ハニーチ

スロウ・エール 61





坂を登りきると、首筋に汗が伝うのが分かった。
日差しが雲で隠れたりまた顔を出したりしている。
コンクリートの熱が靴の裏から伝わってきそうで、口数が減ってきたところで映画の舞台セットになったらしい廃校にたどり着いた。
元は小学校だったみたいだ。

友人が試写会の記念品として配られたパンフレットを取り出した。


「ほら、この入り口なんかまさにこの場面と一緒じゃん」

「ほんとだ、すごいね」

「でも、これ入り口しまってるぞ」


関向君の言う通り、今は使われていないとあって校門は閉まったままだ。
例え学校として使われていても、夏休みのこの時期は閉まっていそうだけど。


「せっかくここまで来たから中に入りたいんだけどな」

「こっから行く?」

「日向くん!?」


急に勢いをつけたかと思ったら、日向君は植木のある場所に足をかけて、そのまま塀の上にあがってしまった。


「そんな高くないよ!」


すとん、と向こう側に地に足つけたことがわかった。
あっという間の出来事だった。

残されたこちら側はしばし無言になってしまった。

閉ざされた柵越しに日向君が手を振る。


「コージーも早く!」

「俺はいいけど、そっちは」

「私もまあいけるとは思うけど、はそのかっこだしね」

「いや! まあ、気を付ければいけるとは思うよ」


二人に指摘されて今日ワンピースなんか着てこなければよかったと若干後悔した。

蝉が変わらず鳴き続けている。



「もう帰る?」

「いやいやいや。なっちゃん、日向君あっちにいるし」

「上がれるの、その格好で」

「や、やってみる」

「荷物持とうか?」

「大丈夫、チャレンジしてみる」


さっきの日向君を思い出して勢いをつけてから縁に足をかけて上がった。
ワンピースで着てしまったけれど、幸いヒールのある靴ではなかったので、難なく上がることが出来てよかった。
スカート部分が汚れてしまうのは仕方ないけど、立った状態で飛び降りるのは怖いのでゆっくりと壁に腰を下ろした。

日向君はずっとこちらを見ていた。


「あ、あの……」

「なに?」

「あっいや」

「日向、スカートなんだからあっち向いてなよ!」

「え!? ああっ!!ご、ごめんっ」

「や、あの、私こそごめん」


気にする方がおかしいんだけど、そりゃ好きな人がずっと自分を見ていると緊張するし、服が乱れるところなんて見られたくはない。
忠告してくれた友人に感謝しつつ、注意して敷地に降り立った。

反対側を向きっぱなしの日向君に声をかけて、お礼を口にした。

友人も関向君も簡単にこちら側にやってきた。
誰かに見られたら怒られるだろうから、さっさと校舎近くに移動した。


「パンフレット見ると、この4か所が使われてそうだね」


友人が開いた紙面には、さっきの校門と教室と音楽室と保健室が映っていた。


「じゃあさ、コージーと私が保健室と教室行ってくるから音楽室はと日向で」

「え、なんで二手に分かれるの」

「そんなに長居してもあれだし、証拠の写真だけあとで共有しよう。効率いいし。ね、コージーもいいでしょ?」

「ああ、どっちでもいいけど」

「決まり!」


去り際に友人が親指を立てたから、これは効率がいいという理由じゃなく、さっきの会話の“協力”ということだろう。

だから、そういうことをされるとかえって困るんだってば。

日向君がどうのって話じゃなく、こっちにも準備だってある。


さん、大丈夫?」

「あ、うん!」

「どっかは入れる場所があるか見よう」

「そ、だね」


ここに突っ立っていても仕方ない。

校舎の外から見えた音楽室は上の階にあるから、まずは入り口を探さないと(友人たちの教室と保健室は1階にあるようだった)


先を歩く日向君が遅れてしまうこちらを心配してくれているような気がして、早歩きで隣に並んだ。

校舎の裏には階段があって、その脇に裏口があった。
扉を開けようとしても当然鍵がかかっていた。

よく考えれば、廃校とはいえ、きちんと管理されているなら施錠されているのがふつうだ。
音楽室までたどり着けそうにない。


「あ、待って!」


日向君が何かを見つけたようだ。

半開きの、小窓だ。
そのふもとに金属でできたごみ箱がある。

ま、さか。


「あ、危な……!!」


日向君が大きな金属の箱もといごみ箱に上ったかと思うと、その小窓に手を伸ばした。
落ちる、かと思ったけど、そんなことはなく、日向君が手をかけた窓が開く。

日向君が中を伺った。こっちを振り返った。


「いけそう!」

「いや、でも」

「待ってて」


待ってて、と言われても。

大きな声を出して日向君をびっくりさせるわけにもいかない。

まるで忍者だった。
日向君の身長だからだろうか(本人には言えないけど)、あの小窓から潜り込んでしまった。

がしゃん、と鍵が回った音がして、扉が中から開かれた。

したり顔の日向君が立っていた。


「いけるよ!」

「す、すごいね」

「これくらい余裕!」



日向君の身体能力ってどうなってるんだろう。

そんな疑問を抱えながら入り込んだ校舎の中は、撮影があったであろう人の気配がところどころあった。

足跡も残っている。たぶんスニーカーだ。


「もうちょっと上の階かな」


2階を過ぎて、その上を目指して階段を進んだ。

小学校だから、いつもの見慣れた学校の階段よりも低く感じた。

誰もいない学校は、誰かいそうで、まったく誰の気配もしない。



「日向君さ」

「ん?」

「なんだかわくわくしてるみたい」


そう指摘すると、正解とばかりに笑顔がこぼれた。


「探検って楽しいじゃん!」


言われてみると貴重な経験だなと気が付いて、二人きりでいることよりもこうやって使われていない校舎を探索する面白さを今さら認識した。


「あった!」


パンフレットと、音楽室と書かれたプレートが下がっている入り口を見比べる。

確かに、今日見た映画と同じだ。


「一緒だね、ここで撮影されたんだ」

「あ、夏目に言われてた証拠撮らないと」

「写真撮るなら外と、あ、中は入れ……、るね」


おそるおそる手をかけた扉は開くことが出来た。
当然というべきか、音楽室と言っても楽器はもう何一つない。

映画の中では、というか使われている音楽室なら、本当はピアノが置いてあるはずだった。
かろうじて残っていた机と椅子も数は少なかった。

ここだけ掃除されているのは、映画の撮影のためだろう。

かけられているはずのベートーヴェン達の肖像画はなかった。


「わ!!」
「わあっ!」


すぐ横で驚かしてきた日向君をにらむ。
そんな悪戯っぽく笑ってもこっちはびっくりしたんだからね、と怒りの意味も込めて視線を送ってみる。
でも、ダメだ。つられて笑ってしまった。
好きになった方の負けってやつなのかな、それとも日向君の人柄かな。からかってもらえる距離間が嬉しくもあった。

日向君が携帯で写真を撮る。不思議な光景に見えて言った。


「変な感じがする」

「なにが?」

「学校なのに携帯出してるの。それに、廃校になるとこんな感じなんだなって」


学校なのに、学校じゃないみたい。

少し空気をよくしたくて窓を開けてみる。

むっとする暑さと風が入ってきた。校舎の中の方が涼しいくらいだ。

グラウンドが見える。体育館が見える。プールだって。


でも、誰もいない。



「おれとさんだけみたいだ」



同じく窓の前に立つ日向君がそういうから、一人胸をときめかせた。

この敷地にはさっき二手に分かれた友人も関向君もいる。

なのに、二人しかいないと錯覚してしまう。

ドキドキした。
意識してしまう。

私だけかな。


何か言おうと思った時、急に空が暗くなってきて雷のような音がした。
遠くの空は明るいのに、こっちだけが雲が厚くなる。

もしかして、お祭りの時みたくまた雨が降るんだろうか。


「降ってきた?」

「ううん。でも、降ってもおかしくないかも」

「最近多いよなあ」

「地球温暖化のせいかな」

「そうなの!?」

「わかんないけど、もしかして、明日で地球終わっちゃったりして」


小説や漫画の読みすぎかな。
もし地球最後の日に二人でいられたら、なんて妙な仮定が浮かんだ。



「もしもだけど」


言い出しながら、さっきよりも鼓動が早くなっている気がした。



「もし、明日で世界が終わるとしたら、日向君どうする?」



人は究極の場面で、告白というものをしたくなるらしい。

そんな話を前に読んだ。



密やかにドキドキした。

もし、その相手が自分だったら。
もし、自分が相手に告白するんだったら。

ばかげていると思いつつ、『さんは?』と聞かれる準備を無意識にしていた。



日向君が口を開いた。





「もし、


 明日で地球なくなるんだったら……






  おれはバレーする!」







私の中のドキドキは体感では長かったのに、物理的に言えば一瞬で吹き飛ばされた。
青天の霹靂だった。


バレーを、する。



さん?」

「あ……、えっと、バレー?」

「うんっ。早く6人集めてバレーしないと! あ、相手もいるから12人かっ」



なんだか恥ずかしくなって俯いた。
日向君はこちらの心境の変化に気づいていないようで、安心した。



さんは?」

「えっ」

さんならさ、明日で地球終わるなら何する!?」


わくわくとした瞳で見つめられても、私の中に答えは消え去っていて、あいまいにごまかしてこの音楽室を後にした。















友人たちと合流して再び廃校を苦労しながら抜け出した帰り道、雨が降りそうだからと早々に解散した。

日向君たちとは別れて、私と友人二人で帰ることにし、タイミングよくやってきたバスに乗った。


「どうだった?」

「なにが?」

「日向と。二人きりでどうだったかって聞いてるの?」


空いた席に腰を下ろして友人が問いかける。
どこか楽し気な含みのある言い方、それは嫌なものではなくてむしろ楽しいものだ。

ただ、今は、自分が情けなかった。

膝の上で両手を握りしめた。



「あのね、なっちゃん」

「なになに」


バレーをすると宣言された瞬間を思い出す。



「日向君と私もね、そんなんじゃないの」



友人が目を丸くする横で、バレーと口にした時の日向君の生き生きとした姿を思い出した。



next.