ハニーチ

スロウ・エール 83




今度の土曜に、映画館の前で。

影山君からのお誘いは、夏休みに日向君に言われた時と同じだった。

やっぱり、OK出したのまずかったかな。
少しだけ後悔がよぎる。

とはいえ、『いいよ。行く』と影山くんにメールしてしまった手前、今さら無理ですと送り直すわけにもいかない。


……。


友達同士だもん、いいよね。
さっき、そう泉くんとも話したんだし。うん。


誰かに聞いてみたくなるけど、聞いたら、彼氏ができたのかと聞かれそうだ。

学校に関連ある人はやめようと考えて、一瞬だけ従兄弟の顔が浮かんだけど、きっとこういう相談に向いていない(彼女の話も聞かないし)

それに、従兄弟経由で、家族の誰かに知られるのも面倒だ。


“ずっと黙ってる訳じゃないよね?”


日向君に言われたことを思い出して、一人首を傾げた。


黙ってるってことはないんだけど……だけど、さ。




ー、空いたよー」

「ありがとー」


後輩が整えてくれたドレスを手にして、扉が開いたままの家庭科室とつながった隣の教室に入る。

昨日の今日でもう調整したなんてすごい。
改めて思うが、後輩の方がずっとセンスがある。

このドレスはとてもきれいに作られていて、売り物みたいだ。

感想をそのまま伝えると、後輩も嬉しそうだった。

衣装作り班はこのドレスで舞台用の仕事は完了、これからカフェ用のエプロン作りの仕上げ。
お菓子作り班は大方決めた文化祭メニューの盛り付けを決めている。

去年までは一緒になってやっていたけど、1、2年の人数も増えてきたから、私たちはすっかり引退気味だ。


「私たち、楽ちんだねぇ」

「後輩が育ってなによりだ。……あ」

「ん?」

「文化祭の分担表どうする?」


友人の言葉に、そういえばそんな仕事も残っていたなと思い起こす。

当たり前だが全員クラスの出し物もある訳で。

そうなると誰が家庭科部の店番をするか決めなければいけない。

後輩たちは3年の先輩たちはシフトに入らなくてもいいと言うけれど、みんなもきっと文化祭を満喫したいだろう。


「やってもいいよね、去年と同じような感じで」

「待って。そいや、今年は舞台ある」

「あ……」


予定していなかった演劇部との共演。
それってつまり、同じ時間帯にこの部の人たち全員いなくなっちゃうということだ。

色んな意見が飛び交って、結局、舞台の時間は私たち3年が店番をすることになった。

舞台は外部の人たちが入れる日だけだから、私たちは1日だけの当番で済む。

もっと店番をしてもよかったが、後輩たちが断固として譲らなかった。そこまで先輩風を吹かせているつもりもないが、好意を受け取ることにした。

ただ、せっかく直してくれたドレスは残念だけど。


の編みぐるみに着せれば?」

「私のやつ、八頭身ないけど」

「顔だけ編みぐるみ」

「顔だけ!?」


なんならウィッグもつけていいと友人が付け加えるから、二人で想像だけしてそのシュールさに笑った。

文化祭準備に余念のない後輩たちを残して、私たちは久しぶりに二人で帰る。
タイミングが合わなくて一緒に帰ってなかったから、積もる話もたくさんだ。


「本当に大丈夫かなあ」

「今度はなに?」

「私となっちゃんだけでカフェの仕事だいじょぶかなって」


舞台は午後の3時くらいだからお客さんも少ないとはいえ、二人だけだとちょっと心配だ。
全部作り置きだし、文化祭の終わりかけは品切れも多いから、きっと大丈夫だろうとは思うんだけど、家庭科部は毎年大人気でたくさんお客さんが来る。


「あ! だったらさ、バレー部に手伝ってもらえば?」

「バレー部?」


真っ先に女子バレー部を思い浮かべたけど、あっちは毎年屋台をやっていたはず。

と、いうことは、友人が言っているバレー部は間違いなく“あっち”の方で。


「無理!」

「なんで?」

「なんでも!」


日向君たちに家庭科部を手伝ってもらうなんてあり得ない。

考えただけでこっちがいつも通り仕事できるかわからない。


のエプロン姿、去年褒められてたじゃん」

「なっちゃんもじゃん!」

「私はおまけだよ。今年は、そうだ、ドレス着てウェイトレスすれば?」

「こけるって…!」


完全に他人事の友人は、『今回を逃すともう機会はない』だの、『二人だけだと何かトラブった時に困る』だの、急に二人だけじゃ仕事は回らない、と立場を一転させた。

さっきまで私達で何とかなるって意気込んでたのに!


「まあ、が日向とやりたくないならいいけどねー」

「そっそうは言ってないけど」

「じゃあ聞いといてよ」

「えーー…」


聞くだけならいいかなあ。

日向くんもだし、1年も困らせそうな気がする。


「お礼にカフェの食券あげれば大丈夫だって。うちの食券いつも人気あるし」

「そういう問題じゃなくて」

「じゃあ、なに? 別に私は二人の邪魔しないけど」

「そ、じゃないって! 怒るよ!?」

「ははは!」


日向君たちに手伝ってもらうかは別にして、話している内におなかもすいてきたので、ドーナツ屋さんで、それぞれチョコのとクリームのを買うことにした。

お互いに口元を気にしつつ食べていると、今度は友人がこんなことを言い出した。


「ねえ、高校生の彼氏ってどう思う?」


何事かと思ってよくよく聞くと、近所の知り合いのお姉さんから男友達を交えて遊ばないかと誘われたらしい。


「なっちゃんがその人たちと遊べばいいじゃん」

「私はもう東京に行くので」

「知ってますけど」

「そこでさんの登場ですよ」

「やめて」

がTくん好きなのわかるけど、他にも男子はいるんだよ?」

「それは知ってるけど」


今は、もう、彼氏だし。

友人に伝えてしまおうか。
昨日、秘密にしておきたいと自分から言い出しておいて話すのもな。


日向くんね、わたしの彼氏、なんだよ。


考えただけで胸がくすぐったくて、残りのドーナッツを口に押し入れて食べることに集中した。


「でも、も絶対その人に興味持つと思うよ」

「なんで?」

「なんと! その高校生、あの小さな巨人なんだって」

「小さな、巨人?」


思わず反応すると、友人もまた得意げに笑った。


「ほらね。Tくん絡みだもんね」


ある意味、図星だったからくやしい。

小さな巨人と言えば、日向くんが烏野高校を志願したきっかけの人。
そりゃ気になりもする。


「でも、その人、日向くんが見た小さな巨人なわけないし」


当たり前だけど学年が違いすぎる。本物のその人は、私たちが小学生の時に高校生だったんだから。

友人の話だとその近所のお姉さんは和久谷南高校に通っていて、その誘いをかけてきた人はバレー部の人らしい。
遊ぶとしたら、そのメンバーに現在の小さな巨人もいる、と。

でも、


「やめとく」

「なんで? 気になんない?」

「なる、けど」


私が気になるのは、今の高校バレーにいる小さな巨人じゃない。
いつか小さな巨人になるであろう彼のことだけだ。
受験をしていない私たちは、どこの高校になるか、そもそも入れるかも今の時点でわからない。

ただ、自分の中の好奇心が目を覚ます。

小さな巨人、彼は烏野高校だった。


「あーあ!」

「?なに、なっちゃん」

「いえ、べつに」

「うそ、なんかある」

「いえ、はやっぱりあいつかって」


そのからかいを含んだ、どこか安心感のある言い方に、『あいつ』を指す人物が日向くんと言うことがよくわかって、少しだけ照れくさかった。


「仕方ないからお姉さんには友達に振られたのでやめときますって言っとくか」

「なっちゃんだけでも会ってくればいいのに」


気にならないと言い切ってしまうのは嘘でもある。
現在の小さな巨人は、高校バレーに関わるんならきっとどこかで日向くんとぶつかるだろうし。


「私は興味ないもん、小さな巨人」

「だよね」

はあるんでしょ?」

「まあ……」


日向くんだけじゃなく、祖父のこともある。

烏野高校男子バレー部は少しだけトクベツだった。

友人が私の腕を軽く小突いた。


「なに!」

、ますますマネになってきたね」

「どこが?」

「興味を持てるのも才能だよ」

「才能ー?」


それで才能になるならなんでもいいじゃないか。


「他にもさ、、今日メニュー用の写真撮ったじゃん」


確かに撮った。

文化祭に向けた家庭科部の開くカフェ用のメニュー写真。


「あれもの才能だと思う」


才能……というより、他に撮る人がいなかっただけだ。
1年のときからやっていて、後輩にバトンタッチしてもよかったけどありがたいことに私が撮った方がおいしそうに見えるんだとか。

私より上手い人はいくらでもいる。
否定の言葉は浮かんだけど、せっかく友人や後輩が褒めてくれてるんだし、と飲み込んだ。

もし、本当に才能があったらいいのに。なんでもいいから、ちゃんとした何かがあれば。

不意に、日向くんが空高くバレーボールを打つ姿が浮かんだ。


「そいえば、私は東京行ったらスマホにするっ」


ちょうど携帯ショップを通りすぎたタイミングだった。
新機種の宣伝が大々的にされている。


「親に反対されたって言ってなかったっけ」

「そうなんだけど、父がさ、東京の女子高生は持たないとって」

「おおー!」


確かにここよりずっとおしゃれな人がいそうだし、なんなら都会はスマホじゃないと友達すらできなそうなイメージがある。


もスマホデビューしようよ」

「したいけどさあ。まだ受かってもないし」

「受かったらだよ! それにスマホなら電話もいっぱいできるし」

「そうだよねー…」


そんな話をしている内に、バスが来た。

鞄の中で今使っているガラケーがバイブ音を立てる。

色んな話題に花を咲かせながら、“小さな巨人”というワードがいつまでも耳に残った。




next.