ハニーチ

スロウ・エール 89






「影山くん、手が、とても、イタイです」

「……離したらまた逃げんだろ」

「逃げないよ。どうせすぐ追いつかれるし」

「……」

「そんなに手つないでたいなら別にいいけ、ありがと」


映画館のフロアーを降りた文房具コーナーの前、解放された手首をなでながら、ちょうど赤ペンが切れそうだったことを思い出す。


「私、ちょっと見てくね」

「なんか買うのか」

「赤ペン。ついでに蛍光ペンも」


先に帰っていいよ、というつもりの声かけだったのに、なぜか影山くんもついてきた。

あんまり文房具にこだわりがないみたいで、物珍しそうに商品を真似して試す影山君はちょっとおもしろい。


「これで暗記するといいんじゃないかな、英単語」

「?」

「このペンで書いて、この赤シートで隠すの」

「!」

「便利でしょ?」

「……ああ」

「買うの?」


こくっと素直に頷くから、密かに笑いをかみ殺す。

相変わらずとっつきづらいけど、ほんのちょっとだけ雰囲気が和らいだ、ような。

文化祭の話もして(正確には一方的に。だって影山くん自分のクラスが何をやるか覚えてないし)、大した時間じゃなかったけど、勉強とバレー以外の話をこんなにしたのははじめてだった。


もしも、


 もしも、こんな風に、何にも考えずただ一緒に時間を過ごせたら。
 
 
ふとそんな想像をする。

けど、そんなことはなくて。


「!!」


伸ばした指先、ほんの意味ない行為だった。0.1ミリのボールペンの先に触れようとした。

そんな私を影山くんが全力で止めた。

全力で。



「何してる?」


声色はもうさっきまでの柔らかさはない。


「指、気をつけろ」


さっきより強く捕まれて、すぐ離された。
勢いで落ちてしまったボールペンを影山くんが拾って元のテスターの位置に戻した。

影山くんがレジに向かう。

動かなきゃ。
私も、ペン、買う。


?」

「い今行く」


ドキドキしている。別の、ドキドキ。

セッターだから指先を大事にしなければならない。
ボールに触れる指先は、バレー選手の生命線。

影山くんの世界では絶対的な価値観だ。

知っていたけど忘れていたこと。

私たちの間にはバレーがある。影山くんの内側には、とても強い、バレーへの熱がある。

わたしの、なかには ?



ちょっとだけ仲良くなれる気がしたのは、やっぱり気のせいだ。




「影山くんこっちだっけ?」

「いや」

「じゃ、ここで」


ふろうとした手が宙でとまった。いや、とめた。

影山くんがまっすぐにこちらを見つめていたから。


「なに?」



「うん」

「……」

「うん?」

「じゃあな!」

「え!?」


何か難しそうな顔になったかと思えば急に怒ったように挨拶を捨て台詞に影山くんは走り去った。

少しだけ追っかけたし声もかけたけど、影山くんは全力だったし、追いつけるはずもなく、ただ息を切らしただけに終わった。

『 なんだったの? 』

それだけメールを送った。乗りたいバスが来ていたから飛び乗った。

携帯の受信ボックスを見たけど、何の変化もなくて、きっと教えてくれないんだろうなと思った。

一歩近づいて二歩下がる。きっと、こういうことを言うんだ。


ふと後輩くんに言われたことを思い出す。


“影山さんに青葉城西行くように言ってください”


こんなどうでもいいことも教えてもらえないのに、なんで進路のことを口出せるって言うんだ。

そもそも、親でもないのに『青葉城西に行った方がいいよ』って勧めるなんておかしすぎる。


なんで、影山君は青葉城西に行かないんだろ。

北一の人、みんな行くっていうのに。


やっぱり連絡のない携帯電話を横目に、帰ったら影山くんの試合のDVDの続きを見ようと思った。何かわかるのかもしれないし。
それより先生に聞いた方がいいのかな。


あ、そういえば、もうひとつ。


別の関心事を思い出して、降りるバス停を変更した。












「ねー、おじいちゃーん、ここ開けていいー?」

「それはいいが、何やってんだ」

「探し物ー」


許可をもらったので、早速、祖父の家の押し入れに手をかける。
手前の荷物をどかして、確かこの辺にあったよなとおぼろげな記憶を頼りに、目当ての段ボールを引っ張り出した。
ちらっと見えたサインペンの文字、確かに『バレーのもの』と自分の文字が書いてある。


「なんだ、その箱」

「大掃除した時にバレーのやつ全部これに入れたの」


祖父がほこりで咳き込むのが聞こえた。


「あっち行ってていいよ」

「孫が散らかすの放っておけねーよ」

「散らかしてないよ! ちゃんと元通りにするって」

「……なつかしいな」


開けた段ボールの横に祖父もしゃがみ込む。

入っていたお菓子の缶を祖父が手に取って開けると、学校で配られるプリントとすごく古そうな写真が入っていた。
写真はカラーじゃなくて、いかにも!って感じの古さに、男の子二人が映っている。その一人の眉毛に目が行く。


「これ、まさかおじいちゃん?」

「よくわかったな」

「若い!」

「今のぐらいだからな」

「中3?」


いや、写真の中の服に烏野高校って書いてあるから、高校生のときだ。

となりに写っているのは誰かと聞くと、ニヤッと意味ありげに笑って秘密にされた。ずるい。


「あ、猫又くんだ!」

「!なんでわかった」

「写真の裏に書いてある」


場所はどこかの体育館だろうか。
それぞれのユニフォームは違うから、別の学校の人だろう。


「この猫又って人、おじいちゃんの友達?」

「友達ねぇ」

「友達じゃないの? あ、ライバルとか?」

「どうだかな」

「あ、なんで行っちゃうの! ねえ!」


もっと話を聞いてみたかったのに、昔話はしたくないのか祖父はふらっといなくなった。

もうちょっと別の写真がないか探してみると、この猫又という人が音駒高校バレー部の監督だと知る。
祖父が烏野男子バレー部の部員と一緒に写った集合写真に、同じ様にような音駒高校の集合写真も出てきたからわかった。
きっと全国に行った時のものだ。

当時の大会案内もあった。
トーナメント表に鉛筆で〇と×がついている。きっと勝敗を記録したんだ。

けっこう古いのもあって、全部確認したけど、結局、烏野高校と音駒高校が試合をした様子はなかった。だって、途中でどちらかに×がついていたり、そもそも代表校に名前がなかった。


ライバル、なのかな。



「あ」



“小さな巨人、全国へ!!”

筆文字で書かれた見出しに目を惹かれる。

これ、学校新聞だ。烏野の。

号外って書いてあって、なぜか全部手書きの文字だからけっこう読みづらい。
選手名も書いてあるけど、どれがあの“小さな巨人”なんだろう。
集合写真もあるけど、印刷の状態が悪くて個人の識別が出来そうになかった。って、発行日付もそれなりに経ってるし。

そりゃそうか、日向君が小学校の時にテレビで見たくらいだし。


……もしかして、烏野高校の卒業生に聞けば、この新聞のちゃんとしたのがあるのかな。

いや、むしろ、学校にあるのかも。



ー、来たぞー」

「えー?」

ちゃーーん!!」
ー!」


廊下の振動が床からも伝わってくる。
バレーをしにやってきたいつもの小学生たちだ。荒らされたら困るので、この新聞もたたんで段ボールに戻した。



next.