ハニーチ

スロウ・エール 87





「こっちの方ってあんまり来たことないや」


乗り込んだバスは人がまばらで、後から来るのかなと思ったけど、そのまま出発した。

影山君と並んで座って、窓の外を見る。
何か面白い風景がある訳じゃなく、車内に視線を戻すと、駅で見たバレー教室のポスターがあるのに気づいた。

『 元バレー日本代表が指導! 』の文字に、飛雄は将来の全日本選手と言っていた先生の声が重なった。


「影山君は来たことある?」

「前にも同じようなやつやってた時に来た」

「そうなんだ」

「場所も借りやすいしな」


その言葉に、今日は映画だというのにしっかりと練習着やらが入ってそうなバッグに目が行った。


「なんだよ」

「いや……今日、映画見る予定だったのにその荷物なんだ」

「?どういう意味だ」


本当に、なんにもわかってない。


「映画終わったらさっさとバレーしに行く予定だったんでしょ?」


ほら、素直にうなずく。

清々しいほどにデートの可能性が1ミリだってない。それはいいんだけどさ。


「なんだよ」

「なんでもないよ」


なくはないか。

別に自分に好意を抱いていてほしいわけじゃないけど、興味くらい持っていてくれても、と思ってしまう。
せっかくこうやって一緒に時間を過ごすんだし。こっちは影山君の試合のDVDまで持っている。


「いつもそうなの? 友達と遊ぶとき」


何のことかわかっていない影山くんに説明を追加した。

誰かと遊びに行くときにいつもバレーの準備をしてくるのかってこと。

午前中に映画を見たなら、そのあとご飯を一緒に食べたり、そのまま午後に買い物をしたり他の場所に行ったりしないのか。

もちろんというべきか、それ以上の答えをくれた。


「行かねーよ」


映画に集中したいのかと思った。


「映画も観ない。小さい時に連れてかれた気もするけど覚えてねえ」

「ほんとに!? アニメとか怪獣のやつとか、なんとかレンジャーとかも?」

「ねぇよ」

「じ、じゃあ、友達と何するの?」

「バレー」

「……」

「他にすることあんのかよ」


なんとなく、わかってはいた、つもりだった。

つもりなだけで、やっぱり影山くんは、自分の常識とは違う世界にいる人。



「嫌なら」

「え?」

が嫌なら戻っても、別に、いい」


映画館に戻ってもいい、という意味なのはわかったけど、本当に映画に行きたいという表情とは真逆の顔で、影山君は言った。
バスはまた次のバス停を通り過ぎた。


「いや、……いいよ、バレーで。むしろ、なんか、ごめんね。私のせいで映画行くことになって」


よくよく考えれば、影山君だって先生に半ば強引に私との勉強を決められてるんだ。
結果的に影山君にとってプラスにはなってるんだろうけど、こうやって映画のチケットなんて自分が興味もないのに行く必要はない。


「なんだったら、話合わせとくからさ、あとで映画も行かなくていいんだよ? 誰か他の人誘っていいし」

以外と行っても意味ねぇよ」


それは、一体、どういう意味なのか。

質問をする前に、影山君がバスの停止ボタンを押した。


「次、降りるからな」

「う、うん」


いつの間にか目的地が近づいていた。

説明不足で理解不足、お互いにどこか欠けていた。
コミュニケーションって難しい。















「また持ってないのかよ」

「あのね、映画行くって人が体育館履きなんて持ってくる?」


そう反論しつつ、影山君は上下の運動着も含めて持ってきていたから、こっちの常識は伝わらないことはよくわかった。

今度から影山くんに会うときは運動セットでも持ってくるべきかな。いや、そんなんじゃ毎回バレーに付き合わされてしまう。
もう外履きを脱いで参加でもいいかなと思ったけど、そんなわけにも行かず、また体育館履きの貸し出しを使う羽目になった(いつもよりきれいなのが救いだった)

参加者は20人もいないくらいで、学年は小学生から高校生まで、女子は少し。
大人もいるけど保護者として来ているだけのようだ。

影山くんはこのレベルで満足できるのかなと思ったけど、先生らしき元日本代表が少し離れたところでサーブをする姿にワクワクを抑えきれない様子だった。


「影山くん、集合だって」

「……」

「影山くん?」


全然こちらが視界に入っていない。いいんだけど、さ!


「!な、にすんだよ」

「集合だって言ってんじゃん」

「引っ張んじゃねー!」


人が親切に教えてあげてるのに。

密かにムッとしつつ、代表選手の助手っぽい人が『それでは始めたいと思いまーす』と挨拶したのを聞いた。

適当に整列して、準備体操を開始する。
一応は影山くんの隣に並んでいたけど、この中で一番バレーができそうなのは影山くんと同じくらいの男子。中学生かな。
少し前で体操をしていて、ふと目が合った。すぐ顔をそらされたけど。

あれ……、なんか、見たこと、あったような。


「じゃあ、次の人ー…、次の人ー!」


「呼ばれてんぞ」

「!え、なに」

の番だっつの、ぼやっとすんな」

「わ! ご、ごめんなさい!」


一人ずつコートに入っていく。さっき影山くんに注意した手前、気まずくなりつつ練習を続けた。














「あのー、あの人、バレー部なんですか?」

「えっ」


女の人ににこっと微笑まれた。
さっき簡単にやった自己紹介を思い出して、たしか高校生だったなと思った。


「となり、いいですか」

「どうぞ」

「一緒の人、かっこいいですよね」

「あ、いやっ……はい」

「同じ学校の人?」

「いや、昔、小学生の時、バレーの先生が同じで」

「えー、仲いいんだー」


人なつっこい人だけど、どんどん質問されると身構えてしまう。

言われてみれば、影山くんはかっこいい。
言われてみれば、小学校にバレー習った先生が同じなだけで、他に何のつながりもない。


「連れさん、彼氏?」

「いいえっ!!」


彼氏な訳でもない。
彼氏というワードで思い出した、そうだ、影山くんの彼女だと勘違いされたときの人だ。

簡易なゲームをやっているコートの中、影山くんとは反対側で試合している男子を指さした。というか、よく見なくても、北川第一のジャージだ。


「え、あの男子がどうかした?」

「あ、……き、北一の人だなって」

「そうだよね、バレー強いとこ」


そう、影山くんを烏野に引っ張り込もうとする悪者扱いしてきたやつ、と一緒にいた人だ。
今、思い出した。
北川第一の人なのに、学校の方の練習に出なくていいんだろうか。


「連れの人、きれいなトスあげるね」

「は、い」


客観的に見る影山くんは、バスのとなりの席にいたときと違って、すごく静かな実力者に見えた。

が、影山くんのあげたトスは誰も打たずにこっちまで転がってきた。


「あらら……」

「あ、私、持ってきます!」


速かったな、今の。

ボールを返すより先に影山くんの大きな声が聞こえた。遅い、と。

それはボールを運ぶ私に言ったんじゃない。コートの中にいた同じくらいの男子に向かってだ。嫌だな、怒鳴り声。

コーチが割って入って、スパイカーだった子がふてくされた顔でコートを出た。いや、まあ、気持ちはわからなくもないけど。影山くんの顔は怖いし、そんな言い方しなくったって。



「あ、キミ、入ってみる?」

「え」

「大丈夫、ネットの高さも調節してるから。ねっ、やってみよう!」


え!?


背中を押されてコートの中へ、ボールを持っていたから、仕切り直しで私からサーブだ。
なんで、試合、私が。

影山くんも怪訝そうな顔で一瞥してから、向かいのコートを見ていた。コートの外で見ていたときと同じで、真剣そのもの。

男女混合バレーは祖父の家でやっているけど、知らない人たちとやるのは緊張する。みんなバレー経験者だし。ってコートに入ったら覚悟を決めるしかない。

サーブは入った。


なるように、なれ、だ!



「おっ!?」


相手チームの連携ミスもあって、点が入った。

次のサーブは拾われたけどチャンスボール。

影山くんがあげたトスは、予想していた場所に飛んできた。次も、その次も、その次の次も。

上手く予想して、上手く考えて、論理的に、ブロックの位置と相手の傾向に合わせて、正しい位置にボールをあげてくれる。
素直に、すごい。


け、ど!


「はい、チーム交代ー。だいじょーぶ?」

「はっ、はい……」


コーチの人に答えながら、ほんのちょっとの時間のはずなのに全然体力が追いつかない自分が少し情けなかった。
後ろで影山くんが褒められている。
サーブの仕方を教えようか、なんて声をかけられている。すごい。

ああ、息、くるしい。

体力がない。無理。


足がよろけたタイミングだった。



あ、



「……り、がと」



コーチと話していたかと思った影山くんが、支えてくれた。

おかげでちゃんと立っていられた。

かえりみる影山くんは、ずっと大きく見えた。

何にも言わないのは怒ったからかな。こんなよろよろして、自分の体力もちゃんとコントロールできてなくて。


「あ、の」


本当に何も言ってくれないからわからなかった。

影山くんは私から手を離した。

そこにいてくれる影山くんの背中を押した。コーチのところに。将来の、日本代表選手。



「なんでまた一緒にいるんです?」

「!!!」

「そんな驚かなくても」


そりゃ驚く。北一の人から話しかけられれば。今のやりとりを見てまた影山くんの彼女疑惑を出されたらたまったもんじゃない。

別のチームが試合を始める中、私は相手と距離を置きつつ、深呼吸を繰り返した。



「体力ないんですね」

「文化部なので……」

「だったらなんでここにいるんですか」

「そっちだって部活は?」

「付き合いですよ。やる時期悪くて参加者いないって。北一と青城のOBですし、コーチ」


ちょうど彼の言うコーチは影山くんにジャンプサーブを教えていた。


「やっぱり影山さんの彼女、「じゃないから!!」


その噂を出した人を呼び出して説教してやりたいくらいだ。
彼氏はいるんだから、ちゃんと、その、うん。


「でも、よく打ったじゃないですか」

「へ?」

「影山さんのトス」

「あ、……あれは加減されてるから」

「確かにいつもの影山さんの20パーセントくらいだから打ててもおかしかないですけど」

「……」

「それでも、打ててる人、いなかったから」


それは、確かにそうで、今日、これだけ影山くんと息が合ったのは私くらいではあった。

でも、私がちょうどいいスパイカーなんて、影山くんのレベルから考えたらおままごとすぎる。

遠くの影山くんがジャンプサーブを打つのを眺めた。


「わ、私が打てたのは……」


影山くんと同じセッターだったから、かな。

わかるんじゃないか、今、これが正解って。

この位置、この場所、この流れにあげるべきボールの位置。

全部を総合して考え出す、向こう側へ切り開ける一瞬。


「それが、影山くんのと、私のが、同じだっただけで」


他に何の理由もない。私である必要もない。たまたまだ。自然の法則が導き出す答えが一つなのと同じ、この試合のとある瞬間での絶対的正解。
セッターとスパイカーが一瞬だけ重なる景色。


「影山さんの彼女さん」

「その呼び方やめて!?」

「名前知らないんで」

です! さっき自己紹介したじゃん」

さん、影山さんに青葉城西行くように言ってください」



この人もまた私なんて眼中に入ってなかった。向こうの影山くんだけを見ていた。



「私が言っても……。言っても聞く人だと思う?」

「実力あるのにもったいないじゃないですか」



それは、こんなバレー教室で練習する今この状況も含めて非難されているように感じられて耳が痛かった。






next.