ハニーチ

スロウ・エール 88







「見たか、さっきのサーブ!」


コーチとの個別レッスンを終えて戻ってきた影山君は、やっぱりどこか楽しそうだった。



「う、うん、すごかったね」

「やっぱり違うな、もっと練習しねーと」


影山くんから話しかけてくるなんて、と、密かにびっくりしつつ、こんな影山くんなら歓迎だと思った。
さっきまでいた人たちも驚くんじゃないかな。
残念ながら、バレー教室はもう終わっていて、みんな体育館から帰っていた。

ふと、さっき後輩君が言っていた『実力があるのにもったいない』という言葉を思い出す。



「練習してくならさ、してっていいよ?」


いくら日本代表の人がコーチをしてくれたって、初心者向けの教室には変わりない。
場所を借りられるかは別問題だけど、影山くんくらいできる人からしたらこの練習時間だけじゃ物足りないだろう。


は? 帰んのか?」

「まあ……、あ、映画のチケット、一枚くれたらひとりで見てくよ」


気を遣われるのが嫌だった。
影山くんの練習に付き合ってもいいけど、またあらぬ噂(彼氏彼女)を広げられても困る。

影山くんはサーブの話をしている時と違って、だんまりになってしまった。

時計はもう12時を過ぎていた。


「ご、……ご飯は一緒に食べよっか!」


なんてことはなかった。
沈黙に耐えられなかった。真正面からの眼差しを受けとめきれなかった。

影山君より先に歩いて、影山君の顔を見ないように、スポーツセンターの中にある食堂に向かった。

さっきのバレー教室にいた人たちも見かけたけど、後輩君はいなかった。

お互いに日替わりランチのA、Bをそれぞれ持って座った。
避けたつもりが、真向かいに座ってしまった。仕方ない。


「い、いただきます」
「いただきます」


黙々と食べ始める。

バレー教室以外は催し物はなかったけど、小学生のサッカーチームが練習していたみたいで、がやがやと食器を片付けていた。


「あ、のさ」


静かに食べていてもよかったけど、ついしゃべった。



「影山君の後輩、来てたね」

「?」

「ほら、先生のとこに前来てた」

「いたか?」

「いたよ! 試合してたじゃん!」


影山君はまったく動揺する様子もなくお椀に口を付けた。

そういえば、前に食って掛かってきた子の名前も覚えてなかったんだっけ。

北川第一くらいになれば、うちと違って1年生の数も段違いだろうけど、あそこまで慕ってくれてるんだから、少しは覚えててあげてもいいのに。


「試合……」

「え?」

「……なんでもねーよ」


影山君は今度はこれ以上しゃべらないためにご飯をかきこんでいるように見えた。

試合が、なに?


「な、んだよ」

「な、なんでさ。すぐ、そう、なんでもないって言うの?」

「あぁ?」

「言ってくんないとわかんないじゃん」


なんでこんなに怒っているんだろう。
私は、なんでこんなに影山君のことを知りたいんだろう。

なんで、影山君、もっと周りの人に話さないんだろう。
先生だって後輩の人たちだって、みんな影山君のこと考えてるのに、さ。

急に悲しくなってきた。それに、冷静さのかけらもない自分にも腹が立つ。



「先、帰るから。ばいばいっ」



まだけっこう残っていたお昼ご飯を強引におなかに収めて、返事も待たずに食器を片付けた。

バス、ちょうど来てるといいな。さっさと忘れたい。今日のことも、いろんなこと全部。


!」


影山君が追いかけてきたことが分かったけど、振り向かなかった。


、待て!」

「……!!」

「待てコラ!!」


腕をつかまれて、さすがにストップした。
あの程度のバレー教室でも私をばてさせるには十分だった。

よろけた時に支えてくれた影山君と違って、今はただ乱暴で強引につなぎとめられた。

手首が痛かった。そう主張すると、離してくれた。


「……」
「……」


バスがちょうどやってきた。


「乗るぞ」

「えっ」


影山君がちょうどドアの開いたバスに乗り込む。


「え、なんで。練習は?」


行きと違って先に乗り込んで、行きに私が座っていた窓際に影山君の方が座った。
その隣に腰を下ろすと影山君が下りれらくなるから、すぐ後ろに座った。


「か、影山くん、練習は?」

「映画、行くんだろ」

「行くけど、チケットくれればそれで」

「2枚ある」

「それは、知ってる……」

「二人で観なきゃ意味ないんだよ。こっち座れよ」


影山君の主張がよくわからないけど、勢いに押されて、行きと同じく並んで座った。

影山君はちらっとこっちを見てから、窓の外を見て、そのまま目を閉じた。

その内にバスが走り出した。元来た映画館のある駅へ。














「試合」

「え?」

「ばてすぎだろ」

「し、しょうがないじゃん」

「よく打てたな」

「え?」

「寝る」

「え、ちょっと。 ……もう」



お昼を食べた後にバスは居心地がよくて、短い時間だったけど気づけば一緒に眠っていた。














「あのさ」

「なんだよ」

「なんだよ、じゃなくて。映画ちゃんと観た?」


何を言っているんだ、という顔でこちらを見る影山君が大あくびをした。

それ、それだよ。



「寝てたじゃん……!!」

「寝てねー」

「今も寝ぼけてるしっ」

「ちゃんと初めのなんとかってやつがなんかしたのは覚えてる」

「なんかしか言ってないし!」



ちょうど午後のいい時間の映画に滑り込めて、そのまま映画を見た。
私の方は2回目だったおかげでじっくり楽しめた一方で、影山君は隣で気持ちよさそうに眠っていた。はじめから終わりまで。


楽しそうに一緒に来た人同士で感想を言い合う観客にまぎれて、場違いなほど大きくため息を吐くと、どうした、と影山君に聞かれた。
誰のせいだと言いたくなった。


「もういい」

「なに怒ってんだよ」

「怒ってない。呆れてるの。二人で観なきゃ意味ないって言ったの誰?」


つい声が大きくなってしまうから、もう話題を変えようかと思っていた。


「昨日、寝れなかったんだよ」


影山君が片手で髪をくしゃっと握った。


「なんで? 宿題?」

「ちげぇよ。き、……」

「き?」

「……き、緊張すんだろーが! 誰か誘って遊びに行ったことねーし!」

「こ、声おっきい!!」



お互いに顔を合わせて黙り込んだ。

こんなグッズ売り場とチケット売り場のあるスペースで騒ぐものじゃない。

それに、今通りかがりの人に『付き合いたてかなー、こんな時期あるよねー』って言わ、れた……

はずかしい。



「も、いい。帰ろう」

「もう怒ってないのか?」

「おこ……、そういう次元じゃない」

「映画、どうだったんだよ」

「なんとかがなんとかしてたよっ」

「怒ってんじゃねーか! 待て!」


単純に足の速さでいったらすぐ追いつかれるのはわかっていたから、わざと人込みに紛れて下のフロアーに降りた。

やっぱりすぐつかまったけど、焦った影山君が見れたから、密かに機嫌を直した。





next.