ハニーチ

スロウ・エール 56





自転車をこいでいた日向君が言った。


「さっきの話、さ」


それは、あの向日葵の前でのことだろう。
思い出すというにはすぐ前の出来事だった。


「おれ、優しくないよ」


優しくない、

二回も繰り返して、日向君は念押しした。

そんな風に言うことないのに。



「私は、やさしいと思うけど」

「その、そう思ってくれるのはうれしい、けどさ。そーいうんじゃない。じゃなくて……、……なんて言ったらいいんだろ」


自転車が何でもない道路の途中で止まった。

重さで負担をかけたくなくて、すぐ降りる。
どうしたんだろうと思ったら、日向君が一回座ろうと小さめの公園を指さした。
住宅街にポツンとあるだけの、何の変哲もない広場に、砂場と、シーソーだとか遊具がある。
こんな時間だから誰もいない。

ベンチもあったけどずいぶんと奥に設置されていたから、二つ並んだブランコに座った。

日向君は何か悩んでるようだった。
何を言わんとしているかわからない。ただ、いくらでも待とうと思って、ゆっくりとブランコを揺らした。
次第に大きく揺れそうになるから、時々地面に足をつけて速度を落とす。


「おれは、いっつもさんに助けてもらってるから」


日向君がしゃべりだしたからブランコを止めた。



「だから、借りがあるっていうか」

「借り?」

「借りじゃないんだけど!」

「借りとか、そのお返しとかは、気にしないでもらっていいんだけど」


いつも伝えていることだけど、何度だって言う。


「そういうのはその全然、なくてよくて。むしろ、全部なしでいい「それはやだ!」


悩んでいた日向君だったのに、急にぱきっと断言してくれた。


「あっいやっ、おれは、さんがしてくれたこと、なしにされたら困る。から、なしにしないでほしい」

「こまる?」

「困るっ。困るよ……、さんごめんしゃべんの下手で!」


日向君が深刻そうに頭を抱えてしまった。なんだかかえって火に油を注いでしまったような。
私はふたたび地面を蹴ってブランコの勢いをつけた。


「こっちこそごめんね」

「なんで、さんが謝るの」

「日向君、もっと困らせたから」

「困ってない! 困っては、ない。
 ないんだけど……」



日向君がブランコから立ち上がった拍子にがっしゃんと大きな金属音がした。

私もブランコを止めて静かに座り続けた。
そのうち、日向君もまたブランコに座った。

お互いに黙ってしまって、沈黙からどうやって抜け出せばいいかわからなかった。

でも、どこかでこのままここにいてもいいのにと、そんなワガママな感情を抱いていた。
ふつう誰かと会話が続かない状況って居心地の悪いものなのに、いや今だって快適ってわけじゃない。

でも、いいの、このままでと思うコドモの私がいる。

早く帰りなさいとオトナの私が頭の中で指示を出す。

いやだと駄々をこねるコドモがいても、きっと、それが正しいと賛同した。



「も、もう遅いね。今日はありがと。付き合ってくれて」

「……」

「明後日、楽しみにしてるから。今日は帰ろ?」



日向君は硬い表情のまま俯いている。

私の今日のもやもやが移ってしまったのかな。




さん」



今度は日向君は自分の髪をくしゃっと握りしめていた。



「おれ、国語できなくて。上手く、言えないかもしれないけど、聞いてほしい」

「う、うん」

「あ、長くなるかもしれないけど大丈夫!?」

「いいよ、ぜんぜん」

「あ、短い……かも、だけど」



日向君が一呼吸置いた。




「その、いつも思いついたらすぐ動いてるからさ。あんまり考えてないし。
 今日だって、おれがそうしたかったからさんに来てもらっただけで。

 でも、だから、だからさ、優しいからって言われると、なんかちがくて。

 上手く言えなくて、かっこわるいんだけどさ。

 さんにはちゃんと、わかっててもらいたいと、思って……いる。


 誰にでも、じゃ、ないよ。


 おれ、そんなやつじゃない。


 上手く、言えないんだけど。


 こんな風に、これまでも、さ、  ちがうんだ。わかんないけど。




 はじめてなんだ、

 こんなの、全部」






うまくいえなくて、ごめん。



最後に付け加えられた謝罪は、夕暮れにすぐ溶け込んだ。


うまくいえないのは、私も同じだった。

何を言われたか、受け取った言葉が何を意味しているか、わからない。
いや、そうじゃない。

私も、こんな気持ち、はじめてなんだ。

日向君の言う『はじめて』が、私のそれと同じなのかわからない。
ただ、今ここにあるキモチはこれまで生きてきて出会ったことがなくて、もう未知の領域なんだ。

答えの出せない問題を先生にあてられて、わかりませんとも言えず、先生の様子をうかがった時のように、日向君を盗み見た。
つもりだった。

日向君が、困ったような、切実な、難しい問題を解いている時みたいな表情でこちらを見ていた。

なんと、返せばいいのかはわからなかった。


その内、公園の電灯がちかちかと光ってからついた。

そんなに驚いてもいないのにポーズのように驚いて電灯を見てから、また日向君のほうを向いた。
日向君が今度は顔をそらした。



「ごっごめん、やっぱ、ちゃんと言えてない!!わかんないよな、こんなの」

「そんなことないっ。ないよ」



気持ちが伝わってきたのは、本当だ。

日向君は一生懸命言葉にしてくれた。


そう口にしても、日向君本人はやっぱりうまく言えてないと髪をぐしゃぐしゃにして、言葉にできない反動からかブランコに立ち直して勢いよく漕ぎはじめた。

なんだかつられて、私もブランコをこぎだした。
さすがに立ちはしなかったけど、スピードは出した。大人に近づくとこんな簡単に空が近くなるんだ。

こんな時間なのに夏は空がまだ明るい。
お月様は見える。
つま先で蹴っ飛ばそうとして、靴が飛んで行っちゃいそうだからやめた。

揺られてる日向君が言った。




「ずっと、



 一緒にいたら、



 いつか、



 わかんのかな」



まるで、独り言のようだった。

日向君の漕ぎ方が力いっぱいで、隣からは金属のガチャガチャとした音も常に聞こえた。




「あー!

 もっと勉強しとけばよかった!



 そしたら、



 困んないよな、全部言えるのに!



 おれだけ?



 こういうの、さんはない?」



行ったり来たりする日向君は、学校で同意を求める時にそう尋ねた。
すばやくうなずいた。



「そっか!」



同意したのがよかったのか、日向君の声はどこか晴れやかでそこには安心した。


しばらくそんな風に時間を過ごして、小学校ぶりのブランコの感想を言い合いつつ、公園を後にした。

もう元の場所までそう距離もないので日向君が自転車を押して、となりを歩く。


さんありがとう」

「なんで?」

「いっぱい、話聞いてくれたから」

「そんなに聞いてないよ。むしろ、ありがと、日向君」

「なんで?」

「今日、いっぱい付き合ってくれたから」

「それは、おれが、そうしたかったからで」

「おかげで、本当に、元気でたから」

「!そっか、よかった」

「ありがとう」

「いいって!」

「借り返してもらったよ」

「あ、それは、その、違うから」

「そっか。そうだね」



私も、何かしてもらったから、日向君に何かしたいわけじゃない。
日向君も、そうなら、どんな理由であれ、うれしい。


もう元いた場所だ。



「私、バスだから。日向君、あっちでしょ? ここでいいよ」



さすがにこれ以上付き合ってもらうのは気が引ける。
夕方はバスの本数もそこそこあるし、これ以上は悪いと伝えると日向君も了承してくれた。

自転車にまたがった日向君がすぐに小さくなる。

背中を見送っていると、日向君が振り返った。
それが嬉しくて手を振ったら、ふりかえしてくれた。



さん、またあさって!!」



大きな声で返してくれたから、同じように声を張り上げて手を振った。




next.