ハニーチ

スロウ・エール 91






「ごごご、ごめん!!やっぱ引いた!?」

「あっ、引いたというか」


びっくりした。

好きな人に自分の“おやすみ”が好きだと言ってもらえた。
その事実に、思考回路が追いつかなかった。

日向君の様子を窺い知りたくて顔を上げると、何とも言えない表情で日向君はこちらを見つめていた。

まるで、

 胸の奥まで届きそうなまっすぐさ。

逃げるように足元へ視線を移した。

ドキドキする。
日向君と目が合うと、なぜかいつも緊張する。

好き同士ってわかっているのに、なんでこんな気分になるんだろう。

足元をしばらく見つめているとそばを車が通って、ヘッドライトのおかげで私たちの影が伸びてまた消えた。

何か言わなくちゃ。ちゃんと、自分の言葉で。


さんが、言う通り、だよな。夜はちゃんと寝ないと」


行こう、と付け加えて、日向君がまたバス停へと私を暗に促した。
いや、むしろ逃げ道をくれたようにさえ思えた。

私も好きだと、日向君と電話する夜の時間がうれしいと、言葉にしないといけないのに、どうしてか声が出ていかない。

いっそ諦めてバス停に向かえばいいのに、それもできずにいるのは、一歩踏み出したらさっきの日向君と向き合わなきゃいけなくなりそうで、それもこわかった。

行かなくちゃ。

いかないと。
言わないと。


「ひ、日向くん!」


さっきと変わらぬ立ち位置のまま、その背中に声をかけた。

日向君が振り返る。


「おやすみ!!」


なんか、間違ったかな。なにを、言っているんだろう。言わなくちゃ。ただ、言葉にしないと。


「い、今からいっぱい言うから覚えとくってどうだろ?」


相変わらず私は言いたいことが全然まとめられない。


「つ、つまりね、今、いっぱいおやすみ言っとけば覚えとけるし、また忘れかけたら、その、一緒にいるときに言えばいいし、どうしてもって時は、「電話する?」


日向君がちょっとだけ柔らかい声色になった。


「す、そう!!」


噛んでしまった。
日向君がまたこちらに戻ってきてくれた。真正面。

と思ったら急に自分の髪をわしゃわしゃかき混ぜるから何事かと単純に驚いた。


さん!」

「うん!」

「す……、……うんっ!」


何を言われるかと待っていたら、一呼吸おいて言葉を飲み込んだようだった。

次の瞬間、うれしそうに笑ったから何を飲み込んだか気にも留めなかった。


「おやすみ!」

「お、おやすみ!」

「おやすみ!」

「おやすみ、なさい」

「おやすみ!」

「お、おやすみ……」


何回繰り返すんだろうと思ったところで、日向君も笑ったから、つられて笑っていた。
こんなにおやすみを言ったことがないってくらい、今日はこの言葉を口にした。
きっと覚えられる。覚えられただろう。

今度こそ帰るって時だった。


「ごめん、さん」


日向君がまたそう言った。


「先にさ、謝っとく!」

「なんで?」

「おれ、かけるかも、電話」


いたずらっぽく笑うの、ずるい。
もうバス停だ。


「でも、さん出なくていいから」

「出なくていいって、それ、意味ないじゃん」

「うんっ、でもいい。かけたくなったら、多分かけてる」

「絶対かけ直すよ、私」

「そしたら、絶対おれ出るよ?」

「出て、くんないと、困るよ。気になる」

「うん」

「それじゃ、また電話切れなくなるよ?」


今やった“おやすみ”合戦も全部無意味になるし、寝不足問題も解決しない。

たぶん今日みたく二人してあくびをする一日になる。


「うん、そんときに反省しよう」


日向君があまりに楽しそうに言うもんだから、もう寝不足でもいいかなと一緒になって笑ってしまった。
バス、なんでもう来ちゃうんだろう。

ばいばいとおやすみをお互い口にして、走り去っていく日向君をバスから見えるところまでずっと目で追いかけた。

なんだか今すぐ電話したい。
話したい。

通話ボタンは押さないまま、携帯画面には日向翔陽の名前が映ったままだった。

代わりにメールが届いた。

『 すきだよ!!!!! 』

その勢いに携帯を握りしめた。











文化祭の準備は順調で、クラスの出し物はトラブることなく完成した。

バレーボール部の展示物は、文化祭当日の三日前くらいから作り出して、もう完成だ。
一年生たちも手伝ってくれて、急ごしらえにしてはよくできたと思う。
場所も階段の踊り場とあって人通りがあるから悪くない。
あえて言えば作業をしている時に通りかかった人の視線や声かけがあるくらいだろうか。


「日向、それ妖怪?」

「ちげーよ!!」


バレーボールのマスコットキャラクターであるバボちゃん、もしかして、あんまり有名じゃないんだろうか。

日向君が他のクラスの男子に声をかけられる横で、残りの風船をせっせとくっつける。


ちゃん、楽しそうー風船ー」
「あれだ、テレビで見たことある」


ちょうど2年の時に同じクラスだった子たちが通りかかった。
しゃがんでいたから彼女たちを見上げる。


「知ってる?」

「バレーボールの試合で観た。踊ってた」

「うん、バボちゃん」

「弟がこれのTシャツ持ってるよ」


そんな話をしている内に、友達が抱えていた袋を覗き込む。スーパーの袋だ。


「なに買ってきたの?」

「いや足んないってうるさくてさ。洗えばいいって言ったんだけど」

「こんにゃく?」

「そう」

「あーネタバレダメだってー」

「いいじゃん、どうせ明日は本番だし」


このクラスは食べ物屋じゃなかったような。
そう思った時、正解がわかるチケットを一枚くれた。

こ、これは。


「よかったら来てよ。日向もいる?」

「なにが?」

「うちの入場券。私あげる人いなくてさ」

「サンキュ、……!!」


日向君の反応はある意味予想していた。

おばけ屋敷の、チケット。


「その先の教室だから。じゃあねー」

「あー……うん」


手をひらひら皆に振りながら、チケットを手にしたまま動かない日向君をちらと盗み見た。

やっぱり、そうだよね。


、さんも、もらったの?」

「う、うん。一枚だけ」


あ、まずい。一枚だとひとりで入る羽目になる。

あの子は、チケットのあげ先がないと言っていたけど、実際おばけ屋敷は毎年人気だ。
早めにチケットが売り切れるから、もし日向君がいらないならお願いして買わせてもらおうかな。そしたら友人と二人で行ける。


「あの、日向君、もしよかったら……「い、いいよ、行こう!」

「え!」

「ちがった!?」

「ち、ちがく、ない」


違った、とはいえない。

ただ、日向君の表情からして行きたそうには全く見えなかった。


「あ、あの、でも無理しなくても」

「こっこわくないって、これくらい! ぜんぜん、本当に」

「うん……」

さんが怖くなっても、大丈夫だから。お、おれ、いるし!」

「う、うん」


今更そのチケット買い取らせて、なんて言えるわけなかった。


「他にもさ、行きたいところあったら言ってよ。せっかくだし、さ」

「う、うん」

「パンフレット、まだ全部見てないし。さん見た!?」

「まだ、かな。漫研の子には来てって言われたけど」

「おれも! それも行こう。あと一年のもちょっと見てみたい」


話を弾ませながら、一緒に文化祭を回る前提なのか、と密かにうれしく思った。 そんな話したことなかったし。



next.