ハニーチ

スロウ・エール 55




誰を?

すぐに天童と呼ばれていた人が問いかけた。

“あなた達を”、来年、私のすごいと思う人が、倒すかもしれない。

そう改めて告げようかと一瞬、もちろんそこまで言葉にできず、『……わからないならいいです』とだけ返した。
となりにいる牛島さんももちろん動じる様子もない。
県下一のバレーボールチームの人なんだから、いつだって色んな人たちから好戦的なことは言われてるはずで、こんな中学生の戯言なんかどうでもいいに決まっている。
当たり前だ。

ここまで連れてきてくださってありがとうございました。

お礼を告げて、やっと帰ってこれたスタート地点から今度は逃げ出すように駆け出した。

ほら、やっぱり面白い。
そんな軽口が背後から聞こえたけど、前だけを見ていた。









「もう、ここ受験しない……かも」

「なに?」

「なんでも、ない」



学校の説明会が終わった母親と合流し、再びバスに乗って家路につく。
帰りのバスは更に空いていたから、また窓際に座って母親にぽつりと呟いてまた黙った。

男子バレー部も結局少しだけ覗いたけど、すごい人数だったし。
監督の人もたぶん祖父と近いくらいだろうか、怖そうなおじいさんだった。方言だったし。
他の部活動だってどれも本格的だった。

ああ、違う。

こうやってもやもやしてるのは、あの第1体育館での出来事のせいだ。

ついてきてほしい、なんてそんな誘いにほいほい付いて行ったりするから……何やってんだろ、もう。

すぐ流される。目的がないからだ。ただ、言われるがままで。

自分を責め立てる言葉はいくらでも浮かんで気を紛らわしたくて窓の外を見た。
どんどん景色が流れていく。こうやってずっと何かに運ばれるだけの人生なのかな。



「!!」

「どうしたの?」

「お、降りる。わたし」


親が驚くには当然で、降りるバス停はまだ先で、でももう停車ボタンを押していた。
ランプが全部にともる。

固い窓をぐっと力を入れて開けてみた。
外の熱気が肌で分かる。



「ひっ、ひな、たくん!」



あんまり開かない窓のスペースに顔を寄せて、少し後ろに向かって声を上げた。
車内に響いてしまった。
かまわずに手を振った。気づいてほしかった。会って、話がしたかった。


「ごめん、友達に会ってから帰るっ」


もう名前を呼んでいたから、誰に会うかなんて明白なのに、友達と称して強引にバスから降りた。

後から自転車でやってきた日向君は、真っ白のTシャツを着ていて、体育の時みたいだった。
笑顔だった。


「どうしたの!?」

「あ、いや……バス、乗ってたら、見えたからつい」


声、かけちゃった。

日向君の反応を伺って声が次第に出なくなった代わり、日向君の方が大きな声になった。


「すげー嬉しい!」


急に、すとんと、肩の力が抜ける。

私が下りたバスはもう発車して向こうに見える。
日向君とこのまま立っていても仕方ないので、ゆっくりと歩き出した。


「あ、でも、急いでたら自転車乗っても」

「いいよ!大丈夫」

「そ、そっか」

「今日ママさんバレーの帰りで。いつもはもうちょっと夕方でさ。8月は家のことが忙しいから早めなんだって。だから、さんとタイミング合ってよかったっ」

「それならよかった」


日向君の話を聞きながら、なんてことのない話をしていくうちに、白鳥沢でのもやもやが胸の奥底に沈んでいくのを感じた。


「あ、このテレビ!」

「テレビ?」


電気屋さんのショーウィンドーの中にはテレビが外から見えるように並んでいる。
中では花火大会の中継映像が流れてる。

日向君が足を止めた。


「前に話したじゃん? 小さな巨人の話」

「うん」

「このテレビで見かけたんだ。あ、もちろん、このテレビじゃないよ!」



そりゃ日向君が小さい時の話だもんねと少し噴き出して、そんな風に、だからどうって訳でもなく、日向君が楽しそうに話してくれること全部に何度も相槌を打った。

日向君がよく友達と遊んだ後に寄ったという駄菓子屋さんにも寄り道した。

日向君はどれにするか悩んでるうちにカップのかき氷のイチゴを持って、ベンチに座った。
カップの外側がすぐに空気を凍らせる。
この暑さじゃすぐ溶けちゃいそうだ。



「ねえ」



肩に軽く触れる感覚。

ほっぺたに、日向君の人差し指がちょんと触れていた。



「引っかかった」



してやったりな顔した日向君が、となりに座った。
まだ空が明るい。
しばらく無言でアイスを食べていた。日向君が氷の冷たさに頭を抱えている横で、甘いイチゴミルクは溶けていって食べやすかった。



「あの、ね」

「ん?」

「あの……」


食べきった空のカップを無意味に動かしつつ、アイスブロックを噛み砕いている日向君に話しかけてきたものの、いまいち口が動かない。

あのコートの中の圧倒的な展開が胸をぎゅっと締め付ける。


「な、なんでもない」


日向君がまた氷を口にする音がした。


「なんでもないから」


もう一度念を押してから、ごみ箱にカップを捨てて、またベンチに座った。
隣を見れなかった。

そのうちに日向君もアイスを食べきった。



「もうちょっと寄り道しない?」


日向君の方が帰るときに時間がかかるから気になったけど、さんがいいなら大丈夫!とどんどん進んでいく。
導かれるままについていく。なんだか細い道だ。
前に教えてもらった小さな神社のところに行く時よりは、ちゃんと道だけど一人ならやっぱりこんな道は通らない。
日向君はどんな小学校生活を送っていたんだろう。

建物の並んだ道をずっと進んだ先に、ぽっかりと空いた空間。



「うわあ!」

「ね、すごいよな」

「すごい、ここだけ」

「ここだけ向日葵」

「これ、ここだけ誰かの庭?」

「わかんないけど、空き地になってから夏になると向日葵咲いてんだよね。昼間だともっときれいだけど、いま見える?」

「み、見えるっ」

「じゃあよかった」



太陽が沈んでしまってどこかしょげたようにも見える向日葵だけど、これだけ並んでいるとそれだけで迫力がある。
確かに昼間ならもっと鮮やかな黄色でいっぱいだろう。
夏の夕暮れの明るさからはうかがい知れないが、その存在感だけで満たされる気がした。



「元気もらいたいときにたまに来る」

「日向君が?」

「うん。ぐわああってなる」

「ぐわーって?」

「そう。なんかやっぱり夏の花だし」

「そうだね」



そっか。

腑に落ちた。



「私も、元気もらえたよ。ありがとう」



わかってはいたけど、私のためにゆっくり歩いてくれていた。
日向君のことをたくさん教えてくれた。
寄り道してくれた。

こんな、きれいな景色のところに連れてきてくれた。


日向君はやっぱり優しいな。



「そういうんじゃ、ないんだけど」

「え?」

「いや、その。優しいとかさ」



日向君が自転車の向きを変えて、背を向けた。



「乗りなよ。もう遅いから」



断ろうかと思ったけれど、なんとなく甘えたくなってしまって何度も感謝して後ろに座った。

力いっぱい自転車をこぐ日向君は、すごく男の子だった。



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