ハニーチ

スロウ・エール 99





「どっかさ、休憩する?」


まだおばけ屋敷の恐怖が抜けきらない私に、日向君が何枚かのチケットを見せてくれた。

中には昨日のメイド喫茶のも混じっていた。

私の表情から何を言わんとしているか察したらしい日向君が頬をかいた。


「あいつらが昨日のお詫びにくれた」


日向くんのあの姿と仕掛けたらしい男子たちの攻防を思い出すに、このチケットのお詫びで落とし前?がついたならよかった。


「中身はふつうの喫茶店だって言ってたし、ここ行ってみる? そのあとさ、広場行ってスタンプ押すっ」


残すところあと1か所の広場に行って最後のスタンプをもらえば豪華景品とやらをもらえる。
閉会式はクラスに戻らないといけないだから、時間にまだ余裕のある今なら喫茶店も行けるだろう。
日向君の提案にうなずいた。

またトラブルにならないよな。


さん、行きたくない?」


そんな顔に出てたかなと思いつつ、首を横に振った。


「私はいいけど」


日向君の方が、と皆まで言わなくても日向君はわかってくれて笑った。


「大丈夫、あいつら、根は悪くないから」


そのメイド喫茶に向かいながら、彼らとも小さいころから知っている仲だと教えてもらった。

いつもと同じ、いつも違う雰囲気の廊下を二人で歩く。
見下ろした先の広場はパレードが終わった代わりにコンテストの発表と当日枠の投票でそこそこ賑わっていた。
窓が何カ所か開けられていて、秋の風が校内を抜けた。前を歩く日向君の髪も揺れる。


「いいな」


それは小さな独り言のつもりだった。

日向君がすぐ振り返る。

不覚、耳がいいの知ってるのに。


「なにがっ?」

「いやっ」

「なにがいいの?」

「ええっと」


すごく、些細なことだった。

気にする方がおかしいくらいの、小さなこと。


「日向くんのこと知ってるのが、ちょっと、うらやましいなって。

 私は、知らないから」


日向くんがどんな小学生だったのか。
その前のことも。

今こうしていられるだけで十分なはずなのに、どこかで幼馴染だという人たちを羨んでしまう。
どうしたって時間は戻せないのに。


さんも?」


意外な返答に息をのんだ。

日向くんが開いた窓のところで手をかけて立ち止まる。

なんとなく並んで窓の外を見た。
雲が流れていく。


「“も”って」

「おれも、そう思うことあるから」


なんで日向君がそう感じるんだろうと思うより先に日向くんが言った。


「肝試しのことも知らなかったし。他にも知らないこと、けっこうあるじゃん」

「あるかな」

「いっぱい。バレーやってたってこともさ、夏目から聞いたのがはじめてだったし」


バレーなんて耳にする単語なのに、日向くんの口から出されたから胸の奥底が震える心地がした。


「今度、さ」


日向君が窓の縁をぎゅっと握った。


「また、うち来ない?」


前にプリントを届けに行った時のことが即座に浮かんだ。


「いやっ、そのさ、 アルバム、見せれるなって」


日向くんが早口に続けた。


「文化祭終わるとちょっと時間あるし、今日、ほら、夏もさんとしゃべりたがってたし。さん忙しかったら、ぜんぜん、その……」

「い、行く」


私も気づいたら同じように窓枠を握っていた。
ちょっと汚れてたのに気にならなかった。


「夏ちゃんに、他の編みぐるみも、あ、あげたいし」


それだけじゃ、ないんだけど。

むしろ、日向君のことが知りたいだけで。

ちらっと横を見ると、日向君もこっちを見ていて、たぶん同時に窓の外を見た。


「じ、じゃあ決まりで!」
「き、決まりで!」


慌てすぎて声がかぶっていた。

いつにするか日程はさすがにすぐ浮かばず、文化祭が終わってから決めようという話に終わった。

日向くんのアルバム、どんなだろう。

自分のも持っていくべきなのか。

そう迷った時、一瞬、小学校の時のワンシーンが浮かんだ。
体育館、バレーボール、色んなことのあった校舎よりも、そのボールを拾い打ち上げるあの空間がまっさきによみがえった。



「行こっ、さん」


過去より、まずは今日。

少しだけ早歩きになって隣に並んだ。







メイド喫茶はさすがにこの時間ということもあって並ばずには入れた。
食べ物系は売り切れで、飲み物しか選べなかったのは残念だけど。
日向くんは炭酸で、私は無難にアイスコーヒー、どちらも絶妙に生温かった。


「すげーむさくるしかったっ。あ、ありがと」


パンフレットを団扇代わりに日向君に風を送るとお礼を言われた。
率直な感想にある意味同意も含まれる。
まず、お客さんよりメイドの数(正確には暇してる男子)が多すぎた。
空調も効いてるんだかよくわからない。ただ、全員個性あふれるメイドさんだったなと振り返った。


「時間ないなら一か所だけでもダイジョブです!!」


最後のスタンプを押しに行こうと広場に向かう途中、呼び込みの人に引っかかった。
体力測定だ。

全部で5カ所の種目があって、それぞれランキングの記録が出されている。

興味はなかったけど、日向くんがやる気満々ぽいし、1カ所だけでもいいならと立ち寄ることにした。
中に入ってみると、食べ物系と違って売り切れもない分、けっこうな人気があった。


「日向くん、どれにする?」


ちょうど順番待ちがないのは、跳躍力をはかるテストだ。


「さっきの……!」


まさにジャンプし終えた相手がびくっと足早に出ていく。

どっかで見たような、あ、さっきの私に声かけてきた人。

なるほど、日向君が言っていた通り、誰かれ構わず声をかけていたのは本当らしい。
知らない他校の女子を連れて教室を出ていった。


「どうかした!?」

「ううん。なんでも。 日向くん、これやるの?」

「んっ! 一番とるから見てて」


その言葉に係の人が笑う。バスケ部の人が現在1位です、だって。

なんとなく、だった。

日向くんならもしかして、と、密かに想像する。

事情を知らない日向くんが屈伸をする。

係の人がシールを用意してくれる。これを貼るように説明してくれた。


「よっ!」


まだシールを持たない日向くんがぐん、と高く飛んだ。

係の人も私も再び床に戻ってきた日向君を見つめる。


「なに?」

「あの、シール……」

「忘れてた!!」


シールがなくても日向くんが一番だった。

私が見た日向君の指先は、この天井より高くさえ見えた。









体力測定の教室を後にすると、残り時間もわずかだ。
教室に戻る時間もある。


「急ごう!」

「うん!」


正直、スタンプラリーの景品はあまり興味はないんだけど(絶対に豪華景品じゃないだろうし)、ここまで回ったから最後までやり切りたい。

広場はちょうど文化祭実行委員がミスター&ミス雪が丘のコンテストの結果を発表していた。
特別枠も投票が終わったらしく、一般のお客さんたちもその様子を見守っている。

帰り支度をしている人もいて、後夜祭はあるけど、もうお祭りの終わりの雰囲気が漂っていた。


『 それでは、第一位の発表です! 』


事前エントリーがされていた方の結果は、クラスや部活動に貢献した人が反映されていた。
まばらな拍手にまぎれて自分も手を叩いた。うっかり日向君を見失わないようにしないと。あ、スタンプあった。
日向くんがポケットからスタンプラリーの用紙を取り出す。

何か、落ちた。


『 続いては、特別賞です! 』


落ちた紙を拾い上げた。


「日向くん、これ、落ちたよ」


スタンプラリーの最後のスタンプを押してから日向くんが振り返る。

まるで祝うかのように同時にコンテストの特別賞も発表されて広場が盛り上がる。

ふと視線を自分の手元に落とすと、その紙には“私”がひとり映っていた。



next.