ハニーチ

スロウ・エール 59




今日はどこも混んでいるみたいで、すぐに入れそうなハンバーガーチェーンでお昼ごはんにした。

ちょうど建物の外から見えるカウンター席が空いたから、すかさず席を確保して一緒にメニューを選びに行く。
店内のポスターには、さっき観た映画とのコラボメニューがでかでかと載っていた。


「おれ、あれにしようかな!」

「いいね。あ、でも、発売日まだみたいだよ」

「そうなの!?」

「ほら、あそこに日付書いてある」

「あ、ほんとだ!」


今日はよく行列に並ぶ日だ。
並んでいる間、日向君と話せるのはうれしいけど、いつもはこんなに混んでいる場所に行かないから気後れする。


「大丈夫?」

「え?」

さん、ちょっと疲れて見えたから」

「そ、そんなことないよ。楽しい!」


ちょうど順番が来て、先に注文させてもらった。
いけない、心配かけちゃう。
楽しいのはほんとなんだから。ただ、慣れないだけで。

先に商品を受け取って席に戻って日向君を待った。
そうだ。

携帯を取り出して、今日は食べてしまう前に写真を撮った。
本当は日向君のセットと一緒に撮りたかったけど、さすがに言い出せない。


「何撮ってんの?」

「あ、えっと」

「あ、さっきのやつだ!」

「えっ」



日向君の視線がカウンターの上ではなく、お店から見下ろせる広場に注がれていることがわかった。

映画のマスコットの着ぐるみが子どもたちに囲まれていた。
写真の撮影会みたいで、周囲のスタッフの人は宣伝代わりの風船を配っていた。

隣の日向君もどこかワクワクしている。


「もしかして風船欲しい?」

「えっ! い、いらないよ、子どもじゃないし」

「ほんと?」

「ほっほんと! もし夏がいたら代わりにもらいに行くことあるけどさ」

「あ、じゃあ食べ終わったら夏ちゃんへのお土産にもらいにいく?」


いつまで風船を配っているかわからないけど、今眺めている様子だと早々になくなる気配はない。


「いいよ、本当に」


それはイエスではなく、断りの意味の方だった。

これは機嫌が悪くなっているかもしれない。
なんとなく察知して、携帯をテーブルに置いて、日向君と同じようにハンバーガーの包みを手にして食べ始めた。

しばらく食べてから、日向君がぽつりと話し出した。


「おれたちさ」

「うん」

「もう中3じゃん」

「え、うん」


当たり前すぎることを言われて、かえって反応に困った。


「お店の人にハッピーセット勧められた」


その声は不満そのもので、そしてひどく納得させられた。
だから、日向君、ちょっと余裕なかったんだ。

広場の着ぐるみで気分が切り替わったんだろうけど、風船の話で、風船が好きイコール子ども、みたいな連想をしてまた気分を害したのだろう。
まるで謎が解明されたようで内心すっきりしたけど、日向君の様子からもちろん口に出せるはずもなかった。こんなことなら風船のこと勧めなきゃよかった。
去年の水族館の時もだけど、小学生に見られたりするのは日向君にとっては人一倍気にすることのようだ。もし自分ならと想像してみても、きっとそこまで気にしない。
人には誰しも特別気にする何かがあるものだ。

それ以上何も言わない日向君が無言でポテトを食べる。

どうしたら元気になってくれるんだろう。

下手に慰めても、かえって元気をなくさせそうだ。


あ。


「あ!」



私の携帯にトレーがぶつかった。
ストラップの鈴の音が一瞬鳴ったかと思うと、カウンターの端から携帯が落ちた。

いや、正確には落ちかけた。

携帯のストラップを日向君の指先がとらえていて、私の携帯はゆらっと命拾いしていた。



「ごごめん」

「んーん」

「ありがと」

「これさ」


日向君から携帯を手渡された。


「使ってくれてるんだ」


これ、とは、去年もらったイルカのストラップのことだ。

今日は日向君と出かけるから、大事に引き出しにしまっていたストラップをいつも使っているものと交換していた。


「学校だと見ないから」

「あ、えっと、かっ可愛いから!なくしたくなくて。あ、いつも使ってるのも可愛いんだけど、それはそれとしてね」


って、言葉を重ねるほどかえってはずかしくなってくる。

紙コップのストローを急いで口にして、頭を冷やそうと努めた。

日向君がこっちを見て言った。


「よかった」

「な、なにが?」

「気に入らなかったかなってちょっと思ってたから」

「そんなことないっ、よ」

「うん、だからよかった」


氷で薄まった飲み物をもう少しすすり、日向君の様子をうかがって安堵した。

誰だって自分が選んだプレゼントを気にいってもらえたとわかれば気をよくする。

日向君の機嫌がよくなったなら、私もよかった。
やっぱり笑顔の日向君がいい。

安堵しつつ、また携帯を落としたりしないように、カウンターテーブルの奥に携帯を置き直した。
ストラップが汚れたりしないように注意もして。


「そういえばさ、生徒会にちゃんと紙出したよ」


紙とは、文化祭に関する出し物のことだ。
電話で話したことを思い出す。


「生徒会室って初めて入ったけど、いろんなの置いてあるね」

「パソコンとかね。あと、けっこういらないのも置いてあるよ」

「すげーごちゃごちゃしてた。あ、あとお茶出してもらった!」

「お茶?」


自分が行った時のことを思い返してみても、よく考えたら今年は生徒会室に入っていないことに思い至った。
家庭科部としての活動のメインはもうすっかり2年生だし、3年生としては雑務は既に引き継ぎ済だ。
自分が考えるよりもずっと、バレー部の方に肩入れしてしまったかもしれない。


「でも出し物がなあ」

「展示だからなんでもいいんだけどね」


バレーの歴史でも、現在のバレーボール選手たちのまとめでも、それこそ今やっている世界選手権の試合結果をまとめたっていい。
出店は準備も文化祭当日も忙しすぎるし、調理場所も他の部活とかぶるから、日向君プラス1年生3人じゃとても回せそうにない。
展示であれば実現可能性が高く、当日も基本的には人はいなくていいからクラスの方を手伝える。

思いつくままに言葉にすると、なぜか日向君は感嘆した。


さんすげえ……!!」

「すごくないよ、全然」

「おれ思いつかないよ、メモするっ」


ペンとノートを引っ張り出して日向君が文字を綴っていく。
それを横から眺めた。


「バレーのルールとかでもいいかもね」

「なんで?」

「1年生もさ、もっかい勉強できるから」


北川第一との試合に向けて準備している時も彼らの知識不足も気にかかった。
今は女子バレー部とも練習させてもらっているからいいけど、来年もし新しい1年が入ってくれるなら彼らがフォローしなければならない。
指導してくれる先生がいない以上、主体的に学んでもらう必要がある。


「そうだよなあ」


日向君のペン先が止まって、黙ってしまった。
何を考えているかわからなくて、私も口をつぐむ。

心の奥底にしまっていた疑問が浮かんでくる。

日向君のやりたかったバレーは、バレー部は、これだったの、と。

あの一回限りの公式試合が浮かんだとき、ちょうど携帯のバイブ音がカウンターを揺らしたから、手で押さえた。
影山君からのメールだった。きっとまた何かの質問だろう。
携帯の小窓に送信者名が出てしまったから慌てて携帯をカバンにしまった。日向君に見られたくなかった。

返信しなくて大丈夫かと聞かれたから、とくに電話じゃないから大丈夫と問いかけに答えた。

でも、急に罪悪感がわいてきた。
先生からのお願いだったとはいえ、日向君を負かした影山くんに勉強を教えているんだから。
高校でバレーをするとした場合、きっと影山君と日向君はどこかでぶつかりあうはずで、とすると、私のしていることは敵に塩を送っていることになる。
あれ、でも、ほっとくと影山君下手したら中卒だから敵にもならない?
だんだん混乱してきた。



さん?」

「あ、ごめん! な、なんだっけ」

「いや、ううん。なんでもない」

「そっか。あ、もう帰る?」

「え」

「え?」

さん帰りたい?」

「ええーっと、まだ、いい、かな」


映画も見終わったし、お昼も食べ終わったし、一緒にいる理由はもうないように思われて、気を利かせて帰るか聞いたつもりだった。
まさか、私が帰りたいわけじゃない。いつまでも日向君を引き留めちゃ悪いかと思った、ただそれだけった。
日向君がノートの隅にくるくると何かを書いて、何か意味があるのかなと目で追っかけると、なんでもないと言われた。

本当に、何でもないのかな。



「これさ、目付けたらさっき出てきたおばけに似てない?」


日向君が落書きに付け足した。
どこかアンバランスな絵だった。


「もうちょっと可愛いと思う」

「そう? こんなんだったよ」

「もっと可愛かったよ、怒られるよこんなの」

「そうかな、けっこう似てんのに」


そんな押し問答を繰り返していたら、ペンがこちらに差し出された。


「じゃあさ、さん描いてみる?」

「いいよ」


日向君の差し出すペンをそのまま借りて、その不可思議な落書きの横にさっき見た映画のキャラクターを描いてみせる。

出だしはよかった、はずなのに。


「こ、これなし!」

「おれより似てないっ」

「間違えたの、ちょっと待って、思い出すから。笑いすぎだよ」

「だって、こんな丸っこくないしさ」

「待って、冷静に描く。描くから」


ちょうど視線を感じて振り返った。

テーブル席の仕切りの向こう、ちょうどハンバーガーセットを持った関向君と友人の姿があった。




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