ハニーチ

スロウ・エール 71






さん!」


席替えが終わってすぐの休み時間、日向君に呼ばれた。
資料集を取りにロッカーへ向かおうとしたタイミングだった。

でも、ほぼ同時に日向君を同じクラスの男子が呼んだ。

日向君はそっちを見て、どうしようか悩んでいるように見えた。


「呼ばれたみたいだけど」

「う、うん……」


私が暗に促したせいもあって、日向君は呼んできた男子の方に移動した。

なんだったんだろうと思うと同時に、昨日のことがよぎる。

前と同じようにふるまえない。日向君がいる側が、なんだか気になって仕方ない。

休み時間中も、日向君がいる方を見ないようにした。でも、かえってそれが不自然にも思える。
クラスメイトで同じクラス、日向君を見たっておかしなことはない。

昨日の花火での出来事が、フラッシュバックする。

強引に引き寄せられた肩、確かに触れ合った左、すぐ近くにあった熱。

考えないように、授業に集中しようとした。

集中している間はよかった。

ふとした瞬間、隣を気になって、日向君もこっちを見ていて、なんでもないってふりして黒板を見直した。

そんなことが今日何回もあった。


あれ、これ、たまたま なのかな。



今日は話をしたいと思っても誰かが話しかけたり移動教室だったりで、お互いにタイミングが合わなかった。

むしろ、昨日の花火大会がタイミングがよすぎたのかもしれない。


そういえば、なんで、日向くん、来てくれたんだろう。

結局、帰りのホームルームまで来てしまった。




「ね、っち、花火やろう!」


熱中症の面影はまったく残っていない友達は、ビニール袋に入った、いわゆる花火のファミリーパックを得意げに見せてきた。
掃除当番に向かう途中だった。


「もっちろん、なっちもね」

「いいけどこっちはこれから掃除当番だから」

「やるなら夕方だよ、花火だし」

「どこでやる気? 美奈、昨日具合悪くしたの忘れてる?」

「夕方なら平気だよ!」


そういって熱中症になったんじゃと友人が正論で返しているのを聞きながら、掃除当番場所である中庭に向かう。

吹奏楽部の夏合宿で使った花火の余りで、1パックしかないならすぐ終わるという話だった。


「そうだ、ひなちゃんとかアッキーも声かけようよ」


悪気のない発言だとわかっているのに、少しだけ心の奥がヒヤッとした。


「ともかく掃除終わってからね」

「わかったー、後でねー!」


日向君たちがもう箒を持っていたから、早足で同じく掃除道具を手にした。

それなりに広いので、男子と女子で分かれて掃除を開始した。
秋になれば落ち葉も多いだろうけど、今はまだ砂ぼこり程度だ。

日向君と、話せていない。

花火、誘われたら一緒にやるのかな。

アキちゃん、も、来るのかな。


結局、昨日は日向君は誰と花火を見に来てたんだろう。


すぐそこにいるのに、たったそれだけのことが聞けない。




日向君たちの方は時折声が上がり、友人と何を話しているんだろうと会話しつつ、こちらの方はあっさりと掃除が終わった。


「こっち終わったよ」


声をかけると、集まって話をしていた日向君たちが飛び上がるように離れる。
なんか、楽しそうだ。


「は、早いね!!」


日向君はそういうけど、外の時計を見るにそれなりに時間が立っていたように思う。

ゴミ当番のじゃんけんでもしようか。何気なく友人の方にふりかえった。


さん!」


かしこまった様子で日向君に呼ばれた。


「なに?」

「は、話が、したい、んだけど、いいかな!?」

「話?」

「そう!! 二人で、話したい!!」


やけに力が入った声だった。
というか、中庭にいる人全員に聞こえそうなほどの声の大きさで面食らってしまった。


「いいけど、この掃除終わったらでいいよ、ね?」

「もっもちろん!」


関向君と泉君と友人からの視線を感じる。

顔を向けると、三人とも不自然にテスト範囲の話を始めた。


絶対、こっち見てた。
日向君は、といえば、ずっとこっちを見ていて3人の様子に気づいていないようだった。


いいんだけど、さ!



「とにかく、ゴミ捨てじゃんけんしよ!」



こぶしを握ってみんな掛け声をかける。

で、決まる。


「あの、ごめん、私、ゴミ当番」

「いいよ!一緒に行く!」

「えっ」


まさかゴミ捨て場に行く途中で話をするのか?

それは、それで、どうなんだろ。


「教室で待っててくれて全然……「いや、一緒に行く!!」



そこまで言われると断りきれない。日向君とゴミ捨て場に向かうことになった。
友人たちはここでお別れで、かえってよかったといえばよかった、のか?


校舎裏に向かっている最中、いつもなら日向君がポンポンと話し出すのに今日は静かだった。


「今日も暑いね」


返事が、かえってこない。

なんだか深刻な表情だ。


「日向君。……日向君?」

「……え!? ななんだっけ、えっと」


なんでもない。

そう呟いて話は終わらせる。

日向君がごめんと続きを聞いてきたけど、なんでもないを繰り返す。

本当になんでもないんだし、ただ、私は。



「ありがと、付き合ってくれて」



鉄でできた重たいゴミ箱に袋を入れて、今日の掃除当番は終了した。

ここには、日向君と私だけだけど、暑すぎる。

太陽の真下にいるのはもう遠慮したかった。


「あれ」


数歩進んで、日向君が固まったままなのに気づいた。

絶対、そこに立ってるの暑いはず。


「もう行こうよ」

さん」


何か言われる。

反射的にそう思った。

別の学年の掃除当番の人がちょうどドアを開けた。これで何も言われないと思って安心した。


「昨日は、ごめん!」


安心は油断だった。



「その、本当に昨日はおれどうかしてたっ。さんは、嫌じゃないって言ってくれたけど、でも、あんなことして「ま待って!」


自分の声の大きさに動揺がにじんでいたのが分かった。
でも、だってしょうがない。こんな場所で、誰かがいるところで、そんな、昨日のこと話したくない。


「ここじゃ……ね?」


邪魔になるし。ほら、ゴミ当番の子、ぽかんとしてるし。

話を遮ってようやく日向君もこのおかしな状況に気づいたらしく、恥ずかしそうに校舎に入ろうと歩き出した。


「ごっごめん、さん!」

「いいよ」

「ほんとにごめん!」


このごめんは、何のごめんなんだろう。
謝られすぎてかえって居心地が悪くなってくる。

とりあえず入った廊下は当然だけど日陰で外よりはずっと涼しく感じられた。

日向君は何か言いたそうに私を見てきているのがわかったから、辺りを見回した。


「えーっと、ど、どこか探す?」


日向君が力強く頷いた。


といっても新学期の校舎の中は誰かしら人がいて、二人で話せそうな場所は見当たらない。
例えば屋上もマンガだったらドアが開くところが、しっかりと鍵がかかっていた。当たり前だ。
美術室、音楽室、空き教室、校舎の裏、中庭、渡り廊下と順々に歩いて、どこもよさそうな場所が見当たらず、また元の1階に戻ったところで、日向君が指をさした。

資料室だ。

日向君と初めて会話した日、ここに資料を運んだんだっけ。


「ここで、いっか」


日向君に言ったつもりだけど返事はないからまるで独り言だった。

中の景色は前と変わる訳もなく、資料室らしい独特の埃っぽさはそのままだ。
奥の窓はあるものの、荷物の多さで室内は薄暗い。

電気をつけようかと思ったけど、人がいるのも変だろうと考えて、そのまま入った。
扉からすぐ見えないように棚の反対側に移動した。

置かれていた2脚の椅子のほこりを少しだけ払ってからそっと腰を下ろした。

窓の向こうで男子の騒ぎ声が聞こえてきて、少ししたら遠くなった。汗がにじんでくる。


日向君は前を向いたままだった。



「昨日、日向君、大丈夫だった?」


遅くに分かれたから心配だったのもある。


「う、うん」

「よかった。眠たいよね」


片手で口元を抑えてあくびをしてしまう。
日向君からは返事はない。


「今日は早く寝たいな」


スカートのしわを手持無沙汰に引っ張った時だった。


「昨日は、ごめん」


スカートを引っ張る指先を止めてしまった。


「本当に、どうかしてた。ごめん」



ドキドキしていた、違う意味で。



「昨日、その、言ったよ」



嫌じゃなかったって、私は伝えたつもりだった。



「でも、ごめん」



また、ごめん。



「……なんで、そんな、謝るの?」

さん傷つけたから。何回言っても足んないけどさ」


日向君がとても申し訳なさそうに小声になった。

私は、私の知らないところで、傷ついていたらしい。

そんなに謝られたら、まるで昨日の出来事が全部間違いだったみたいだ。



「言ったじゃん」


感情的になりそうで、一呼吸置いた。


「嫌じゃないって、昨日、言ったよ」

さん、優しいから」


日向君が片手で自分の髪をくしゃっと握った。


「無理、させたんじゃないかなって……」

「そんなことっ」


思わず声が大きくなって、膝の上で拳を作って声を抑えた。感情はあふれそうだった。

日向君の顔だって、なんだか暗くみえる。
こんなことになるなら、昨日のこと、なかったことにしてほしかった。



「うれしかったのに……



日向君がすること、嫌だったことなんかないよ」



声が震えてしまっていた。

こんなの、告白同然だ。
ずっと大事にしてきた気持ちなのに、こんな形で伝えて。

こんな話、したかったわけじゃない。

なんでこうなったの。なんで、こんな、しゃべっちゃって。


「もう話、いいよねっ?」


勢いよく立ち上がった。一刻も早くこの場を離れたかった。
情けない顔もなにも全部見られたくない。


日向君の方が早かった。



「まだっ、



 まだ、だめ」



脱出は、はばまれてしまった。

日向君の手が、私の手首をつかんでいる。
熱が一気に伝わってきて、状況がうまく飲み込めない。

とても、混乱していた。



「えっと。……離して?」

「やだっ」


まさか、嫌だと返されるとは思っていなかったので、固まってしまった。


「まだ、まだ話し終わってない」

「でも!」

さん、さっき、おれのすること嫌じゃないって言った」


言った、
    けど。

それって、ただの、揚げ足取りだ。



「ずっずるいよ、日向君!」


「おれ、さんがすきだ」



まるで話の続きみたく返された。



「前に、言ったけど。こんなのはじめてだって。
 一緒にいたらわかるかもって言ったけどさ。こないだ、トスを上げてくれた時からずっと気になってた。

 おれ、前にわかんないって言ったけど、さん行っちゃってからずっと、もやもやして。気になって。

 夏休み終わんのやなのにさ、今年はすごく待ち遠しかった。わかる?」


ギュ、と音がした。

日向君がスリッパで床を強く踏み込んだ。



さんに、会いたかったから」



手首から日向君の手のひらから緊張が伝わってきた。
なんだか泣きたかった。
でも目を離せなかった。


「昨日は、その、やっぱりごめん。さんはいいよって言ってくれたけど、女の子にああいうことしちゃダメだから、ちゃんと謝りたくて。ごめん!」

「あっいや、うん……」

「嫌じゃないって言われたら、その、都合よく、期待する。

 さんは、嫌じゃないって言ってくれたけど」



日向君が言葉を切って、目を伏せて、意を決したように口を開いた



「おれのこと、どう思ってる?」



next.