ハニーチ

スロウ・エール 68





しばらくは、花火じゃなくて、日向君から目が離せなかった。

日向君は肩で息をしていた。
すごく荒かった。
最後にトスを上げた時だって、こんな風に息を切らしてはいなかった。

日向君は短パンにTシャツで、夏そのままの格好だった。
両手、両足を投げ出すように座ったまま、花火を見ていた。
何度も呼吸をしていた。


「おっ」


日向君の声に合わせてすぐに夜空を見上げた。

何かの形に見えた。


「今のさっ、わかった?」

「え?」

「今の、あれ、動物っ」

「く、くま?」

「そう!くま!」



形を判別するより早く、光の絵柄は夜に溶ける。


『……ただいまの、創作花火は、犬、猫、スマイルの形でした。続きましては……』




「「……」」




クマじゃ、なかった。




「ふっ」


「違った!!」

「ちが、ったね。最後のだから、スマイルってこと?」

「絶対くまだと思った!」

「うん、でも、ちがう」

「ちがった!」

「違ったね、ちがった!」



つい噴出すと、日向君も笑ってた。

笑ってるうちに次の花火が打ちあがった。
今度は同じように空を見上げてた。

きっと日向君は花火に照らされている。
同じように、このまばゆさを共有している。


光に包まれて、花火はまた消える。


そんな繰り返しのなか、ずっと夜空にひたっていた。








「きれいだね」






「うん、すごく」






すごく、


 きれい。






もう終わりかと思ったけど、これから第二部が始まるらしい。

小休止が入ると、日向君は『ちょっと行ってくる』と立ち上がった。
小銭入れがズボンから落ちかけたのを片手でしまって、これだけの人がいるのにあっという間に行ってしまった。

と、すぐに戻ってきた。
手にはペットボトルの麦茶を二つ、その一つをくれた。冷たかった。
日向君も喉が渇いてたらしく、一気に半分くらいを飲み干していた。


「はー!」

「あ、あの、日向君」

「ん?なに?」


真っ直ぐに見つめられると、やっぱり心の奥まで届いてしまいそう。


「その、な、なんでここにいるの」


花火の最中に聞けなかった疑問をぶつけると、日向君はペットボトルを頬にあてながら得意げに言った。



「おれ、さんを見つけるプロだから」



夏ちゃんが見せてくれた笑顔と同じで、ほっと力が抜けそうになる。

それは答えになっていない。

日向君はまたペットボトルの麦茶をあおって、まだ何も上がっていない空を見つめていた。


「さっき会場の放送やっててさ。ちょこっとだけ、さん映ってた」



それはまったく気づかなかった。



「だから、飛んできた!」



すごく、シンプルな答え。

単純明快、

映っていたからって来るもの?
ちょこっとだけの映像でどこにいるかわかるもの?

重ねたくなる疑問のコトバは、まるで花火みたいに消えていった。


手元の麦茶にもう一度口付けた。



「そういえば、さ、誰かと来たんじゃないの?」

「あ、いや、なっちゃん達と来てたんだけど、暑さで熱中症になっちゃったみたいで」

「夏目が熱中症!?」

「いやっ、なっちゃんじゃなくて」


事情をあらかた説明すると、成り行きで仕方なかったとはいえ、どことなく奇妙な状況だったよなと今更実感した。


「そっか、今日も暑いもんな。今も暑い」

「ね」



浴衣が悪かったのかも。言い出さなきゃよかった。



さん、似合ってる、浴衣」



日向君はエスパーなんだろうか。



「今年は見れた!」



“見たかったな”

日向君がぽつりとつぶやいていたことを思い出す。

あの時の『見たかったな』は、やっぱり、私の、浴衣のことだったんだ。

整理したはずの気持ち、またぐちゃぐちゃになりそう。



「!」

「蚊の気配を感じた!」


いきなりすばやく動く日向君の方に驚かされる。



「や、やった?」

「いや、やれなかった。逃げられた」

「今年は暑いから少ないっていうけどね」

「そうなんだ!」

「熱中症になるのかも」

「そうなの!? すげー!」

「あ、わかんない。適当なこと言った」

「おれもわかんないからいいよ! あ、もうはじまるかな」


会場のアナウンスに日向君が声を弾ませた。

ずっと地べたのシートに座っていると足がしびれてきた。
足を組み替えて座り直し、ふと日向君の視線を感じて、もしや腕に触れてしまったかと思い、慌てて足を引いた。


「ごめん」

「う、ううん!」

「そういえば、日向君も誰かと来たんじゃないの?」



戻らなくていいの?



喉元に、言わなきゃいけない言葉が引っ掛かる。


ちがう、

そうじゃない。



まっすぐに向かってきてくれた日向君に、言いたいこと、それは。





「わた、しは……ここにいてくれて、うれしいけど」





もう一度、会場内のアナウンスが響く。


『 まもなく、第二部の花火の打ち上げを開始いたします 』


時間にしたらほんの数秒でも、なんだって日向君といると特別になるんだろう。

魔法みたい。
いつもの時間と変わってしまう。

日向君は黙ったままだった。


ふと、手の甲にぬくもりを感じた。

日向君の手が重ねられそうで、寸でのところで止まって、ぱっと離れた。

そう思えば日向君は急に体育座りになって、顔をうずめて丸くなった。

間もなく花火が打ちあがる。


「あ、あの、日向君、花火」

「待って」



花火が打ちあがる。



「……、え?」



花火がまた上がる。

さん、と呼ばれた気がしたが聞き取りづらくて、少しだけ距離を縮めた。



「どうしたの」

「ごめん、このまま。このままでいて」

「う、うん」


日向君が言うままにこれ以上近づきもせず、離れもせず、そのまま夜空を見上げていた。

さっきとまた違う花火があでやかに夜空へ広がった。


今年の夏の出来事が、浮かんで消えた。


友人とケンカして仲直りした。
祖父が倒れて家族中で慌てたりもした。
塾に通いだした。
バレーの先生に久しぶりに会った。バレーも、やっと、またできた。


日向君とお祭りにも行った。

びっくりするほど、近づいたりもした。

向日葵の咲いているところに連れてってもらったし、一緒にブランコにも乗った。
映画も見に行った。


ぱらぱらぱら、と火花が音を立てて消えていく。
さっきのは花火職人の人たちの自信作だったらしい。

日向君はうずくまったままだった。

折角の花火、見た方がいいんじゃ。
そう思ったけど、『このままで』とお願いされてしまった手前、こちらから声をかけられない。

もしかして、手を、握ろうとしてくれたんだろうか。

触れ合うことのなかった日向君の片手を見た。


「!」


日向君が少しだけ顔を上げて私を見ていた。


あの時を思い出した。


学校の、階段にいたときの日向君。

その時は寝ぼけていたけど、今も、同じなんだろうか。
夢心地の気分だ。

バレーボールじゃなくて、こっちを見ていてくれる日向君。


急に強い閃光が辺りを照らして、電気を消すように暗くなった。

確信が降ってわいた。


この夏は、日向君の念願だったバレーの試合が実現したんだ。
待ち望んでいた、公式試合。

ボールだけを追わないでほしい、
そう思ってもしまったけど、やっぱり日向君には、前を、未来を見つめていてほしい。まだ、なんにも始まってない。

勇気を出して、肩に触れた。
おおげさなほど、日向君の肩は飛び上がった。


「ほ、ほら、次の花火、願い事叶うんだって」


アナウンスの説明に半信半疑だったけど、なんでもよかった。

打ち上げられた花火の中から流れ星が四方に飛び出すように輝くらしい。
願い事を3回言えると叶う、だとか。
おまじないにすらならなそうな宣伝文句でもいい。


「受験、受かるようにお願いしよっ」

「……」

「合格ってだけなら3回言えそうだし、ほ、……ら!」





急に傾いた視界、体温で自覚する距離、浴衣越しでもわかる相手の温度、吐息が耳に触れた。


か わいい


掠れてて、本当に日向君が言ったのか確信がなかった。
走ってきてくれた時と違う、落ち着いているけど乱れてる呼吸、熱、心臓がばくばくと動いていた。どうしよ、私、汗かいてるのに。
肩に、日向君の腕がかかっていて、抱き寄せられているのがわかった。それも、勢いがあったから、私の左肩は日向君に思い切り持たれていた。
動けなかった。
絶妙なバランスで、私達は成り立っていた。


拍手が上がる。

あ、流れ星の花火、全然見てなかった。

どうしよ、日向君がどんな感じか知りたいのに、横を向けない。
それに、やっぱり、日向君は男の子だ。
肩をつかむ手は、すごく力強い。

耳だけで花火を見た。

登校日の時みたく日向君の手を振り払えない。

触られてもいい。
それは友達だから気にならないんじゃない。

すきだから、だ。


日向君が、ほんとにすきなんだ。









『 ……本日の、花火大会は、終了いたしました。会場を出られる際は、係の指示に従い…… 』



終了のアナウンスが流れて、周りの人たちが帰路につき始めると、ずっと同じ体勢のままでいた日向君の腕から力が抜けて、そっと解放してくれた。



next.