ハニーチ

スロウ・エール 73







日向君が、私の指を、握りしめている。

密かに事実確認をした。

マッチの火が当たった指先を冷やすだけなら私の指を握る必要なんてない。

その事実からわかるのは、日向君が意図をもってこの指を握りしめたということだ。
これまでだって似た場面はあったけど、今、この指を握りしめる理由はない。


だから、つまり、これは、


さん」

「!な、なに」


さっきまで考えていたことが全部吹き飛んでしまった。

顔を上げると、この距離だ。当たり前に日向君と目が合った。
笑った。


「すげぇうれしい」


ド直球、ストレート。

やったこともないのに日向君の投げた言葉は野球ボールのように私の心のど真ん中に飛び込んだ。


「う、うれしぃ……?」

「あっ、いや、さっきさ。教えてくれたから、さんのきもち」


階段で日向君に同じ気持ちだと話したことだとわかった。


「だから、すごくうれしい」


なんだか、今まで以上に日向君がまぶしく見えてうつむいた。

知ってる。日向君のこの笑顔。
知ってるのに、もっと、こう胸に来る。


「あ、あのさあ」

「ん?」

「あー……」


日向君が言いよどむ。続きを待った。

待っている間も、水道水はさっきと変わらない速度で流れ続けている。
絶え間なく、ずっと、その間も、手は握りしめられたまま。


「や、やっぱりいいや!」

「いいの?」

「う、うん。その、ん……今度、言う」

「え、なんだろ」


やっぱり好きって言ったのはなしで、とか?
そんな考えたくもないことが一瞬で浮かんで、自分のネガティブさに肩を落とした。
こんな風に手を握ってくれているのに、そんな風に思うのは自虐的すぎる。

なんだろう。
なんでもないことなら、早めに教えてくれてもいいのに。


「こ、今度! その、おれの、準備が出来たら」

「準備? あ、文化祭の事?」

「ちっちがくてっ」

「じゃあ、あっ、夏休みの宿題みせる……?」

さんの中のおれのイメージ、それ!?」


いつも通りの会話が進む。
やっぱり手は握りしめられたままで、日向君の指の力は、きつくもないし、緩くもない。

抜け出すと拒絶が伝わりそうで、そのままにしておくと好意が滲んでしまう、そんな感触だった。

これまでと同じつもりでも、なんだかにやけてる気がする。
急に恥ずかしさがこみ上げた。


「も、いいかもっ」


わざとらしく腕時計を見て声を上げた。


「10分経った?」

「うん。あ、まだ痛かったりする?」

「ううんっ」


日向君が、繋いでいないほうの手で、蛇口をひねって水を止めた。

水音がなくなった。辺りが急に静かになった。


「あっという間だなって、10分」


同じ時間なのにとても長く感じていたから人の感覚ってそれぞれだ(すごく緊張していたから)

ようやく手が離された。


「あ!」


水を払って拭こうとしたとき、線香花火が濡れていることに気づいた。

たぶん、さっき蛇口をひねりすぎた時に飛び跳ねた水が伝ったんだろう。
これじゃもう火をつけても無理だ。


「あー……、やっちゃった。ごめん」

「乾かしたら使えない?」

「あ、危ないよ、小さいとはいえ花火だし」


もったいないけれど、この2本組の線香花火に灯をともすことはなく、そのままゴミ箱行きに決めた。
マッチは明日科学部の人に渡しておこう。


「ごめんね、日向君」

「なんで?」

「いや、私が言い出しといて、結局花火できなかったし」


もともとこの2本だけだったけど、それに派手さはない線香花火だ。

からからと残り1本のマッチ箱を意味なく左右に振った。


「いいよ、全然」

「そっか」


やってみたかったのは私だけってことか。
まあ、そうだよね。
誘ったのも私だし。


「あ、ごめん」


並んで歩いていたら、日向君の手とぶつかってしまった。

気を付けないと。


「じ、じゃなくてっ」

「え? あぁっ」

「え!?」

「え?」


日向君が気まずそうに頬をかいた。

手がぶつかったから、ちょっと間を空けて二度はないように用心しただけなんだけ、ど。ふと、思いつく。

え!

あれ、もし、かして日向君……


「て、てを」

「手、を?」

さんが、嫌じゃなかったら、つないでもいい、です、か」


差し出される、手のひら。

ここは校内だ。
誰かに見られたらと迷ったけど、周りに人はいないんだし、と、半ば勢いのまま決意した。


「い……や、じゃない、です」


おそる、おそる、手を重ねる。

途端にぎゅっと掴まれて、あ、なんか、逃げられない。そう直感的に思ってしまった。


「かっ帰ろっか」

「そ、だね」


校門に向かう。
少しだけ日向君が先を歩いて、とぼとぼと付いて歩いた。

誰も、いない、よね。

こんなところ見られたらまずい。でも、嫌だとは答えたくなかった。答えなかった自分は褒めてあげたい。


「よかった、花火」

「え?」

「おれ、マッチつけられたから。熱いのは困るけど、おかげで、さんと……こう、してられるし」


こう、しているの指示語が何か、わかるようにか、日向君の指がほんの少しだけ動いた。


「そっそんな、大したものじゃないけど」

「ううんっ、うれしい。ありがとう、さん」

「ど、いたしまして」



向けられているのが好意だと実感する。
私にそこまで価値があるかはわからないけれど、喜んでくれたならよかった。

校門が近づいてくる。


「あ、自転車は?」

「そうだったっ」


あの、手。
手を離さない、と。

言うタイミングがわからなくて、結局、日向君の自転車の置いてあるところまで来てしまった。


「あの……?」


今度は、日向君が自転車を前にして動かなくなってしまった。

まさか何かトラブルだろうか。

普段は来ない自転車置き場だが、日向君の自転車は何度も見たことがあるのですぐわかった。
数台は残っているけれどそれらは放置されている様子で、他は出払っていた。


「もしかして鍵がないとか?」

「いや、あるんだけど」


日向君はポケットから自転車の鍵を取り出した。


「他になにかある?」


ぎゅ、と手を握られた。



「離したく、ないなって……」


こういう時、どう返すのが正解なのかさっぱりわからなかった。


「ごっごめん、さん困るよなっ、帰ろっ」


不意に自由にしてもらうと、ますます反応に困る。

離したくないって言えばよかった?
いや、でも、もう帰らなきゃだし。そう考えるのが女子として失格?
そう思ってもらえるのはうれしい、けども。

一人混乱したまま、日向君が自転車に荷物を入れて押す横に続いた。

今更、いつもなら日向君が自転車を持ってくるのを校門で待っているんだったなと気付いた。

はじめてばっかりだ、今日。
いや、昨日からずっと続いているお祭りの浮かれ気分。

日向君はどうだろうと隣を確認すると、思わず突っ込みたくなった。



「あの、日向君」

「え!なに!?」

「なんか、その、すごく楽しそうだからどうしたのかなって」


正確に言えば、すごくニヤニヤしていて、その、怪しかった。


「あっ、いや、すげーうれしい、から。つい」

「うれしい?」

「そりゃっ、好きな子に好きって言ってもらえたらうれしいよっ」

「!!こ、声を、抑えてっ」

「ごごめんっ」


思わず辺りを見回した。やっぱり他の人はいなかった。

今日という日が、この日でよかった(いつもなら絶対に人通りがある)



「あ、日向君、ここでいいよ。もうバス来てるし」


タイミングよくバスが次の信号で止まっているのが見えた。長い信号が青になれば、もう乗れる。
駆けだした時だった。


さん!」


ガシャッ、と音がしたのは、日向君が自転車を停めたからだった。

わざわざ走ってきてくれた、けど、荷物も自転車もそのままで気になった。


「どうしたの?」

「あ、あのさ」

「うん」


日向君の表情が急に真剣なものに変わる。

顔と顔が近づいた。






さんのこと、ほんとにすきだから」




耳打ちだった。

さっきと打って変わって、すごくすごく、小さな囁き。



「じっじゃあ、また明日」

「ま、また明日」

「バス、もう来るよ」

「う、うん。日向君も、帰り気を付けて」

「おう!」


背中で見つめられているのが分かって、バスに乗るその瞬間も振り返って手を振った。

すごく大きく腕を振ってくれた。




next.