なんだか気合いが入ったらしい日向君が係の人に聞いて先を歩いていく。
その背中についていくままに劇場に入った。
中に入るとひどく混みあっている。そりゃそうか。さっきの混雑がなくなったのはみんな中に入ったからで、単に混む場所が移動しただけだ。
本当なら日向君に協力した方がよかったけど、この混雑もあって見失わないことだけで精いっぱいだった。
なんとかたどり着いたシアターの入り口で、スタッフの人からパンフレットが入った袋を渡された。
何やら怪訝そうな顔だったのが気にかかったけど、間もなく映画が始まるようで向こうも何も言わなかった。
もしかして試写会だからもう一度はがきを見せなきゃいけなかったとか?
考えても仕方ないので、早々に席に着いた。
今日はいくつも試写会が同じ時間帯だったせいもあり、スタッフさんも人の流れをなんとかするだけで手いっぱいだったのかもしれない。
センターブロックは既に埋まっていた。やけに大人の人たちが多いように見える。
サイド席は空いていたので、音響設備が近すぎる気がしたけど、真ん前よりましに見えたので、二人で座った。
ドリンクホルダーに飲み物をおいて見る準備をする。思ったより時間はなかった。
「そういえばさ」
今日、何の映画見るんだっけ?
この質問をもっと早くしておけばよかった。
劇場内が上演と共に暗くなってからそう後悔した。
*
始まったのは外国映画だった。
オープニングの時点で、おかしいことに気づけばよかった。
だって、R-15って映っていた気がしたから。
引っかかりに気づいた時点で行動するべきだった。
ぼんやりと席に座ったまま日向君とスクリーンを見つめていると、白い画面が出てきたかと思えば、BGMもなく、女性の甲高い声が流れてくる。
男性と女性が身体を重ねていることがわかる。白かったのは、ベッドの白いシーツだった。
あれか、スパイもの、だよ、ね。
主人公が敵の恋人から情報を奪う、とか。
違和感を正当化しようとしてそう考えてしばし画面を見つめて、いつまで経っても男の人が拳銃を持って敵から逃げるわけもなく、二人の部屋の窓からヘリコプターがやってくるなんてこともなかった。
爆発も事件も起きない。
ベッドのきしむ音が大音量で横から聞こえてくる。
状況が全く理解できずに隣の日向君を見ると、同じく状況が見えずに混乱しているようだった。
「あの、日向君。日向君」
混乱どころか完全に頭が真っ白になっているようだった。
声をかけても聞こえてないようで、肩を揺らすとようやく硬直から解放されたようだった。
「一回出よ。ね!」
「え、あ、……う、うんっ」
サイド席だったからまだ外に出やすくて助かった。
私達が劇場から出る時でさえ、まだ男女二人は絡み合っていた。どこか湿っぽいリップ音がひと際大きく響いた。
*
「ごっごめん、さん!!」
「いいから行こっ。おかしいと思ったの」
「ほんとごめん!!お詫びに何でもするから!」
「大丈夫だって!」
入る劇場を間違えた。ただ、それだけだった。
係の人もひと声かけてくれればいいのに。道理で私達を不思議そうに見ていたわけだ。
観客も大人の人たちが多いのも当然だ。
でも、いくらなんでも、こんな朝からあんな映画やることないのに。
入り口で日向君が手渡されたチケットに書いている劇場に入ると、子供たちのわっと上がる悲鳴が聞こえて、いつもなら怖そうな映画で警戒するけど、今日はかえって安心してしまった。
スクリーンの前の方の席でも問題ない。だって、女の人のあの声が聞こえてこない。それだけでよかった。
ただ、映画を見終えたころには自分が何を見ていたのか記憶があまりなかった。
いやもちろん面白かったし集中しようと意識はした。でも、ちょっとしか見てないR-15の映画の方が鮮明だった。夢に出て来たらどうしよう。それほど衝撃的だった。
本来見る予定だった映画は学校の怪談シリーズの最新作でそこそこ面白かった。今を時めく人気俳優も出ていたし、七不思議になぞらえたお化けも怖かったけど可愛くもあった。
撮影もあって着ぐるみのおばけも登場し、観客全員に配られた風船を一斉に飛ばす、なんてイベントもあった。
もはや流されるままだったし、それで助かった。
まだあの映画が頭にちらつく。もう、なんであんな大音量だったの。
嘆いても仕方ないので、荷物をまとめた。
すっかり氷が解けた飲み物を一気に飲み干して、隣を見た。
「日向君、もう行こうか」
「う、うん、そうだね」
お互いになんだか気まずかったけど、その要因については口にできなかった。
劇場の外にいる係の人に空の紙コップを手渡して、出口に向かう。
「あれ」
少し先を歩いている二人に見覚えがある。
二人は仲良さげに会話していた。
「日向君」
「え!?」
「あ、その。あの、前の二人、さ」
「あ!!」
日向君が大きな声を漏らして自分で口をふさいだ。
やっぱりそうか。
自分一人だけじゃないから確信する。
「なっちゃんと関向君だよね」
「おんなじ映画見てたんだ。あんまり見ない組み合わせだね」
「でも、二人って幼馴染って話だし」
「そうなの!?」
「ほら、前に」
北一との試合の後に会ったときに、と言いかけて、なんとなくあの試合のことを思い出させたくなくて、そんなことを聞いたことがあると言いかえた。
「声、かけてみる?」
ともかく他の話題を口にしたくてそう尋ねてみた。
日向君は少し視線を泳がせてから言った。
「いや、その、なんか、二人楽しそうだし、やめとかない?」
「そう、だね」
何を二人が話しているか聞こえてこないけど、友人が関向君の腕を楽しそうにはたいて、いかにも親密そうに会話していた。
なんだか友人の知らない顔を覗いてしまったような気もする。
「さん、声かけたかった?」
日向君に聞かれて首を横に振る。
「ううん、見かけたからどうしようかなって思っただけ」
「そっか」
「それに、邪魔だし」
「えっ」
「あ、ほら、二人楽しそうだから邪魔しちゃ悪いかなって」
「あ、そっちか」
「え?」
「あ、いやっ。なんでもないっ」
「なにが?」
「いや、ほんと、なんでもないから」
日向君が顔を背けて歩いていく。
グッズコーナーに向かっているのはわかるけど、気にかかる。
「ねえ、日向君」
「ほっほら、さっきの妖怪のぬいぐるみあるよ」
学校のカバンにつけられそうなサイズのキーホルダーを日向君が手にする。
いつもならすぐに可愛いねとか会話が弾むのに、なぜか引っかかってしまった。
「さっき、なんでもするって言ってくれた、よね」
ずるいと自覚していたけど、つい引き合いに出してしまった。
さっきの外国映画を思い出してしまうのもあって、一瞬だけ気まずさが流れた。
日向君が商品を元の場所に戻しつつ、うつむき加減で呟いた。
「じ……邪魔かなって。……ふたりの」
それは、さっき私が口にしたのと同じことだった。
「お、おなかすかない!?」
急にいつもの調子で話しかけられ、これ以上は聞くことが出来なかった。
next.