ハニーチ

スロウ・エール 94




「おはよう、さん!」


翌朝、いつもと同じ時間に学校に来ると、下駄箱で日向君に遭遇した。
昨日のことがあっても変わらない。
カバンの代わりにボールを手にしている。


「朝練?」

「うん、体育館は使えないから外で!」

「そっか」


当たり前だけど体育館は文化祭の出し物でいっぱいだ。
ボールは少し埃っぽくなっているのを横目で確認しつつ、靴を履き替えた。


「去年はもっと早く来てなかった?」


日向君に言われて頷く。

家庭科部の準備があったからもっと早くに起きていたけど、今年は2年生がいるから自分たちのクラスに集中できる。

今日の午後、後輩たちが舞台に出ている間の1時間くらいが最後の家庭科部としての活動だ。
あ、なんかちょっと今、胸のあたりがくすぐったかった。
ちょうど廊下に家庭科部のチラシを見つけてしまったのもある。去年は友人と一緒に頭を悩ませた。


「これ、さんたちが描いたの?」

「う、ううん、今年は2年生。人数いるからやってもらってて。他にやることも全部そう」


言いながら、最後なんだし、もっと関わればよかったかなとふとよぎる。
このタイミングでそんなこと考えてどうするんだ。


「よかったね!」


日向君の一言が、思考に割って入る。


「去年はさん、クラスにいないこと多かったから。今年はいっぱい一緒にやれたっ」

「そ、だね」


今の2年生たちは、去年はすべてがはじめての経験だった。
先輩である私たちがしっかりしなきゃとはりきったし、積極的に動いて文化祭に向けて活動しきった。

楽しかったけど、その分、クラスの方に使う時間が減ったのは事実。
何かをしなかった私は、他の何かをしていたってことだ。


「バレー部の方も手伝ってもらえたし。本当にありがとう!!」

「いっいいって! やりたくてやらせてもらっただけだし」


日向君が思い切り頭を下げるから道行く人たちの視線を集めてしまう。


「ほら、行こう! 今日は私たち朝から当番だしっ」

「そうだった!」


う……、ずるい。

そんな満面の笑みを見せられると、なんか、こう、ずるいって思う。


さんすげー早歩き!!」

「お、遅れないようにって!」

「そっか!」


すぐとなりに並ばれるから、やっぱり日向君の足は早いなと思う。










『それでは、今日の文化祭を一日安全に楽しく過ごしましょう』


校内放送で、文化祭開始の挨拶が流れ終えると、みんな一斉に動き出した。
がやがやと騒がしい教室の中で、午前当番の人たちは自分たちの担当している出し物の前に立つ。
日向君と私も同じように配置についた。


「すげーいい天気だね!」

「うん」


日向君に言われて窓の外を見ると、青空がよく見える。
こんな日は、きっと来場者も多いはずだ。

綿あめの班はさっそく綿あめをいくつか作ってビニール袋に詰めている。
甘い匂いがする横で、とっくに準備してあるチョコバナナのひとつが割りばしから落ちそうになってクラスメイトが慌てている。
その奥のスーパーボールすくいは、たくさんのボールが子ども用プールの中で浮き沈みながらひしめき合っている。

全員が浴衣を着るなりしたら雰囲気が出る!という意見もあったけど、動きづらさもあって、一部の人たちがチラシ配りのときに着るくらいだった。

実際の屋台とはぜんぜん違うけど、今年の夏に行ったお祭りを少しだけ思い出させた。


「早く誰か来ないかなー」


日向くんが射的用の銃を手にしてわくわくしている。
これは小さい子向けで、割り箸ゴム鉄砲も用意してある。
日向君が今度は輪ゴムをいじりだした。


「昨日はけっこう来たみたいだよ」

「そうなんだ!」

「ひとつのクラスでいろいろ見て回れるし」


こういうの子どもウケよさそうだし、人きそうだよなあ。
日向君の妹さんも来るのかな。

そう尋ねると午前中に来る予定と返ってきて、楽しみの一つが増えた。


「そういえば夏ちゃんって花火、」


知り合いのおうちでちゃんと見れたかな、

そう続けたかったのに日向君の手元から輪ゴムがすっとんで、スーパーボール用のプールの中にダイブしてしまった。


「日向~~~!!」
「ごごめん!」


あっちの班の人たちに日向君が謝って濡れた輪ゴムの水を払う。
それ、拭いた方がいいよね。
ティッシュを準備したけど、日向くんにいらないと言われてしまった。
輪ゴムは数があるからあっちで乾かしとく、だって。
私と真反対の窓のほうに、日向君は輪ゴムをひっかけて、そのままそこに立った。

つい視線で追ってしまって、日向くんと一瞬だけ目が合った。
すぐ、そらされてしまったけど。

そりゃそうか、もうお客さん来るんだし。

シャンと背筋を伸ばして迎える姿勢に、と心がけた時だった。


「花火は、さ」


受付の方でお客さんの声、日向くんは俯いてから人差し指を唇にあてた。な い しょ。口の動きで読み取れたメッセージ。


ないしょ、はなび。


それは花火大会の、トクベツな瞬間を思い出すには十分だった。
花火が打ちあがった瞬間のこと、日向君がとなりに来てくれた時のこと、その後のこともぜんぶ。

ここは教室だ。
これから文化祭だ。

自分に言い聞かせて、何度も確認した射的の銃や玉やゴムをまたチェックした。

また意識する。じんわりと胸が熱い。

最初のお客さんが来てくれて、やっといつも通りに戻ることが出来た。







「いいなー日向くんの妹さん見たかったー」


綿菓子の班の子たちがさっき来ていた夏ちゃんの話題で盛り上がる。
向こうはちょうど当番が入れ替わるタイミングだった。

日向に似てた。
いや、似てない。かわいかった。
すばやかった。

色んな感想が飛び交っておもしろい。
参加したかったけど、私たちがやっている射的は人気があって、倒れたり場所のズレた的を戻したり、玉やゴムを拾ったり、そこそこ忙しかった。


さん、輪ゴムのほう!」

「はいっ」

「んっ」

「あ、半券もらっていい?」

「やべっ。やる前に券ください!」


日向くんがお客さんから受け取った半券をなくさないように箱に入れる。

あー!とか、当たらない~!とか、お客さんの反応に合わせて、こうしたらいい、とか、もっと腕をまっすぐに、とか日向君がアドバイスしてるのを聞きながら、次の準備をする。

受付を見ると、また次のお客さんだ。
そのお客さんの脇を通って、他のクラスの宣伝の人たちが入ってくる。


「今日の13時までにミスター&ミス雪ヶ丘の投票をお願いします! 投票してくれた人には抽選で豪華景品が当たります!」


これだけ大きな声で叫ばれると、うちのクラスで遊んでいる人たちみんな手が止まる。

軽く営業妨害なんじゃ、と思ったところで、クラスの人が出ていくように促した。
特に気にする様子もなく、ぜひともミスター&ミス雪ヶ丘に一票を!!と繰り返して宣伝の人たちは廊下に出ていった。


さん半券!」

「あ、ありがと!」


受け取って次に景品の準備をして、となんだかんだ忙しく時間を過ごした。









お昼を過ぎると、縁日よりも食べ物のある出店の方が混んできたみたいで、さっきよりは落ちついた。
廊下を行きかう生徒に一般の人たちが食べ物を持っていたりして、どうしたっておなかがすいてくる。
今なんてソースの匂いがした。


さん、おなかすいた?」

「すいたー」

「食べるっ?」


日向くんの手にはビニール袋、中を覗くとパックに入ったたこ焼きがあった。


「いいの?!」


つい嬉しさが声ににじんだ。

いいよって爪楊枝の一つをくれた。
さっきクラスの人たちで買い出しを分担をしたらしい。腹が減っては、とはよく言うし、ありがたく頂戴する。

ビニールからパックを取り出すと、とてつもなく熱かった。
鰹節に青のりにマヨネーズ、はもうかかってる。パックのふたにもべっとりソースがついていた。

射的やる人が来るかなと一瞬気にしたけど、校内放送でこれから軽音学部の演奏が始まると流れると、人の流れがまた変わっていた。
お客さんに来てほしいけど、お昼休憩するにはちょうどいい。


「いただきますっ」


日向君が先にたこ焼きを食べ始めた。


「んっ!」


いきなり口を押えるから何事かと思った、けど、そりゃそうか。


「熱い?」

「んっ、すご、く」


パックの中のたこ焼きは湯気を上がっていた。

もうちょっと冷めてからにしようかな。そう思ったところで、お客さんが来た。
日向くんが券を受け取る担当だけど代わろうか。


「ふぁい、ち、ちょっとたんま!!」


すばやくお茶を飲んだかと思ったらあっという間にお客さんの元に……日向君のすばしっこさに感動した。
次のお客さんも来そうだったのもあるけど、まだちょっと熱そうな日向君を見てたこやきは後回しにした。



next.