ハニーチ

スロウ・エール 80





「あれ、先輩にも話した、よね?」
「え、どうだっけ」
「夏休み前に……さ。ねえ」


後輩たちが戸惑いながら小声で話し出す。

改めて手元のドレスを見てみるとすごーく手がかかっていて立派だし、確かに夏休み中に採寸もやった記憶はある。
てっきり文化祭で使うエプロンのためかとばかり(その割にはやけにこまかく測るなあとは思っていたけど)

これは、着ないわけにはいかない、ような。


「なっちゃん聞いてた?」

「ごめん」

「なにが?」

「思い出した」

「なにを?」

「夏休み前にさ、に伝えとくって言って伝え忘れてた」

「えぇー!」

「いやーそれどころじゃなかったていうか、うん」

「ちょっとー!!」


わからなくもない。

夏休み前は私たちも少しだけぎくしゃくしていたし、やることもたくさんあったし、部活動の中心はすでに2年生になっていたから文化祭に関しても自分の作品をつくることだけに集中していた。

でも、だって、舞台って。









「すげー! さん、演劇部の舞台に出るんだ!!」


ぐだぐだと友人や後輩達と話して終わった部活動の後、タイミングが合えば一緒に帰ろうと言っていた日向君はばっちり教室で私を待っていてくれた。
その帰り道に、文化祭の話を全部話してしまった。
そして、この反応だ。


「すごいのかなあ……」

「すごいって。そんなすげー役、おれやったことないよ」

「“すげー役”かな」

「すごいって! お姫様!!」

「う、うーん、出る人みんなお姫様だからね」


メインの舞台はシンデレラみたいなお話で、私たちが出るのは王様の主催するパーティー。
目的は王子様の花嫁を見つけ出すため、私たち家庭科部が出るのはそのパーティーに招待された各国の姫だそうだ。


「なっちゃんとか2年の子は少しだけ台詞があるっぽいんだけど、私は立ってるだけだし」

「でも立ってるだけでもすげー!」

「かなあ?」


まだ実感がわいていないのもある。
文化祭の舞台ってそこそこ観客も入るし、同じクラスの人も見る。
その舞台に自分がいることが想像つかない。


「家庭科部ってそういうのもやるんだっ」

「ぜんぜんっ。私たちの代は作品展示と喫茶店だけだよ。今の部長の子が演劇部の人と仲がいいんだって」


人数の多くない演劇部がやるパーティーのシーン、もっと華やかにできないかと衣装の相談を受けたらしい。
どうせ衣装を作るならいっそ舞台にも上がったら面白いんじゃないか。
そこから話は発展して、今に至る。

後輩達がわいわい楽しそうにしているのはわかるし、友人にまで話がいっていたなら私だけ反対するわけにも行かない。

日向君もこんな風に言ってくれるわけだし、なんだか本当にすごいことをやるような気分になってくる。

それに、日向君には言わなかったけど、自分で招いた節もある。


がさ、バレー部応援してたでしょ』

『お、応援ってっ。そんなたいそうなことじゃ』

『実際そうじゃん、がどう思ってても客観的に見ればさ』

『ん……まあ』

『だからみんなもやってみようって思ったんだって。みたくやりたいって思ったらやってみようって』


そこまで言われたら、断り続けられなかった。

よその部活動にここまで関わるのは並大抵の大変さじゃない。
これまで通り、家庭科部としての作品展示と喫茶店もやるとしたら、単純に作業が増えることになる。

私みたいに、か。


さん出るなら絶対見よっ」

「え」

「演劇部。一番前に座ろっかなー」

「それは、ちょっと!あの!!えっと」


一人焦っていると、日向君が面白そうに笑いをかみ殺しているから、からかわれたことがよくわかった。
なんかあせった自分が恥ずかしい。


「さすがに一番前はやめとくけど、端っこでみとくね」

「いいって、面白くないよ、日向君には」

「なんでっ?」

「だってラブロマンスだもん、興味ないでしょ?」


ざっくりと話を聞かせてもらった感じからして、冒険や戦いや魔法バトルが付け足されることはなさそうだった。
日向君は国語の時間は現代文だって古文だってよく寝ているし、少女漫画が趣味とは聞いたことがない。


さんには興味あるよ」


さらっと、日向君は言う。


「どんなかなって、気になるし」

「……そ、そっか」

「うん」

「う……ん」


何の相づちかわからない返しをして、そのまま黙ってしまった。

関心を持ってもらえるというのは、やっぱり好きでいてくれるから。
そう思うと、なおのこと緊張してくる。

同時に、今日あったことが脳裏をよぎった。

もうバス停に着いてしまった。バスも来てしまった。

押していた自転車に日向君がまたがった。



「じゃあ、おれ、行くね」

「まっ」

「ん?」


待って、と言っていいのか。
私が迷う間にバスの扉が開いた。

乗らなきゃ。

そう思うのに、足を動かしたくなかった。


後からやってきた人が私をチラと気にしてから追い抜かしてバスに乗り込む。

俯いたまま動けず、日向君も自転車に乗ったまま、きっと私を不思議そうに見ている。

バスはまた扉が閉まって走り出した。

私はバス停の前に立ったままで、日向君も待っていてくれた。



「日向君っ。行っていいよ」



日向君は脇に自転車を停めた。



「うん」

「だから、行っていいよって」

「行く。さんの話聞いてから」

「話なんて……」

「言いかけたこと教えてよ」


日向君は急かそうとする声色でもなくいつもと同じ調子で尋ねた。

私の後ろに次のバスを待つ人が来た。
また一人。
帰宅時間はいつもこうだ。

列からはずれて日向君に近づいた。日向君が列を指さした。


「いいの?」


バスの列に並んでいなくていいのか、と。

きっと、すぐ済む話だと日向君は思ったんだろう。
引き留めたのはとても小さな話で、すぐ終わって、すぐ帰れる話題だって想像したんだ。


「は、話したら長くなるかも」

「おれはいいよ!」

「いいの?」

「おれはね。さんが大丈夫かなって」

「わ、たしは別に」

「うん」

「な、長くなるかも」

「うん」

「ほ、ほんとにいいの?」

「いいよ」

「全然、あの、たいした話じゃないかも」

「いいよっ」


なんとなく二人で道路の脇に寄って、少しだけ人通りから離れた。



さんが話すことならさ、ちゃんと聞きたい」

「……」

「ねっ!」


なぜか二人並んで次のバスに人が乗り込んでいる様子を眺めながらの会話だった。

なんだか、やっぱり緊張する。

もう夕焼けのオレンジも遠のいて、夜がどんどんと濃くなっていく。



「え、えっと、えーっとね」



どこから話し始めればいいかわからなかった。
焦ればあせるほど混乱して、日向君は黙って待っていてくれた。その優しさにさらに焦ってしまう。深呼吸した。

私たちは両思いだってことは一応たぶんわかったけど、そこからどう変わるかわからなかった。

学校の人には私は言ってないけど、日向君もそうなのか。

私たちって、その、付き合ってるってことでいいのか。


ふと隣の日向君を見やると、日向君もこっちを見ていて、ドキリとした。

それは今日先生に日向君のことを言われたからなのか。
体育館で友達に日向君のことを指摘されたからなのか。



「わ、私ね、好きな人いるかって聞かれて。いないって答えちゃって」



next.