ハニーチ

スロウ・エール 64







「もしかして鈴木君達も声かけた?」


荷物を今度はしっかりと手にして、日向君の白いシャツを追いかけた。
廊下は窓が開いていて風もあるのに、教室の外はうんざりするくらい暑い。

少しだけ振り返った日向君が歩く速度を落とした。


「かけたよ。みんなは午後から!」


二人でお昼ご飯に何か意味があるのか、と、こりもせずに一瞬だけ期待してしまった。
真相は、お昼ご飯は鈴木君が来られないから3人とも集まれる午後に合流するってことだ。そりゃそうだよね!

気を取り直して何を食べようか考えた時、購買がやっているのが目に入った。


「どうかした!?」


先を歩いていたはずの日向君は、後ろに目があるのかと思うくらい私が足を止めたのにすぐ気がつく。
顔が近くて面食らった。


「あ、えっと、購買やってるって知らなくて」

「夏休み中しまってたもんな」

「食堂けっこう暑いし、パンでも買って教室で食べても、」

いいかも。

そう言いかけて、視界に入った二人の姿。
男子と女子。

一人は鈴木君で、もう一人は確か女子バレー部の1年生、だったような。

鈴木君とあの女子の話している雰囲気はどこか和やかで、他の男子二人といるときとどこか違って見える。

鈴木君が昼に来られないって言ってたのって、もし、かして。


「あれ!? 鈴木じゃん」


となりの日向君も私と同じく鈴木君に気づいたらしい。


「あ、そっか!」

「ね、鈴木君、ほら」

「用事、なくなったのかな!」

「え」

「おれ、声かけてく、「ま待って!」


思わず手が出ていた。日向君の左腕を引っ張った。


「や、やっぱり食堂行こっか」

「え……!!」

「日向君、やだ?」

「いっいいけど」

「じゃっ、決まり!」


鈴木君達、いや少なくとも鈴木君が私たちに気づかないように足早に購買を後にした。
といっても鈴木君は目の前の女子と話すのにいっぱいいっぱいな気もしたから、私たちは視界に入らなさそうだったけど。


「あ、あああ、あの、さん!」

「なに?」

「あの、その、ううう、うで!」

「ごっごめん」


食堂手前で日向君の腕をようやく離した。
よくよく考えてみるとけっこう大胆なことをしでかしてしまったような。
夏服だから、腕にさわれば直接肌に触れることになるわけだし。

ばつが悪くなりつつ日向君の様子を伺うと、私が触れていた箇所に日向君のもう一方の手が添えられていた。
私の手の感触が、その、あの、不快だったんだろうと思うと、へこむと同時に申し訳ない。


「ごめんね、その、ちょっと夢中で」

「夢中?」

「えっと、ほら、は、早く食堂に行きたくて! 私、午後はちょっと別の約束があるから時間ないし」

「あ、そ……なんだ」


あからさまに落胆して見えて、ますます心苦しい。


「ももしかして、何か午後も用事あった?」

「ない、よ」

「本当?」

「う、うん!」

「そ、か」


なぜか食堂の前で二人で黙り込んでしまった。

徐々に人の出入りが増えてくる。
私たちがこうやって突っ立っていると、ちらちらと視線が送られる。


「はっ入る?」

「そ、そうだね!」


二人で顔を見合わせて食堂に入った。











少しだけ久しぶりの食堂は学校があるときよりも相変わらずメニューは少なかったけど、夏休みで来たときよりは選択肢が多かった。

日向君はカレーで、私は焼きそばにした。

さっき鈴木君に声をかけさせないように半ば強引に日向君を食堂まで連れてきてしまったのはまずかったよなあと反省しつつ、二人で黙々とお昼を食べた。
でも日向君も日向くんだ。
さっきの鈴木君とあの女バレの子が話しているところに割って入ろうとするから。

もしかして鈴木君しか目に入ってなかったのかな。


「あ、あの」

「ん?」


もうすっかりいつもの日向君に戻っていて、さっきの話題に戻すのも変だよなと思い直し、日向君のほっぺにご飯粒がついていることを知らせた。
恥ずかしそうに慌てる姿を見てると微笑ましくて、同級生の男子より幼くさえ見えた。
今度は軽い気持ちで口を開いた。


「日向くん、気づかなかったかもしれないけど、さっき鈴木君、バレー部の子と話してたんだよ」

「バレー部?」

「そう、女バレの子」

「そうだったんだ!!」

「二人、もしかして付き合ってたりして」

「えええ!!」

「そ、そんなに驚く?」


夏休み中に気持ちが高まって告白する人はこれまでもいたので、日向君のこの反応にかえって驚いてしまった。


「いやっ、なんか、ちっ中学1年なのにもう、もうか、彼女いるってすげー進んでるっていうか、その」

「うちのクラスにもいたよ、ね?」

「え!」

「1年の夏休みに付き合って、確か冬だっけ、別れちゃったってけっこう有名だったような」

「そ、そうだったんだ!」


分け隔てなく日向君は接していた気がするけど、むしろ二人の関係に気づいていないからできたことなのかもしれない。

夏休み明けのクラスのイベントの時もあからさまに二人が目立って、みんな知っていたからこそ、別れてしまった後のチーム分けなども目に見えない配慮があった。
だから、日向君みたく本当に知らないまま接することができる人がいてくれてよかったとは思う。


さん、なんでわかったの!?」

「私もあんまりだよ。なっちゃん達に教えてもらったし」


友人から小突かれて、付き合っている二人が同じ班になるように気を遣ったものだ。
そういう恋愛関係に鋭い人は、さほど仲のよくない人のことだってすぐに心の機微を把握する。

氷がすっかり溶けた水を口に運んだ。



「おれ、そういうの、全然気づかないんだよな」


日向君が空っぽになったお皿をどけてテーブルに突っ伏した。


「気づく人が気づけばいいんじゃないかな」


今日みたく、私がちょうどそばにいたように、また知らないからこそできることもある。
そう告げると日向君が神妙な面持ちで顔を上げた。


「……」

「どうかした?」

「……あの、さ」


日向君がやけに真剣な顔をするから何を言わんとしているかわからなかった。
言葉を待っていると、その内に顔をそらされて、なんでもないと告げられた。

よくわからないけれど、話してもらえないなら仕方ない。


「じゃあ、文化祭だっけ」

「そう! これ、おれ考えてきた!」


いくつかの文化祭の出し物の候補が、日向君らしい字で書いてあった。
どれが少人数でやれそうか考えている内に、男子バレー部1年生2人もやってきた。鈴木君は少しだけ遅れてやってきた。







「いいんじゃないかな、これで」


バルーンアート、ちょうど昇降口の空きスペースにバボちゃんを展示する。


「展示だけならクラスや女子バレー部の方も手伝えるもんね」


生徒会に出すプリントの内容もざっと見直して、OKを出した。
1年生たちもほっとした様子だ。


さん、ありがとう!!」

「私は何もしてないよ」

「これで生徒会にせかされなくて済む!」

「せかされてたんだ。あ、私、帰る時に生徒会室寄るよ」

「いいよ!」

「でも、日向君も行かないと」


今日は女子バレー部に練習を混ぜてもらう日だと聞いたばかりだった。


「1年は先行ってて。おれ、これ出したらすぐ行く!」


1年生部員は先輩に行かせていいものかと悩んでいたが、日向君に背中を押されて体育館に向かっていった。
私達も食堂を後にする。
食堂もそこまで冷えているわけじゃないけれど、校舎の廊下は日当たりもいいせいかやっぱり暑かった。なんだか頭がぼんやりする。

生徒会室に向かう日向君、下駄箱を目指す私、どこで分かれるかも想像ついていた。
なんとなく二人黙っている時、隣を見やったら目が合った。

あ、もしかして。
日向君が本当は言いたかったことがわかったかもしれない。



「トス?」

「えっ」

「トス、あげよっか」

「な、な、な!」


なんでわかったの、っていう顔で日向君は驚いていた。
ちょうど昇降口に誰かが片づけ忘れたボールも転がっていた。


「いいよ、そこでやるだけなら」


日向君と初めて会ったとき、ボールが私にジャストミートした時くらいのスペースが太陽に照らされていた。暑かった。


さん、用事あるって」

「あるけど」


時計を見た。
バスの時間まで15分とちょっとくらい。


「走るよ、私、バス停まで。本当にちょっとしか付き合えないから、早くやろう」


荷物を無造作に床に置いた。土埃で汚れていたけど構っている時間も惜しい。
ボールの空気が少し抜けていたけど、気にしないで準備した。



「日向君っ」



バレーをやってきてよかった。

チームメイトにはなれないけれど、この瞬間だけ、日向君の役に立てる。

ボールを手にして、指先まで誠意を込めて、相手のことだけを考えてボールを出す。


日向君はボールを見ていた。ボールだけを待っていた。

この手にあるボールを、私から離れていくボールを最後まで追って、一番高い位置にある太陽と同じくらいまぶしい位置でスパイクを打った。

まぶしいのに最後まで見つめてしまった。



さん!?」


くらっ と世界が揺れた。


あ、おかしい。
まずい、かも。


「ご、ごめん、息が」


頭がぼんやりする。ひどく、暑い。


「あ!!」


肩に、触れられたから、日向君の影がかかったから、つい、振り払ってしまった。あついから。がまんできなくて。

はあ、はあ、と呼吸を荒く繰り返した。
ボールが勢いを失って転がっているのが目に入ったけど、取りに行けそうもなかった。

支えようとしてくれた日向君の手は、振り払ってしまった時のまま固まっていた。


「ご、ごめんね。ボール片付ける元気、」

「いいよ!それより、」

「だ、大丈夫。もうバス、着ちゃうから。ごめん、中途半端、もう行くね」

さん」

「大丈夫。だいじょーぶ……ばいばい!」


もう来ないでね。

またね、じゃなくて、ここでさよなら、という気持ちを込めて手を振った。
日向君が少しも動いてないのが分かったけれど、フォローする余裕もなかった。

くらくらしていた。気持ちも悪かった。
これ、熱中症かな。
すごく気持ちが悪くて、日向君から見えない位置にまで来たら、しゃがみこんでしまった。
血が廻ってる。夏と色んな気持ちがぐるぐる混ざっていた。




next.