ハニーチ

スロウ・エール 69



『 ……会場を出られる際は、係の指示に従い、押し合わず、ゆっくりと退場してください。なお、ゴミに関しては…… 』


日向君の腕が外れると、触れていた箇所だけ涼しさを感じた。
密着していた肩も、腕も。
一体何をしていたんだという気もしたし、舞い上がってもいた気がする。

周囲の人たちが荷物をまとめている。何度も繰り返されるアナウンスをBGMに同じように腰を上げた。
少しぐちゃぐちゃになっていたシートをたたもうと端っこを日向君とそれぞれ掴んで、互いに近づいた。

あの階段の時と違って、日向君が走っていなくなることはなかった。



さん!」



ずっと黙っていた日向君が急に声を張り上げた。

シートはまだ半分だけだから、もう半分にしないと。



「おれを、殴って!」

「へ!?」


いきなり何を言い出すんだ。


「お、おれ、ひ、人として最低なことを!!」

「お、落ち着いてっ。人いっぱいいるしっ、ね!」


急に聞こえてきた物騒なセリフに、花火の余韻に浸っていた人たちも何事かとこちらを見てきた。


「で、ででも、でも、おれ!」

「だい、だいじょぶだからっ。ほら、ビニール持っててっ」

「ん……」


日向君はしょげた様子ながら、お願いした通りにビニール袋を広げてくれた。
その中にレジャーシートを入れてしまう。


「ありがと、日向くんっ」


わざとらしく明るい声でお礼を言ってしまった。
仕方がない。日向君が急に落ちこんでしまったから。あれ、でも、なんで落ちこんじゃうんだろ。
むしろ自分がここまで冷静なことに驚いてしまった。
きっと、ずっともやもやしていた気持ちが消化されたから、かえって落ちついたんだろう。

このエリアも退場許可が下りたようで、人の流れが出来始めた。



さん!」


流れに沿って歩き出そうと踏みだしたところで止まった。

日向君がすごく真剣な顔で立っていた。


「時間ない!?」


思わず外にあった時計を見てしまった。もうかなり遅くなっている。


「少しでいい、から」

「う、ん。いいよ」


まさかまた殴ってほしいと言われるんだろうか。それは、ちょっと、いやかなり困る。


「あ、でも、もう少し、人がいないところにしない?」

「ええ!?」


そんな驚くようなこと言った!?


「あ、ここで、いいなら、ここでもいいんだけど」
「いやっ、うん、そうしよ! ちょっと、ちゃんと、話せるところ探そう!」


といっても、花火会場でこれだけ人でごった返しているのに、ちゃんと話せる場所なんてあるんだろうか。
はぐれないように歩くだけでも一苦労だった。

さっきと違って日向君との距離が縮まることもなかった。人が多いから見失いそうになると、日向君の方から素早く距離を縮めてくれる。
なんだか変な感じだ。避けられているような、いないような。

アルコールの缶でいっぱいのごみ収集場に不要なものをおいた時、まさか日向君は酔っぱらってるのかなとばかげたことを考えて、すぐにそれもゴミ箱に捨ておいた。
日向君は、そんな人じゃない。

結局、人通りがなくなることはなくて、それなりに歩いてから、街灯が光っている店先の前に二人で立ち尽くした。
電灯はあるものの、間隔が広いせいか暗く感じる。
さっきまで花火があったから明るく見えただけで、とうに夜は更けていた。


さん、ごめん!!」


ものすごい勢いで日向君が頭を下げた。


「なぐ、「らないから!」


それだけははっきり言いきれた。


「でもおれ……」

「日向くん、そのごめんは、何のごめん?」


手探りで互いの気持ちを確かめている心地がした。


「さっき、つい…… ……爆発、したから」


冷静だと思っていた胸の内が乱れそうになる。

日向君の瞳が、光ってみえた。



「なんで、そう、なっちゃったの?」

さんが、かわい、かったから。す、すごく」

「それは、その……うん、あ、浴衣」

「浴衣じゃなくてもっ。ずっと、すごく、可愛い」


ストレートな誉め言葉をキャッチできるだけのグローブを持ち合わせていなかった。


「えっと、うん」

「あ! 誰にでもそう言ってるわけじゃないからっ。そ、そこは間違えないで、欲しい。ぜったい」


日向君は力強く言い切った。

前に言われたことを思い出す。
こんなの初めてなんだって、ずっと一緒にいたらわかるのかなって、そう空と行き来しながら話をした時の事。


「でも、おれのせいで、さんを嫌な気持ちにさせたから、ちゃんと、けじめをつけたいって思って、いる」


嫌な気持ち。

わたしの、気持ち。



「い、やじゃ、なかった、よ」



抱きしめられた時、そんな気持ち、わかなかった。

腕の感覚、触れられた肩、距離が近いゆえの匂い、温度、密着した感触。
思い出すと心が震えて、気恥ずかしくて、くすぐったくてたまらなくなる。

これは、不快じゃない。

やっと、わかった。



「それは、その……夏目とかと、一緒って、こと?」


また日向君の声のトーンが変わる。今度は、どことなく寂しそうに響く。

黙って首を横に振った。

違う。
なっちゃんとか、他の子と、触れ合った時と違う。もう、ちゃんとわかってた。


「日向君、あの」

「……」

「わたしね」

「待った!」


日向君がストップ、と片手を突き出して後ずさりした。


「このまま、動かないで」


花火を見ていた時、体育座りになってしまった日向君を思い起こす。

なんで、と問うより先に答えを知った。



さんっ、そんな、つもりないのわかってんだけど、さ。

 そ、そろそろ、おれ、抑えられるか…… 自信、ないから」



息をのんだのは、本能的な危険信号をキャッチしたから。不快じゃなくて、なんだろ、この感じ。

それは、そういうこと、なのか。

日向君と私は向き合っている。なんだか、ぎりぎりの境界線の上で、実際は歩行者のための白いラインの上で。

蝉が夏の忘れ形見のように鳴いていた。

クラクションが鳴った。

蝉が飛んで行った。

また、クラクションが鳴る。



「あ、あれ?」


見覚えのあるトラックだった。

ま、まさか。


「ご、ごめん、日向君。あれ、うちの従兄」

「え!?」

「ち、ちょっと行ってくる!」



それでもう、後の祭りだった。

こんな夜遅くにどこをほっつき歩いているんだと怒られて、日向君もご家族に呼び出されたらしく、それ以上話せないままに終わってしまった。

変な夜だった。
革新的な夜だった。


告白を、しそびれたのか。したようなものなのか。


日向君も、私も、どっちも、けっこう、ずれてる、かもしれない。




next.