ハニーチ

スロウ・エール 93




さん、ありがとう! 助かった!」


廊下に出ると、日向くんはデジカメとさっきのかぶりものを手にして颯爽と立ち去った。

残された私の方が変に気にしてしまう。

別に、肩にちょっともたれかかってこられただけだし。
そんな気にする方がおかしい。

でも、まだドキドキしている。

近かったから?
二人だけだったから?

手だって、つないだことあるのに。

自分の手のひらを眺める。

答えが出るはずもなく、掴む相手のいない手のひらをぎゅっと閉じると、一呼吸してから友人たちの元に戻った。







「じゃあ、明日は絶っ対にこんな悪ふざけがないように。では、日直」

「き、きりーーつ」


いつもと違って文化祭の縁日に変わっている教室だから、普段なら引く椅子もなく、一斉にその場で立ち上がっておじぎをした。
先生も教室を後にする。

文化祭1日目が終了、SHRで出し物などの講評を聞かされたわけだが、一部男子の悪ふざけが問題視され、本来なら明るく盛り上がるこの時間がやや緊張感を持つはめになった。


「かぶりもので校内走り回るって意味わかんないよね」
「となりのクラスの男子でしょ」


クラスメイトの会話に、ぎくっと密かに反応してしまう。

たまたま視界に入った日向君は聞こえたかなと思うと、他の人たちと話が盛り上がっているようで、特に気にした様子はなかった。


ー」

「な、なに?」

「家庭科室、寄ってく?」

「うん、少しだけ寄るつもり」

「じゃ、一緒に行こう」


荷物をまとめて友人と教室を後にする。

話題はやっぱりさっきのホームルームで聞かされたことだった。


「うちらは見かけなかったよね、かぶりもの男子」

「う、うん」

「スパイダーマンのとか、シュレックとか、色々いたらしい」

「お祭りだもんね」

「一般の人いたら絶対怒られるよ」

「まあねー」


言いながら、日向君がかぶっていた馬のやつもきっとその悪ふざけの一つだったんだろうなと想像した(たぶんあのメイドカフェやってるクラスだ)


「それよりさ、明日は午前と日向でしょ?」


不意にふられた話題にすぐに理解が追いつかなかった。

明日は文化祭2日目、その午前中といえば、自分たちのクラスの出し物の当番だ。


「嫌ならさー、変わろうか?」

「えっ?」


むしろ変わりたくないんだけど、とは言えず、理由を問えば、友人の中の日向君情報が夏休みの時点で止まっていることを知らされた。

確かに仲良くしたくない相手と二人で文化祭当番は嫌かもしれない。


「あ、あのね、なっちゃん」

「まあ、無理にとは言わないし」

「じ、じゃなくて」


どうしよ、

言うべき?


日向君と、わたし……


迷っている間に家庭科室に着いて、いよいよ明日が一般公開ということもあり、中学最後の作品展とお菓子作りで部員全員で盛り上がって、日向君とのことを口に出すタイミングはなかった。








「わ!」


誰もいないと思ってやってきたバルーンアートのその場所で人影が動いた。

その正体は日向君で、最終下校時刻間近の、秋とはいえもう夕焼けが終わるころだったせいで大げさに驚いてしまった。


「ご、ごめん、びっくりさせて」

「ううんっ。 さん、どうしたの?」

「いや、風船しぼんでないかなって」


家庭科部の準備を終えてからそのまま帰るつもりだったけど、やっぱり気になって足を向けてしまった。
なんてことのない出し物だけど、バレー部として最初で最後の文化祭でもあったからちゃんとしたい。


「おれも同じ。けっこう風船だからってはたくヤツがいてさ、さっきてっぺんの風船取れてたっ」

「あーー、触りたくなるよね」


日向君のとなりにしゃがんで、一生懸命バレーボールマスコットにかたどった風船たちをぽんぽんと触れた。
ちょうど下の階から風が吹きあがってくるから、それもあって風船が揺れる。

週間予報を思い出す。


「明日も風強いみたいだよ」

「そうなんだっ。 もっとテープで補強する!?」

「うーん、あんまりやるとかっこ悪いんだけど……」


あ、日向くん準備早い。

太めのテープをすでに長めに切っている。

だったら貼っといていいかなあ。


日向くんが差し出してくれたテープに手を伸ばす、とまた下から吹き上げる風が。

その風のせいでふわっと浮いたテープが私の髪にくっついた。


「ごごめ!!」

「あっ!」


いいよ、と伝えるより早く日向君が手を引く、と自然とテープにくっついた髪も引っ張られる。
また変にくっつかせないようにすれば、さらに幅のあるテープに髪がくっつく。

悪循環、

そう思って身を引こうにも引けず、廊下に手を付いた。日向君側に。


さ、……」


目が合う。

合ってしまう。


風がびょうっと強く吹く音がして、日向君の前髪と私のそれが同じように揺れて、きっと同じようにお互いが映っていた。


「……」
「……」


黙ることが一番のコミュニケーションだった、かもしれない。

日向君が手を動かさないで、ゆっくりと視線を外す。どこか、気まずそうに。

日向君からテープを受け取ってもよかったけれど、両手で自分の髪をテープから外す方が効率がいい気がした。

顔が近いままだった。

テープにくっついた髪を真剣に見つめれば見つめるほど、透けるテープの先の日向君を意識してしまう。

申し訳ないけどすぐにテープから髪を外せそうにない。
日向君もどことなく私の視線に気づいているようで距離をあけられそうだったからつい念を押した。


「う、動かないでね」


日向君が緊張した面持ちでこくりと頷く。

また風が吹く。これ以上テープにくっつかないように、残りの髪を耳にかけた。

けっこう粘着力が強い。
髪が抜けるのも痛いのも嫌で、少しだけ時間をかけて外した。


「ごめんね、すぐ外せなくて」

「も、へーき!?」

「うんっ」


外したテープはぐしゃぐしゃにした。


「今度はさ、もうちょっと短めに切ってね」

「う、うん」


日向君になんにも気にしてほしくなくて、わざと声を明るくして展示物を補強した。

これでいい。
これで大丈夫。

外はもう暗くなっていて、最終下校時刻を知らせるチャイムが響いた。
どこのクラスも電気が消えている。


「お、お化け屋敷ってこの時間みるとこわいよね」

「うん」

「あ、明日の午後、行けるといいね」

「うん……」

「ひ、日向くん?」


一緒に下駄箱に向かう日向君がちっともこっちを見てくれなくて、少しだけ近づいて顔をのぞきこむ。


「な、なに!!」

「いや……」


大げさなほど日向君がよろめくから、自分のしたことをすごく後悔した。

昇降口の方では、先生が他の人たちに早く帰るように促すのが聞こえる。


「は、早く帰ろう!」


日向君がそう言うのは正しいのに、なんで、こんな胸に引っかかりがあるような、ぐしゃってする気持ちになるんだろう。

いつもならもっとゆっくり下駄箱を出るのに、こんな日に限って日向君はもう先生のところまで行ってしまった。

そりゃ、あんなに顔近づけたのは悪かったけど……風のせいだし、テープのせいだし、もしかして汗ぽかった?

つい自分の髪の匂いをチェックしてしまった。
たぶん、大丈夫なはず。

友人の当番変わろうか、という言葉が頭をよぎった。

いやいや、せっかく日向君とやれるんだし。

ただ、やっぱり、まだ日向君とのことは誰にも言わないでおこうと思った。


next.