「ちゃん、映画デートしてたんだよ」
「俺も見た!」
話がどんどん大きくなっていくなあ。
もはや他人事のように流しながら、バレーの準備をしていた。
「どんなやつ!?」
食いつかなくていい。
そう思いながら、しょせん小学生の話だしと放っておくと、二人一斉に声がかぶった。
「身長高い黒髪の人!」「オレンジ頭!」
「「ん?」」
ん?
んん……?
同時に日向君と影山君が脳裏をよぎった。
え、そんなタイミングよく目撃される?
「ちゃん、浮気だ!」
「二股だ!」
「違うから!!」
「なに騒いでんだ」
「ちゃんがー!」
「おじいちゃん何でもないから! みんな、それ以上言ったらトス上げないからね!?」
もう、面倒なことばっかりだ。
*
「おはよー」
「先輩、おはようございまーす」
「おはようございますー」
「日曜なのにけっこう来てるんだね」
「夏目先輩も来てますよ」
「うん、知ってる。演劇部の方に皆行ってるって聞いてたから」
「セリフ少ないからすぐ終わって」
お休みの日の家庭科室は、いつもの部活動の時間と同じくミシンや布や毛糸がそれぞれ作業台の上に広がっていた。
作り途中の作品を取り出して、作業を開始する。
「先輩、寝不足ですか?」
手を止めて、目の下に指をあてた。
「やっぱりわかる?」
クマができやすい体質なんだろうか。
「タオルあっためたやつ当てるといいですよ」
「帰ったらやってみるよ」
「受験勉強、やっぱ大変なんですね」
「いや、これは、その……いい方の寝不足っていうか」
昨晩のことを思い出しながら、小声で答えた。
不思議そうに聞き返す後輩に、あいまいに笑顔を返した。
*
ボールが弾む音がする、体育館。
さっきバスケットボール部の人たちが一斉に帰っていくのと反対に足を進めた。
夕暮れ時になってもまだ日が高いこの季節、一瞬だけ通り抜けた風が少しだけ気持ちよかった。
体育館の入り口から中の様子を窺うと、久しぶりにバレーをしている日向君が見える。
ボールを高く宙にあげ、落ちてきたのをまた上げる。
繰り返されるそれは、体育館じゃない場所でも何度となく眺めてきたもので、懐かしくもあって、切なくもあった。
手に持った袋、こうやって待てるのも、あと何回チャンスがあるんだろう。
感傷的な気分に陥りそうになる瞬間、わかってるみたいに日向君は私に気づいてくれた。
「さん!!」
体育館いっぱいに、日向君の声が響く。
そんな大きな声を出さなくても。
そう言おうと思うのに、贔屓目かもしれないけど、嬉しそうに駆け寄ってくれた気がして、その事実を噛みしめて小さく手を振るしかできなかった。
「ま、まだ練習してくよね」
「いいよ、日曜は早めに出ないと先生に言われるし」
「今日大丈夫だった?」
「なにが?」
「あっ、いや、昨日……」
そう言いだすと日向君も笑った。
「ああっ、うん。ちょっと眠い」
「そ、だよね」
「さんも?」
「うん。あんなに起きてたことないから」
「おれもない」
二人して誰にも知られずに悪事を働いた共犯者のように頷いた。
「次から、ちゃんと日向くん切ってね」
「おれ!?」
「うん、私、切れないし」
「おれも、切りたくない、けど」
「そしたら、また電池任せになっちゃうよ」
「うん、いきなり切れてびっくりした」
「私も。でも、そのまま寝ちゃった」
「おれも」
チャイムがちょうど鳴り響いた。
「片づけるから待ってて!」
日向君がバレーボールを抱えなおして倉庫に向かった。
*
「おまたせっ」
体育館の鍵も職員室に戻して、学ランに戻った日向君と一緒に学校を後にする。
結局、最終下校時刻近くになってしまった。
日向君があくびした瞬間、目が合ってしまい、どちらともなしに笑った。
「あ、そうだ。これ」
「ん?」
「ただのクッキーだけど」
「ありがとう!!」
文化祭向けの作品作りもおしまいで、場所を変えて当日出すクッキーを試作した。
家庭科部恒例のアイスボックスクッキーは来週嫌になるほど焼くことになる。
「おれたちも焼くの手伝う!?」
「いっいいよ、当日手伝ってもらえるだけで助かるんだし」
家庭科部の1、2年生が舞台に出ている間、ちょうど午後3時から1時間くらいだろう。
私と友人2人でカフェ当番をするところ、日向君たちバレー部にも手伝ってもらえることになった。
「むしろごめんね」
「ごめんはなし!」
日向君が強調した。
「さんのおかげで、おれたちバレー部として出し物できるんだし、謝られんのは困るっ」
それは昨日の電話でも言われたことだ。
わかってるけど、つい謝りたくなってしまう。悪い癖だ。
「……あ、ありがとう」
「どういたしましてっ。でも、お礼もなし! 食券もらえて1年喜んでたしさ。おれも嬉しいし」
心を込めてそう言ってもらえているのもわかるから、何も言わずに受けとめた。
「あ、そういえば、自転車いいの?」
「今日はないよ」
学校の自転車置き場を指差したものの、日向君はあっさりとそう答えた。
ということは、珍しくバスなんだろうか。
「ううん、走る」
「はしる!?」
こっから、日向君の家まで、走る?
前に一度行ったことはあるが、かなりの距離だ。
日向君曰く、休みの日は学校のある日より早く帰れるから走って帰れる、らしい(本当に?)。
「体力つけて、もっとバレーやりたいからさ」
「まだ残ってたのか、日向。さっきの問題解けたか?」
校門のところで立っていた先生が話しかけてしまったから、これ以上その話題を続けることはなかった。
ただ、私の中で何かが引っかかる。
バレーをもっとやるために走る、というのは、バレーに直結していなくて。
でも、それはきっと日向君なりの今できる最善で。
バレー部で出し物ができるってさっきはそう言ってもらえたけど、日向くんのやりたいバレー部は、バレーは……
「さん?」
急に顔を覗き込まれるのは心臓に悪い。
いつの間にか先生との話も終わっていたみたいで、どぎまぎと意味なく髪を撫でた。
「なっ、なに?」
「なんかぼんやりしてたから」
「ね、眠くて! や、やっぱり遅い時間まで起きるのはやめとこう」
昨日寝る直前にも言おうと思っていたことを、勢いのままに告げた。
夜の電話はしないようにしよう。
「さっきはその、切ってってお願いしちゃったけど、私もつい切れないし。日向君が睡眠不足になっちゃうのも悪いから」
受験生というのもある。
夏が勝負なら、これから先はもっと集中して受験生にならないといけない。
電話する機会が多くなったのはうれしいけど(そういえば急に増えた)、やっぱり寝不足はいろんなことに支障が出てしまう。
また、成績を落としたら、先生たちに何を言われるかわからない。
俯いていたから日向君がどんな顔をしているかわからなかったけど、そのおかげで、日向君が一歩近づいたのが分かった。
「じゃあさ」
続きがすぐに教えてもらえなかったから様子を窺うと、日向君が頬をかいて目を伏せた。
こっち来て、と言われるがまま、細い路地のすみっこに二人で立つ。
日向君はまだ何も言わないから、ただ待った。
横目で確認しても、日向君も何か考えているみたいだった。
もしかして気を悪くしたのかなと不安になったところで、日向君が少しだけ身体をこちらに寄せた。
「お、……」
言葉の続きを待つ。
「ぃ、やっぱ、いい」
「え」
「かっ帰ろう、さん、バス来てる」
バス停へと歩き出す日向君を前に、その場所から動こうとしなかった。
話してくれなきゃ動かない。
そうは言えないけど、そんな気持ちだった。
日向君もこちらの意図が伝わったのか戻って来てくれて、ないしょ話のように小さく話してくれた。
「わ、笑わないで聞いてほしいんだけど」
「うん」
「おれ、さ」
また黙ってしまうから教えてもらえないのかなと思ったけど、日向君が息を一つはいて続けてくれた。
「さんにおやすみって言われんの、すきで」
おやすみ、言われるの、すき。
「すげー、すきで」
すご、く、すき。
「すき、です」
……。
「さん?」
なにか、言わないと。そう思っても、頭が回らなくて、また次のバスが出発してしまうのだけはわかった。
next.