ハニーチ

スロウ・エール 85





間近で見た日向くんの瞳が印象的だった。
まつげが長いの、知らなかった。
おでこにふれた日向君の前髪はふわふわだった。

知らないことなんてない。
そうは言わないけど、それなりに知っていると思い込んでいたことに今更気づいた。


って、忘れよう!

はりきって段ボールを取りに向かう。
道中、違うクラスの人に呼び留められたり、運動部の何かよくわからない大げさな物音にびっくりしたり、いろんなことをしゃべっていたのに、すぐそこまで接近してしまった日向君のことがずっと頭から離れなかった。

忘れなきゃ。
そう気にしないようにするとかえってダメな気がする。

代わりに身体を動かそうと、段ボールを目指して意気込んだのに、食堂にあるはずのそれは全部よそのクラスに持ってかれた後だった。


「どうしよっか」

「仕方ないからスーパー行く? めんどいけど」


文化祭の時は外出許可が下りて、こんな時間でも学校の外に行ける。

さっきから校舎をぐるぐると歩き回っている友人の顔色からは、行きたくないなという気持ちが読み取れた。

勢いのまま連れ出してしまった負い目もあって一人で行こうかと言いかけた時だった。


「あ、ちょうどいいじゃん」

「なにが、「日向ーーー!」


なんで、このタイミング。

水飲み場のところで日向くんがシャツで顔をぬぐっていた。


「な、夏目っ。 なに!?」

が段ボールもらい行くから一緒に行ったげてよ」

「いいけど」

「ありがと。私はコージーたちと他進めとくから」

「ち、ちょっとなっちゃん」


友人の腕をつかもうとしたら空振りした。
なにこのすばやさ、急に。ニヤッと笑ってる。

なかば強引に茶色い封筒も渡された。


「なにこれ」

「ついでだから、100均寄って、色紙とボンドもよろしくっ」

「はあっ?」

「じゃねー」

「ちょっとおーー!」


あっという間に廊下を走り去った友人と、残された日向君と、私、と封筒。
お金が入っていた。それと、外出許可証。
そういえば、なっちゃん、買い出し係も兼ねてたんだっけ。
少しくしゃりとしわが寄ったメモには、折り紙とボンドの数と正確な商品名が書いてあった。


「い、行く?」

「あ、……うん」


昇降口にどちらともなしに歩き出す。


「ごめんね、いきなり巻き込んじゃって」


上履きをしまって、その隣で日向君が床に靴を少し乱暴に落とした。


「どっか行く途中だったんじゃない?」

「ううん。顔洗い終わったから」


なんで顔?

あ、そういえば、さっき日向君の頭に綿あめが引っ掛かってたっけ。

遅れてローファーに履き替えて、少し先を行く日向君を追いかけた。

さすがにもう引っかかってないと思ったけど、キラッと甘い糸があるようにみえた。


「なっ!? な、なな、なに」


つい手を伸ばすと、日向君が忍者みたく大きな一歩で飛びのいた。


「ごごめん」

「いやっ、さんどうしたのかなって」

「わ、綿あめが……」

「!あ、な、なんだ」


日向君が一歩引いて自分の髪をわしゃわしゃっと勢いよくかきまぜた。


「これでへーき!?」

「た、ぶん」


綿あめどころか、何にも見えない。逆光のせいかな。


「さっき綿あめ作らせてもらったから」

「そ、なんだ。いいね」

「あっあれさ、けっこう難しいよ。割りばしじゃなくて手にも絡まってさっ」


日向君がジェスチャー交じりに綿あめを作る難しさを語ってくれる。

もうさっきのこと忘れてるみたいだった。
自分の方が意識しすぎている。

忘れなきゃ。集中しよう。気持ちおさまれ。


そうこうする内に、100円ショップに到着して、友人から託されたメモ書きを頼りに色紙とボンドを買った。
制服でこんなお店にいる校則違反をしている気分になる。
さっき友人からもらった許可証があるから堂々としてていいんだけどこればっかりは仕方ない。
許可証をはさんだ生徒手帳を念押しの意味で確認した。ちゃんとある。


「持つよ」


茶封筒におつりを入れる間に、日向君が店員さんからビニール袋を受け取った。


「あ!」

「なんかあった?」


つい声を上げてしまった。なんてことないのに。

レジの向こうの隅っこに並んだ、古ーいプリクラの機械。

日向君が近づいてしげしげと眺める。


さん、これやりたいの?」

「ううんっ。目についただけだから」

「やる?」

「いっいいって、ほんと。お財布もないし」


段ボールを取りにいくつもりで飛び出したわけで、手元にあるのはクラスの備品代だけだ。

それに、外出許可が下りているのは、文化祭に関することだけ。
100均に置いてあるプリクラを撮るのは許可の範囲外なのは明白だ。


「と、撮ろうよ」


真剣な顔をして言われると、途端に動けなくなる。



「いやっ、でも、え!?」


手首、つかまれた。

日向君が何かを持っている。100円玉。


「お、おれ、100円あるから」

「え、え!」


『さあ、お金を入れてね♪』


日向くんに引っ張り込まれたプリクラ機のカーテンの中では、やけに明るいお姉さんの声が流れ出る。

こちらの混乱を余所に、『さあ、ワンコインを入れよう』と何回も繰り返す上に、ご丁寧に今の私たちの姿が画面に映し出していた。

今のゲーセンにあるような全身を映すタイプじゃなくて、上半身というか、肩から顔くらいまでしか入らないみたい。

日向くんが100円玉を入れてしまった。


「ひ、日向くんっ」

『フレームを選んでね』

さん、どれがいい?」

「どれじゃなくて」


カーテンは足まで隠れてるわけじゃない。
見る人が見れば、雪が丘中学の生徒が撮影しているのがバレバレだ。
他のクラスの人だってここで買い出しをする。

って、お金を入れてしまった以上、さっさと撮るしかない。


「このヤシの木のやつ?」

「そ、それはちょっと」

『フレームを選んでね』


うるさいな、この機械……!

よく見ると画面の隅っこで、フレームを選ぶ時間がカウントされている。もう残り10秒だ。


「こっこの花柄のやつ!」

「ハワイっぽい!」


ハワイ!?ヤシの木じゃなきゃいいや!
そう思ったけど、矢印を動かす操作をしてもプリクラ機が古すぎるせいか反応が悪くてたどり着けず、結局、東京タワーと浅草と書かれた赤提灯のフレームになった。


「ごめん、さん!」

「いい、いいよ! ほら、日向くんカメラ」

『可愛く、笑顔になってね』


タイミング見てボタンを押すタイプなのかな。って、フレームの東京タワーがおっきすぎて、人間が映るスペースが狭すぎる。


「日向くん、顔映ってないっ」

「こう!?」

「そ、だね」


ち、近すぎ。


『残り時間5秒』


さんもちゃんと!」

『3、』

「は、入ってるよ」

『2、』

「こっち!」

『1、』


引っ張られてばっかり だ !


シャッター音が聞こえたと思ったら、撮り直しもできないらしく、これまでと同じ調子で『外の取り出し口からシールを受け取ってね』と機械に促された。
ちか、近かった。
どうしよう、恥ずかしい。これ、シールになるの……、なってる。

出てきたシールはこれまで撮ったことのあるタイプと違って小さめの台紙で、全部同じフレームとサイズの写真が並んでた。


「へ、変な顔すぎる」

「撮り直す?」

「いいいいいよっ」


何回撮っても、まともな顔で映れる気がしない。

打ちひしがれている合間に日向くんがプリクラを半分に切ってくれた。


「はい、さん!」

「あ、ありがと、お金後で返すね」

「いいよ、50円だし」

「でも」

「やだった? これ、撮るの」


面と向かって聞かれるとドキドキする。照れ隠しに半分のシールで口元を覆った。


「やじゃ、ないけど」

「けど?」

「こ、こんな急に撮るとは思わなかったから顔が……」

「この東京タワー邪魔だよな」

「この赤い提灯も」


しげしげと出てきたシールを見ていると、今度は笑いがこみ上げてくる。なんだろ、これ。
二人してあーだこーだ言っていると、その内に、日向くんがプリクラ機の横のシールを貼るスペースを見つけた。ここで撮って記念に貼って行くみたい。
さっき没にしたハワイのフレームもそこそこ使われていた。


「あ、何もないやつにすればよかった!」

「そんなのもあるんだ」


なぜか二人してシール鑑賞してしまう。

その内に、日向くんが『あ』と呟いて固まるから何かと思って視線の先を追うと、いわゆる“キスプリ”と呼ばれるそれが貼ってあって、同じく動きを止めてしまった。
そりゃ、そういうことをする人がいることは知っている。
自分が手にしているプリクラとは、なんというか、レベルが違った(何のレベルだろう)


「い、行こうよ、日向くん! 段ボールが待ってる」

「そ、そうだった!」


ドキドキする。別の、意味で。

あ、プリクラどこにしまおう。


「あ、あのさ」


日向くんがシールを天井に掲げるように眺めていた。


「お、おんなじとこ、貼らない?」

「同じとこ? どこ?」


冷静に考えれば、その、両思いで初めて映したプリクラな訳で、なんだかんだ卒業アルバム委員ながら日向くんとツーショットというのも撮っていないし、この1枚は実は貴重な1枚だ。
あ、なんだかすごくうれしい。


「携帯、とかっ」

「そ、それは目立つんじゃ」


そんなところに二人で映ったシールがあればどんな関係かばれてしまう。

携帯電話の電池のケースの裏ならいいかも。そう告げると、お互い携帯は持ってきてないので、後で貼ろうということになった。

その前に段ボールを受け取らないと。シールをなくさないようにしなきゃ。


「あ」

「どうしたの?」

「生徒手帳でもいいかなって」


一番後ろの何にもないページなら、たぶん誰も見ない。

ちょうどシールを挟んでおこうと思って取り出した生徒手帳を改めて眺めた。



「あ、だめっ」


すかさず生徒手帳を閉じる。
日向くんはなにげなく覗きこんだだけでも、生徒手帳の顔写真を見られたくなかった。


「この写真、変だから」

「どこが?」

「ぜ、全部。写真うつり悪いし」

「悪くないよ!」

「そ、いうなら日向くんのも見せて」

「おれは生徒手帳持ってきてない!」

「じゃあ戻ったら!」


しゃべりながら、一番後ろのページに、さっき撮ったばかりのプリクラを1枚はがして貼り付けた。



next.