日向くんは他の友達と回らないのかな。
私もちゃんと約束したわけじゃないけど、仲のいい友達みんなで見て回るつもりだった。
でも、日向くんと文化祭のことを話すのが楽しくて、そのまま盛り上がってしまった。
「風船白いの買ってきましたー」
「お、ありがとう!」
「やっぱり手伝いましょうかっ?」
「だいじょーぶだって。ね、さん!」
「うん、もうあとこの辺くっつけるだけだし。ありがとね」
買ってきてもらった風船を受け取って、日向くんと一緒にバレー部1年三人を見送った。
この階段の下が後輩たちの教室だったはず。
時間的にもそろそろこっちも終わりにしないといけない頃だ。
ビニール袋を開けて、残りの空いたスペースにはめるべく、せっせと風船をふくらませた。
「あっ! もぅ」
文化祭は二日間あるから限界まで風船に空気を入れる必要がある。
パンパンに膨らんだ風船の口を結ぶところでまた失敗してしまい、つい独り言が出てしまう。
はたと気づくと日向くんが私を見ていた。何か言いたげに。からかう風に。
口元を見る。……にやけていた。
「たったまたま失敗しただけだから!」
「うん」
「ち、ちょっと油断しただけ、あ!」
もう一度チャレンジした風船は勢いよく私の手元を離れて飛び上がったかと思えば、廊下にすぐ落ちた。
「……」
「……ふっ」
日向くんが吹き出す。手元には、ちゃんとふくらんでいる風船がもう2つめだ。
「おれ、やろっか? さんの」
いつもなら素直にお願いできるのに、失敗を見られたのがはずかしかったのと、なんかくやしかったのが折り混ざって、落下した風船を黙って回収した。
もう一回やってみる。
思い切り息を吹き込んで、吹き込みすぎないで、結びやすいように。
「あ!」
まただ。
しかも、今度は見回りの先生の肩にちょうどタイミングよくぶつかった。
もーー……!
「またお前らか」
またってなんですかと思いつつ、呆れた様子の先生にすみませんを何度も口にして回収した。
そんなこんなでバボちゃんのバルーンアートは完成したからもういい。忘れよう。
*
文化祭1日目、午前中はクラスの出し物の当番だった。
「、行こー」
「うん」
友人達と教室を後にする。
よくよく考えてみれば、いつ一緒に回れるかなんて悩む必要がなかった。
日向くんも私も教室の当番表が上手い具合にずれていた。
1日目は生徒だけの公開だからやることはけっこう楽だけど、明日は一般公開でそうスムーズには行かない。
だから、2日目の午後、しかも家庭科部の店番が終わったくらいに一緒に回れるかくらいのチャンスだけだった。
残念だけど、ちょっとだけでも一緒の時間があるなら十分だ。
それに、日向くんは今日の午後はビラ配りだ。もしかしたら校内でばったり会えるかもしれない。
「まずはどこ見る?」
「はーい!謎解き行きたーい!」
「謎解きなんてあったっけ?」
「1組がやってるよ。ちゃんもいいよね?」
「あ、でも、先にお昼行った方がいいんじゃ」
「あー、おなかすいたよね」
わいわいと回る最後の文化祭はやっぱり楽しい。
生徒だけに公開の今日は程よく気が抜けていて和やかな雰囲気だ。
加えて、生徒会の代替わりのおかげか去年よりも変わった企画や出し物も多かった。
今年なんてミスター&ミス雪ヶ丘のコンテストもやるらしい。よくOKが出たなと話しつつ、疲れたからと喫茶店をやっているクラスを目指した。
「喫茶店やってるとこ多いよね」
「これ行こうよ、メイドカフェ!」
友達が開いたパンフレットのページを同じ場所を開いてみると、注意書きが書いてあった。
「なっちゃん、これ……」
「ん? あぁ、おもしろそうじゃん、ある意味」
ある意味、という表現はぴったりかもしれない。
教室も近いし座れればいいと話がまとまって足を向けると、なんだか入り口付近でざわついている。
もめ事だろうか。揉めても仕方ない気はするけど。
「なんだろうね」
「メイドをナンパした野郎がいたとか」
「野郎が野郎を?」
メイドカフェの文字が大きく書かれた模造紙が貼られている。
わざわざ注意書きもある。女装したメイドです、と赤文字で。
ちょうど引き戸が動いて、ビラを持った男子が出てきた。メイドさんも。
「似合うってー!」
「もういいだろ、返せって!」
「ひな、た、くん」
「日向!?」
「さん…!!」
め、メイド服?
パシャリ、とシャッター音。見覚えのあるアルバム委員のデジカメだ。
「撮ったぜー! 翔陽の女装-!」
「っざけんな、消せ、いますぐ消せ!!!」
ばたばたと廊下を男子数名と日向くんが駆けていく。残された私たちは黙って顔を見合わせた。
いまの日向くんだよね。
日向、だったね。
メイド服、なんか、着てた、気がするけど。
ぽかんとしていると中から客引きのメイド(男子)たちがわらわらと出てきたけど、さすがにこのカフェに入る気になれず、自販機で飲み物を買って適当にぶらつくことになった。
*
「今の御神輿、すごかったあ!」
ちょうど2年生の出し物である御神輿パレードが始まった。
2階の廊下の窓に皆で並ぶと、見物するにはちょうどいい。
次はどこのクラスだろう、なんて話しながら、心のどこかでさっきの日向くんが気にかかった。
大丈夫かな。写真撮られたみたいだし。
アルバム委員が使うデジカメでああいうことをされると、今後クラス写真を撮れなくなる可能性だってなくはない。
文化祭ではしゃぎたくなる気持ちはわかるけど、ちょっと悪ふざけが過ぎる。
そう思いつつ、空になったドリンクの容器を捨てに行ってひとり戻るタイミングだった。
「!?」
いきなり腕を引っ張られて教室に引きずり込まれる。
驚きすぎて声も上げられない上に、相手の人物がやけにリアルな馬のかぶりものをしていたから恐怖しかなかった。
「さん!」
「!!」
「お、おれ!」
「日向くんっ」
「ご、ごめん、驚かせて」
このかぶり物を脱いでくれなかったら、どうにかされるかと思った。
胸を押さえて深く息をついた。
って、なんだって、そんな格好を。
さすがに今の日向くんはメイド服は着てないけど、ジャージのズボンにシャツに黒ネクタイというちぐはぐな組合せだった。
しかもさっきまで馬のかぶり物までしていたし、状況が謎すぎる。
「こっこれは! そそれより、これ、消してもらっていい?」
日向くんがズボンのポケットから出したのは、デジカメだ。
「これって、「な、中身見なくていいから、全部消していいよ!」
「ええっ!」
さすがに中身を確認せずに全消しするのは怖い。
日向くんはともかくデジカメの写真を消すように言うけど、万一消しちゃ行けない画像が入っていたらと思うと躊躇する。
「いいから、ほんと!これ、変な写真しか入ってないの、おれが保証するから!」
「でも」
「ぜったいだから、ぜったい!!」
「わ、わかったよ、落ちついて」
ここまで熱弁されたら仕方ない。
誰もいない教室で電気もつけずにここにいるのもと思い、日向くんが望むままデジカメのデータを全削除した。
「消えた!?」
「うん、これで大丈夫なはず」
「はず!?」
「あ、大丈夫、消えてる! ほら!!」
デジカメを操作して『データはありません』の文字を見せると、日向くんが安堵のため息をついてそのまま床にへたり込んだからびっくりした。
「だっ大丈夫?」
「ひどい目に遭った」
「み、みたいだね」
日向くんが両手を床につけてぐったりと天井を見上げるから、同じように座って目線を合わせた。
話を聞くに、さっきの男子たちにからかわれてビラを取られ、返してくれる条件でメイド服に付き合ったらしい。
「ほんっとあいつら、後で見てろ」
本気で呟く日向くんは、ちょっとだけ怖い。
そんな私に気づいてか、日向くんが笑いかけてくれた。
「本当にありがとう、さん」
「お役に立ててよかったよ」
「どうやれば消せるかわからなかったからほんと助かった」
「デジカメ、私返してこようか?」
日向くんはけっこう不思議な格好だから外に出たくないだろう。
「いいよ、これも返さなきゃ」
これ、というのは日向くんの手にある馬のかぶりものだった。
ビニール製のものだけど、まあまあよくできていて、正直気持ち悪い。
「なんでこんなのかぶってたの?」
「いや、だって……」
日向くんが俯く。
この教室は物置にされているせいかカーテンすべてを閉め切られていて暗いから、尚のこと表情を読めなかった。
「日向くん?」
「い、いま、その、さ」
日向くんがシャツの袖で顔をぬぐう。また、もう一回繰り返す。
白いシャツがうっすら汚れるのがわかる。
あ、もしかして。
「落とす?」
「へっ?」
「お化粧……したのかなって」
少しの間があってから、日向くんが頷いた。
*
「日向くん?」
少しだけここを抜け出して、家庭科部の後輩から舞台用のメイク落としシートを分けてもらってきた。
たくさんの机の奥の窓近くに日向くんが身を潜めていたから、そこに同じように侵入した。
椅子はなくて机だけだから、なんとか四つん這いで進んでいける。
奥の窓のあるスペースにいる日向くんまでたどり着いた。
「ただいま」
「お、おかえり」
「これで全部落とせるよ」
「う、うん……」
「ほら」
メイク落としのシートは残り少ないけれど、一、二枚もあればきっと落とせるだろう。
後輩達が演劇部の手伝いをしててくれて助かった。舞台メイクの方が落とすの大変そうだし、これなら落ちるだろう。
落とし方の説明を読んでいる間に、日向くんがやや乱暴に顔をシートでこすった。
もう少し優しくした方がいいんじゃ、と思いつつ、日向くんはさっさとそれらをぬぐい去りたいようで口出しはしなかった。
「これでいい!?」
「あー……、まだ、かな」
そう伝えると、日向くんがもっと顔をごしごしとこする。見ているこっちが痛くなりそうだ。
「ご、ごめんね、日向くん鏡持ってこなくて。そうだ!」
カーテンを開ければいい、と思ったけど、光があると誰かが入ってきてしまうかもしれない。
代わりに、カーテンの中に入った。
当然ガラス窓のベランダはあるけど、立たない限りは外からこっちは見えない。
手招きした。
日向くんも中に入ると用心してちゃんとカーテンを閉め直す。
「わ、私、やるよ! やらせて」
日向くんがしばらく手元のシートを眺めてから何か言いたげにしつつも黙ってそれを渡してくれた。
「えっと、目、つむってて」
「ん」
「大丈夫、すぐ終わるから」
乱暴にこすられて落ちた化粧だけど、濃いめの何かを使われていたらしく、中途半端に残っていた。
それに、マスカラも使ってあって、かなり本格的だ。
ぐしゃぐしゃになったシートをたたんで、日向くんの顔に当てた。
「なんか、ちゃんとやられたんだね」
「うん」
「でも肌色は大丈夫だよ」
「口紅はすぐとったけど、目がさ」
「あ、しばらく当てとくから待って」
急ごしらえにしてはちゃんとメイクされている。
今はすごく落としづらくて厄介だけど、ここまでやれば、明日の一般公開ではこのカフェはそこそこ盛り上がるかもしれない。
しばらく日向くんの目元にシートを当て続けた。
「アキ達がやれってうるさくてさ」
あ、アキちゃん。
「すぐ終わる、すぐできるって言うから、だまされた」
「そ、そっか」
「さんにも、みられたし」
「か……可愛かったよ?」
口から出任せだった。よく見てなかったし、日向くんの口から女の子の名前が出たことの方に気を取られていた。
もうこれでメイクは全部落ちたはず。
「ほんとに?」
閉じられていた日向くんの目が開く。当たり前だけど、すぐ間近で、カーテンに閉じられた空間は二人だけでいる事実を実感させた。
「え、と、そんなに覚えてなくて。日向くんすぐ走ってっちゃったし」
「夏目達にも見られたよな」
「なっちゃん達もあんまりよく見てなかったよ! 元気だして」
!!
日向くんのおでこが肩に当たった。
いや、日向くんが、意図して私にもたれかかった。
「みられたく、なかった」
小さく呟かれた言葉は、私だけに響く。
おでこはすぐ離れたし、私の制服に化粧が付いていないかと日向くんが慌てたからすぐいつもの調子に戻ったけど、密かに肩の余韻が気になり続けた。
next.