『 ……会場を出られる際は、係の指示に従い、押し合わず、ゆっくりと退場してください。なお、ゴミに関しては…… 』
日向君の腕が外れると、触れていた箇所だけ涼しさを感じた。
密着していた肩も、腕も。
一体何をしていたんだという気もしたし、舞い上がってもいた気がする。
周囲の人たちが荷物をまとめている。何度も繰り返されるアナウンスをBGMに同じように腰を上げた。
少しぐちゃぐちゃになっていたシートをたたもうと端っこを日向君とそれぞれ掴んで、互いに近づいた。
あの階段の時と違って、日向君が走っていなくなることはなかった。
「さん!」
ずっと黙っていた日向君が急に声を張り上げた。
シートはまだ半分だけだから、もう半分にしないと。
「おれを、殴って!」
「へ!?」
いきなり何を言い出すんだ。
「お、おれ、ひ、人として最低なことを!!」
「お、落ち着いてっ。人いっぱいいるしっ、ね!」
急に聞こえてきた物騒なセリフに、花火の余韻に浸っていた人たちも何事かとこちらを見てきた。
「で、ででも、でも、おれ!」
「だい、だいじょぶだからっ。ほら、ビニール持っててっ」
「ん……」
日向君はしょげた様子ながら、お願いした通りにビニール袋を広げてくれた。
その中にレジャーシートを入れてしまう。
「ありがと、日向くんっ」
わざとらしく明るい声でお礼を言ってしまった。
仕方がない。日向君が急に落ちこんでしまったから。あれ、でも、なんで落ちこんじゃうんだろ。
むしろ自分がここまで冷静なことに驚いてしまった。
きっと、ずっともやもやしていた気持ちが消化されたから、かえって落ちついたんだろう。
このエリアも退場許可が下りたようで、人の流れが出来始めた。
「さん!」
流れに沿って歩き出そうと踏みだしたところで止まった。
日向君がすごく真剣な顔で立っていた。
「時間ない!?」
思わず外にあった時計を見てしまった。もうかなり遅くなっている。
「少しでいい、から」
「う、ん。いいよ」
まさかまた殴ってほしいと言われるんだろうか。それは、ちょっと、いやかなり困る。
「あ、でも、もう少し、人がいないところにしない?」
「ええ!?」
そんな驚くようなこと言った!?
「あ、ここで、いいなら、ここでもいいんだけど」
「いやっ、うん、そうしよ! ちょっと、ちゃんと、話せるところ探そう!」
といっても、花火会場でこれだけ人でごった返しているのに、ちゃんと話せる場所なんてあるんだろうか。
はぐれないように歩くだけでも一苦労だった。
さっきと違って日向君との距離が縮まることもなかった。人が多いから見失いそうになると、日向君の方から素早く距離を縮めてくれる。
なんだか変な感じだ。避けられているような、いないような。
アルコールの缶でいっぱいのごみ収集場に不要なものをおいた時、まさか日向君は酔っぱらってるのかなとばかげたことを考えて、すぐにそれもゴミ箱に捨ておいた。
日向君は、そんな人じゃない。
結局、人通りがなくなることはなくて、それなりに歩いてから、街灯が光っている店先の前に二人で立ち尽くした。
電灯はあるものの、間隔が広いせいか暗く感じる。
さっきまで花火があったから明るく見えただけで、とうに夜は更けていた。
「さん、ごめん!!」
ものすごい勢いで日向君が頭を下げた。
「なぐ、「らないから!」
それだけははっきり言いきれた。
「でもおれ……」
「日向くん、そのごめんは、何のごめん?」
手探りで互いの気持ちを確かめている心地がした。
「さっき、つい…… ……爆発、したから」
冷静だと思っていた胸の内が乱れそうになる。
日向君の瞳が、光ってみえた。
「なんで、そう、なっちゃったの?」
「さんが、かわい、かったから。す、すごく」
「それは、その……うん、あ、浴衣」
「浴衣じゃなくてもっ。ずっと、すごく、可愛い」
ストレートな誉め言葉をキャッチできるだけのグローブを持ち合わせていなかった。
「えっと、うん」
「あ! 誰にでもそう言ってるわけじゃないからっ。そ、そこは間違えないで、欲しい。ぜったい」
日向君は力強く言い切った。
前に言われたことを思い出す。
こんなの初めてなんだって、ずっと一緒にいたらわかるのかなって、そう空と行き来しながら話をした時の事。
「でも、おれのせいで、さんを嫌な気持ちにさせたから、ちゃんと、けじめをつけたいって思って、いる」
嫌な気持ち。
わたしの、気持ち。
「い、やじゃ、なかった、よ」
抱きしめられた時、そんな気持ち、わかなかった。
腕の感覚、触れられた肩、距離が近いゆえの匂い、温度、密着した感触。
思い出すと心が震えて、気恥ずかしくて、くすぐったくてたまらなくなる。
これは、不快じゃない。
やっと、わかった。
「それは、その……夏目とかと、一緒って、こと?」
また日向君の声のトーンが変わる。今度は、どことなく寂しそうに響く。
黙って首を横に振った。
違う。
なっちゃんとか、他の子と、触れ合った時と違う。もう、ちゃんとわかってた。
「日向君、あの」
「……」
「わたしね」
「待った!」
日向君がストップ、と片手を突き出して後ずさりした。
「このまま、動かないで」
花火を見ていた時、体育座りになってしまった日向君を思い起こす。
なんで、と問うより先に答えを知った。
「さんっ、そんな、つもりないのわかってんだけど、さ。
そ、そろそろ、おれ、抑えられるか…… 自信、ないから」
息をのんだのは、本能的な危険信号をキャッチしたから。不快じゃなくて、なんだろ、この感じ。
それは、そういうこと、なのか。
日向君と私は向き合っている。なんだか、ぎりぎりの境界線の上で、実際は歩行者のための白いラインの上で。
蝉が夏の忘れ形見のように鳴いていた。
クラクションが鳴った。
蝉が飛んで行った。
また、クラクションが鳴る。
「あ、あれ?」
見覚えのあるトラックだった。
ま、まさか。
「ご、ごめん、日向君。あれ、うちの従兄」
「え!?」
「ち、ちょっと行ってくる!」
それでもう、後の祭りだった。
こんな夜遅くにどこをほっつき歩いているんだと怒られて、日向君もご家族に呼び出されたらしく、それ以上話せないままに終わってしまった。
変な夜だった。
革新的な夜だった。
告白を、しそびれたのか。したようなものなのか。
日向君も、私も、どっちも、けっこう、ずれてる、かもしれない。
next.