友人は間髪入れずに続けた。
「なんで?」
「なんでって、なにが?」
「なにがじゃなくて」
「なんにもないんだってば、ひなっ、じゃなくてT君と私は」
単に気の合うクラスメイトで、これからもおんなじだ。今日それを改めて思い知っただけだ。
バスの中の空調が寒くなってうつむくと、ワンピースの裾が少し泥で汚れているのに気づいて指先で撫でた。
落ちない。
「あのね、二人でいたからって何かある訳じゃないの」
「映画デートだったのに?」
「デートじゃなくて、たまたま試写会当たったから誘ってもらっただけだし」
「男子と女子じゃん」
「それはなっちゃん達もじゃん」
「私たち幼なじみだから」
「私たちだって同じクラスなだけだし」
「二人、お昼のときもいい雰囲気だったじゃん」
「いつもとおんなじじゃん、学校と同じ」
友人に言葉にすればするほど、かえって切なさが募っていった。
そうだ、夏休みで久しぶりに顔を合わせたからそれでかんちがいしたんだ。
全部、いつも同じだけで、場所が学校の外だっただけだ。
ますますふてくされた気持ちになってしまって黙り込むと、友人はバスの座席に背中を預けた。
「はー、T君、何やらかしたんだ」
なんにもやらかしてないよ、いつも通りだったよ。
そう告げると、やっぱりやらかしてんじゃんとすぐ返された。
日向君は何にもしてない。
何かした、というか、何か仕掛けようとしたのは、むしろ私の方だ。
「なっちゃん、私はね……」
バレーに負けたの、
そう言葉にしようとして、あのとき日向君に世界が終わる日の話をしたときのドキドキや緊張感を思い出して、それがすべて空振りだった自意識過剰さや恥ずかしさがよみがえった。
誰かに話してしまいたい気持ちはあるのに、いざ言葉を発しようとすると急に悲しさがこみ上げて何も言えなかった。
友人の手が肩に置かれた。
「いい、何も言わなくて」
「なっちゃん」
「とりあえず状況は理解した」
たぶん何もわかっていないだろうけど、私が意気消沈であることだけは伝わったようだ。
「元気を出したまえ」
「なっちゃん、そんなキャラだっけ」
「私はいつでも優しいからさ」
「そっか」
「いや、つっこんで」
そのまま友人との他愛無い会話を続けていると、その内に少しだけ気が紛れた。
わかっていたことだ。
日向君はバレーをしたい。バレーに恋してる。
私はその様子をそばで見られればそれでよかった。応援したい気持ちが原点だった。
今日も二人で(途中から関向君たちと合流したけど)映画だって観に行けたんだし、ハンバーガーも食べれたし、映画の舞台も回れたし、最高の1日だった。
その楽しかった気持ちをもって、もう半分もない夏休みを受験生として過ごす。
完璧な夏休みだ。
自分に言い聞かせるように頭の中でそう半分思いながら、夏らしいことをしたいと、花火大会のポスターを指さした。
浴衣を着て花火というのもいかにも夏だ。
友人と分かれて一人バスに揺られていると冷静になってきて面倒な気もしたけどそれでよかった。
浴衣の面倒さにかえって他のことを考えずにすむ気がする。
花火大会は夏休み終わり、それまでにきっと今まで日向君の前にいた自分に戻れるはずだ。むしろ戻らなきゃ。
夏休み明けは文化祭だってあるんだし。
だから家に着いた時、携帯に日向君からのメールが入っていて、やはり動揺してしまったのは情けなかった。
*
「ねえ、私もまざっていい?」
祖父の家に母親と尋ねた日のことだった。
ちょうど従兄弟もいて、これから町内会のバレーチームの練習に向かうところだったらしい。
母親は祖父の家でやることがあるが、私はなんとなく付いてきただけだ。
従兄弟がバレーをするところが見てみたかったし、自分自身久しぶりにバレーをしてみたい気持ちがあった。
「どういう風の吹き回しだ?」
玄関先で従兄弟が靴を履きながら私を見上げた。
その横でさっき脱いだばかりの靴を履く。
「人数集まってないって聞いたから」
「だからって中学生に混ざってもらう必要はねーよ」
「私がやりたいの」
バレーを、やりたい。
祖父の家に置きっぱなしになっていたスポーツ着や体育館履きはもう手にしていた。
従兄弟は賛成している雰囲気はなかったけれど、話を聞き流しながら助手席に乗り込むとさすがに追い出されることはなかった。
「、受験勉強上手くいってないのか?」
「なんで?」
先日、郵送されてきた模試の結果では烏野高校は合格県内、第2志望も問題なさそうだし、チャレンジ校の白鳥沢学園高校だって悪くはなかった。
「あ、勉強嫌だからバレーしたいわけじゃないからね」
図星だったらしく従兄弟は首をかしげて信号待ちをした。
「声かけてもずっとやらなかっただろ」
それは事実だから黙って車の窓を開けて夜風に当たった。
体育館に着くと何にも変わっていない代わりに、古さが増しているように見えた。
女子更衣室もあったけど入ってみると熱気とほこりでいっぱいだった。
慌てて窓を開けるとこのまま外で着替えたくなるくらい気持ちがよかった。
「、ケガだけはすんなよ」
着替え終えて体育館に足を踏み入れた途端、従兄弟の第一声はこれだった。
他のチームメイトは来ていないようで、バレーボールのかごを押す従兄弟を手伝った。
「こっちいいから準備体操しとけ」
「やるってば。参加させてもらうんだし準備くらい……」
「突き指でもして鉛筆握れなくなったらおばさんに顔合わせできないだろ」
「怒らないよ、自業自得だもん」
「そうも言ってらんねーだろうが。入念にやれよ、受験生」
「わーかったってば!」
仕方なくコートの準備は後回しにして体育館の隅っこで身体を伸ばした。
従兄弟にはああいったものの、確かに勉強机に向き合ってばかりの身体にはバレーはけっこうハードかもしれない。
日はとっくに沈んだのに体育館は昼間の熱気がだいぶ残っていて、もう汗がにじんできた。
その内に他のバレーチームのメンバーが集まってくると、従兄弟は私たち家族の前にいる時の顔からバレーチームの一員の顔つきに切り替わった。
知っているのに知らない人みたいだ。
こっちが見ているということは相手もこちらを見ることが出来る。
従兄弟が、人数が少ないから私が混ざってもいいかと聞いてくれて、少しだけ注目が集まって緊張した。
町内会の人たちとこうやって会うのも小学校以来だ。
「ちゃん? おっきくなったなーー」
「前に会ったの3年前? 人の子に会うと年取ったの実感するわ」
「その発言おっさんくせー!」
楽しそうに会話する様子に部外者である自分としては気後れしつつもなんだか懐かしさを覚えた。
小学校の頃は従兄弟にせがんでバレーの練習に参加させてもらったものだ。
ネットの高さが段違いで、大人になったらこんなのも簡単に超えていけると思い込んでいた。見上げたネットに手を伸ばしてもかえって高く感じてしまう。
「、入れ」
ずっと練習試合を眺めていたら、従兄弟から声がかかった。
すぐに立ち上がってコートに入ったものの、点差は大きく離された状況で、もう決着がついたようなものだからコートに入れてもらえたのがわかった。
「え、あれ、私、セッター?」
「俺の代わりだからな」
「いきなりセッター!?」
「一番しっくりくるだろ。人数も半端だし、気楽にやれ」
「え、あ、う……よろしく、おねがいします!!」
「よろしくー」
「繋心に似てないよなー」
迎え入れてくれたチームの人たちに恐縮しながら、今日は特別人数が少ないのもあって向かい側のコートも和やかな雰囲気だった。
私だけ怖い顔になってるかも、深呼吸して相手チームのサーブを待った。
「おっし!」
ピ、と笛が鳴る。
点が入る。
「しゃっ」
「ライトーーーー!!!」
「えぇっ」
ピ、と笛が鳴る。
点が入る。
まだ点差は大きく開いている。
サーブは痛かった。手加減されているとはいえ、この勢いはすごかった。
トスは何とかなった。
後はレシーブ、それに体力が問題だ。
「!」
「あ、うん」
「変われ」
「うん」
従兄弟と手を合わせてバトンタッチした。
こんなに汗をかいて息も切らしているのに、物理的な時間で言えば数分だった。
頭がとてもクリアーだ。
腕がじんじんと痛む。赤くなっていた。レシーブはやっぱり続けてないとダメなんだな。
少しだけ追いついた試合はもう負けてしまった。
今日はもうお開きだそうで片付けが始まった。
*
「ちゃんがセッターの方が逆転あったんじゃないか?」
「あのなあ」
「あのツーアタック、なかなかできないだろー」
「まずレシーブでボールが上がんねーと話になんねーよ」
「だな!」
チームメイトとの会話を聞くだけでなんとなく心躍るのは楽しかった日々を思い出すからだろうか。
早くシャワーを浴びたかったが、従兄弟たちは飲み会があるらしい。
私も誘われたが、従兄弟がきっぱりと断って車に乗せられた。
「けーちゃんいいの?」
「なにが?」
「バレー終わりのビール」
「子どもは気にしなくていい」
反論しても子ども扱いは変わらないのでありがたく家まで送ってもらうことにした。
暑くて町内会の夏祭りが印刷されたうちわをぱたぱたと仰いだ。従兄弟に向けて。
「なんだよ」
「ありがとう」
「……自分に扇いどけ」
「バレーやれて楽しかった」
「そうか」
しばらく従兄弟と自分を交互に仰いでいたけど、従兄弟が車のクーラーをつけてくれた。
たぶん一人だとつけないと思う。
黙った横顔は愛想もないのに、やっぱり優しい。
家に着くともう母親も祖父の家から帰ってきていた。
こんな風にバレーをして帰る私を見て、母親も少しだけ懐かしそうだった。
next.