笑っていた人だ。
その人が私のすぐ横にあった舞台の上にひょいと上がって腰かけた。

さらに人数のハンデを中学生チームにあげたらしい。
中学生の方はまずボールが上がらないから話にならない。一方的に殴りつけているような試合だ。


「帰っていいのに」

「は、はい」

「いてもいーけど」

「はい」

「中3?」

「はい」

「金の卵ってやっぱりなかなかないよね」

「は、ぃ」



金の卵の意味が分からなかったが、その人は淡々と話した。

体格と技術と、それからセンス。

選考からこぼれた中に、何か掘り出し物があるかもしれない。思い付きでの今のゲームだそうだ。


「今日のイベントって誰にでも開かれてるって言っても、実際はスカウトにあった中学生の中でさらに使えそうかどうか見てんだよね。もう始まってんの、選考。うちの中等部の連中の腕も見れるし」


相槌を打ちながら、また大エースの牛島若利がスパイクを決めたのを目の当たりにした。
涼しい顔でボールを拾えなかった中学生を見下ろし、すぐに練習のようにコートに立った。


「なんか飽きてきた」

「……」

「楽しい?」

「あ、はい」


興味深い。雑誌の中で言葉だけでしか認識していなかった選手のプレイを目の当たりにできているから。


「あ、若利君に興味あるんだ。声かけられたから」

「そういうわけじゃあ」

「すげー見てんじゃん」

「いや、綺麗なので。……プレイ全部が」

「まあ。そだね」

「でも、同じように見てますよね?」

「誰が?」

「その……あなた、が」


適切な二人称が浮かばずに結局一般的な『あなた』を使ってしまった。

初めて体育館に足を踏み入れた時と同様に噴出されてしまった。あなた、はないか。あなたは。英語なら「You」でおかしくないのに。こう何度も笑われるとはずかしい。


「面白いね」

「そう、ですね。面白い試合かと……」

「いや、君」

「あ、ありがとうございます」

「褒めたわけじゃないけど」

「そ、そうですか」

「なんで若利君に声かけられたの」

「いやちょうどぶつかりそうになって」


本当にそれだけだった。

いくつか言葉を交わして、ちょうど中学生の方がばててゲームが中断した時だった。


「うち、受験すんの?」


辺りを確認した。

この人の声が届く範囲は、私以外いない。


「あっ、私に言ってます?」

「それ以外ないじゃん」

「まあ、はい。受けます」

「バレー部はいんの?」

「いや! 私、バレー部員じゃ」

「それはわかる。バレー部の手じゃないし」


思わず自分の手を見た。



「マネージャーやってもいいよ」



その人はひょいっと舞台を降りてその言葉を残していった。




next.