ハニーチ

スロウ・エール 77





「ど、どこ行くんですか、先生」

「悪い、。もう練習始まるから」

「まっ、まだ行かないでください、先生にまで行かれたら」

「飛雄の荷物はあるからすぐ戻ってくるだろ」


先生が指さすと、私が座っていたテーブルの向かいに、確かに影山君の鞄が置かれていた。


「だ、だからなんなんですか、説明してください」


落ちた強豪。青葉城西。そこに行かない。影山君の後輩。そそのかした、彼女。
理解できないキーワードで頭がいっぱいだった。

影山君もさっきの人たちも、巻き込むだけ巻き込んでおいてこの場にもういない。
先生にまで立ち去られて、まだ人の目もあるのに、残されるなんて絶対困る。

それに、まだ先生に聞きたいことがあった。


「あと、なんで影山君に私のトスがどうのって話したんですか」


先生が変なことを吹き込んだせいで、この間は影山君にトスを上げる羽目になった。

先生の方はなんだったかすぐに思い出せない程度のことだったんだろうけど、こっちからすれば色んな事があったせいですべてが鮮明だった。


のトス?」

「影山君に影山君のトスに足りないものがあるって……、それ、が、私のトスにあるって」


影山君にトスを上げたこととその経緯を説明すると、先生は手を一つ叩いた。


「言ったな、そんなこと」

「それ、撤回してください」

「撤回?」

「影山君に勘違いされてるので。誤解があるの困ります」


影山君のトスに足りないものがあって、それが私のにある。そんなこと、ある訳ないじゃないか。

影山君のことを将来の日本代表とまで絶賛する先生だ。
てっきり、そんな風に言ったつもりはないと、影山君の国語力の問題で勘違いされたと続くと思っていた。


「飛雄、ちゃんとのトスをお願いしたの。そう……」


先生はしみじみと呟いて黙った。

今度は先生のことを呼びに来た生徒さんがいたけど、先生の方が断って自主練習の指示をして、テーブルについた。
私も元いた席に座った。


「影山君にちゃんと説明しておいてください」

「なにを?」

「なにを、って」


私のトスに何があるのかと。
中学に上がった時点でさよならしたバレーのことを、なんでそんな才能のある人に話したのかと。


「飛雄のトスに足りない物がのトスにはあるってことなら、本当にそう思ってるよ」


厳しい物言いの先生がお世辞を言う訳ない。
だから余計に混乱して、続く言葉の意味が頭に入ってこなかった。

私の、トス。


、後で飛雄が出てる試合のDVDあげるよ」


急に先生の言葉が耳に届いた。


「え……」

「知りたいんだろ、のトスにあって飛雄のトスにないもの」


知りたいとも知りたくないとも言い切れない心境のまま、先生の方は前に呼び出された時のように淡々と話を進めた。
後で先生のところに寄るように、と。

さっき私に食って掛かってきた2人、というか正確にはその片方だけど、その人たちは先生の元教え子で、今は北川第一のバレー部員だそうだ。
彼らに試合の動画をコピーしてもらったらしい。

ん?


「それ、私に渡しちゃダメじゃないですか?」


部外者にそんな情報を渡したら、ライバル校との試合の時に研究されてしまう。
バレーだって力技で勝てることもあるけど、戦略は重要だ。
そりゃ、私の学校は北川第一に比べれば大したことないのだろうが、だからって見ていいことにならない。

は頭が固いと先生はぼやきつつ、付け加えた。


「もう飛雄たちの代は引退だよ。次は高校だ」

「……だから、さっきの人たち、怒ってたんですか?」


もし北川第一のバレー部員なら、きっと青葉城西に影山君が入ってほしいに決まっている。
それがなぜか烏野高校に行こうとしているんだから、それを後押しする私に文句を言いたくなるのも無理はない(だからってあの人たちの文句をこっちに言われても困るけど)


「あの二人は特に飛雄に憧れてたから」

「……だったら、その二人も烏野に入ればいいじゃないですか」


烏野高校だってちゃんとしたバレー部のある学校だ。
そんなに抗議されるほどの進路だろうか。全国に行ったこともある。

身内びいきもなくはないかもしれないけど、単純に疑問だった。


「そりゃ才能がもったいないってことだろう」

「な、なんでですか」

は知らないだろうけど、のおじいさん、つまり私の先生だけど、一繋さんが引退されてから烏野はずいぶん全国行ってない」

「……」

「それどころか、よくて県ベスト8。対して北川第一からの入学者の多い青葉城西は言わずもがな、飛雄のことを知ってる先輩達もいるならそっち行った方がいいって考えはわかる」

「じ、じゃあ、なんで私に烏野の受験手伝わせてるんですか、白鳥沢とか他にも学校はいくらでも、」

「飛雄は勉強ができないからね」


至極当然とばかりに言ってのける先生に笑いも出ない。


「こないだ一繋さんとこにお見舞い行ったけど烏野男子バレー部の監督に復帰するって言ってたしね」

「おじいちゃん、そんなこと言ったんですか」


それは初耳で、また家族の中で荒れそうな話題だと思った。



「そいや、、飛雄の彼女になったんだな」

「違います!!」


確かに今日は自分が彼女かどうか悩んでいたが、決して影山君の彼女ではない。
どういう経緯で勘違いされたのかさっぱりわからない。

そう主張すると先生はふむふむと頷いて腕を組んだ。


が烏野高校に飛雄を引っ張ってるとでも思ったんだろ、飛雄との噂は耳に入ってたし」

「噂?」


聞き返すと先生は大したことじゃないと流したけど、そんなことで振り回されるのはもう嫌だった。
幸い、この体育館が同じ中学の人がいないからまだましだ(2年生の時のことを嫌でも思い出す)

話をすればするほど状況が整理できるどころか、私は全く関係ないトラブルに巻き込まれたことだけは理解して気が重くなった。

そもそも影山くんの通っている北川第一の先生たちは何をしているんだろう。
それほどの才能が影山君にあるなら、親の人とか、学校の先生こそ、ちゃんと影山君に進路指導するべきじゃないの?

って、なんで私が人の進路をそこまで考えなきゃいけないのか。


「悪かったよ、。もとはと言えば声をかけたのは私だし」

「先生は、……ただ、いきなりあんな大騒ぎにされたら。そんなに烏野に行って欲しくないなら、私じゃなくて直接影山君に話せば」


言いながら、それができないから、私に言ったんだろうなと思った。
影山君に憧れこそすれ、話しかけやすいかは別問題だ。
名前すら覚えてもらってなかったみたいだし。

そうこうしていると、また先生の様子を伺いに選手の一人がやってきたから、今度は引き留めずに見送った。

私と、勉強道具と、影山君のカバンだけがぽつんと残る。

幸い、こっちを気にしていた大学生の集団はもういない。
落ち着きを取り戻したフリースペースで、一人ため息を吐いた。

お茶、買おう。

一人の女の人が飲み物を買っている横で、どれにしようか眺めていた。
そういえば、この人、さっき先生を呼び出してくれた人だ。
女の人の方も気づいたらしく、思わず会釈した。

その人は買った飲み物を取り出した。
と、同時に自販機の抽選に当たった。
なんだか場違いな音がして、ガタンッと二本目の飲み物が落ちてきた。

目が合った。


「お、おめでと、ございます」


つい反射的に言ってしまった。


「飲む?」


返事をする前にペットボトルが放られて、キャッチした。
冷たいお茶だった。


「え、これ!」

「2本もいらないから」

「でも」

「さっき大変だったね」


その“さっき”の一部始終を見られていることはわかっていたので、恥ずかしさに肩を狭めながらお礼とともに頷いた。
その人は豪快に飲み物を煽った。


「モテる女ってそんなもんよ」

「いや!そんなんじゃ」


見ず知らずの人に説明するのも変なので、手元無沙汰に同じようにペットボトルの口を回した。


「あ、あの」

「ん?」

「うるさくして、ご、ごめんなさい」


あと、お茶も。
なんだか気まずさで口が回っていない。

肩にポンと手を置かれて、その人を見上げた。


「いいってことよ!」


ウインク一つ、颯爽と立ち去るその女性に、しばらく心奪われてしまった。



next.