ハニーチ

スロウ・エール 81





『好きな人はいない』と口にすると、日向君が一瞬だけ固まってしまったような気がして、慌てて続けた。


「あ、いや、そうじゃなくて! いや、その、いま、嘘ついたんじゃないんだけど」


ごちゃごちゃする頭の中をいつも以上に冷静になれないまま整理もできず、ただ必死になって説明した。

この間の図書館帰りに会った友達に二人の仲を勘繰られたこと。
好きな人はいるのかと聞かれて、反射的に好きな人はいないと答えてしまったこと。
それは本意じゃなかったこと。


「そ、それに……」


やっぱり2年生の時にクラスの男子にからかわれた時のことがよぎる。

もうとっくに昔のことなのに。

日向翔陽との名前が白いチョークで黒板に書かれた光景も、黒板消しを男子に奪われそうになった瞬間も、日向君の怒った声も全部思い出せてしまう。


「日向君に、迷惑をかけたくなくて」


ちょうど大きなトラックが車道を勢いよく通り過ぎた。

一呼吸おいて、日向君の反応も待たずに一気にしゃべりすぎだと気付いた。

反応がこわくて隣を向けない。



さん」



つい肩を上げて大げさに驚いてしまう。



「 ……は、おれのこと、すき?」



おそるおそる隣を見やると、日向君の瞳はこちらを捉えていた。

その真っ直ぐな眼差しに緊張しつつ、深く頷いた。


日向君が今度は前を向いたから、同じように視線を外して、帰宅時間で行き来するバスを眺めた。

私達のそばの電灯が明るくなって、影が伸びる。



「よかった」

「え?」

「いや、だって、おれ。ものすごく、その、さんにいろいろしちゃってたからさ」

「なにを?」

「え! ほら、……いろいろ、言ったし」

「なんか、言われたっけ」

「だからさ」


日向君の影が私の陰に重なった。



「すきだって、言ったじゃん」



それはすごく耳元で、日向君の熱が届いてチラと見ると、日向君の前髪が少しだけおでこに触れたから、途端に二人して前を向いた。


「そ、そだね!」

「うん、だから。も、もし、さんがそうじゃないんだったら、おれの方が、すげー迷惑かけちゃったなって」

「そ、それはないっ、よ」

「だっだから、よかったなって」

「そういうこと、か。ごめん、私、すごく、理解力なくて」


片手で前髪をくしゃとにぎりしめて自分の察しの悪さを嘆くと、日向君が自分の説明が悪かったからだっていうから、そうじゃないって二人でやり取りを繰り返した。
また次のバスが行ってしまう。
なのに、もっとこうしていたかった。


「ひ、日向君は、好きな人、「いるよ」


即答だった。


「ここにいる」



ほほえまれると、好きだという気持ちが湧き上がる。

すごくうれしくて恥ずかしくて、どうしたらいいかわからなくて、こんなことなら私も好きな人がいるって言えばよかったと後悔した。

ただ、私が聞こうとしたのは、日向君も私と同じように『好きな人はいるか』と誰かに聞かれたことはあるか、という内容だったので、それを説明すると今度は日向君がはずかしそうにした。


「すげっ早とちり」

「ご、ごめん、まぎらわしかったね」

さんが悪いんじゃないよ、おれ、いつもそういうの多いし」


日向君も一つ息をついた。


「でも、さんに、ちゃんと伝わっててよかった」

「うん」


伝わっててよかった。

伝えてもらえてよかった。


気持ちが同じなら、なんだっていい。

ただ、問題は宙ぶらりんのままだ。私達のことをみんなに言うかどうか。


さんはどうしたい?」

「わ、わたし?」

「うん」

「私は……」


日向君に迷惑になるかもしれない。
その気持ちもあって友達に聞かれたときに『いない』と答えた。
自分自身、他の誰かにからかわれたくない気持ちもある。


「黙ってて、おきたい、かなぁ」


この間のテストの結果のことも気にかかる。

自分のせいとはいえ点数を下げてしまったから色んな先生に目をつけられている。
一部の先生には日向君のことだって言われた。
今のまま日向君のことが先生に知られたら、また何か言われるかもしれない。そんな面倒はしたくなかった。

日向君はいつもの調子で頷いた。


「だったら、それでいいよ」

「いいのっ?」


日向君も隠しておきたいということなんだろうか。

そこに関しては首を横に振られた。


「おれは、みんなに言いたい」

「ぇ」

「だって、さん、おれの彼女だし」


“おれの 彼女”


「え! そうだよね!?」

「あ、うん」


固まった私にすかさず日向君が確認を取るから、機械的に肯定していた(そんな、さらっと言われるとは思わなかったから)


「だから、本当はみんなに言ってもいいなって思うけど、さんが黙っておきたいならそうする」

「ご、ごめん」

「なんで謝るの?」

「な、なんか私のせいで日向君に面倒を」


また次のバスが行ってしまう。扉が閉まる音を耳がとらえた。



「めんどうなんて思ったことない。それに、ずっと黙ってる訳じゃないよね?」



あまり想像していなかった問いかけに、少し先の未来を想像する。

わざわざクラスの人に私たちのことを言いふらす必要もないと思うけど、誰かに聞かれたときにはいつか本当のことを答えるだろう。


「まあ、そ、だね」

「だから、今はいいよ」


日向君が明るくそう言うから、つい細かいことまで気にかかる。


「“今は”?」

「うん、今は。黙ってたって、おれはさんの気持ち知ってるから。今はそれでいい」


そのニュアンスからして、今は言わなくていいけど、いつかは絶対に言う、という風に聞こえて、なんだか気はずかしくなってしまった(そんなに言いたいのかなって己惚れる)


私は日向君がすき。

それを日向君に知られている。


それは、お互い様だ。それが告白というものだ。


さん?」


どうしたの、というニュアンスで呼ばれても、すぐに答えられなかった。
好きな人に自分の胸の内を知られているというのは、もう、なんというか逃げ場がない(逃げる必要もないんだけど)
もう、なんか、いたたまれない。はずかしい。


「か、帰ろっか!?」

「急に!?」

「も、もうけっこう時間経ったし」


二人でいると時間が過ぎるのが早い。

日向君も今何時か確認して、こんなに経っていたのかと驚いていた。



「は、話し、聞いてくれてありがとう」

「ううん」


日向君はいつもこんな風に話を聞いてくれる。いつもだ。


「日向君っていい人……」

「なんで?」

「こんな、いっぱい話聞いてくれるから。まとまってもないし、ちゃんと説明できてもないし」



手が、ぶつかった。お互いの。

離さなきゃ。



「なんだって聞くよ」



にぎられた、右手。



「聞きたい、から」



そのまま、私の手は、日向君の手に握られたままだ。

鼓動が、早い。



さんのこと、知りたい」

「もう、けっこう知られてると思う」

「そうかな」

「うん、たぶん、日向君の方が他の人より詳しい気が、……する」


ぎゅっとされると、そわそわする。
緊張で汗かかないか心配になる。


「もっと、知りたい」

「もっと?」

「みんなに言わないのはいいけど、こう、してもいい?」


日向君がつながった私たちの手をみえるように胸の高さまで持ってきて言う。

それが真剣すぎる眼差しで、息をのんで、頷いた。


「い、いいんだけど、もっと、力」

「ご、ごめんっ」

「あ、別に」


力が入りすぎだよと言う前に、日向君がぱっと手を離す。
そんな急いで離さなくても、と言おうとしたけど、次の瞬間、手は繋ぎ直されていたから、言葉の続きは行方を失った。


「“別に”、なに?」

「いや」


今度の手の握られ方は、こちらからも握り返せるので、おずおずとほんの少しだけだけど力を添えた。
その倍以上の力で握り返された。
な、なにをしているんだろう。


「あ、あの」

「痛い?」

「痛、くはないけど」

「けど?」

「か、帰れなくなっちゃうなって」


一度手を繋ぐと、当然だけど離さなければならない。
つないだばっかりなのに、もう離すことを考えているなんてかわいくない。


「どっか行く?」


まさかの提案にすぐに返答できずにいると、日向君の方が自転車があるから手を繋いだまま歩き回るのは難しいことに気づいてくれた。
なんとなく安心した。

その内にやっぱり帰らないと、という流れで手を離した。

離してもまだ日向君の感触が消えない。

日向君が自転車を押して、私はバス停のところに戻った。
ちょうどバスが行ってしまったおかげで、バス停の前には私達だけだった。

日向君が自転車にまたがったタイミングで言われた。


「みんなに言わないのは、いいんだけどさ。また、手、つなぎたい」

「うん」

さんも、そう思う?」


日向君はやっぱり真っ直ぐ私を見つめていた。


「そう思う」


日向君がほっとしたように笑ったから、私も同じように力が抜けた。

日向君に握りしめられた方の手でバイバイをした。

ちゃんと話せてよかった。



next.