「どう、って……」
日向君の真剣さが、手から、声から、眼差しから、全部伝わってくる。
すきって、
私の事、すきだって、そう言った、よね。
ぜったい……、たぶん、いや、絶対、聞いた。
そう言ってくれた。
外の廊下から誰かの声がまた聞こえた。
すぐ近くで、何か話していて、もしかしてこの資料室に用事があるのかもしれない。
どちらともなしに声を潜めた。
ドアを開けられたとしても、こんなに物が詰まった棚の裏側にいるんだから、そうすぐには見つからない、はず。
緊張した。
なんでこんなところにいるのかって聞かれたら、何て答えたらいい?バレー部って?そんなの、絶対ごまかせない。
日向君につかまれたままの自分の手首を見た。
チラと視線を上げると日向君とまた目が合って、日向君は、目をそらさなかった。
何か言ってほしそうで、それはきっと、さっきの質問の答えだ。
言わなくちゃ。
言わなきゃ。
早く。
ドアが、開かれた。
「あれ、何してんだ」
先生だった。
物が多いとはいえ、先生の身長の高さだとすぐに隙間から生徒の存在に気づけるらしい。
ドキッとしたけど、さすがに私たちの手がどうなっているかまでは見えてないようだ。
先生は何やら手伝いを探していたらしい。
資料室にいた理由は特に聞かれることはなく、その手伝いをする流れになった。
話をしながら、日向君は、やっと手をはなしてくれた。
ドキドキしていた。
触れるという行為は、嫌いな子にはしないはずだから。
「これ、全部な」
先生に言われるがまま、少し遠くの空き教室にあった大量の冊子を運んでいく。
それぞれ種類があって、どれもカラーのもので、厚みもある。
一気に運ぶにはけっこう重い。
「あ!」
「え」
「半分、持つ!」
両腕で抱えていた冊子の半分が日向君にさらわれる。
日向くんだってもう一束持っているのに、片手で持っていかれた。軽々と。
少し先を歩く日向君に駆け寄った。半歩だけ後ろ。
「あ、ありがとっ」
「ううん」
先に資料室に入る背中からは、どんな顔しているかまではわからなかった。
前と同じだ。
1年生の時だ。あの時も、こんな風に資料を代わりに持ってくれたんだっけ。
覚えてないんだろうな。
さっきと同じ資料室、どこかほこりっぽくて薄暗い。
日向君とすれ違うこの一瞬だけで、特別に変わる。
「ありがとな、日向、」
全部運び終えて資料室の電気が消される。
先生は職員室に戻るために階段を上がって、私たちはと言えば、ただ同じ場所に立っていた。
言わなくちゃ。
「あ、っちいたーーー!」
「!!び、くりした」
友達にタックルされるがごとく背後から抱きつかれてよろめいた。
「美奈が理科室でマッチ借りようって」
「え、マッチって借りれるものなの?」
「科学部の人にお願いすればいけるかも、くらい?」
「あ、日向、バレー部の1年がさっき教室来て探してたよ」
「おう。さんきゅ」
日向君、いっちゃう。
友達も歩き出す。もう日向君は階段の半分を過ぎた。
「とりあえず、科学部行くだけ行ってみよっ」
「待って。ごめん。日向君!」
友達いるのに。
頭の中ではそう思うけど、反射的に声をかけていた。
今を逃したら、次はいつか、それが来るかさえわからない。
「私も! ……だから」
あ、ダメだ。これじゃ、伝わらない。
「さっきの、あの、話。
私も、同じだから。日向君と、同じ、だよ」
背後で友人二人が『何の話?』と小声で話すのが耳に入った。
神経すべては日向君に向かっていた。
さすがにここで好きだと発することはできなかったけど、なにも言わないでいるよりずっとマシだと思った。
「さん、ありがと!」
日向君が笑顔を見せてくれて片手を上げたから、同じように手を振り返した。
伝わった、のかな。もう、行っちゃった。
日向君は階段を一気に上がっていったようだ。踏みしめる音がして、もう聞こえない。
「えっと、科学部だっけ。行こっか!」
声を張り上げた。
なんでそんなにはりきっているか聞かれても、答えようがない。
好きだと言われたから。
日向君に、そう言ってもらえたから。
他に何もない。
他に、何の理由がいるんだ。
こんな、こんな、うれしいことってない。
同じ気持ち、本当に?
もう一回聞き返したいくらいだった。
「あの、すみません、科学部の人っていますか?」
いつもなら知らない人に声をかけるのを躊躇うのに、今ならすぐに声をかけられた。
*
「あれを花火と呼んでいいのか」
「まあ、なっちゃん、花火は花火だよ」
ちょうど科学部の人と顧問の先生がいて、花火をしたいと相談した結果、どこで花火をする気だと揉めにもめて(屋上でやろうとして鍵まで借りたら強風でいくつかの花火が吹き飛ばされた)、最終的に理科室の実験用スペースでやることになった。
暗くなると何かあった時に対応できないと言われて、まだ比較的明るいうちにやること、水を大量に用意しすぐに消火活動すること、その手順まで正しく義務付けられた。
「あれじゃ理科の実験じゃん」
「確かに。ぽかったね」
「やば、マッチ持ってきちゃった」
友人の手のひらに、先ほど使っていたマッチ箱が一つ。
「私、返してこようか」
「いいよ、明日で」
「寄るところあるし」
「バレー部?」
ドキリ、確かにそうだけど、今日は、その、そうじゃないから、後ろめたさを瞬時に覚えた。
「テスト1週間前でもやるんだね」
「せ、正確には明日から部活なしだから」
「私、時間あるから、任せていい?」
「うん、いいよ。また明日」
昇降口に向かう友人を見送って、手の中にマッチ箱を改めて確認した。
なんか軽いと思ってみてみると、中身は残り数本だけだった。
これなら捨ててしまっても問題なさそうだったけれど、折角なので理科室に向かう。
しかし室内を確認せずとも電気が消えていて、もう中に誰もいないことがわかった。
そりゃそうか、花火はなんだかんだ盛り上がってそのまま解散の流れだったし。
結局、日向君にもアキちゃんにも声をかけることはなく、あっさりと手持ち花火はなくなってしまった。
明日からはテスト1週間前で部活動もなくなる。
昨日の余韻とさっきの花火のギャップを感じながら、意味なくマッチ箱をからからと揺らした。
もしかして、日向君ももう帰ってるかも。
でも、ここまで来たし。
どうしたものかと思いつつ、体育館に向かう最中だった。
「さん!」
声をかけてきたのは日向君で、着ているのはジャージじゃなくて制服だった。
少しだけ息を切らしていた。
「よかった、いたっ」
「あ、あれ、練習」
「きっ今日は女子の方も部活早めに終わったから!」
「そうなんだ」
「夏目にさっき会って、さんこっちに来てるって聞いて」
「う、うん。日向君、わざわざ教えに来てくれたんだ」
「待ってた!」
ストレートな言葉に、手の中のマッチ箱を握りつぶしてしまいそうだった。
「あ、えっと、うん、なんか、その、さん来ないかなって校門で待ってたから、あ、あのさ!」
日向君が言葉を切った瞬間、強い風が吹いた。
「一緒に帰っ、ん?」
「あ」
私たちの間に飛んできたのは、さっき全部回収したはずの花火だった。
*
どうやら、2本組の線香花火が、たまたま近くの木に引っかかっていたみたい。
手元にはマッチもある。
「あの、……やる?」
そう声をかけたのは、私だった。
「どこでやる?」
「水があるところっ、それと煙を感知するのがないところ」
「煙?」
「感知されると警報が鳴るんだって」
さすがに、警報器を鳴らしてしまったら、とんでもないことになりそうだ。
といっても、手元にあるのは2本だけの線香花火。
煙もなにもないかもしれない。
今日は夏休み明けの初日とあってもう人気も少なかった。
校舎裏の蛇口のあるすぐそばでやってしまおうと場所を変えた。
日向君とは、これまで通り、会話できていた。
私だけドキドキと鼓動が早い。
日向君が好きな気持ちと、日向君が好きと言ってくれた嬉しさと気恥ずかしさが折り混ざる。
そうこうする内に、目的の場所についた。
自分で言い出しておきながら、いざ、マッチを手にすると、少しだけ罪悪感がよぎる。
「さん、どうかした?」
「あ、えっと、やっぱり火を使うのはまずいかなって」
「花火やるには火使うよ?」
「じゃなくて、こんなところで花火ってやっぱり怒られるかなって」
線香花火とはいえ、花火は花火だ。
さっきは顧問の先生が見守る中でやったけど、今回は日向君と私だけだ。
辺りの様子をうかがってみる。
誰もいなかった。
「あ、日向君」
水飲み場でペットボトルの口に水を注いでいるのがわかった。
日向君が濡れた片手の水を切ると、その雫が少しだけ飛んできた。
「これですぐ消せる!」
「あ、そうだね」
悩むよりさっさとやってしまった方が早い気がしてきた。
線香花火だし、いざとなれば水で消せる。
「おれ、やろっか?」
「あ、でも」
「へーき、やらせて」
言われるままリレーのようにマッチ箱と棒を日向君に渡した。
あ、待った。
「日向君、線香花火が」
「えっ」
もう日向君の手元で灯がともっている。
火をつけるのに夢中で、線香花火自体を持つのをすっかり忘れていた。
「ど、どこだっけ、花火、はなびっ」
「あれ、さっきそこに。あち!」
「!!」
「やべっ!」
日向君が手放したマッチが地面に落ちて、慌ててペットボトルの水をかけた。
じゅ、と音がしてすぐ消えた。
次は、日向君の方だ。
「さんっ!?」
「早く冷やさないと。指だし」
バレーをやる時、指先はすごく大事なものだ。
急いで蛇口をひねって日向君がマッチ棒を持っていた方の手を冷やしていく。
勢いよく水を出しすぎて私の方にもかかってしまったが、しょうがない。その内乾く制服より、火が当たった指先を冷やす方が先決だ。
「痛い?」
「あっ、いやー、ぜ、んぜん。大丈夫だよ」
「もうちょっと冷やしとこう。前もね、なっちゃん、指やけどしそうになった時、けっこう長く冷やしてたからよかったことあるんだ」
「あ、うん」
「ごめんね、ちゃんと私が花火持っとけば」
「いやっ、おれがすぐ火つけたからだし」
「バレーやる、大事な指なのに」
返事が急になくなった。
痛みがあるのかと気になり、少しだけ蛇口をひねって水の流れを緩めた。
「あ、あのさ。どれくらい、こうしてるの?」
「えっと、こういう時は10分くらいはやっといた方がいいかな」
「10分……」
腕時計を確認したのと同じタイミングだった。
流水に当てていた日向君の指先が、私の指を握りしめた。
今さら自覚した。
日向君の指を冷やすことに夢中で、日向君の手のひらをきつく握りしめていたことに。
そして、いま、すごく距離が近いこと。
水道水の流れだけが規則正しく音を打ち立て続けた。
next.