ハニーチ

スロウ・エール 66



影山君は私の答えに深く追求してくることもなかった。答えた瞬間、眉間にしわを寄せた気もするけど、いつもこんな顔をしているからよくわからない。

ただ去り際に、『大丈夫か』とだけ尋ねられた。泣いてしまったからだろう。
心配もからかいも含んでいない単なる問いかけだった。

だから、『大丈夫だ』と本心から答えられた。

納得したのか、そこまで関心がなかったのか、影山君が何を考えているかはわからなかったけれど、この後、バレーの練習をしていくらしく、そのまま分かれた。

手元には、影山君が渡してくれたタオルとペットボトル。

練習を終えたらしいさっきの小学生たちの方がよっぽど私を関心があるようだった。いや、単なる好奇心か(いきなり泣き出せば当然か)
逃げるようにその場を離れて、こっそりと体育館履きを返しておいた。

先生の姿はやっぱりない。
私のトスの何を影山君に吹き込んだか文句一つでも言いたかったが、それは次の機会にした。

ほっと息をついて帰路に着いた時、なぜかずっと握りしめたままになっていたタオルの存在に気づいた。
まるで降参を示すシンボルのような白いタオル。

悲しい時は、なんでもいいから何かにすがりたくなるのかもしれない。

影山君にとっては単にタオルをかけただけだろうが、勝手に救われた心地がした。
心の拠り所のように、ずっと、ずっとこのタオルを握りしめて家に帰った。









あれから影山君とは変わらないメールのやり取りが続いている。
あんな情緒不安定なところを見せられたのに、こうも普通に接してくれるんだなと少しだけ感心した。
影山君って、変わってる。

その一方で、日向君とは会うどころかメールすらやり取りしていない。
というのも、登校日を過ぎてしまえば夏休みの残り日数も少ない訳で、貴重なお休みを学校で過ごすのが惜しくなったというのもある。
後は、部活動も卒業アルバム委員の仕事も一通り終わってしまって、学校に行く理由も特別作らない限りはなかった。


日向君、どうしてるんだろう。


一瞬だけついそう考えてすぐやめる。それがこの頃の習慣だ。
あの日のトスで実感したから。自分の想像以上に自分のことばっかりだったってこと。

日向君を応援したいってそれだけのつもりが、いつの間にか自分を見てほしい気持ちの方が大きくなっていた。
好きだからってこんなんじゃよくない。

友人と遊ぶ機会があって、ファミレスでこの間の日向君とのやり取りも含めて全部話してしまうと、言葉にするだけですっきりした気分だった。
かえって、友人の方がもやもやしてしまったようだが。


「……にやってんの、日向は」

「なっちゃん、顔。こわい、怖いって」

「バレーしかないのか、アイツは!」


ドリンクバーで持ってきた飲み物のストローを触りつつ、友人に言葉に一つ頷く。


「そう、バレーなんだよ。日向君は」


ずっとやりたいと願い続けていたバレー。
それは北川第一との試合で、あっという間に終わってしまった。
文化祭の準備だって、これからも続くであろう女子バレー部との合同練習も、混ぜてもらっているだろうママさんバレーも、全部日向君が望んでいた“バレー”部じゃないんだ。

一番応援していたはずの私がこんな大事なことを忘れるなんて、やっぱりよくない。

応援するんだ、これまで通り。
勘違いしないで、気持ちを整えて。

友人がドリンクバーから新たな飲み物を入れて戻ってきた。


「思ったんだけどさあ」

「なに?」

「そんな健気でどうすんの?」

「え、私、けなげ?」

「だってアイツはがこんなにショック受けたこと知らないんだよ? 泣くほど傷ついたんでしょ?」

「こ、声おっきいよ、なっちゃん。私が勝手にショック受けただけだし」


友人が乱暴にココアの入ったカップをテーブルに置いた。


がよくても私が腹立つっ! 何やってんだ、日向はっ」


なんだか笑ってしまった。


「なんで笑うわけ?」

「笑うしかないじゃん」

「まあいいや、がそうしたいなら」

「うん、ありがとね」

「何が?」

「うーん、と、私の味方でいてくれて」


私が勝手に傷ついただけで、日向君は悪くない。
なのに、怒ってくれたから。

今はちょっとした優しさが染みる。


「べっつに。そういうんじゃないから。日向がのこと好きって言っちゃった手前、悪気がないわけじゃないってだけだしっ」

「もしや照れてる?」

「ない! ほら、花火のこと決めようよ。美奈たちにも連絡しなきゃ」


日向君の話題はここまでで、次の花火大会の待ち合わせ場所や見る場所の作戦を立てた。
夏休みラスト、中学最後の夏のイベントだ。気合も入る。

花火大会までは、大人しく受験勉強に明け暮れた。



















「じゃあ、いってきまーすっ」

「あれ、どうしたの?」

「言ったじゃん、今日花火大会に行くって。夜遅くなるから」

「なっちゃん達と?」

「そう!」

「待ちなさい」

「なに?」

「曲がってる」


母親に浴衣の帯を直してもらってから、気を取り直して花火大会の会場に向かった。
この辺りだとかなりの人出で込み合うから普段着の方がよかったかもしれないが、友人と一緒に過ごせる最後の夏かもしれないんだ。浴衣に決まりだった。



「あ、すみません!」


とはいえ、待ち合わせ場所に行くのも一苦労だ。
行きかう人もどんどん増えて、すれ違うだけのスペースがない。

やっとの思いで目印にしていたオブジェの前に来たものの、まだみんな来ていないようだった。
確かに携帯を見ても約束の時間より早いみたい。


!!」


不意に声をかけられて驚いた。


「え、ひ、久しぶり!」


小学校の時にバレーを共にやっていたチームメイト、3年ぶりに会うのに顔を見ればすぐわかった。
記憶よりもずっとすらりとしていた。


「し、身長伸びたね」

「あっはは、すごい言われる。よりちっちゃかったもんね」

「しかもすごい夏って感じで焼けてる」

「これはね、夏合宿があって」

「合宿?」

「実はサッカー部なんだ」

「サッカー!?」


久しぶりに話が盛り上がり、でもお互いに待ち合わせをしていたから、すぐにお別れをした。
相手の待ち合せしている人たちも同じように日に焼けていた。


「じゃあね、。今度遊ぼう!」

「うん、今度!」

「あ!」

「なに?」

「舞とまだ連絡とってる?」


少しだけ間が空いてしまった。

誰よりも一緒にいたはずのチームメイトだ。


「全然」

「そっか。も連絡取ってないなら仕方ないね」


お互いに手を振って分かれた。


!」

「わっ。なっちゃん。よかった、会えて。すごい人だから」

「ねえ、さっきの知り合い?」

「そう、小学校の時の」

「ふーん。あ、美奈たち、先に場所取りに行っちゃった」

「え、なんで?」

「今年、去年より人出がすごいんだって。はりきって先に来たって。合流しよう」


このオブジェを待ち合わせにする人はたくさんいるみたい。
同じように浴衣を着たグループもどんどん増えてきた。

あれ、いま、一瞬、見覚えがあった、ような。


「あー、あれ? そうだよ」


友人が少しだけ騒がしいグループを横目に見て冷めた声で同意してくれた。

アキちゃん、達のグループだ。
日向君のことを翔ちゃんって呼ぶ、幼馴染の女の子。

女子だけじゃなくて、同じ学校の男子も何人かいた。


「T君はいないよ」

「えっ、いや、別に」

「私が勝手にチェックしただけ。後から合流するか知らないけど」


“合流する”

あのグループの中に日向君が混ざるところを想像してしまい、勝手にモヤッとした自分に自己嫌悪した。

屋台がいくつもの並ぶ道は更に混むから、少しだけ脇道にそれて、ようやく一息付けた気がする。
道すがら、かき氷とたこ焼きとラムネを人数分買い込んだ。


「なっちゃん、やばい、かき氷が」

「わかる、こっちのブルーハワイの山は消えた」

「ちょっ、けっこう落ちてる」

「違うの、溶けたの。この暑さだよ、溶けるって」

「ああっ」

もやってしまったか。浴衣へーき?」

「平気、だけど、イチゴ味がー」

「いいよ、もう。誰が買いに行っても同じ結果だって」


近頃は雨も降って涼しい時間もあったけど、思い出したかのように太陽が照り付けた今日はとんでもなく暑くてかき氷を溶かすには十分だった。
ラムネの入ったビニール袋もどんどん汗をかいていく。


「あっ、、千奈津」

「お待たせー」
「場所取りありがとう」


これから楽しい花火大会を過ごせる、そう思っていた。


next.